月別アーカイブ: 2019年12月

日々雑思 クリスマスに来たのは 1年を振り返る

今年のクリスマスは宿を休む。久しぶりに味わうひとりのクリスマス。4年前隣村にバイクで到着したのは夕方遅かったのでホテルに泊まり、遠くの音楽や花火の音を楽しんだ。

8時、セシーが箱を抱えてやってきた。中には薄汚れたけむくじゃらがモゾモゾしている「うわーまだ小さいなぁ」「ヒデーキ、そうなんだまだこんなにちいちゃかった、たくさん面倒を見ないとダメだ、ちゃんとやれるのか」その質問にほんの少し不安を覚えた。それほど子犬は小さかった。「まだミルクがいるだろう」「ごはんも食べてると言っていたけど」「そうか、それにしてもかわいいなぁ、見てみろコレ、ありがとうセシー」「じゃあいくわ、メリークリスマス」「あー」。セシーが帰ったあと、子犬はアウアウと鳴いている。まだヨロヨロしていてなにもわかっていないのだと不憫になった。これは余程面倒を見てやらなければと肝に命じた。こんなに小さいのでは連れて行く訳にもいかず、足早に買い物に行く。子犬用のドックフードとミルクを買い戻る。湯にミルクをとき、ドックフードをふやかす。子犬を連れてきてスプーンですくって食べさせた。食欲はある。しばらくするとワサワサし出す。オシッコとウンチをする。こんなに小さくてもキチンと場所をわきまえている。ノミがたかっているので風呂に入れてやる。気持ちがいいのかとてもおとなしくしていた。一回では取りきれないので乾かしてやった後少し櫛で梳いてやるといびきをかいて寝ている。マタの上がほんのり温かく久しぶりに味わう気持ちになった。そっとベッドに戻したがどうやら抱かれていたいらしく暴れている。ふたたびマタの上に乗せるとすぐに寝てしまった。もうこうなるといけない。ハンモックに腰掛けなにもせずに一日中子犬と一緒であった。時たま起きては遊んでもらい、ゴハンをもらう。夜、潰してしまうのではないかと心配であったけれど一緒に寝てやる。絆というものはこうして突然に生まれるものなのだと知る。名前をくれてやらなければならない。コイツとは長い付き合いになるだろう。どちらかが死ぬまで離れることは出来ないと覚悟を決めた。当分はうんと甘やかしてやろう。クリスマスは1人であったけれども1人ではなかった。

あっと言う間の一年であった。相棒のカフェを失った。客は最小であった。セシーを1年雇うことが出来た。新しい相棒がやってきた。スペイン語が少しだけ上達した。ズンバを続けた。パスポートが新しくなった。貧困とはなにかが少し見えた。それだけの1年であった。

さて、女中のセシーとどうしたものかと思案中。なにせ12月だというのに日本人の旅行者は1人であった。年末年始もゼロ。以前なら不安でならなかったがどうにかなるのであろう。来年は外国人で部屋を埋められるように頑張るしかない。英語にスペイン語もっと勉強しなくては!

日々雑思 パスポートの更新

10年も経ってしまったのかとしみじみと思う。パリを皮切りに随分といろいろな国に訪れる事の出来た10年であった。新しい生き方を見つけ、自分らしくやりたいことをやった。後悔も微塵もなく予定調和のない暮らしが性に合っていた。

パスポートの更新を海外でもできると言うので試して見ることにする。大使館に連絡し必要な書類を聞く。サイトからダウンロードした申請書に記入し印刷した。写真を撮って大使館へ。申し込みは書類を提出するだけであった。日本であれば結構待たされるところだけれど即日発行の運びとなり喜ぶ。こんなに簡単にできるとは思ってもいなかったので拍子抜けしてしまった。大使館職員の対応も親切で高慢ちきなところもこれっぽちもない。ともあれまた10年は日本に帰らずともなんとか暮らしていけることとなる。

