月別アーカイブ: 2019年6月

日々雑思 不良品の願い

誰も来ない宿を毎日掃除させるのはなんだかかわいそうなので庭の草むしりとした。石垣のツタを丁寧に刈る。セシーは雑草を抜いている。2時間程でキレイになった。畑のバジルがわっさりと出来たので、セシーがバジルペーストを作ろうと言う。急に言われてどうしたのだ?と驚いた。彼女がパスタを茹で、出来立てのペーストを絡めた。ここで働き出してから随分と料理の腕を上げてきた。もうなんの遜色もない。

「写真を撮るからキレイに盛り付けろ」「大丈夫だ、今日はこの皿を使うがいいか」考えながら盛り付けていてホーと感心した。「出来た。どうだ?ヒデキ」「マソメノス(まぁまぁだ)」と言うと少しふくれたがわかってもいるようで何も言わない。

最近は毎日のように予約が来たかと切り出してくる。やはり心配をかけている。「ない」と一言だけで終わる。「断ってるんじゃないのか」「いや」「なんで来ないのだ」「この宿はダメかもしれんな、来月は倒産だハハハ、倒産のquiebrabancarrotaとはどう違うんだ」「同じだ、どっちも使える。倒産するのか?」「わからんな、心配するな、今月も来月も給料は払えるよ、多分」

こちらが食べているのを上目遣いで見ている。「ウマイ、いい出来だ。とても美味しいよ」「ありがとう、でもこのパスタ麺は美味しくないでしょ、沢山茹でた、時間もかけたのに良くない」「いつものがなかったからな、ごちそうさまセシー」「今日は何するのだ?」「なにもしない」「ぜんぜん出てないのか?メルカドにも行ってないだろ、食べてるのか」「出てない。食べる必要がない」「グラシエラは来るのか?」「来ない。レッスンを持っている。大丈夫だセシー心配するな。もう帰れ。良い週末を」「あなたも」

彼女なりに心配してくれているのであろう。ありがたい。心配するなとしか言えない自分が情けない。彼女が去った後、いかんなぁコレではと反省する。それはスペイン語ではなく、こんな時どう言ったらいいのかがわからない。昔からそうだった。こればかりは世代とかではなく、自身の曲がった性根なのだと思う。

有名芸能人の言葉を借りれば自分は何万個に一個の不良品。いろいろ物議はあるが不良品は必ずある。言葉が強ければリテールアウトレット(訳あり)でもいい。製品にも、生き物にも不良品が発生しない物を僕は知らない。世に出せない物だからこそ世間様に迷惑をかけないように、訳ありだと悟られないようにそっとしておくか、不良部品を交換するように心を改めなければいけない。

よく人から完璧主義だと言われる。不良が故に良に憧れるからこそ、心配や助けを求めることはやってはいけない。良品は人に心配をかけない。良品は助けを必要としない。助けや心配は人として良品であるからこそ出来るコミュニケーションの手段。不良品は人を不快にさせる。不良品は人を煩わせてしまう。不意に心配されると戸惑ってしまって、不良品であることを悟られてしまったのではないか、欠けを見られてしまったのではないかと不安にかられて馬鹿正直に答えることしか出来ない。

激昂する高齢者などが取り上げられることがあるが経年劣化による劣りを隠そうとしているのではないか。まだ使える。まだ品質を保っているのだと必死に訴えているようにも見える。たけきものも遂にはほろびぬ。良品であったためしがない者はそれすらない。であるからこそ、相手の心をキチンとくみ取りましたという言葉を使ってみたい。たとえ良品の人がさりげなく使うように、そういった人達の心の動きが理解出来ないとしてもセシーの優しさに一度くらいは応えてやりたい。

そういう風に不良品は思うのです。

日々雑思 客のない宿で暮らす者

庭にトカゲが来た。ミドリ色と青色の鮮やかな15センチと茶色い10センチ。鮮やかな方がオスで地味なのはメス。オスはよく日向に出て腕立て伏せをするように体を上下に揺すっている。メスはベロを出したり引っ込めたりばかりで体は揺すらない。いつも一緒に居るところを見るとツガイなのだ。ある日、いつもと違う場所にオスがいる。石垣の上を走ってどこかへ行ってしまった。メスの方もすっかり姿がない。別れたか。

セシーと掃除をしているとき、3センチほどのネズミが2匹出た。セシーは箒を担いでとっとと逃げて素っ頓狂に鳴いている。隅に追いやって箒で叩くとチューと小さな声で鳴いて死んだ。後からやってきた3匹目も同じように死んだ。向こうの家の草むらに投げておしまい。今日は出ない。セシーはアレは子沢山だからヒデキちゃんと注意しておけと言う。どうするのだと聞くと猫飼えと一言。猫と鼠は世界共通なのだ。

部屋の屋根と壁の隙間にスズメが巣を作り、子育てをしている。部屋の中を我が物顔で飛ぶのでワーと脅かしてやると窓にぶつかって右往左往している。部屋の外に出してやった。何度もやるのでコイツはアホではないかと思うのだけれど子育て中だから怖くても逃げないのであろう。仕方ないので巣立ちまでは好きにさせてやることに決めた。立つ鳥後を濁さずと言うが、どうにも汚して困る。

寿司パーティーの手伝いに行く。犬を亡くして寂しいであろう猫を持っていけと言われる。いらぬと言ったが、今持ってくるからと連れてきてしまった。仕方なく受け取る。まだ小さいので慣れるまで一緒に寝てやろうと布団に入れてやると首元でゴロゴロいいながら寝ていた。朝、鳴くので外に出してやる。ウンチ、オシッコを済ませるとエサをくれと言う。食べ終わると椅子の下にもぐって一日中寝ている。3日目の朝、いつものようにエサをくれてる。庭で遊んでいたのを見たのが最後、どこかへ消えてしまった。やはり猫は居着かないのだと悟る。放ったらかしが悪かったのであろうか。コイツイテモツマラナイと思ったのであろうか。居ればエサはくれてやったのに。

セシーから腹が痛いから休むと連絡が入る。翌日も来ないであろうと思っていたらヒョッコリ遅刻してやって来た。「大丈夫か」「食い過ぎた」と笑っている。村の村長選で応援していた女性候補が落選したので3軒ハシゴしてヤケ食いしまくったらしい。選挙は現村長の再選であった。「隣村では選挙をめぐるケンカがあったのだ。知ってるか」「知らぬ、意外と激しいな」「あ〜ん嫌だよ〜まったく」とおばさんのような口調で言うので笑ってしまった。ここの娘達の口癖は面白い。「あ〜〜ン」と甲高く同意の気持ちを表し、「ひィーーン」と時間の長さやスピードを表す。おばさんぽくもあるし、可愛らしくもある。

朝、いつものようにカフェの墓前で祈る。

Padre nuestro que estás en el cielo. Te pido por la vida de Café que el este bien y que te lo guardes,también te pido tu consuelo para mi. Oro en el nombre de tu hijo Jesucristo. Amén.

