日別アーカイブ: 2019/09/18

日々雑思 宿が変わった 光を観る

宿が変わった。なにが変わったのであろうかと思いを巡らせるがとんとわからない。とにかく客が良い。来る者来る者がとても良い。雰囲気がまるで違う。地元の者が日本食を食べに来るようにもなった。ラーメンが食べたいと言う。家族で来たい。16人だかいいかと言う。ネット屋が集金に来て食事がしたいと言う。来た者すべてがとても喜んでいる。キレイだと言う。言われていた事がことごとくなくなった。

旅行者には選ばれなくなったが、この地域に住む者がふらりとやって来て泊まってくれる。思いもしなかった展開でキツネにつままれるとはこんな風に使うのかと知る。それもまた面白い。時折来る旅人も落ち着くと言う。少しのんびりしてから元気になり旅立って行く。宿を去った後も連絡をくれるほど、また来たいと嬉しいことを言ってくれる。

思い当たる節は値上げしたことくらい。たったそれだけのことでこうまで変わるとは思えないが、そのくらいしか思い当たる節がない。食事を少しよくした。朝食がとても喜ばれるようになった。

安さが大切であろうと思って来たが、どうやら違うらしいことはわかった。安い食事を選ぶ者がいない。よく来る者も値上げを歓迎してくれる。これまた腑に落ちないが、気がつくと独自の路線を歩みだしていた。ほかに競う者がいない事がいい。

商売というものが未だにわからない。旅人を応援したいと言う思いで始めた宿。ところが自分が思っていた旅人はすでに少なくなり、新しい旅のスタイルを楽しむ人達にはうまくあわず、戸惑いばかりとなってしまった。もうこれはいけないとなった。ところがこの宿を気に入ってくれる者達が現れた。彼等は旅行者ではなかった。これだけ予想を裏切られることがこの歳になっても経験できる事がいい。商売というものはこうしたものなのであろう。先日、メキシコで宿を営む夫婦が来てくれた。彼等には本当に多くのことを学ばせてもらっている。気づき、考え方、色々なことをしっかりとした芯を持って前へと進む夫婦はとても眩しい。今回もまた沢山の思考の種をいただいた。この宿もまた少し良くなっていくのだと確信した。

光を観る

その国のいい面を見て帰る事を「観光」と言う。この言葉を聞いたのは韓国でツアーに参加した時。韓国女性の添乗員から。ツアーも面白いものであったけど、この言葉にすっかり感心してしまった。この国では嫌なこと危険なことがあるけれどできれば良い面だけを観て行ってもらいたいと常々思っている。一方で悲しいことに宿に泊まった者達の中には被害にあってしまうことがある。ここにジレンマがある。危険情報は必要なのだけど、どの程度に留めておくべきなのかが悩みどころ。その手の話が好きな人にはいいのだけれど、正直、日本とはまるで違う国のこうした話は引いてしまうような話もある。話せないこともある。せっかくの旅行なのに必要以上に及び腰にさせてしまうのもかわいそう。こうした国では安全を考える時、二者択一はない。勧めるか勧めないかと言われれば勧めない一択しかない。安全を金で買う事でこの国の光を観る事はかなり限られてしまう。

例えばチキンバスと呼ばれる地元の足。僕はこのバスが好きだ。しかし、得てして危険と言われるし、確かに被害もある。被害にあいたくなければ乗らないに越したことはない。ところがこのバスにこそ、この国の人々の暮らしがあり、日常を垣間見る事が出来る。先日、日本から来た客はグアテマラで1番楽しかったのはチキンバスであったと言った。

一方で。例えばドラッグ。言わずと知れた物ではあるけれど興味が勝ることもわかる。使う使わないの話ではない。売る側の話。知り合いの親戚は若くして殺された。唯一の男の子をなくした母親の悲しみを聞く時、買った者から聞いた値切った話が頭をよぎる。同世代の娘がいるのに村の若者に平気で売る女。そんな女から買ったと聞かされる時、その闇を僕は教えてあげる事が出来ない。人に聞かせる事が出来ない。闇はこの国を知らない者にとっては深く暗すぎて光などどこにも見えないから。

値切り倒すことに価値を見出す者もどう接したものかと悩む。金持ちの国から来てなぜそこまでしてしまうのか。稼ぐのは大変なのだと言われればその通り。少しでも長く旅をしたいと言う気持ちもよくわかる。でも、貧しく学のない者を騙し、見せ金をチラつかせ、たった少しの金額のために永遠と粘るその姿は見苦しい。確かにぼったくりもある。嫌な経験を僕自身何度も味わって来た。それでも、栄養失調に苦しむ子供を抱えた母親からミルク代にもならない金額でむしり取り、得意げに戦利品を見せられる時、僕はそれを話す事が出来ない。自らの行いが闇を作っているのだという事に気付かない者と接しているのは苦痛でしかない。客の去った後、掃除をする時にそれがゴミ箱に捨てられているのを見た時、僕は底知れない気持ち悪さを感じてしまう。

安さだけに価値を見出し、それを押し付ける者を僕は好かない。物事の対価を考えず当たり前のように振る舞う者はみすぼらしい。

60%以上の国民が貧困にある国であっても、すでに繋がってしまった世界経済の中に組み込まれているのだ。通貨の価値で物事を正しく計り、適正な対価を支払うというは当たり前なのだと自らの目で観てもらいたい。100200円で喜びの顔を見る事が出来る事を知ってほしい。きっとそこには光が見えるはずだから。