在留届を出してくれないかと頼まれる。これまでひっそりとやってきたのだけれど観念した。届出を出すと色々とめんどくさい事になりそうで嫌だ、身分としては旅行者なので3ヶ月程で出て行ってしまうと言ってしまえばおしまい。特段の縛りがあるわけでもないので問題はないはずだけれど、大使館員の親切にほだされてしまった。登録をすると大使館からの情報が送られてくるほか、安否確認などをすることがあるのであろう。自分の所在を知られてしまったのはちょっと嫌な気持ちではあるけれど仕方がない。

色々と聞かれて全て白状する。大丈夫かと心配されたが、問題ない自分でやっているので心配には及ばないと丁寧に申し上げた。普段から安全第一で行動する政府機関の方々にはなかなか理解できないこともあるのでわかってもらえるはずもない。最近旅行者の国境でのトラブルの話などを聞かれるが、すでに国境の職員とも顔見知となってしまっているので何もないと正直に申し上げる。ここは日本ではないのでいかようにでもなる、1日で帰ってくることもできるし3日出ていても良いい。

帰りはシャトルバスを使う。最近、道が良くなりスムーズになったと聞いていたのでそれを確認するため。迂回路が出来上がり、まったく渋滞にはまることなく帰ってきた。朗報となる。

ハイウェイには山岳地に住む住人が子供を連れて出てきている。客に同行しているガイドが彼らは貧乏で困っている。道に出て物乞いをしていると説明している。さらに政府は何もしない。教育が良くない。貧困にあえぐ者たちは悲しいと言う。1人の女が止まって彼らにドネーションをしたいと言い出す。余計な知恵をつけるからそうなるのだとうんざりした。確かに金を持たない貧乏人であって馬鹿者共ではあるけれど、それほど悲惨なものではない。毎年この時期の恒例行事みたいなもので、子供達は車に手を振って金をせがむが、見方を変えれば何もない山の暮らしのイベントでもあって、それなりに楽しんでやっている。先進国であったらハロウィンの様なもの。そうした国では子供が菓子をせがんでもかわいそうだとならないのと同じだ。持つ者が持たざる者を見るときの優越感の様なものを感じてしまう。客はしきりに原因はなんだと聞いていて、内戦の話や共産主義者の話をしているがガイドも学がないので適当にごまかしているのを聞いていて墨を飲み込んだ様な気持ちになった。そんな話をしているから村に入ってからも客の目線はどこかおかしくトンチンカンなものとなってしまったが、確かに田舎だと都会から戻ったばかりの自分の目も目垢が落ちた様に見えた。

久しぶりに出た都会は眩しいほどであった。何もかもが充実して、困ることがない。欲しかったいくつかを買い、よいホテルに泊まり、美味いと言われる飯を食べた。ところがそれらはこれまでと少し異なる気持ちを作ってくれた。有名なカフェを廻っても美味しくはなく、メシはしょっぱく感じてしまう。ホテルもそれほどでもなくテレビがあり、壁にありきたりの飾りがついてるだけであった。テーブルの上にワインの小瓶がつまみの菓子と共に置かれていた。ただなのかと思ったらしっかり会計は別にしなければならない。英語で受け答えをされ、スペイン語の必要性すらない。

結局、コーヒーもメシも自分で作ったものが美味しかった。試しに戻ってコーヒーを淹れたがやはりマメも淹れ方も自分好みが一番であった。結論として自分は商売が下手なのだと悟る。

日々雑思 気持ちのゆらぎ

風のない午後、隣の家では父が息子に薪割りを教えている。まだ子供には重たいであろう斧を懸命に振る。なかなか上手くいかないがやはり男の子はこうして教えてもらえることが楽しいのであろう。兄が失敗ると弟が囃し立てる。「もっと強くダァ」何度か失敗を繰り返すがうまいこと刃が薪の真ん中に食い込む。重たそうに振り上げ、下の丸太に叩き下ろすと2つに割れた。一同歓喜の声をあげて喜んでいる。微笑ましい。得意になった兄は一端の男にでもなったかのように父を見上げる。父は新しい薪をたてた。コツを掴んだのかすんなりと割れた。飽くことなく続く音が眠気を誘う。