最近は、うる覚えだけど言えるようになってきた。信心などこれっぽっちもないが、この時ばかりは神妙な気持ちとなる。カフェがお前も少しは人らしい気持ちを持てと残していってくれたのだきっと。祈りを終えた途端に近所の者が金の無心に来た。観光客が少なく、皆が枯渇し出している。うちにも客が来なくなって久しい。相手が言い終わらぬうちにムリだと追い返した。せっかく人が穏やかな気持ちになっている時に馬鹿者め。やはり根っこの部分が腐っているな、カフェ、スマン。すぐに行くから待っててくれと言いたいところだが、カフェとは行く場所が違う。待てど暮らせどはかわいそうだ。

観光客がいなくてはケーキも売れない。ひたすらに息をひそめてそっと暮らす。

日々雑思 SNSの使い方に驚いた

今回のブログは自分の気持ちの整理みたいなもので読んでもつまらないとの声が出てきそう。それでも、こうして自分を見つめる事ができる場を持っているのはいいこと。いつもとは違うスタイルですがよろしければお読みください。

先日宿の事を相談した際、沢山のアドバイスをいただいたのだけど、どうにも分からないことがあって戻ってから色々と調べている。わからない事はグーグル先生に聞く。ソーシャルメディアの使い方。どうも使い方を間違えているような、大事なことがわかっていない気がする。モヤモヤして気持ち悪い。

グーグル先生はすぐにいくつかの答えを出してくれた。難解な文字が踊り、まだ日活ロマンポルノのキャッチフレーズの方がわかりやすい。とりあえず片端から読みまくる。

そもそもKamomosi のアカウントってなんだ?宿のSNSとは言ったところで、宿と個人のSNSは別のものではあるけどつながっているではないか?SNSを使ってステキな発信をしている宿も多い。ホームページとは違って扱いも易そうだと思っていたのに難しい。伺った話の中にあったキーワードを打ち込んで先日のアドバイスを補てんしていく。少しずつ話の全容が見えてきた。

「いったいソーシャルメディアってどうつかうのですか?若い人はホームページなど見ないと聞きました」

彼等は話題作りだったり、宿のイメージ向上だったり、売上向上だったりすると言う。やっぱり宣伝であることに変わりはなさそうだ。ところがこの宣伝というのが最近変わってきていて、ステマ、炎上などという言葉を聞くようになった。よくはわからないがそうなると被害者のみならず関係のない人々に寄ってたかって袋叩きに合う。逃げ出すまで許されない。

続けて不思議な事をいう。宣伝してはいけない。自分の商品をいいですよ買ってくださいなどと言ったらいけないという。広告媒体であるはずのソーシャルメディアを使って宣伝できないとはどういう事なのだと益々わからなくなったのでグーグル先生にお願いする。

「旅行者が宿のアカウントを敬遠する理由」(実際はもう少し広くビジネスの話なのだけれどうちは宿なので当てはめてみた)

旅行者の立場から改めて考えろと言われる。

まず、旅行者は宿のアカウントを宿泊意思決定の参考になどしていない。ホームページや広告のようなものは信じてもいない。実際はクチコミ情報を探したり、出会った人から聞いたりした情報を信じるという。なぜか?宿の情報は当たり障りないことばかりで上っ面しかわからない。責任逃れ、炎上を恐れるあまり怖くなってつまらないものになっていて判断の基準として図りようがない。つまり宿が発信している情報は旅行者が必要としているものではない。

では、なぜ宿は発信しているのか?

宿から発信する情報はいかにうちの宿はいいですよと訴えかけるのではなく、宿がどう良かったのかを宿泊した客がソーシャルメディアで伝えやすくするための情報を発信するためだと言う。つまり直接宣伝するのではなく、宿泊した客に宣伝してもらうためにあるという。

どういうことだと色々と調べていくとそこには感情と安易が見えてきた。

変わりゆく旅行者

最近の旅行者はどんどん変わっていて「旅本」や「宿からのありきたりな情報」のような、いかにもといった「イメージ」よりもそこに行った同年代の旅行者からの「本音」や「リアルな体験談」を求めているという。

ありきたりなどこにでもある情報より、信頼できそうな人の顔が載っているSNSを信用するらしい。ここで重要なのはその情報が真実を述べているかどうかではなく読み手の「納得」という感情が働くらしい。

個人が発信する情報など真実かどうかなんて分からなくていいのだという。情報発信者が信頼に足るか、もっと言ってしまえば、その情報が実体験に基づいていなくても構わない。今まで宿の情報に振り回されたり、本に書いてあったことが違うという経験をした若者はそんなものを信じるくらいなら面識がなくても宿と利害関係のない人を信頼しようとなっている。

常にソーシャルメディアからの情報が手に入る今の旅のスタイルは宿からの発信を必要としなくなった。宿はただ部屋代と場所さえ発信して宿泊サイトに登録しておけば後は旅行者同士でその宿の是非を伝えあってくれる。すごい話だ。

納得と情報提供者の信頼

今やどの宿も価格や設備に大差はない。どこに泊まろうが同じであって選択の基準にはなっていない。ではどうやって旅行者は宿を決めているのだろう?

若い旅行者は論理的な説明より、旅先で知り合った友人の話に方に心動かされ、つぎの宿泊先を決めるという。宿で偶然居合わせただけの知らない人でもその人の目や笑顔から信頼性を感じとり、その印象から情報の真偽まで判断してしまうと若主人も言っていた。

ロジカルに情報を解析するのではなく、感情的に情報提供者を評価する。その評価は宿が発信した情報より重要性で上回る。つまり旅行者にとって情報は「何を言っているか」ではなく「誰が言っているのか」の方がずっと重要なことだった。

「ここの場所のことはよくわからないけど、言っている旅ブロガーの◯◯さんは信じられるから」

「面識はないんですけどSNSで繋がっているから信用出来るんです」

以前宿で聞いたことを思い出した。共通する事は旅行者自身が納得しているかどうか、その場所がどうかということはあまりたいした問題ではなく、そこに行くための費用を支払うことに納得できるかどうかが大切だった。

好きか嫌いか、気分がいいか悪いかがとても大切にされていると聞いたこともある。「僕らの世代は、生の人と直接関わることが苦手なんです。嫌な思いはしたくないし、怒られるのが嫌なんです」と言われ正直、それではどうやって職場で同僚や上司、顧客と関わってきたのだろうかと思った事があった。嫌な時はそっとフェードアウトできますからと言われ、そういうものなのかと驚いた。

