月別アーカイブ: 2019年4月

日々雑思 穏やかな日々

セマナサンタが終わり、村は再び静けさを取り戻す。皆、気が抜けたように呆けていて、観光客の居ない通りに居るものも魂が抜けてしまったように座り込んでいる。観光客が来ないと嘆いた者もすでに諦めてなにも言わなくなる。取り立てて見るべきものもない村なのだから、この位でちょうど良いのだと思うようにしてから、ずいぶんと楽になった。予想以上に客はなく、スペイン語の留学をしている殿方が居なければとっくに宿を閉めてしまい、出稼ぎにでも出るのだけれど、そういう訳にもいかないので、一日中家に閉じこもりスペイン語を勉強して過ごしているうちに月末となってしまった。

あまり人と話す事が得意ではないのに丸2年も見知らぬ人と話してきたのだからそろそろ本来の自分に戻って雨季が終わるまで過ごすのもいいものかもしれない。女中のセシリアが「客と話してないのかと」聞いてくる。「話していない」と答えるとビックリした顔をしているので「客もまったく話さないのだから構わないのだ、邪魔をするものではない」と説明する。「食事の時も話さないのか、一緒に食べないのか」とたたみかけるので「話さないが一緒には食べている」と言うと、呆れた顔となる。「他の予約はないのか」と質問を変える。「ない」と一言だけ答えると「断っているのであろう、受け入れなければダメだ」と訴える。「断ってはいない。本当に何もないのだから仕方がない。少し勉強に付き合え」と話題を変えた。

勉強をしている時セシリアが「この本を貸してくれ」と言い出す。どうしたのかと顔を見ると「私はスペイン語を知らない。少し勉強しなければダメだ」と真顔で言い出す。「ここの村はボキャブラリーが少ないと言われているよ。普段マヤ語なのだから仕方ないだろう。メキシコや都会に行くとよくわかるんだ」「私は学校を休んでから普段スペイン語を使わなくなってしまった。知らない単語が沢山ある。この本の中にもある。ヒデキに質問されて説明出来ない。もちろん意味はわかるけど使ったことのない言葉がある。だから貸してくれ」「持っていけ」やりとりを終えて、ここまで来たかと息をついた。最近は見たことがない単語が少なくなってきた。まだうる覚えではあるけれど一度や二度は見た事のある単語ばかりとなっている。耳も良くなり口も良くなった。大抵のことは通じるし、聞き取りも出来る。でもなぜかバカっぽさを感じてしまうのは何故だろうか。英語では見えなかった領域に入った感はある。皆一度は通る道なのかもしれない。日本では月が変わると時代が変わるのだ。新しい時代の幕開けとなり、自分のスペイン語にも維新があるのだろうか。時代の遺物となって忘れられたこの宿のように、スペイン語も腐り果てていくのであろうか。もうすぐ雨季がやってくる。

毎晩夜になると同じ時間に同じ場所で同じ姿勢で止まっているクモが出る。自分の部屋なのでなんとなくそのままにしておいてやる。机の上の壁に張り付いて、朝にはどこかへ居なくなってしまう。よく見る。複眼が赤っぽく光ってこちらを見ているようだ。ザクロのようなその目の中には何人もの自分がいるのだ。こちらのことなど、なんでも見通しているかのような目玉が急に光りを失ってポトリと机の上に落ちた。腹を上にして弱々しく脚を動かしていたがやがて自分のことを抱え込むように縮こまり、動かなくなった。紙でくるみ捨てる。

庭に水やりをする。フランス女が植えたトマトはずいぶんと育っていて、その根元にガマガエルが住み着いた。水が嫌いなのかいつも決まって壁の方に逃げる。よじ登って向こう側へ行きたそうにしているのでホースのノズルを絞って勢いよくカエルの背中に当ててやる。水に無理やり押されるように下に落ちた。上から覗くとこちら側を向いて恨めしそうな目で見上げている。ガラス玉のような目を2、3度瞬いてから乾いた土の方にのそりのそりと歩いて行ってしまった。カエルの去った方にホースで水を撒き散らしてやった。