「おはようヒデキ」客がいないのでいつもより1時間遅くらせてやった。「おはようセシー、お前その上着を脱げ」「???」「お前オレを信頼できるか?その服を脱いで目をつぶれ、いいか、オレがいいというまで目をつぶれ」「こうか」上着を脱いだセシーにセーターを着せた。「ヨシ、目を開けろ」目を開いたセシーの顔がほころぶ。「ヒデーキ!とってもとってもありがとう、とーーてもありがとう、あーかわいい、ありがとう」「くれてやる」

朝食を食べている時セシーが携帯を見せて「ヒデキ見てみろこのセーターとってもかわいいだろう、あそこの角の店で見た、友達と見に行った、でもきっと高い、三色ある、私はこの色が好きだ」「そうかそれは良かったな」「それだけか?」「それだけだ」「」こちらの反応を見て少しふてくされたように残りのパンをパクリと食べるとサッサと皿を洗いに行った。

客を誘い散歩に出る。角の店に立ち寄り、客にお願いしてセーターを購入した。オッさんが買ったセーターを着ているとウワサになるのもかわいそうなので少し気を使ってしまった。ガラでもないがたまにはいいであろう。年頃の娘を持つ父はこのように思うのであろうか。女が喜ぶ顔を見るのはいつ以来であろうか。どんな顔すれば良いのかすっかり忘れていた自分に苦笑してしまった。先日、来年も働きたいと言ってきたセシー。また来年も生意気な小娘と働くことは面倒でもあり、少し嬉しくもある。

「ヒデーキ、イヌはもう飼わないのか?」セシーが突然聞いてくる。「ハスキーが近所で産まれた。要るなら聞いてやる」「お前が連れてきたハスキーのか?」「そうだ」「あのイヌは頭が良かった、アレはいい」「いるか?ずっと1人でいるのか?」「わからん」と答えてカフェの事を思い出す。共に暮らす者がいることはいいことだ。イヌは人のように余計な事を言わない。共に暮らすなら絶対に人よりイヌだ。ネコはいけない。ネコは恩を知らない。散歩もいらないがつまらない。その点イヌは少し面倒な時もあるが共に過ごす時間が楽しい。「名前を考えなきゃな」セシーが言う。こちらの心を見透かされてしまったようでバツが悪くなり「考えておく」とだけ答えるとニヤリと笑ってスセリーに写真を撮らせて送らせると言う。スセリーのことなら素直に聞くことも承知しているのでタチが悪い。「あーそうしてくれ、オスでなければダメだ」「なんで?」「メスはお前だけで十分だ、世話が焼けて仕方ない」「アハハ、私はメスか?」「友達は男だけと決めてあるだけだ、気にするな」

どうするかを決めかねている。飼えば最後まで面倒を見てやりたい。カフェのように飼い主が変わるごとに悲しい思いをさせるのはよくない。宿がうまくいけばひもじい思いをさせないでも済むが、そうでなければと心配でもある。旅に出るとき迷ったらやるを決めて出て来たが、生き物となるとそう簡単にはいかない。こうした気持ちも久しぶりに味わう感情でどうにもその処理の仕方に困ってしまう。

気持ちというものは厄介なものだ。歳をとってもうまくコントロールすることが出来ない。日差しが弱まり、肌寒くなってきた。客もイヌも居ない宿のテラスに腰掛け過ごすこの時間を寂しいとは思わない。今日は一歩も外に出ていない。遠くにトウモロコシの製粉機の音が聞こえる。足にかゆみを感じて見ると血を吸いすぎて飛べなくなった蚊が懸命に飛ぼうとしている。サンダルで潰すと床に血が飛び散った。いったいこの血は誰のものであろうか。もはや自分の血ではないような気もするし確かにそればついさっいまで自分のものであった。気持ちを吸い取ってくれる虫がいればいいのに。