旅行者は宿や企業が出す情報には関心を示さないけれども、少数の影響力のある、宿や企業と関わりのないブロガーや同時期に興味深い旅をしている旅行者のソーシャルメディアを通じて影響を受け、旅行を楽しむようなっていた。

感情と安易。その時の自分の感情に素直に従う。好きか嫌いか、気持ちがいいか悪いか、やりたいかやりたくないか、こういった安易に選ぶ事が出来る選択肢がキーとなっていた。たしかに言われれば思い当たる節は沢山ある。そして僕はことごとくやってはいけないことをしでかしていた。

僕の思考はおそらく正反対で、常に物事をロジックに考えてきた。過去を振り返って現状を図り未来を見る。そうした癖が染みついている。自分の感情はとりあえず置いておいて。事実だけを積み重ね、それがたとえ自分の意に反したものでも構わなかった。ただ旅行というたのしみにおいてはそれがまずかった。元々楽しむための行為に御託は必要ない。楽しそう、簡単そうという事もありなのだと気がついた。

あー「覆水盆に返らず」

それでは、どのように接するのがより良いのかと聞く。

まず宿泊者や旅通の人に、「ここはいいよ!」と情報を発信してもらえるように、宿やサービスを徹底的に磨きなさい。客にスマートに嫌味なくアプローチをしなさい。彼等を気持ちよくしてあげなさい。彼等の存在を認めてあげなさい。褒めてあげなさい。そのために笑顔の練習をしなさい。挨拶の仕方も重要です。写真写りを研究しなさい。人に好感を持たれる立ち振る舞いに気を使いなさい。でもそれを彼等に悟られてはいけません。あくまで自然に。決してやり過ぎず。質問に真っ当に答えてはいけません。ユーモア、センスのある返答にとどめ相手の話を聞いてあげるのです。

コレは難しい。もう頭を抱えるしかない。一緒に話を伺った大兄も「こりゃワシらには無理ダデ」と肩を落としている。そもそも「サービスしてあげるから投稿してね」というようなやり方はダメなのではなかったのか?(確かステマと言ったと思うけれど確かではない)益々わからなくなる。「やり過ぎはいけません。露骨にやるのはちょっとまずいのです」「?????

「「主体性」が大切です。ある人が宿に泊まって気に入ってくれたとしても、情報の発信をするかしないか、どのように発信するかはその人に委ねるのです」「でも、どうやって?」「やり方はいくつかあります」

要約すると

奥さんや管理人さんに日常のことを発信してもらう。素直な発信は共感を呼ぶし、温かみがある。

宿の事がとっても気に入ってくれた人に熱く語って語ってもらう。なんだか分からないけどこの宿はいいと一生懸命語る人を見て、聞いている人がその気になる。

人気のある発信力のある人にどう宿がいいのか書いてもらう。元々こうした人達は信頼されているので受け入れてもらえる。

どんどん貴重な情報を提供する。お金はとらない。価値観が大切だ。価値があると人が集まる。

すべてに言えることは相手に任せるだった。その人が感じたリアルがなによりも大切だという。

確かに、長々と書いてきたことと一致している。なるほどなぁと感心してしまった。これがすべてだとは思ってはいけない。世代の所為にしてはいけない。人はそれぞれで多様性がある。一般的な傾向として知る上ではとても腑に落ちた。ともかくSNSの使い方の一面が見えた気がした。なんとなくやっているようでよく考えられているのだなぁ。えらいものに手を出してしまったという少しの後悔もあるけどモヤモヤは消えた。

毎日、時間だけはたっぷりあるので、狂ってしまったのではないかと疑う気持ちを持ちつつも、沢山の事を考える事が出来ている。宿の方はどうにもならないが、相手ありきの商売とはこうしたものなのだとあきらめた。新しい試みに手を出してみることは楽しい。なにかを安易に出来るほど若くはないが自分の感情に向き合うのもいいかもしれない。

日々雑思 コーヒー

少し早く目覚めた。夜間に降った雨がチリを流し、スッキリとした朝になる。気持ちがいい。空気が透きとおり対岸までくっきりと見える。葉は汚れを落とし鮮やか。湿った土に柔らかな陽が差す。木陰とのコントラストが美しい。セシーが来るまでの間、コーヒーを淹れる。2階のテラスでのんびりと飲む。いつものテルモスではなくアルミの安カップ。まだ若かった頃、貧弱な装備でキャンプをしていた時に使っていた口に当てると金属の味がするアレ。金属臭が口に広がるように当時の記憶が蘇った。懐かしい。

今使っているコーヒーはサンペドロ産で焙煎屋に頼んでうちの宿のためにローストしてもらったもの。煎り方にこだわり客にサンペドロのコーヒーを飲んでもらいたかった。皮肉なことにこのコーヒーに変えた途端に客が来なくなってしまい提供することは叶わず間もなく飲みきってしまう。いい方に解釈すれば独り占め。好きなだけ飲める贅沢三昧の毎日となる。

日中は軽く汗ばむ陽気となり、湖畔のカフェでのんびりと勉強していると話しかけられた。

話しかけて来たのはアメリカ人。以前はタイで暮らしていたと言う。彼はベテラン(退役軍人)で少し足が悪いようだ。合点がいった。あまりスペイン語が得意でない彼に合わせて英語にする。僕の拙い英語ではどうかと思ったが思いの外楽しく会話が出来る。自分でも不思議なくらい言葉が出てきた。よくこんな言い回し覚えていたなと話しながら驚いている自分におかしくなってしまった。

彼がタバコを勧める。「ラッキーストライク」ひさびさに見たパッケージ。しかもそれは両切りのオリジナルだった。ベトナム戦争当時、兵隊達はこぞってこのタバコを吸っていた。それは弾に当たらないようにというおまじない。ウィットが効いていていかにも古き良きアメリカだ。そんな話をすると彼は大喜びして、益々盛り上がり、あっという間に時間が過ぎた。彼はとても楽しかったと言って立ち上がった。少し後にカフェを出る。支払いをしようとすると店長のルイスがもう終わってるよ彼が済ませていったと言う。

嫌味なく良い思い出を作ってあげることが出来る彼が羨ましくなった。

夕方からザッときた。カフェも散歩が出来ねぇとふてくされている。雨が止んだので濡れた廊下をモップで拭く。3階に上がると目に飛び込んできたのは一面に広がるホタルの光。いったい何千匹いるのであろうと思うほど数。まるでクリスマスのイルミネーションのように輝く光をしばらくの間眺めてしまった。年に何回かあるスーパーハッチ(一種類の昆虫がいっせいに羽化する現象)は僕の楽しみの一つ。