昼間ベランダで本を読む読んでいると、カフェが連れてきたのかノミが足元にいる。サンダルで潰してやろうと踏んづけるがピンと飛び跳ねるのでライターで炙るとたわいもなく動かなくなった。雨季の前は増えるので念入りに掃除をするが、ああした連中は数で生き残りを図るので殺虫剤を撒いておく。ベランダの下にも撒こうと潜ると知らない子猫が死んでいた。鳥につつかれたのか目玉が穴のようにくりぬけている。まだ腐っていないので昨夜か今朝に死んだのであろう。どおりでカフェが朝方に鳴いていたのかと合点がいった。ビニール袋に入れてゴミ屋に出してしまう。猫もまた最近あちこちに増えている。夜中にギャーと悲鳴がするのは野良犬にやられてしまっているのだろう。

買い物の帰り、前を女が2人急ぎ足で行く。何を急いでいるのかと見ていると、道の向こうの家からもう1人の女が何をしているのだと金切り声をあげて飛び出してきた。見る見るうちに怒った顔は泣き顔になり、もう死んでしまったと言っている。翌日、葬式が開かれた。この前まで遊んでいた子供だった。家の前を通るとオーイオーイとまるで人を呼んでいるかのように泣いている女の声が聞こえてきた。数日後、家の前を通ると中からは笑い声が聞こえてきた。ここの者は強いのだ。そうでないと暮らしていけないのだ。夜、いつものように教会から聞こえてくる下手な歌声が少ししみた。

夜、客とカレーを食べる。いただきますと言ったきり黙ったまま食べる。セシリアが居たらどんな顔をするのであろうか。食べ終えて客が小さな声でご馳走さまでしたと呟く。お粗末様でしたと答えて終い。客は部屋に戻り、自分は皿を洗う。しんと静まり返った台所でコーヒーを淹れた。今日もまた穏やかな1日であった。

日々雑思 明日を見ない者達

隣の婆さんが金をくれと言ってきた。薪を売ってもいいと言う。いくらだと聞くと400円欲しいと言う。「400円分の薪は沢山だぞ、お前そんなに持っていないだろ、以前の様には騙されないことはお前も知っているであろう。一体なにに使うのだ」「物を買う、あと食べ物も」「前に言ったであろうが、大切に使え、くだらないものなど買うからそうなるのだ、アホか、教会へ行け」それでも居座り懇願する。「以前貸した金が先だ、早く返せ」「ヒデキ頼む薪を買ってくれ」「まだ沢山ある、いらぬ、帰れ」「…」「だからお前らはダメなんだ、男に逃げられ、いいように使われ、他人に泣きつく、仕事をしろ、金を貯めておけ、何度言えばわかるのか、待っていろ」仕方なく400円を渡す。「薪を持って来い、山ほどだ」婆さんは庭へ引き返し薪を集めている。仕方ないので取りに行ってやる。50円分ほどの量を積んだところで「もう、十分だ、これでいい、これで400円分だ」日本語に切り替えて「お前ら貧乏人のその腐った根性は神でも治せないのだよ、ダメな奴だなぁ、そんな奴ばかりだココは、こっちが働いているのを見ているだろう、人に頼るな、コジキになったら終いだからな」
隣人たちの馬鹿さ加減にはもはや驚きもしないけど、言われれば腹を立てて露骨な嫌がらせをし始める。今年はガツンといってやろうと決めているので、此の所近所付き合いは随分と楽になった。意地を張っているのもせいぜい半年、すぐにまた金をくれ、仕事をくれと泣きついてくるのだ。人並みの事も出来ないくせにくだらないプライドばかりが高い。安物のプライドはすぐに剥がれ落ち益々情けないものとなるのに何故彼らはわからないのだろう。何故彼らは未来を見る目を持とうとしないのだろう。今を生きる者達は明日を見ることなく終わるのであろうか。ジレンマだけがつのっていく。

「ヒデキ、アボカドを買わないか」「いらん、必要ない」「頼む買ってくれ、一個15円でいい、金がない」「今の客はアボカドは嫌いだ、食わない、だから買わない、必要ない」「どうしてもダメか」「どうしてもダメだ」「アディオスヒデキ、あっ!この缶もらっていいか」「持っていけアディオス」隣の薪を買ってやったのを見ていたのだ。女中で働いていた娘をクビにしたのでこの前まで口も聞いてこなかったのに金がなくなった途端にこのようになる。こうした情けない姿を見るのが嫌いだ、恥も外聞もない。意地もない。プライドのカケラもない。愚か者。午後、隣村まで娘は歩いて学校に向かった。真面目に働いていれば毎日トゥクトゥクに乗って学校へ行けたものを。

