日別アーカイブ: 2019/06/18

日々雑思 SNSの使い方に驚いた

今回のブログは自分の気持ちの整理みたいなもので読んでもつまらないとの声が出てきそう。それでも、こうして自分を見つめる事ができる場を持っているのはいいこと。いつもとは違うスタイルですがよろしければお読みください。

先日宿の事を相談した際、沢山のアドバイスをいただいたのだけど、どうにも分からないことがあって戻ってから色々と調べている。わからない事はグーグル先生に聞く。ソーシャルメディアの使い方。どうも使い方を間違えているような、大事なことがわかっていない気がする。モヤモヤして気持ち悪い。

グーグル先生はすぐにいくつかの答えを出してくれた。難解な文字が踊り、まだ日活ロマンポルノのキャッチフレーズの方がわかりやすい。とりあえず片端から読みまくる。

そもそもKamomosi のアカウントってなんだ?宿のSNSとは言ったところで、宿と個人のSNSは別のものではあるけどつながっているではないか?SNSを使ってステキな発信をしている宿も多い。ホームページとは違って扱いも易そうだと思っていたのに難しい。伺った話の中にあったキーワードを打ち込んで先日のアドバイスを補てんしていく。少しずつ話の全容が見えてきた。

「いったいソーシャルメディアってどうつかうのですか?若い人はホームページなど見ないと聞きました」

彼等は話題作りだったり、宿のイメージ向上だったり、売上向上だったりすると言う。やっぱり宣伝であることに変わりはなさそうだ。ところがこの宣伝というのが最近変わってきていて、ステマ、炎上などという言葉を聞くようになった。よくはわからないがそうなると被害者のみならず関係のない人々に寄ってたかって袋叩きに合う。逃げ出すまで許されない。

続けて不思議な事をいう。宣伝してはいけない。自分の商品をいいですよ買ってくださいなどと言ったらいけないという。広告媒体であるはずのソーシャルメディアを使って宣伝できないとはどういう事なのだと益々わからなくなったのでグーグル先生にお願いする。

「旅行者が宿のアカウントを敬遠する理由」(実際はもう少し広くビジネスの話なのだけれどうちは宿なので当てはめてみた)

旅行者の立場から改めて考えろと言われる。

まず、旅行者は宿のアカウントを宿泊意思決定の参考になどしていない。ホームページや広告のようなものは信じてもいない。実際はクチコミ情報を探したり、出会った人から聞いたりした情報を信じるという。なぜか?宿の情報は当たり障りないことばかりで上っ面しかわからない。責任逃れ、炎上を恐れるあまり怖くなってつまらないものになっていて判断の基準として図りようがない。つまり宿が発信している情報は旅行者が必要としているものではない。

では、なぜ宿は発信しているのか?

宿から発信する情報はいかにうちの宿はいいですよと訴えかけるのではなく、宿がどう良かったのかを宿泊した客がソーシャルメディアで伝えやすくするための情報を発信するためだと言う。つまり直接宣伝するのではなく、宿泊した客に宣伝してもらうためにあるという。

どういうことだと色々と調べていくとそこには感情と安易が見えてきた。

変わりゆく旅行者

最近の旅行者はどんどん変わっていて「旅本」や「宿からのありきたりな情報」のような、いかにもといった「イメージ」よりもそこに行った同年代の旅行者からの「本音」や「リアルな体験談」を求めているという。

ありきたりなどこにでもある情報より、信頼できそうな人の顔が載っているSNSを信用するらしい。ここで重要なのはその情報が真実を述べているかどうかではなく読み手の「納得」という感情が働くらしい。

個人が発信する情報など真実かどうかなんて分からなくていいのだという。情報発信者が信頼に足るか、もっと言ってしまえば、その情報が実体験に基づいていなくても構わない。今まで宿の情報に振り回されたり、本に書いてあったことが違うという経験をした若者はそんなものを信じるくらいなら面識がなくても宿と利害関係のない人を信頼しようとなっている。

常にソーシャルメディアからの情報が手に入る今の旅のスタイルは宿からの発信を必要としなくなった。宿はただ部屋代と場所さえ発信して宿泊サイトに登録しておけば後は旅行者同士でその宿の是非を伝えあってくれる。すごい話だ。

納得と情報提供者の信頼

今やどの宿も価格や設備に大差はない。どこに泊まろうが同じであって選択の基準にはなっていない。ではどうやって旅行者は宿を決めているのだろう?