カフェを誘い裏山に行く。思いがけず散歩が出来たカフェも大喜び。カフェも山肌を見て不思議そうな顔をしているところを見ると彼にもホタルが見えているのであろうか。藪から戻ったカフェは触りたくないほど汚れている。「お前今日風呂な」と言うとゲーという顔をしている。汚れついでに夜の散歩を続ける。カフェの思うに任せて後をついて行く。こっちもいいか?と振り向くカフェ。好きにしろと手で行け行けと伝えると嬉しそうに先に進む。湖畔から坂道を登りセントロに向かう。雨後で人通りは多くないけど屋台はやっていた。カフェに「食べるか」と聞くとサッサと店の前に行き座っている。知り合いの奥さんが肉を焼いている。「たまには食べようかな」と言ってイスに座る。トリのバーベキューを頼んだ。「コーヒー飲む?」と聞かれ反射的に「うん」と答えてしまってからしまったと思った。屋台のコーヒーは薄くて砂糖がたっぷり入っていてお世辞にも美味しいとは言えない。「甘いんでしょ」と聞く。彼女は「大丈夫よ、今出来たの、まだ砂糖入れてないから、あなた砂糖は入れないんでしょ」と言う。そんなこと言ったっけと自分でも忘れてしまったことを彼女は覚えていてくれた。それが嬉しかった。出てきたコーヒーはいつもの薄いヤツではあったけれどとても美味しく感じた。カフェのために少し多めに肉もくれて、カフェも喜んでいる。食べ終わり「全部でいくら?」と聞くと食事代しか言わないので「コーヒー代忘れてるよ」と言うと「今日はいいわ」とニッコリ笑った。「ありがとう、ごちそうさま、いい夜を」「あなたも」。普段は客の夕食の支度で夕方から夜に出かけることなど滅多に出来ない。突然こうした優しさに触れるとジンとくる。何が良かったのかまったくわからないけれど思わず口から出た言葉は「よかった」だった。

僕が旅で味わってみたい要素がこんなにもあったのかと驚きの日々。旅行者はこんな出会いを毎日味わっているのかと羨ましくなった。観光する場所などなくていい。規模が小さく皆が知り合いのような感じで根が優しい。観光客の少なくなった今時期は本当のサンペドロの良さを味わえる。まだまだやりたいことの続きがある。悠々として急がなければ、きっとこんな良い時間は長くは続かないから。

最後の文は少し前に書いてあったものです。その通りに良い時間が長く続くことはなかったけれど最後の散歩は僕らにとってとてもいい時間でした。書き溜めた記事はこれが最後です。

宿のサイトを移転してこのブログを宿泊者の目から遠ざける事にしました。僕の思考はきつすぎるのです。人と異なる思考は他者の気分を害してしまうことがあるのです。そうであっても僕は自分の考えを吐き出す場が必要なのです。Kamomosi の活動の一つとしての宿業をこのサイトから外すことは抵抗がありましたが、無理がある事も感じていました。これはちょうど良い機会だと判断しました。ブログはこのまま更新していきます。いつもいいねと言ってくれる方々にはこの場を借りてお礼を申し上げます。

日々雑思 自分のことを少し

読点をなるべく使わず句点で文書を短く切る書き方に変えました。文書は短い方が読み手が書き手の意図をくみやすくなるからです。長い文章は様々な捉え方をされます。僕はそれを望みません。一人称の主語を省き、客観的に自分の心を捉え、ストレートに表す事を心がけました。僕の考え方が簡潔に伝わればと願っています。

自分のことを少し。カフェを失い、なにもする気が起きない日々。自分は連れ合いをなくしたらすぐに後を追うタイプなのだと気がついた。客が来なくても焦りもない。旅を再開しようか。理不尽にグアテマラ人が憎くてこの国から出たい気もする。でもカフェは死んでまで飼い主と別れなければならないのかと思うととてもここを去るこは出来ない。ポッカリとなにかが抜け落ちてしまった宿を見て、カフェがどれほどkamomosi を助けていたわかる。もう少しの間、カフェに寄り添ってここで暮らそう。さびしい思いをさせたくない。カフェの死を受け入れることなくこの地は去れない。そうと決めた。

セシーとキッチンの掃除をした。いつ客が来てもいいように掃除をしていると気持ちまで整理されていくような気になる。セシーが「宿は休みのままにするのか」と聞くので「来る者があれば泊める、でも来ないよ」「そんなことはない、2人訪ねて来たと聞いた」「そうか、それは悪いことをしたな」「それだけか」「まだ、やることがある」「なんだ」「わからない。わからないから困っている。どうやらオレは間違っているらしい」「なにを」「全部だ」「はっ?」「なんでもない。歳をとりすぎただけだ。ジェネレーションギャップってなんて言うんだ?」「なに?」「お前も年寄りのことは理解できないか?」「あ~ん、ムリだ」「だろうな、いいんだそれで、なにか考えておくから心配するな」とは言ったものの何の策もない。とりあえず、頼まれたホームページを作ることから始めなければ、自分のことは当分後でいい。

久しぶりにメルカドに行く。皆が久しぶりと言ってくれる。セシーに食べさせる食事の材料を買い、宿に戻る。夜、ズンバに行く。ここでも皆が心配していたと言ってくれた。ズンバの帰り、コンセプシオン一家に会う。家が停電して暗いので出て来たと言う。少し話をする。娘が「ヒデキは日本に帰ってしまうのかと思って心配した」と言う。悪い者ばかりではない。いい者もいる。この3年で友人も出来た。言葉や文化の違いに苛立ち、ジレンマに囚われているのは自分の心の持ちようが悪いから。心悪しき者ほど澄んだ心に憧れる。それが益々心を腐らせる。心悪しきことは承知しているから善き者達とは距離をおきたい。彼等の善き心を汚したくない。優しい気持ちに触れていると居ても立っても居られくなり早々に退散した。

夜、やるべきことを考えた。自分のことなると、とんとわからない。これまで仕事をしていて自分のためになど働いたこともない。そんなことを考えたこともなかった。結果に左右されるような働き方を使用人はしてはいけない。自分の存在価値など仕事に求めてはいけない。仕事に感情など持ち込んだらやっていられない。好き嫌いで働くことは間違いを起こす元だ。常に自分は間違えていると疑っていなければいつか無意識のうちに間違えをおこす。仕事柄なのか長年の習慣でそうなってしまった。日本を離れて5年目となってもその癖は治ることもない。そんなつまらぬ人間が人様を喜ばせることなどおこがましくて出来たものではない。ちゃんちゃらおかしい。人から必要とされているなどと考えただけで恐ろしくなってしまう。生きていた証を一切残したくない。人様の記憶に残るなんて1番恥ずかしいことだと信じてきた。