これまで物の価格はその物が持つ価値と等価だと考えてきた。ところがこうした国では物の価値は時と場合で変わってくる。
例えば外人価格。相手が金持ちの国から来たと思えば価格が上がる。地元の人とは違った金額を払わされる。
例えば売り手と買い手の合意。はじめから定価と概念ではなく。売り手の希望価格と買い手の希望価格が折り合う所を見つける。相手の腹を探り合う。交渉の行方によって価格が変わる。

こうした事が起こるのは大抵第三世界である事が多い。東南アジア、中南米では当たり前のこと。物の価値を知らないと大損をすることになる。知っていたとしても、損をしいられる事もある。交通機関や電話のSIMでさえ油断ならない。こうした国では価格自体が安いので損をしたとしてもたいした金額ではないのだけれど、そうした根性に腹を立ててしまう。地元価格の5倍ひどい時には10倍もの差があることを知ってしまったら墨を飲んだような気になってしまう。今はSNS全盛の時代、こうした情報はすぐに拡散されて皆の知るところになる。当然こんな国であっても携帯は皆が持つのでそんな事は地元の人間も知っていてしかるべきだとは思うのだけれど一向に改善の兆しがない。困ったものだ。ところが、観光客の来ない閑散期になると状況が変わる。ホテルに客はいなくなり、さびれ始めるとこれまでの強気は鳴りを潜め値引きが始まる。ひどい時には5分の1まで価格が落ちてしまう。そのかわり前金でまとめて払うことになる。そんな価格でどうするのだと思うのだけれど、目先の金のことしか考えられない彼らには損得勘定もうまく出来ない。そんなことばかりしていては次に来る客に値切り倒されてしまうのにと心配になってしまうほど。ここにも明日を見ない者の悲しさがあった。

ここで暮らしはじめた頃、グアテマラ人は金になんでも換算して考えていると感じた事があった。何かしてやるとすぐにいくらだと聞かれた。何かを貸してやるといくらだと聞かれた。コレはいくらしたのだと持っているものの値段を聞かれた。動物が食べ物の匂いに誘われるように彼らは金の匂いに誘われる。とても自然なことなのだけれどあまりにも露骨なので時々戸惑ってしまう。ところが最近は少し考え方が変わってきた。ホテル1泊の値段がカフェで朝食を食べるより安いとはどういうことなのか。物の価格があまりにも違い過ぎて訳がわからない。今を生きる事に精一杯なのか、目先の事しか目に入らないかのように暮らすマヤの人々。人生を楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。あるデータではここの国は日本より幸福だという。ケモノのように暮らすのが幸せとはどうしても思えない。貧困率が60%にもなるこの国で自分をどこに位置づけていいのかわからぬ。逆らいようのない世界経済という流れにもまれるドングリのような気分。果たして浮かぶ瀬はあるのか。もう少し流れに身を任せてみるのも悪くない。

日々雑思 壮絶

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」聖書の一節、僕はカトリックではないし神をも信じぬ不届者を自負している。言がなんであったかなど僕には関係ないのだけど、語学について思う時、この言葉がふとよぎる。
言語習得にあたっても、はじめに言があるのではないか、知恵や知識ではなく心の声を口から出すことが肝心。口から出た音が表現だから。音に意味があろうがなかろうが、自分の身体の内から絞り出したこと意味があって、それが自分の言葉なのではないかと思ってやまない。
「勉強しているのに話せない」はよく聞く話。僕は勉強を否定しない。それは自分の知識となり知恵となるから。読むことができるようになり、書くことができるようになる。意味を理解できる事こそ知識の恩恵を受けている証。

言語習得にあたりよく聞く「@#が足りないから話せない」これは言い得て妙な言い訳ではないか。たしかに正しいと思う。でも、文法が出来ないことが話せないことの理由であるなら、文法を習うまで僕らは話すことが出来ないはず。おのずと学校にあがる前の子供は話すことができないことになる。しかし、小学校にあがるまでにはすでに言葉を流暢に使いこなしている。それは正しいとは言い切れない言葉ではあるけれど、もし文法がわからなければ話せないとなると子供が話ができることを説明できない。ボキャブラリーも少なく意味すら知らない言葉を使い、間違いだらけでも子供は心の声を伝えることが出来る。知っている単語で伝えることの方が大切なのではないかと最近とみに思う。単語が分からなければ説明すればいい。知っている単語を並べて相手に伝える力こそが喋るということではないか。そこに勉強はない。耳で聞いた音を口から出すことがはじめにある。それは”真似る”と言う行為だから。”学ぶ”と言う言葉は真似るが訛り”真似ぶ””まなぶ”となったと以前聞いたことがある。音を真似る事が学ぶ事ではないのか。しいては話す事につながる近道なのだと思うのだけど。

