月別アーカイブ: 2018年12月

日々雑思 サンマルコスの休日

猫に盛りがつき、毎晩うるさい。妙な声で鳴く、小便を垂れる、言う事を聞かず、すっかりバカになってしまった。年端もいかない女子は盛りがつくと狂ってしまうのは人もケモノも同じなのだ。
ウーゴウーゴとあまりにうるさいのでサンダルで頭をひっぱたいてやったら正気に戻ってきた。よほどこたえたのか目が回ってしまっている。ヨレヨレとしながらボーとなった。しばらくすると再び鳴くのでサンダルを脱ぐと鳴きやんだ。まったく近寄らなくなってしまったけれど、ここは宿なのだ。金を払ったお客に迷惑をかけるケモノに権利などないのだ。働かずタダメシを食らうだけのケモノはおとなしくしているか、捨てられてしまう事をわかっていなければならない。カフェはよく心得ていてセンはまだ心得ていない。それでも夜は首元で寝ているので飼い主は覚えているのであろう。この猫はマシで聞き分けを覚え出している。

すっかり客のいなくなった宿で今年は客1人か2人で静かに年を越そうと決めた途端に、バタバタと問い合わせがある。すでにおやすみモードになってしまったので、なにかと理由をつけては断りまくったのだけれど、飛び込みでやってくる旅人は断ることもできずに受け入れた。食事を頼まれる。日本食はやっていない、グアテマラ料理を食べに行けと言うのだけれど、宿の飯を食ってみたい。期待してきたと言う。それでも来たばかりでなにも客について知らない間は日本食は出さない。けっしてロクなことにならないことをしっかりと学習してしまったのだ。そう言うと決まって誰々さんに聞いたと言われるのだけれど、そんなバカな話を信じて来たのか、騙されたのだ、気の毒にと優しく諭してあげる。例によって友人を呼んでも良いかと言われ出す。空き部屋がある事を知ってしまった者の口に蓋をすることも出来ずうなだれながらもダメだと断る。去年までは言えなかった事が言えるようになったのは少しは成長したのか。どちらに転んでもロクなことにならないのである。

スペイン語を習うことにした先生と出かける。対岸の村。ここは美味しいコーヒーがあって最近はここで買うようになった。移動、買い物、食事を楽しみながら会話をして僕のスペイン語の穴を見つけてもらおうと思ったのだけれど、すっかり2人で楽しんでしまった。ふとした時に言いたい事が言えず、あっこれだと思うのだけど、そのときにすぐに聞かずに後回しにしているうちに雲散霧消してしまい、後からさがしてもあれっなんだったかしらと思い出せない。ジェラートを食べているときローマの休日でグレゴリーペック演じるジョーブラドリもアン王女とのスクープを忘れてしまったのは無理もないとボンヤリしていると、どうしたのだと聞かれて我に返る。見ると彼女の手がジェラートが垂れて手が汚れている。貸してみろとコップの水に浸したナプキンで拭いてやると小さな声でありがとうと言った。サンマルコスには泉もなければ手を突っ込める口もない。もしあったら僕の手は見事に食い千切られてしまうので入れるわけもないのだけれど。それでもいい休日となった。
大人しく、控えめではあるけれど今のところ僕の質問には常に答える彼女。レッスン中にうっと詰まるのは、僕に足りていないところをキチンと見つけてくれている証拠。文法がわかると言うのはこういうことなのかと開盲の僕に見えるように教えてくれる。
育ちの良さが溢れ出る彼女、僕のような輩が教わるべきではないような、キレイなものを汚してしまっているような罪悪感がつきまとい、レッスン後にうなだれてしまう。

嫌な予感しかしない。複数の人を雇ったり使ったりしだすとお互いのことが気になりだすようで、しきりにアイツはどうなのだと聞かれるようになる。根が単純なのですぐにそれは嫉妬 や怒りに変わる。ここの雇い主たちはすぐにクビにしてしまうので不安が常につきまとっているからだけれど、それと同じくらい我先感を出す彼らを見ているとハフゥとため息が出てしまう。遠慮といった感覚はなく、むしれるだけむしりたいと考えてしまうのは、明日に生きない者の性なのだろうか。仕事が欲しいと懇願し、与えると途端に当たり前のように考え始めてしまう彼らはある意味でわかりやすいのだけれど、手綱の取り方がいまだにわからない。何度も痛い目にあって来たので結果、嫌な予感しかしなくなってしまったのだろうか。

村の中はクリスマスのイベントが毎日のようにあって、活気がある。広場でバンドが演奏し若者が熱狂する。教会に信者が集い賛美歌を歌う。道々に人が溢れ、屋台が賑わい、老いも若きも皆楽しそうに夜長を過ごしている。パーティが夜な夜な開かれ、目があさっての方向を向いている外国人が秘密パーティからゆったりと宿に帰ってゆく。明るい者、沈んだ者、怖がる者、笑う者はそれぞれ使った物の違いだろうか。裏路地に広がる甘い匂いやすえた匂いは6番目の感覚を研ぎ澄まされた者たちにはどのように感じられるのであろう。
宿のテラスに座り夕食後の客の夕べが終わるのを待つ。出かけていった者の帰りを待つ。若者らしい楽しみ方が出来なくなったのはいつからであろうか。遠くから聞こえるラテンのリズムに身を任せ、珍しく曇った夜空を見上げていると客に呼ばれトイレが壊れている、鍵を部屋に入れたままロックしてしまったと矢継ぎ早に言われ我に戻った。宿はいっときの忙しさで急に賑やかになってしまった。ろくなサービスもできない宿が益々酷いものとなる。アレがない。コレを何とかしてくれ。やってもいいかと言われてばかり。日本の宿で働く人はきっとすごい人達なのだろう。グアテマラにあってもそうした事を要求されるのは、僕がまだ日本人に見られているという証なのだといい方に考えておく。