ここにきて、それを変えなければ客は来ないとなれば打つ手もない。うわべだけの繕いのやり方は性に合わない。

父が死んだ時、坊さんがこんなことを言っていた。「われや先、人や先、今日ともしらず、明日とも知らず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来たりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて」

人なんていつ死ぬわからないだぜ。朝には元気でも夕方には白骨になっていることだってあるんだから。誰だって死んじゃうんだ。どうせ死んじゃうんなら真っ当に生きなきゃダメさ。

自分の人生に正直に生きようとした乞食坊主が行乞の旅の中で模索し続け

どうしようもない私が歩いている

「所詮、何物でもない。愚かな旅人として、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ」と書き残している。

もう考えても仕方ない。自分の生きてきた時代に従ってゆくのみ。性根の腐ったオッサンでいよう。宿の扉は開けた。どうしようもないとわかっていても真っ当に宿としてやっていくしかない。受け入れられることのない者が1人や2人いてもいい。どうしようもない者が歩き続けるための道しか歩けないのだから。

若い方にはネガティヴと捉えられるかもしれません。それでもいいのだとわかったのです。若い頃にもらった年寄りからの忠告の意味が今になってわかりました。そんな年齢的になったのだと知りました。でも、それは僕もまた忠告を聞かず同じ間違いを犯したからこそわかったのです。失敗はひとを成長させます。僕はまた少し成長することが出来たと感じています。

日々雑思 オジさん達の小旅行

セシーに宿の鍵を渡し「来週は出かける。宿のことを頼む」心配そうな顔をして「いつ帰ってくるのだ、どこに行くのだ」と聞く。「帰る日がわかったら連絡する、心配するなちゃんと帰る」と告げた。カフェを亡くしてから来てくれているのはここを去ってしまうのではないかと心配しているのかもしれない。

早朝バスに乗りメキシコへ。今回は急に決まった。カンクンにある宿の奥谷さんから連絡があり、宿のホームページがなくなった。まったくお客が来なくなってしまった。ホームページを作ってくれと言う。奥谷さんは僕の宿の師匠、良き先輩、兄貴分でもあって、とても気の合う親友だと一方的に思っている。その宿のホームページは以前僕が作ったものだったこともあり、即引き受けた。当初は奥谷さんがこの宿に来てくれるということだった。僕にはどうしても行きたい場所があって、そこで落ち合うことにした。どうしてもというのは犬のカフェの前の家族に会って一言詫びたかった。天寿をまっとうさせてあげることができなかった事を会って謝りたかった。そしてカフェの魂を彼等の所に連れて行ってやりたかった。

久しぶりに会ったにもかかわらず僕らは昨日の今日の再会の様に普通だった。ひとしきり近況などを話し合った後、すぐにホームページについて話した。僕らはうすうす気づいていた。世代格差と言えばいいのだろうか、でもそれがどの様に異なっているのかがわからなかった。そこで知り合いの宿を訪ねてお話を伺うことにした。話を聞くと思い当たることばかり。そうだったのかといちいち納得してしまう僕ら。それは日本を離れてしまった僕らには大きな衝撃でもあった。お暇した後、2人でしみじみと時代が変わったのだなぁ、どうするかぁと途方に暮れてしまった。なぜなら今の宿は宿泊施設としてやっていたのではやっていけなくなっていると言うのだ。宿のあり方が変わった事を知った。以前は危険だと言われた中南米で安全で一息つける、情報を得るためのオアシス的な存在であった宿も近年ではネットの発達によってそうした役割は既に必要とされなくなって来ている。言葉にも不自由することなく、若い世代は英語も話せる。お話を伺った宿は宿泊施設ではあるけれど特徴的で僕らの宿とは全く雰囲気が違う。とても感じの良い宿であった。

お邪魔した宿はいずれもよく手入れが行き届き、よく気がつき、心使いにも長けていた。こうした雰囲気が若者には好まれるという事だと実感できた。オジさん2人は3日間いろいろと話し合って出た結論は、とてもワシらにはアレは出来んよーとなり万事休す。でもオジさんは強くへこたれないので、出来ることをやりましょうととりあえずホームページを作り、Instagramなどを始め、忠告に従って今風のやり方を立ち上げた。2人してほーとかふーとか言いながらパソコンと携帯とにらめっこしながらなんとか体裁だけを整えた。

僕らの世代とはまるで価値観の違う若者は僕らオジさん世代を受け入れることは出来ないそうだ。怖さ、めんどくささ、価値観の隔たりがあると言う。それはもっともな話で、時代背景や環境の変化は僕らの世代にもあった。避けられるものではないのだから仕方がない。こうした方がいいんですと言われることは何一つやらず。こういう接し方はいけませんと言われる事をすべてやってしまっていた。なるほどと苦笑いする他ない。わかってはいても僕らもまた同じことをしでかしてしまうものなのだとうなだれる。

ただそうしたことがわかったことは大切なことで、いけないことはやらなくなりそうだ。このブログも言葉使いがいかんと言われ、そうなのかとまたしてもうなだれた。手足をもがれダルマとなる他ない。世の中は常に変わっていくものだから、受け入れることが肝要なのだと肝に命じた。

何はともあれ、とても楽しく、ためになった。オジさん2人にはとてもいい小旅行となった。再会を約束して帰路につく。

そしてもう一つ、カフェは以前からこの宿で飼われていた。どうしても僕は彼らに会って謝りたかった。彼らも同様に深く悲しんでいた。そうすることがケジメだと思った。彼らに会い、事の顛末をキチンと話した。庭でロウソクを灯してカフェの冥福を祈った。カフェの魂を彼らに届けることが出来たであろうか。そうであると信じたい。カフェが存在した理由が確かにあったのだという思いを共有出来たであろうか。宿へと帰る道中、カフェがいつものように後をついてきているように感じて何回も後ろを振り返った。来たことのない場所を歩くのが好きだったカフェ。ここでの散歩を楽しんでくれるといいのだけれど。

あっという間に帰る日となり僕は早朝に宿を出た。朝、テーブルの上にお弁当が用意されていた。メモ書きが添えられてお土産まで用意して頂いていた。挨拶は昨夜のうちに済ませてあったので、宿の表でお辞儀をして帰途に着いた。途中バスの中で弁当を食べた。とても美味しくありがたい気持ちが湧いてきて、いいものだなぁとしみじみと感じた。いつもは用意する側であったけれど、うちに泊まってくれた旅人もこのように感じてくれたのだろうか。