年齢も関係ない。若い人のようにやろうとする必要もない。歳をとることで学び方を知っている者は自分に合った学習をすることが出来る。自身をマネージメント出来ることは年齢を重ねてきた者の優位になる。若くないから、物覚えが悪くて、やっているけどと出来ない言い訳ばかりがうまい輩は、はじめから話せない理由しか探さないのだ。馬鹿な言い訳を考える前に出来る方法を考える方がよほど役に立つのに。プライドが邪魔をする。恥ずかしさが学ぶことを妨げる。話すことが出来ないとバカに見られてしまうことはどの言語を学ぶ上でも同じこと。知識があることと話すことは違うのだ。それでも少しでも知恵をつけようとウンチクやなぜなにばかりを追い求めはじめたら益々口は重くなる。下ばかり向いていたら口はいつまで開くことはない。いや、開く必要すらない。ウンチクを語る時は自国の言葉を使うのだから。

最近、マヤの言葉を使い始めた。なにも知らない勉強もしない。ただひたすらに音を聞いて真似をする。意味など分からない。人が使っている状況を見て、同じような時に使ってみる。「なんでそんな言葉知ってるんだ」と驚かれる時もあれば、キョトンされる時もある。間違いを繰り返して使い方を覚える。意味など分からない。でも使える。使えるようになれば意味もわかってくる。けど多言語に訳せない。それでいい。40を過ぎるまで僕は日本語を多言語に置き換えて意味を探ることなどしなかった。恥ずかしながら尊敬語と謙譲語をキチンと使い分けられるかどうかも怪しい。読めない漢字もある。国語のテストで100点をとった記憶もない。それでも社会で生活することは十分に出来たし、人と会話をすることが出来ていた。
勉強などしなくても話せるようになる。勉強なんかしていたら言は益々遠ざかってしまう気がしてならない。

ひとりの男性がスペイン語留学を終えて帰国した。果たして彼のスペイン語は中級の上まで伸びた。彼からの連絡を受けたのは昨年のこと。客がここを紹介した。しかし僕は即座に断った。なぜなら面倒くさいから。歳のいった者はダメだ。これまでも酷い目にあわされたのはこうした人達。他の場所で2ヶ月すでにスペイン語を勉強していた。しかし、話せないと言う。場所を変えてみたいという。場所を変えたら話せるなどと考えている者は話せる様にはならないから。彼は諦め、留学を打ち切った。メキシコへ旅行に行った帰りにうちに泊まりにきた。聞くと支援団体で働きたいと言う。もう一度ここで勉強したいと言う。彼ほどの思いの強さがあれば大丈夫かもしれないと思った。仕方なく引き受けた。

数ヶ月後、この宿での留学が始まった。以前の話を聞いていたので学校ではなく家庭教師を使ってのおさらいから始めたがまったくレッスンが分からず、怒り出してしまう。やはりダメかと思ったが一度引き受けてしまった以上放り出すわけにはいかない。僕は知り合いの紹介以外の客をすべて断って彼の留学に付ききりとなる。

毎日のようにネガティブな言い訳ばかりをしながらも”勉強”だけは欠かさない。先の見えない事に対する努力がいかにたいへんかはフィリピン留学で僕も経験しているので気持ちはよくわかった。2ヶ月を過ぎた辺りから少しずつ変化が出てきた。レッスンの内容がよく理解できるようになってきた。それでもまだ話すには程遠い状態。先生の方が逆に日本語を覚え出している。言語習得にあたっては最初のハードルが一番高い。そこを越えるまでは我慢しかない。暗記しようとする彼にそんな事は必要ない、音に慣れろと繰り返してアドバイスしたが、理解されるはずもない。3ヶ月が経ち、既に知識は相当あるのだけれど口の重さは変わらず。長年染み込んだ勉強のスタイルは容易には変わらないのだ。