日々雑思 たまには旅の話を 後編

宿から客が具合が悪くなったと連絡があり、急ぎ戻ることにする。一本早いバスに乗り国境が開く前にイミグレに着いた。グアテマラに戻る。ここからであればうまくすれば夕方前には宿に戻れる算段であった。

うまい具合にチキンバスに乗れた。金をはらう時、乗り換えの場所は閉じられていていけないかもしれないと言われる。少し行った所でバスが止まった。車掌が少し慌てた様子で皆をバスから降ろす。バスは慌ててUターンしているが道が狭く何回も切り返している。ピックアップトラックに乗った男衆が棍棒を持ってバスの前に止まった。怒鳴り声がして運転手が袋叩きにあっている。何事が起きたのだとわけもわからぬままに道を進みその場を離れる。道の向こう側からも人々が歩いて来る。尋ねるとデモをやっていると言う。

しばらく行くと道路が封鎖されていた。嫌な予感がした。この時期はグアテマラ中でデモが起きる。いつ、どこで始まるかは前日の夜にならないとわからない。先ほどのバスはバリケードを突破してしまったのでやられたのだとわかった。

いくつか小さな封鎖を抜けた所でデモの拠点に着く。聞くと通らせない、いつ開くかもわからないとぶっきらぼうに言っている。爆竹があちこちで鳴らされ少しエキサイトしているので大人しく待つことにした。女中に状況を調べてくれと頼む。携帯に課金しておいて良かった。ここまで10キロ程も歩いたか。少し疲れたので飲み物を買い足し、スナック菓子を食べた。

1時間ほどしたところであたりがざわついた。どうやらデモを解除するらしい。急ぎ支度をして封鎖しているところに急ぐ。これがいけなかった。人々はパニックになり我先にと大荷物を抱えて走り出す。先にいるチキンバスの車掌達も殺気立っている。自分のバスに1人でも多く乗せようと客の取り合いとなっている。人の流れに逆らえず進むと車掌3人が腕やバックを引っ張ってきた。その勢いに負け転んでしまう。その時誰かがバックを引ったくろうとしている。強引に振り払い、思いっきり殴りつけた。まだ若い青年はクタンと膝から崩れた。辺りが騒然となる、近くにいた警官に泥棒だと叫ぶ。警官が行け行けと手振りをしていたので、近くのチキンバスに飛び乗った。バスはすでに走り出していたので、その場をすぐに離れることができたけれど、留まっていたら厄介なことになっていたかもしれないと安堵した。

デモの混乱でバスも無く。随分と待たされ途中の町まで行くのが精一杯であった。宿に連絡して事情を説明する。病人は女中が診療所へ付き添ってくれ、心配なさそう。新しくきた客もいるので明日には帰ると伝えた。

翌朝、村までのバスに乗ろうと宿で待っている時、今日もデモがあると言われる。どうしても今日には帰らなければならないので出ると伝えた。バスターミナルに着くと、案の定人集りとなり、皆右往左往している。デモをやっている交差点まで行くバスをやっとの事で見つけそれに乗る。宿にいた客が村まで来ると言ってついているので少し心配だ。交差点のはるか手前で案の定大渋滞となりバスを降りた。近くのトゥクトゥクに乗って裏道を通って行く。あぜ道のような細道を進み、交差点を見渡せる丘の上で降りる。これ以上はトゥクトゥクも進みたくないようだ。丘の上からしばらく様子を見る。下からきた老人が、車は今日は通れない。石を投げられ危険だと言う。歩けるかと聞くと大丈夫だと言うので客を連れ、足早にデモの中を通り抜ける。上から見ていてアイス売りなどがデモの中で鈴を鳴らしていたのでまだ落ち着いている事は分かっていたけれど昨日のこともあるので用心に越した事はない。