 

宿を営むことは難しいものだ。おそらく若い旅人がどの様に感じているのかは理解出来たと思っている。でも根本的なことは何もわかっていないのだということも知っていて、それが出来るかどうかもわからないまま。さてこの誰もいなくなった宿をどうするか、いっそセシーに相談でもしてみるか。明日は月曜日。いつものようにやって来るだろう。まずは礼を言わなくては。留守の間、よく掃除をしてくれていた。ゴミひとつなく、戸締りもしっかりとしてくれていた。急な来客に対応出来るように一部屋用意してあった。最近、セシーは変わった。セシーはkamomosi にとって必要とされる存在となったのだろう。受け入れられることのないオジさんより彼女に任せるのも一つの手かもしれないなどと考え始めている自分もまた今回の小旅行で変わったのかもしれない。

日々雑思 気持ちと言葉が一致しない

今日はスペイン語のことを少し、所用で出かけていてサンペドロとは違った会話をしているのだけれど、まだまだだなぁと感じつつなにも困ることがない。相変わらず僕のスペイン語と気持ちは一致していないのだなぁと感じています。

とは言え、忙しいながらも懐かしい方々に会うことが出来、1番大切な用事も果たすことができたのでなにより。書き置いてあった記事を今日も掲載します。

 

まったく上達を感じない。実際上達はしているのだけどそれを実感することが出来ない。自分がここでの生活で必要としているスペイン語のリミットになってしまったのか。もはや新しい事を学ぶためのシワが脳みそに残っていないのかと、すべてが疑わしく見えてしまう。ちょっとした会話の中で聞き逃したりすればあれっなんて言ったんだ、昨日まで聞き取れてたはずだけどと急に声が小さくなってしまう。それまで普通に話していのにうっと詰まってしまい出てこない。頭のすぐそこにその言葉がぼんやり浮かんでいるのに捉えきる事が出来ずにいると、相手がホイッとその言葉を投げてくれあーそれそれ、で、なんだっけと聞き直す始末。

女中や先生にこの言い方でいいの?と聞くと片端から違うと言われてしまう。そんな言い方はしない。わかるけど普通じゃない。などと言われると五里霧中となる。がっかりしてハンモックにドサリと身を投げた。途端、寝こけてしまった。

スランプともまた違う感じ。フィリピン留学の時、ずいぶんとひどいスランプになったことがあったけれど、あの時のような心の動揺がない。あの時はいけなかった。相手の言うことがまったく耳から入らない。昨日まで言えてたことがまるで言えない。脳がすべてを拒否する感覚。若干の違和感はあるものの普段はそれ程困るわけではなくて、いつもやらかしているトンチンカンな答え程度、女中のセシーはあーまたかくらいに思っているようで、すんなりと流している。こちらがちゃんと聞いてくれと頼むと逆にどうしたのだと怪訝な顔をしている。どうもおかしいのだ、スペイン語に自信がない。俺のスペイン語は正しいか?キチンと喋れているか?何を言いだすのだと言う顔をしてあー全部わかるわ、ちゃんと話してるわよと言うのでホントかと聞き直す。たまに間違えてるけど、ポキート(少し)よと言う。四六時中こんな感覚が後頭部から背中にかけて張り付いて気持ち悪いったらありゃしない。

使える単語は増えているのに一向に満足できない。間違えも多い。恥ずかしい思いもなく、またやってしまったくらいにしか感じないのがいけないのか。間違えて覚えるとは言うけれど、間違えたくないという思いがなければ厚顔無恥となるだけで記憶がどうの暗記がどうのと言っていられなくなる。

思い切って今日は勉強しないと決めて携帯でゲームなどしていても気になっていけない。紛れない。不安になる。気分転換に庭の手入れをと下に降りるが、もはや手入れする場所もない。寝ているカフェにちょっかいを出すと不機嫌そうな顔でお前など相手にしてやる気分ではないと素っ気なく振られてしまった。

たしかに自分のスペイン語はまだまだで、日常の会話の中でかなり限定されたシチュエーションでしか力を発揮しない。例えば中国とアメリカの貿易摩擦、アカデミー賞の授賞式について、ノートルダム聖堂の火災、アフリカのエボラ出血熱、ベネゼーラの政情不安、韓国のウォン大暴落、次世代通信5Gなど身近にある話題を理路整然と話すことはまったくもって上手くいかない。ましてやグアテマラの大統領候補者達に対する自分の意見述べたり、彼の国が抱える問題点について議論することなど遠い彼方のこと。列挙した項目について日本語であれば背景にある問題やデータを基にした推測、他国との比較などいともたやすく出来るのに、それが出来ない。これでは相手さんは犬と話しているのと同じかその方がまだ癒されるというものだ。たかだか5000語もあれば事足りるし、いくつかのパターンさえ覚えてしまえばあとは教養の問題だけのはずなのに未だにそんな簡単なことが出来ない。

文法は既に知っていて、理解しきれていない若しくは消化しきれていない項が若干ある程度、どの先生に聞いても既に上級者だと言われるのになぜ?ボキャブラリーに問題があることは承知している。おそらく英語では踏み込めなかった領域にさしかかっていることは薄々感じている。言葉に気持ちがのりだしている。他言語を操るためにはもう一つ二つ階段を登らなくてはいけないらしい。自分らしく話すためにはこれまでとは違ったアプローチが必要かもしれない。

日々雑思 目の前で起きていることについて考えた

所用で出かけています。様々な思いがあって前向きに生きるためにもがいているところです。今日も書き置いてある記事を掲載します。

いきなりで恐縮な話だけど、下痢をした。しかも酷い水下痢となり胃もキリキリと痛む。この村に来て2度目の酷い下痢だ。この村に来たばかりの頃に一度そして今回。お腹は丈夫な方だと思っていてこっぴどい目にあったこともすくない。旅人なら誰でも経験する洗礼のようなもので、漏らしてしまうこともあったりするので笑い話のネタにもなっている。

ベトナムで食べたカットフルーツ、カナダで食べた1週間も常温保存したサラダパック、タイの怪しげな屋台などなど、たいていは思い当たる節があるのだけれど今回はとんと見当がつかない。幸いな事に何事もなかったかのように翌日にはすっかり良くなってしまった。