ビザクリでメキシコに行く事になる。メキシコから戻ればあと2ヶ月しかない。戻ってきた彼に1日6時間のレッスンを勧めた。彼の留守中先生達と何回も話し合いを重ね、かなり厳しく注文をつける。彼女達はそれを理解し、頑張った。それでも口の重い彼。1人は「もう教えられない、懸命に努力したが、なかなか話せるようにならない。心が痛む」と言う。逃げ出しそうな彼女に僕は檄を飛ばして叱咤した。彼女達もまた懸命であった。女中も使い、なんとか話すように仕向けるが、女中はあまりに僕が厳しく言うので、根をあげてしまう。僕は出来ないなら今月はもう来なくてもいいと言い渡した。このままではダメだと僕は彼を追い込む事に決めた。「人を助けたいという思いの強さを感じて引き受けたのに、助けるどころか彼女達すらダメにしかねない。話せもしない人間がどうやってコミュニケーションをとるのだ。どうして現地の人間がそんな者を頼るのだ。人助けどころかダメにしているだけだ、言い訳などしている間があったら口を開け、文法など必要ない。心の声を出さなければ本を朗読しているのと同じだ。引き受けた仕事は必ずやり遂げる。彼女達をダメにしても構わない。それがあなたの本意なのか」彼は黙って座ったまましばらくして部屋に戻った。

残りひと月。彼のレッスンに変化が出た。よく話している。先生達に聞くとよく話し、よく理解出来てると言う。ようやくハードルを越えた。みるみる良くなり。自分でも話せるようになったと感じていた。先生達に彼のレベルを聞く。「上級ではない。でも全然変わった。今では中級以上だと口を揃えて言う。テストも大丈夫だ。知識も十分にある」と太鼓判を押した。

もう少し勉強したかったと言いながら帰る日が来た。ここへ来た時とはまるで別人のように自然に話す彼。泊まったメキシコ人もフランス人もカナダ人も彼は話せると言っていた。もう大丈夫。彼は言を手に入れた。おそらく彼のスペイン語は同年齢の人の中ではずば抜けているであろう。支援団体の研修などなんてことなくこなせる事は確実だけれど、まだ彼はそれがわかっていない。願わくばどこかの国で活躍する姿を見たいと思う。この宿でスペイン語を勉強した者達の中でも1番大変だった彼。それでも彼はやり遂げた。彼の年齢でここまでやり遂げた者を僕は知らない。”壮絶”とも言える彼の留学は僕にとっても励みとなった。尊敬に値する努力であった。だから僕は彼の活躍を信じて疑わない。

「また来てもいいですか」と聞かれ、僕はすぐに答えることが出来なかった。「考えておきます」と言うと彼は苦笑いをしていた。もう一度同じ事を引き受けるかと聞かれたらもう2度とゴメンだと言うだろう。自分でも呆れてしまうほど入れ込んでしまうから。僕には学校経営やエージェントは向かないのだ。チャンスではあるけれどあまりにも割に合わないから。やはり僕は偏屈な安宿のおっさんが性に合っている。彼を見送る時、「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」と僕は祈った。彼が去った後、セシリアに「最後に彼になんと言ったのだ、祈ったのか、お前が祈るのをはじめてみた」と言われ「あーそうか、祈ったんだよ。彼はそれに値する努力をしたからな」「さみしいのか」「ここは宿だ、客はいつかは去る」「彼はまた戻って来るのか」「ここへ戻る必要がないであろう。そうなってもらわないと困る」「ウソつき」「お前ほどではない、さっさと帰れ」セシリアはニヤリと笑って帰った。1人になり静かになった宿を眺めた。客を断り過ぎたのでしばらくは来ないだろう。少しの間休んでのんびり過ごそう。

最後に、僕のサポートを信じてこの宿に滞在し、勉強を続けてくれた彼、そしてこれまでとはまったく違うスタイルで教えることに果敢に挑戦して成し、遂げてくれた3人の先生に心から感謝します。以前から考えていた留学のスタイルを具現化出来たことは僕にとっても素晴らしい経験となりました。多言語を学ぶ、それをサポートする事ということが少しわかったような気がしています。そして、また1人の日本人がこの宿でスペイン語のレッスンを始めました。勉強したいのなら他に行けと言っているのに。