若い旅行者は論理的な説明より、旅先で知り合った友人の話に方に心動かされ、つぎの宿泊先を決めるという。宿で偶然居合わせただけの知らない人でもその人の目や笑顔から信頼性を感じとり、その印象から情報の真偽まで判断してしまうと若主人も言っていた。

ロジカルに情報を解析するのではなく、感情的に情報提供者を評価する。その評価は宿が発信した情報より重要性で上回る。つまり旅行者にとって情報は「何を言っているか」ではなく「誰が言っているのか」の方がずっと重要なことだった。

「ここの場所のことはよくわからないけど、言っている旅ブロガーの◯◯さんは信じられるから」

「面識はないんですけどSNSで繋がっているから信用出来るんです」

以前宿で聞いたことを思い出した。共通する事は旅行者自身が納得しているかどうか、その場所がどうかということはあまりたいした問題ではなく、そこに行くための費用を支払うことに納得できるかどうかが大切だった。

好きか嫌いか、気分がいいか悪いかがとても大切にされていると聞いたこともある。「僕らの世代は、生の人と直接関わることが苦手なんです。嫌な思いはしたくないし、怒られるのが嫌なんです」と言われ正直、それではどうやって職場で同僚や上司、顧客と関わってきたのだろうかと思った事があった。嫌な時はそっとフェードアウトできますからと言われ、そういうものなのかと驚いた。

旅行者は宿や企業が出す情報には関心を示さないけれども、少数の影響力のある、宿や企業と関わりのないブロガーや同時期に興味深い旅をしている旅行者のソーシャルメディアを通じて影響を受け、旅行を楽しむようなっていた。

感情と安易。その時の自分の感情に素直に従う。好きか嫌いか、気持ちがいいか悪いか、やりたいかやりたくないか、こういった安易に選ぶ事が出来る選択肢がキーとなっていた。たしかに言われれば思い当たる節は沢山ある。そして僕はことごとくやってはいけないことをしでかしていた。

僕の思考はおそらく正反対で、常に物事をロジックに考えてきた。過去を振り返って現状を図り未来を見る。そうした癖が染みついている。自分の感情はとりあえず置いておいて。事実だけを積み重ね、それがたとえ自分の意に反したものでも構わなかった。ただ旅行というたのしみにおいてはそれがまずかった。元々楽しむための行為に御託は必要ない。楽しそう、簡単そうという事もありなのだと気がついた。

あー「覆水盆に返らず」

それでは、どのように接するのがより良いのかと聞く。

まず宿泊者や旅通の人に、「ここはいいよ!」と情報を発信してもらえるように、宿やサービスを徹底的に磨きなさい。客にスマートに嫌味なくアプローチをしなさい。彼等を気持ちよくしてあげなさい。彼等の存在を認めてあげなさい。褒めてあげなさい。そのために笑顔の練習をしなさい。挨拶の仕方も重要です。写真写りを研究しなさい。人に好感を持たれる立ち振る舞いに気を使いなさい。でもそれを彼等に悟られてはいけません。あくまで自然に。決してやり過ぎず。質問に真っ当に答えてはいけません。ユーモア、センスのある返答にとどめ相手の話を聞いてあげるのです。

コレは難しい。もう頭を抱えるしかない。一緒に話を伺った大兄も「こりゃワシらには無理ダデ」と肩を落としている。そもそも「サービスしてあげるから投稿してね」というようなやり方はダメなのではなかったのか?(確かステマと言ったと思うけれど確かではない)益々わからなくなる。「やり過ぎはいけません。露骨にやるのはちょっとまずいのです」「?????

「「主体性」が大切です。ある人が宿に泊まって気に入ってくれたとしても、情報の発信をするかしないか、どのように発信するかはその人に委ねるのです」「でも、どうやって?」「やり方はいくつかあります」

要約すると

奥さんや管理人さんに日常のことを発信してもらう。素直な発信は共感を呼ぶし、温かみがある。

宿の事がとっても気に入ってくれた人に熱く語って語ってもらう。なんだか分からないけどこの宿はいいと一生懸命語る人を見て、聞いている人がその気になる。

人気のある発信力のある人にどう宿がいいのか書いてもらう。元々こうした人達は信頼されているので受け入れてもらえる。

どんどん貴重な情報を提供する。お金はとらない。価値観が大切だ。価値があると人が集まる。

すべてに言えることは相手に任せるだった。その人が感じたリアルがなによりも大切だという。

確かに、長々と書いてきたことと一致している。なるほどなぁと感心してしまった。これがすべてだとは思ってはいけない。世代の所為にしてはいけない。人はそれぞれで多様性がある。一般的な傾向として知る上ではとても腑に落ちた。ともかくSNSの使い方の一面が見えた気がした。なんとなくやっているようでよく考えられているのだなぁ。えらいものに手を出してしまったという少しの後悔もあるけどモヤモヤは消えた。

毎日、時間だけはたっぷりあるので、狂ってしまったのではないかと疑う気持ちを持ちつつも、沢山の事を考える事が出来ている。宿の方はどうにもならないが、相手ありきの商売とはこうしたものなのだとあきらめた。新しい試みに手を出してみることは楽しい。なにかを安易に出来るほど若くはないが自分の感情に向き合うのもいいかもしれない。