宿に泊まる客の中には1週間ほど滞在してから突然、下痢になり、ある者は発熱を伴うことがある。はじめは何か悪いものでもあるのかと躍起になって台所の消毒や清掃をしてみたが一向になくならない。友人に相談するとそれは以前からあってどうすることも出来ないと言う。よくよく考えると思い当たるところがあった。そうなる客はスペイン語の勉強のために来た者ばかり、宵っ張りの朝寝坊の生活からいきなり規則正しい学校生活に切り替わり、慣れぬ勉強で緊張し、宿題も出されてしまう。食事も早々に部屋にこもって夜遅くまで勉強に励んでいる。標高のせいもあり、疲れが溜まってくる丁度1週間位、明日は休みだとホッとしたところでお腹を壊す。1週間病と名付けた。客にはあまり根を詰めずにのんびりとスタートした方が良いと忠告をするようになってから少し減った気がする。ダウンしても電解質とビタミンの入ったドリンクを渡し、安静を申付けると、週明けにはケロリと治ってしまう。

症状としては正に1週間病なのだけど、どうにも解せない。思い切って宿を休んでホッとしてしまったのかも。すっかりこの地に適応しているものとばかり思っていた。風邪もひかず自分でも驚くほど健康だし、暇を持て余すほどであるにもかかわらず、不思議なものだ。

庭に生えてはいけない草が生えてきた。けっして種をまいたりしているわけではないのだけれど、たまにひょっこり居るのを草むしりの時に見つけて引っこ抜いてしまう。手のひらを広げたようなギザギザのついた葉っぱは誰が見てもわかるだろう。年に1度か2度は出てくるのでビックリもしなくなった。けれど、どこからやってくるのだろうか。女中のセシーに見せるとホッと言ってニヤリと笑っている。「蒔いたのか?」「馬鹿を言え、なぜか知らんが年に何回か生えてくるのだ」「どうするのだ?乾かすか?」「こんなヒョロではどうにもなるまい、引っこ抜け」「売らないのか私が売る」とケラケラ笑っている。この村もごたぶんに漏れずそうした物の取引があって、かつてこの国の国営テレビでも取り上げられていた。若いうちから身近にあるので誰も何も思わないのであろう。なにせ酔って、なおかつぶっ飛んだオヤジが深夜に帰って来ては大騒ぎするのを常日頃見ているのだから。「売るなら持っていけ」「こんなの持って帰ったらママに叱られる」「アハハ、そりゃそうだ、しばらくはそのままにしておけ、ほっとけばでっかくなってしまうから適当な頃合いをみて切るから、どうせまた生えてくるんだし」「ヒデキは売らないのか」「こんなものダメだ、売ってるやつは品種改良してあるからこんなものとは比べものにもならないよ、地元のガキでもいらないと言うさ」

日本でこんな物が生えてきたらえらいこっちゃとなるところだけど、その辺に生えている草と大差無く普通に出て来るのでなんとも感じない。なぜこんなものにいちいち大騒ぎをしているのだろう。カブトムシを見たことない子供がはじめて見たら捕まえたいと思う気持ちのようなもの、大人になればそんなのはただのムシになってしまうのと同じだ。違うのはカブトムシは食べたり吸ったり出来ないことくらいか。なんであんなものに夢中になるのかがわからん。タバコも草も吸わないに越したことはない物でしかないのに。食べ物でもそうだけど体に悪い物ほど人の気持ちを惹きつけるらしい。

そんなことより、苦労して手に入れたシソの芽がどうしても出ないことの方が切実な問題なのだ。オクラも然り。何回も試みてことごとく失敗している。何がいけないのであろうか、日本ではほったらかしにしていても毎年嫌という程生えてきたのに。所変わればと言うが、不思議なものだ。

小さな村であっても一丁前に選挙がある。選挙期間は2ヶ月にも及び、次第に活況となってきている。皆が選挙の話をまるで夢を見るような顔で話す。あの候補者はあーだこーだと熱心に語る。毎夜、イベントが開かれ皆が浮かれている。どう見てもいかんだろと思う振舞いがされたり、子供達が動員されて旗を振り、練り歩き、踊っている。一方ではどいつもこいつも悪いことばかりしてどうしようもないとわかっているのだ。「昔は屋根のトタンが欲しいと言うとくれたものだけど、今は皆がコンクリの屋根が欲しいと言うので候補者達もたいへんだ」と真顔で言っているので吹き出してしまった。「ヒデキの国では不正などないのであろう。ヨーロッパやアメリカもない。この国はいつまでたっても変わらない。そう思わないかヒデキ」いったい彼等の感覚はどうなってあるのであろう。清廉潔白を求めつつコンクリの屋根で簡単に釣られてしまう。超がつくほどの個人主義でありながら家族単位の結束が固い。候補者の催しに来ている者達の顔ぶれはよく似ていて一族で候補者を出している。身内を押しているのが一目瞭然。利権も絡んでいるのであろうことはすぐに理解できる。かつて日本の小さな島での選挙があまりにも酷いので選挙のたびにニュスになっていたが互いの勢力が拮抗していて盛り上がりが半端ではなく、たいへんに興味を持って見ていた。ただその感覚がわからなかった。この村では五大一族が拮抗している。村を二分する大騒ぎにはならないけれど、かつて日本でわからなかった感覚をこんな国にあって肌で感じることが出来るとは不思議なものだ。

日常にあるちょっとした事に疑問を持って考える。外国にはどうして、どうしてがあふれかえっている。そうしたことを自分なりに考えていくことが僕には楽しくて仕方がない。ガイドブックにはない経験を通して生まれた疑問は多くの気づきをくれるから。それが全てを言い当てていなくても構わない。目の前で起きていることは少なくとも事実であるのだから。それを素直に受け止めて糧とすることは明日につながる気がしてならない。物事の良し悪しを異なる目で見ていると、盲目的に決めつけていた事の何と多いことかと気がつく。考えることにより目的や気をつけなければならないことが明確になることが尚良い。

日々雑思 自然に暮らす

少しずつ記事を載せていきます。いくつかの記事はこれまで書き溜めておいたものです。カフェがたまに登場しますが、そのまま載せることにしました。

明日の朝は絶対に起きないと固く決めて寝たのに6時には目が覚めてしまう。それでもベッドからは出ないと頑張るが1時間もせずに掃除を始める自分にアホかとつぶやく。廊下は掃除せずともキレイに見えるが箒を当てると少しずつチリが積もっていく。意地になって掃いているうちに気がついた。仕事だと思っていたけれど、これは当たり前の事なのだ。衣食住は大切だ。住まいを整える。よく整えられた住まいは気持ちがいい。隙間があろうが、タイルの目地が等間隔でなくたってよく整えられた住まいには味が出る。掃き終えた廊下にわたる風が変わった。

シンガポールのセントーサ島に行った時、虫が全くいなかった、木々があるのに鳥がいない。流れる水は透き通っていた。ただそれはプールよりはるかにきつい塩素の匂いがした。僕はそこにいることが不快だった。命がいられない場所は不毛だ。

