日別アーカイブ: 2019/04/08

日々雑思 壮絶

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」聖書の一節、僕はカトリックではないし神をも信じぬ不届者を自負している。言がなんであったかなど僕には関係ないのだけど、語学について思う時、この言葉がふとよぎる。
言語習得にあたっても、はじめに言があるのではないか、知恵や知識ではなく心の声を口から出すことが肝心。口から出た音が表現だから。音に意味があろうがなかろうが、自分の身体の内から絞り出したこと意味があって、それが自分の言葉なのではないかと思ってやまない。
「勉強しているのに話せない」はよく聞く話。僕は勉強を否定しない。それは自分の知識となり知恵となるから。読むことができるようになり、書くことができるようになる。意味を理解できる事こそ知識の恩恵を受けている証。

言語習得にあたりよく聞く「@#が足りないから話せない」これは言い得て妙な言い訳ではないか。たしかに正しいと思う。でも、文法が出来ないことが話せないことの理由であるなら、文法を習うまで僕らは話すことが出来ないはず。おのずと学校にあがる前の子供は話すことができないことになる。しかし、小学校にあがるまでにはすでに言葉を流暢に使いこなしている。それは正しいとは言い切れない言葉ではあるけれど、もし文法がわからなければ話せないとなると子供が話ができることを説明できない。ボキャブラリーも少なく意味すら知らない言葉を使い、間違いだらけでも子供は心の声を伝えることが出来る。知っている単語で伝えることの方が大切なのではないかと最近とみに思う。単語が分からなければ説明すればいい。知っている単語を並べて相手に伝える力こそが喋るということではないか。そこに勉強はない。耳で聞いた音を口から出すことがはじめにある。それは”真似る”と言う行為だから。”学ぶ”と言う言葉は真似るが訛り”真似ぶ””まなぶ”となったと以前聞いたことがある。音を真似る事が学ぶ事ではないのか。しいては話す事につながる近道なのだと思うのだけど。

年齢も関係ない。若い人のようにやろうとする必要もない。歳をとることで学び方を知っている者は自分に合った学習をすることが出来る。自身をマネージメント出来ることは年齢を重ねてきた者の優位になる。若くないから、物覚えが悪くて、やっているけどと出来ない言い訳ばかりがうまい輩は、はじめから話せない理由しか探さないのだ。馬鹿な言い訳を考える前に出来る方法を考える方がよほど役に立つのに。プライドが邪魔をする。恥ずかしさが学ぶことを妨げる。話すことが出来ないとバカに見られてしまうことはどの言語を学ぶ上でも同じこと。知識があることと話すことは違うのだ。それでも少しでも知恵をつけようとウンチクやなぜなにばかりを追い求めはじめたら益々口は重くなる。下ばかり向いていたら口はいつまで開くことはない。いや、開く必要すらない。ウンチクを語る時は自国の言葉を使うのだから。

最近、マヤの言葉を使い始めた。なにも知らない勉強もしない。ただひたすらに音を聞いて真似をする。意味など分からない。人が使っている状況を見て、同じような時に使ってみる。「なんでそんな言葉知ってるんだ」と驚かれる時もあれば、キョトンされる時もある。間違いを繰り返して使い方を覚える。意味など分からない。でも使える。使えるようになれば意味もわかってくる。けど多言語に訳せない。それでいい。40を過ぎるまで僕は日本語を多言語に置き換えて意味を探ることなどしなかった。恥ずかしながら尊敬語と謙譲語をキチンと使い分けられるかどうかも怪しい。読めない漢字もある。国語のテストで100点をとった記憶もない。それでも社会で生活することは十分に出来たし、人と会話をすることが出来ていた。
勉強などしなくても話せるようになる。勉強なんかしていたら言は益々遠ざかってしまう気がしてならない。

ひとりの男性がスペイン語留学を終えて帰国した。果たして彼のスペイン語は中級の上まで伸びた。彼からの連絡を受けたのは昨年のこと。客がここを紹介した。しかし僕は即座に断った。なぜなら面倒くさいから。歳のいった者はダメだ。これまでも酷い目にあわされたのはこうした人達。他の場所で2ヶ月すでにスペイン語を勉強していた。しかし、話せないと言う。場所を変えてみたいという。場所を変えたら話せるなどと考えている者は話せる様にはならないから。彼は諦め、留学を打ち切った。メキシコへ旅行に行った帰りにうちに泊まりにきた。聞くと支援団体で働きたいと言う。もう一度ここで勉強したいと言う。彼ほどの思いの強さがあれば大丈夫かもしれないと思った。仕方なく引き受けた。

数ヶ月後、この宿での留学が始まった。以前の話を聞いていたので学校ではなく家庭教師を使ってのおさらいから始めたがまったくレッスンが分からず、怒り出してしまう。やはりダメかと思ったが一度引き受けてしまった以上放り出すわけにはいかない。僕は知り合いの紹介以外の客をすべて断って彼の留学に付ききりとなる。