デモを抜け幹線道路を進む。車はない。山の方から人々が降りて来るので色々と聞くが人によって言うことがまちまちでよくわからない。かと言ってデモの中で待っていれば、また昨日の二の前になってしまうので、進むことをえらぶ。

途中、村の者と会う。2時間程行ったがバスはなかった。戻ってデモが終わるのを待つ、お前もそうしろと言われたが進むことにする。

町を離れると穏やかになる。ハイウェイをひたすら登る。連れている者は大きなバックパックを担いでいるので辛そうだ。少し休み、荷物を持ってやり、先へと進む。しんと静かな山間を登って行くのは気持ちいい。大きなバックパックが背中に食い込む感触がいい。女性用なので少し小さいがこうして大きなパックを担いで歩くのは楽しい。風が心地よく、田舎の風景の中に溶け込んでいくような感覚がいい。

5時間程歩いてやっとデモの始点、ほぼ山の頂上に着いた。群衆は穏やかで昨日とは違う。少し行くとチキンバスがいた。聞くと村の上にある村まで帰ると言う。交渉して乗せてもらいバスを乗り継ぎ村に着くことが出来た。

2日で30キロ近く歩いたことになる。ビーサンの底が減ったこと以外、筋肉痛もなく楽しさだけが残った。肩に残るバックパックの重みが旅をした気分に彩りを添えた。

快適とは言えない旅もまた楽しいものであった。普通なら出かけずに待機する所を強引に進むことの是非はあるかと思う。それでも普段味わうことのないグアテマラを感じたことはいろいろな意味で新鮮であった。道行く人々は気さくで苦労を共にする仲間のようであり、群衆の若者はうざったいほどチーノチーノ(中国人又は東洋人)と囃し立てた。僕の履いていた民族衣装のスカートをリメイクしたアラビアンパンツを見て、女衆はキャッキャッと笑い、パイナップル売りの青年は交差点から歩いてきたと言うと周りの者に驚きと共に告げた。群衆の幾人かは記念撮影をせがんできて、僕らを驚かせた。

また一つ、この小さな旅で僕は変わった。次はどんな経験ができるのであろうか。いつもの小さな旅であったけれども驚きに満ち満ちた数日間であった。メキシコの近代国家ぶりに感嘆し、グアテマラの第三世界ぶりに居心地の良さを満喫する。

宿に戻り、留守の間に来た客に挨拶をして共に歩いた客の食事を用意する。明日の朝来るであろうセシーに礼を言わなくては。買ってきた食材等を片付け横になったが目が冴えてなかなか眠ることが出来なかった。

日々雑思 たまには旅の話を

ごく稀にメキシコへ行く。パスポートのためでもあるけれど最近は休暇の意味が大きい。ほんの23日のことなので持ち物も少ない。今回僕の持ち物は歯ブラシ、パンツ一枚、充電器と携帯それと小さなテルモスだけ。

いつものチキンバス、すでに釣り銭のないように小銭を用意しなくてもボッタクリもない。乗り換えて車掌と話し、降りる場所をその場で決める。直通バスではあったけど途中、長い停車時間があったため乗り換えを選んだ。バスを待っているとピックアップトラックが止まってどこまでだと言う。国境だと言うと行くとこたえた。いくらだと聞くとバスと同じなので今回はピックアップに乗ってみることにした。ピックアップは自家用貨物のトラックのこと、4WDのトラックの荷台乗るだけ。すでに女衆が乗っていて挨拶を交わす。すぐに質問ぜめにあう。自己紹介などを済ます。矢継ぎ早の質問にもキチンと応えているし、わからないところは聞き直せる。持ってきたパンをあげると喜んでいる。彼らは日本人とみると必ずカラテのことを質問するので毎回同じ話にしかならないのだけど、考えてみればグアテマラと聞いてコーヒー以外の話をはじめてあったグアテマラ人と出来るはずもないのと同じなのだ。そしてたいていの場合、ジャッキーチェンかブルースリーの話になって益々ややこしくなりめんどくさい。しかし今回はカラテキッドのミヤギの話になる。オヤっと思い聞いているとミヤギが少年にカラテは身を守るために使うのだ、争いのためではないの言うシーンが好きだと言う。純粋に日本の話しではないけれど、ほーと感心した。