子供の頃、夏休みになると信州の知り合いの家に遊びに行っていた。昔ながらの旧家は今で言う古民家。そこにはクモがいた。ハエがいた。鶏が放し飼いになっていて蛇がいて庭にある池にはコイ、ニジマス、ヤマメが泳いでいた。流れる水は驚くほど冷たかった。煤で真っ黒になった台所は土間でかまどが設えてあった。でもそこにある静物達は見事なまでによく手入れされていて、驚くほどの存在感があった。廊下は毎日の雑巾掛けで黒光り、ほっぺたをつけるとひんやりと気持ちが良かった。ワックスの床とは違うその感触が好きだった。囲炉裏からの煙で燻された藁葺き屋根をみてなんで雨が漏らないのだろうと不思議に思った。トイレは汲み取り式で臭いはあった。でも樟脳の匂いがそれを消していた。天井からぶら下がったハエトリガミの沢山の黒い点がハエだとわかった時はたまげたが、こんな便利な物があるのだと驚いた。

今の人には耐えられないのかもしれないけど、僕は温もりのある暮らしが好きだ。サッシで締め切りとなった部屋は息がつまる。雨音の聞こえない夜は味気ない。鳥のさえずりで目覚める朝は金属的なアラームの音よりスッキリと正気に戻ってこれる。

足にチクっと感じた。サンクードスだ。ブヨみたいな虫で刺されると痒い。ヤラレタと思ったけど嫌ではなかった。こんな自然豊かな場所なのだから当たり前のこと。まだ9時半なのにハンモックチェアに根が生えてしまっていけない。今日は2階だけでいいや。早く起きた分、ハンモックで昼寝してやろう。

今時期のサンペドロの朝は本当に気持ちがいい。雨季の中米のイメージは悪すぎる。真っ白な雲が浮かんだ青空を見ているとゆったりとした時間の流れを感じることが出来る。なにもしない1日。長い旅にあっても忘れてはいけない時間だ。自分が納得できるまで整えたこの家にいると落ち着く。

日々雑思 相棒を失ってしまった

大切な相棒のカフェが近所のピットブルに殺されてしまった。

喪失感が強すぎてなにも手につかない。こんな時は形式ばった儀式をすることで受けいる事が出来ると聞いたことがある。手順や作法に則ることで前に進む事が大切なのだそうだ。それに意味があるとか無いとかではなく、そうした動作を通してしか解決しないことが世の中にはあるのだという。「ご愁傷様でした」と言ったってなんのことやらさっぱりわからなくてもその言葉を自分の体を通すことで、その場の誰もがなんとなく居場所を見つけられる、そこにいる意義を持てることができることが必要だそうだ。悲しいことに耐え続けられるほど人の心は強くない。受け入れたくなければそれもいい。でも時間をかけてでも受け入れようとすることが生きるということなのだそうだ。

カフェが死んだ。もうそれは厳然たる事実。僕は「よく頑張ったなぁ」としか言えなかった。声をかけたところでどうにかなるものでもない。硬くなってゆく身体にすがって泣いた。本当にカフェはよく頑張ってくれた。夜が明けて僕は庭に穴を掘った。雨がやみ、まだ誰も起きていない朝。穴を掘っていると身体が暖まり汗をかいた。掘ることに専念すると目の前の現実から逃れることができた。

セシーが来た。彼女の顔を見たらもうダメだった。みっともなく泣きじゃくりながら彼女にカフェのために祈ってくれ、僕は祈り方すら知らないんだと懇願した。彼女はカフェが天国に召されるように丁寧に祈ってくれた。カフェを階下に運び、別れを告げた。穴の底に横たえ、上から土をかけた。そこだけまっさらになった土がむき出しになっていていた。一番大きな石を置き、丁寧に墓に仕立てた。でも、そこに意味など見いだすことは出来なかった。

いつも通りにセシーに朝食を用意して、テーブルに着く。途端涙がこみ上げてきた。先にセシーが「わかるわ」と言った。僕らが食事を取るとき決まってカフェはセシーの横で飛び跳ねた。僕らは黙ったまま食事を済ませた。いつもはさっさと帰るセシーが残っている。僕は彼女に祈り方を教えてくれと頼んだ。彼女が帰った後、僕は何かにすがりたかった。彼女はノートに祈りの言葉を書いてくれた。そしてメルカドに買い物へ行け、1人で居るのは良くない。外に出ていればいいと言った。

この小さな村のすべての場所にカフェとの思い出が溢れていて、とてもじゃないが外に出かけることなど出来ない。テラスに腰掛けた。僕がそこにいるとカフェはいつも隣に来て静かに座っていた。タオルを片付けに部屋に行く。さっきまでカフェが横たわっていた毛布を持つと手にノミがついた。どこにいてもカフェがそこにいる様に感じても、もうそれは現実ではないのだと思うとたまらなくなった。

夕方になってグラシエラが心配して来てくれた。彼女もまた一緒に祈りましょうと言うと僕の手を取って丁寧に祈ってくれた。彼女手の温もりがとても心地よく、心がすこし穏やかになって行くのを感じた。僕はキリスト教徒ではないけれどこうした優しい気持ちがありがたかった。祈の力はあるのだろう。それは経でもいいし、坊さんの説法でも、祈りや懺悔であろうが、人が持つ悲しみを癒すためにこうした言葉があるのかもしれない。

もう2度とカフェと散歩に行ったり、オヤツを分け合ったりすることが出来ない。この2年半の間、いつも僕の側にいてくれた。こんなに短い時間だったのに、僕らはとてもよく通じていた。カフェの思いは手に取るようにわかったし、カフェもまたわかっていた。それだけに救えなかった後悔の念、感謝の気持ち、喪失感がないまぜになってしまい自分の気持ちをコントロールすることが出来ない。

この先、この気持ちに整理がつくことはわかっているし、残念なことだけど数年もしたらカフェの顔も朧気になるに違いない。この世は生きているもののためにしかない。死んだら腐って土に還るのが定めだから。あの世というものがあるのであればカフェはそこのものとなってしまったのだ。生き物の命はいつかは尽きる。でもなぜそれがカフェだったのか。理不尽だけが残ってしまった。

様々な人が来てくれ、色々な言葉をかけていただいているが、素直に受け入れることは出来ない。まだそんな気持ちにはとてもなれない。これではいけないと思うけれど。

書くことで気持ちの整理がつくのならとなるべく淡々と書いたつもり。でも読み返してもわからない。カフェの居ないkamomosi はなにかがごっそりと抜けてしまった。