毎日のようにネガティブな言い訳ばかりをしながらも”勉強”だけは欠かさない。先の見えない事に対する努力がいかにたいへんかはフィリピン留学で僕も経験しているので気持ちはよくわかった。2ヶ月を過ぎた辺りから少しずつ変化が出てきた。レッスンの内容がよく理解できるようになってきた。それでもまだ話すには程遠い状態。先生の方が逆に日本語を覚え出している。言語習得にあたっては最初のハードルが一番高い。そこを越えるまでは我慢しかない。暗記しようとする彼にそんな事は必要ない、音に慣れろと繰り返してアドバイスしたが、理解されるはずもない。3ヶ月が経ち、既に知識は相当あるのだけれど口の重さは変わらず。長年染み込んだ勉強のスタイルは容易には変わらないのだ。

ビザクリでメキシコに行く事になる。メキシコから戻ればあと2ヶ月しかない。戻ってきた彼に1日6時間のレッスンを勧めた。彼の留守中先生達と何回も話し合いを重ね、かなり厳しく注文をつける。彼女達はそれを理解し、頑張った。それでも口の重い彼。1人は「もう教えられない、懸命に努力したが、なかなか話せるようにならない。心が痛む」と言う。逃げ出しそうな彼女に僕は檄を飛ばして叱咤した。彼女達もまた懸命であった。女中も使い、なんとか話すように仕向けるが、女中はあまりに僕が厳しく言うので、根をあげてしまう。僕は出来ないなら今月はもう来なくてもいいと言い渡した。このままではダメだと僕は彼を追い込む事に決めた。「人を助けたいという思いの強さを感じて引き受けたのに、助けるどころか彼女達すらダメにしかねない。話せもしない人間がどうやってコミュニケーションをとるのだ。どうして現地の人間がそんな者を頼るのだ。人助けどころかダメにしているだけだ、言い訳などしている間があったら口を開け、文法など必要ない。心の声を出さなければ本を朗読しているのと同じだ。引き受けた仕事は必ずやり遂げる。彼女達をダメにしても構わない。それがあなたの本意なのか」彼は黙って座ったまましばらくして部屋に戻った。

残りひと月。彼のレッスンに変化が出た。よく話している。先生達に聞くとよく話し、よく理解出来てると言う。ようやくハードルを越えた。みるみる良くなり。自分でも話せるようになったと感じていた。先生達に彼のレベルを聞く。「上級ではない。でも全然変わった。今では中級以上だと口を揃えて言う。テストも大丈夫だ。知識も十分にある」と太鼓判を押した。

もう少し勉強したかったと言いながら帰る日が来た。ここへ来た時とはまるで別人のように自然に話す彼。泊まったメキシコ人もフランス人もカナダ人も彼は話せると言っていた。もう大丈夫。彼は言を手に入れた。おそらく彼のスペイン語は同年齢の人の中ではずば抜けているであろう。支援団体の研修などなんてことなくこなせる事は確実だけれど、まだ彼はそれがわかっていない。願わくばどこかの国で活躍する姿を見たいと思う。この宿でスペイン語を勉強した者達の中でも1番大変だった彼。それでも彼はやり遂げた。彼の年齢でここまでやり遂げた者を僕は知らない。”壮絶”とも言える彼の留学は僕にとっても励みとなった。尊敬に値する努力であった。だから僕は彼の活躍を信じて疑わない。

「また来てもいいですか」と聞かれ、僕はすぐに答えることが出来なかった。「考えておきます」と言うと彼は苦笑いをしていた。もう一度同じ事を引き受けるかと聞かれたらもう2度とゴメンだと言うだろう。自分でも呆れてしまうほど入れ込んでしまうから。僕には学校経営やエージェントは向かないのだ。チャンスではあるけれどあまりにも割に合わないから。やはり僕は偏屈な安宿のおっさんが性に合っている。彼を見送る時、「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」と僕は祈った。彼が去った後、セシリアに「最後に彼になんと言ったのだ、祈ったのか、お前が祈るのをはじめてみた」と言われ「あーそうか、祈ったんだよ。彼はそれに値する努力をしたからな」「さみしいのか」「ここは宿だ、客はいつかは去る」「彼はまた戻って来るのか」「ここへ戻る必要がないであろう。そうなってもらわないと困る」「ウソつき」「お前ほどではない、さっさと帰れ」セシリアはニヤリと笑って帰った。1人になり静かになった宿を眺めた。客を断り過ぎたのでしばらくは来ないだろう。少しの間休んでのんびり過ごそう。

最後に、僕のサポートを信じてこの宿に滞在し、勉強を続けてくれた彼、そしてこれまでとはまったく違うスタイルで教えることに果敢に挑戦して成し、遂げてくれた3人の先生に心から感謝します。以前から考えていた留学のスタイルを具現化出来たことは僕にとっても素晴らしい経験となりました。多言語を学ぶ、それをサポートする事ということが少しわかったような気がしています。そして、また1人の日本人がこの宿でスペイン語のレッスンを始めました。勉強したいのなら他に行けと言っているのに。