ピックアップは途中人々を乗せたり下ろしたりしながらのんびりと走る。風が気持ち良い。景色がゆっくりと流れ、路傍の犬、しゃがむ女、外人の僕をジッと見つめる子供、屋内でハタを織る女、肉屋の匂い、薪をたく匂い、洗濯物をはたいたしぶき、笑い声、鳴き声、がなり声全てが僕にあいた穴から飛び込んでくる。混んできたので立ち乗りになる。胸から上1つ飛び抜けた僕を見て、少し怖がっているのか気の毒になるけど、こちらがスペイン語ができると知ると、この荷物を運転席の天井に載せろ、降りるから運転手に言ってくれ、荷物を取ってくれといいように使ってくる。子供は手すりにつかまる僕の手を恐る恐る触っておんなじだーと言っている。一緒にいるお母さんもそっと触ってくる。ゴツゴツとしたその手はとても歳ににつかわないものであったけれども、働き者の手であった。

国境に着いたのはいつもより少しだけ遅かったけど、そんなことよりこの新しい乗り物でした旅のことがなんだか嬉しくてしかたがなかった。

おそらく僕はこういう旅をしたいのだ。旅に出て5年、ようやく僕は自分が何をしたかったのかを知った。少しまた旅人に近づく事が出来た気がした。

メキシコではいつものスペイン語では少しばかり不便なことになる。別に困りはしないのだけれど、いつもと違うフレーズに戸惑う。言葉というのは待ち構えているのと違うフレーズで言われるとあれっ?となるものだ。慣れるまでに23日かかるものだけれど国境から2時間ほどしかないこの町でも勝手が異なるのが面白い。住んでいるのが田舎すぎることも1つ。コーヒーの淹れ方に使うフレーズが違う。信号機という単語が言えない。テレビのリモコンが言えない。レストランで注文の際、料理がなんなのかわからない。コレがまた楽しくていい。今なんて言ったの?どういう風に言うのと質問しまくってなんだこいつと思われるのが楽しくて仕方ない。これこそ旅の発見、新体験、醍醐味、喜びであった。田舎暮らしにはない都会の人の暮らしが楽しい。東京に出てきた人達の気持ちがわかると言ったら言い過ぎか。町は看板に溢れ、市場は巨大で、皆が悪人に見える。どこに行くにも5分と待たずに乗合がやってきて安い。娯楽に溢れ若者は楽しそうだ。女中のセシリアを連れてきたらどう反応するのだろうとふと考えてしまった。

夜、ホステルの若者と少し話す。若い子だなと思っていた。歳を聞くと17だと言う。この街から40キロ程離れた村に住んでいたが学校を辞め今週から働き始めたと言う。仕事は楽しく満足している、週6日働き村に戻る。6人兄弟の末っ子。まだ幼さが残る顔立ちに自分の倅たちの事が浮かんだ。こうして話が出来る事が嬉しい。国が違っても若者はいいものだ。女中のセシリアも粋がってはいるけれど心根の良さがある。彼女が作った僕のスペイン語はもうどこでも通用する程になった。それを彼女はどう感じているのであろうか。まったく話の出来ない外国人に言語を教える苦労は並大抵ではないのに小娘1人で立派にやりきってしまった。僕がいない間もキチンと宿を仕切っている。こうした国にいると若者のたくましさを感じてしまう。と同時に日本で暮らす倅たちはどうであろうかと思いを馳せてしまう。

毎回思う事だけれども、こうして小さな旅をするとき、僕はまだ旅の途中にあるのだと実感する事が出来る。旅を始めた時とは何もかにもが違って見えるし、感じ方も物の考え方も変わってしまった。それでも旅をする事は楽しい。