日別アーカイブ: 2019/04/11

日々雑思 明日を見ない者達

隣の婆さんが金をくれと言ってきた。薪を売ってもいいと言う。いくらだと聞くと400円欲しいと言う。「400円分の薪は沢山だぞ、お前そんなに持っていないだろ、以前の様には騙されないことはお前も知っているであろう。一体なにに使うのだ」「物を買う、あと食べ物も」「前に言ったであろうが、大切に使え、くだらないものなど買うからそうなるのだ、アホか、教会へ行け」それでも居座り懇願する。「以前貸した金が先だ、早く返せ」「ヒデキ頼む薪を買ってくれ」「まだ沢山ある、いらぬ、帰れ」「…」「だからお前らはダメなんだ、男に逃げられ、いいように使われ、他人に泣きつく、仕事をしろ、金を貯めておけ、何度言えばわかるのか、待っていろ」仕方なく400円を渡す。「薪を持って来い、山ほどだ」婆さんは庭へ引き返し薪を集めている。仕方ないので取りに行ってやる。50円分ほどの量を積んだところで「もう、十分だ、これでいい、これで400円分だ」日本語に切り替えて「お前ら貧乏人のその腐った根性は神でも治せないのだよ、ダメな奴だなぁ、そんな奴ばかりだココは、こっちが働いているのを見ているだろう、人に頼るな、コジキになったら終いだからな」
隣人たちの馬鹿さ加減にはもはや驚きもしないけど、言われれば腹を立てて露骨な嫌がらせをし始める。今年はガツンといってやろうと決めているので、此の所近所付き合いは随分と楽になった。意地を張っているのもせいぜい半年、すぐにまた金をくれ、仕事をくれと泣きついてくるのだ。人並みの事も出来ないくせにくだらないプライドばかりが高い。安物のプライドはすぐに剥がれ落ち益々情けないものとなるのに何故彼らはわからないのだろう。何故彼らは未来を見る目を持とうとしないのだろう。今を生きる者達は明日を見ることなく終わるのであろうか。ジレンマだけがつのっていく。

「ヒデキ、アボカドを買わないか」「いらん、必要ない」「頼む買ってくれ、一個15円でいい、金がない」「今の客はアボカドは嫌いだ、食わない、だから買わない、必要ない」「どうしてもダメか」「どうしてもダメだ」「アディオスヒデキ、あっ!この缶もらっていいか」「持っていけアディオス」隣の薪を買ってやったのを見ていたのだ。女中で働いていた娘をクビにしたのでこの前まで口も聞いてこなかったのに金がなくなった途端にこのようになる。こうした情けない姿を見るのが嫌いだ、恥も外聞もない。意地もない。プライドのカケラもない。愚か者。午後、隣村まで娘は歩いて学校に向かった。真面目に働いていれば毎日トゥクトゥクに乗って学校へ行けたものを。

これまで物の価格はその物が持つ価値と等価だと考えてきた。ところがこうした国では物の価値は時と場合で変わってくる。
例えば外人価格。相手が金持ちの国から来たと思えば価格が上がる。地元の人とは違った金額を払わされる。
例えば売り手と買い手の合意。はじめから定価と概念ではなく。売り手の希望価格と買い手の希望価格が折り合う所を見つける。相手の腹を探り合う。交渉の行方によって価格が変わる。

こうした事が起こるのは大抵第三世界である事が多い。東南アジア、中南米では当たり前のこと。物の価値を知らないと大損をすることになる。知っていたとしても、損をしいられる事もある。交通機関や電話のSIMでさえ油断ならない。こうした国では価格自体が安いので損をしたとしてもたいした金額ではないのだけれど、そうした根性に腹を立ててしまう。地元価格の5倍ひどい時には10倍もの差があることを知ってしまったら墨を飲んだような気になってしまう。今はSNS全盛の時代、こうした情報はすぐに拡散されて皆の知るところになる。当然こんな国であっても携帯は皆が持つのでそんな事は地元の人間も知っていてしかるべきだとは思うのだけれど一向に改善の兆しがない。困ったものだ。ところが、観光客の来ない閑散期になると状況が変わる。ホテルに客はいなくなり、さびれ始めるとこれまでの強気は鳴りを潜め値引きが始まる。ひどい時には5分の1まで価格が落ちてしまう。そのかわり前金でまとめて払うことになる。そんな価格でどうするのだと思うのだけれど、目先の金のことしか考えられない彼らには損得勘定もうまく出来ない。そんなことばかりしていては次に来る客に値切り倒されてしまうのにと心配になってしまうほど。ここにも明日を見ない者の悲しさがあった。

ここで暮らしはじめた頃、グアテマラ人は金になんでも換算して考えていると感じた事があった。何かしてやるとすぐにいくらだと聞かれた。何かを貸してやるといくらだと聞かれた。コレはいくらしたのだと持っているものの値段を聞かれた。動物が食べ物の匂いに誘われるように彼らは金の匂いに誘われる。とても自然なことなのだけれどあまりにも露骨なので時々戸惑ってしまう。ところが最近は少し考え方が変わってきた。ホテル1泊の値段がカフェで朝食を食べるより安いとはどういうことなのか。物の価格があまりにも違い過ぎて訳がわからない。今を生きる事に精一杯なのか、目先の事しか目に入らないかのように暮らすマヤの人々。人生を楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。あるデータではここの国は日本より幸福だという。ケモノのように暮らすのが幸せとはどうしても思えない。貧困率が60%にもなるこの国で自分をどこに位置づけていいのかわからぬ。逆らいようのない世界経済という流れにもまれるドングリのような気分。果たして浮かぶ瀬はあるのか。もう少し流れに身を任せてみるのも悪くない。