年末が近づき、そろそろ少し物騒になる時期となった。すべての旅人が何事もなく無事に目的地に着くことを、楽しき仲間と巡り合い穏やかなクリスマスと年越しを迎える事が出来ることを願う。

日々雑思 あれこれ

庭の木にクリスマスの飾りをつける。特段の思いをキリストさんに持っているわけではない。季節感のない国に暮らすとどうにもメリハリがないのでこうした事でもしておかないと心の置き場所に困ってしまうから。朝、スセリーがやってきて、すぐに気がつき「かわいい、お前がやったのか」と言う。こうしたことにすぐに気がつくのは彼女の心が繊細だから。普段は減らず口を叩き、強がってばかりいるのだけれど心根は優しい。まるで自分の娘の様に可愛くて仕方がない。わかりやすいほど贔屓にするので客も呆れている。なにを言われても彼女は特別なのだ。彼女が働き出してかれこれ10カ月となる。決して良いとは言えない彼女の働きぶりだけれど、それでも少しずつ良くなっていく姿を見るのは親が自分の娘の成長を感じるのと同じ気持ちなのであろう。来年から隣村の学校へ通うため仕事は今年限りとなる。早くもぽっかりと心に穴があいてしまった。

サンペドロの人を雇入れるのは簡単だけれど使うのはとても難しい。毎日のように頭を悩ますことばかりなので、女中はスセリーで最後にしようと決めていた。いつものように仕事の後、2人で朝食をとっているときにスセリーが「お姉ちゃんがもう一度働きたい。ヒデキに話してくれ」と言っている。と切り出した。「私は働けない。ヒデキどうするのだ、新しい女中を雇うのか、ならお姉ちゃんがいい」と言う。僕は答えに詰まってしまった。勝手にブチ切れて出て行ってしまった彼女を雇うリスクは避けたい。少し考えるとだけ答えて3日ほど後にやんわりと断った。1週間程して、またスセリーが食い下がる「私以外の人がここで働くのは嫌、働くならお姉ちゃんでなければ嫌だ」「もう、断ったであろう。諦めろ」「あの時はお姉ちゃんも間違っていた。お姉ちゃんもヒデキに謝りたいと言っている」いつもならすぐに引き下がるのに帰ろうともしない。”やめておけ”と心が言っている。”また、厄介なことになるぞ”わかっているのだ。ダメだとわかっているのに口から「お前さんがそんなに言うなら一度だけ会ってやろう。ただし話すだけだ。雇うかどうかは決めていない。彼女の話を聞くだけだ。いいか」スセリーは「ヒデキ、コーヒーゼリーを作ろう」とニッコリと笑って席を立ち、さっさとコーヒーを淹れ出した。

果たして、来年からひと月だけ試用期間を設けて受け入れることにした。厳しい条件を出した。スセリーと違うではないかと言われても「彼女は特別だ、お前とは違う。スセリーが頼むから試しに使ってやるのだ。妹に感謝しろ」と突き放した。話しをしても相変わらず心は”やめておけ、どうせダメだ”と警告をやめない。その声は正しいことは承知しているけれど、これはスセリーの頼みなのだ。たとえ間違っていてもスセリーの言うことは正しいのだ。そう決めたのだ。たかが小娘にいいように翻弄される気分は悪くない。

国境にて

ツーリストカードにさっさと記入する。何回も書いているので心得たもの。書き終えて窓口に向かおうと立ち上がったとき、女の子が寄ってきて「コレを書いてくれ」とパスポートとツーリストカードを差し出した。ペンがないのかと思い、貸してやろうとすると「違う、私は字が書けない」と言う。
パナハチェルから乗ってきたグアテマラ人の母と娘3人。バスの中で二言三言会話をしただけだ。一番上の娘の歳は15歳程か。いたって普通の子で身なりも普通だ。パスポートを持っているなんてきっといい家庭なのだと勝手に想像していたので、字が書けないと言われたのには驚いて二度見してしまった。彼女はニッコリと笑ってパスポートを差し出した。真新しく、白いページしかない。IDを見るとパロポの出だ。メキシコの滞在先を聞くと困った顔をしている。大きな荷を持っていたのできっと路上で寝泊まりしながら売りさばくのであろう。いつもはぶっきらぼうの係官がメキシコとだけ書けばいいと言う。奴にもそんな一面があったのかと少し驚いた。サインだけ書けと紙を渡すと。ジッと見つめている。お前の名前を書けと言っても固まったままなので、いいのかなぁと思いつつアナとサンデイとサインも書いてやった。

識字率が低いのは知っていた。でも国外に行くような者までがとは思わなかった。ここでは綴りがわからないときに聞くと、私もわからないと言われることはよくある話。いわゆる文盲だ。普段は困ることがないけれど、そこまで教育が行き届いていない現実は知っていてもショックを受ける。
言葉が出来ないというのはふた通りあって話せないと書けないに分かれる。旅人でも話せない人はいるけれどそれは他言語のことであって母語はもちろんできる。しかし書けないとなると、しかもそれが母語であったり母国語であったとしたら心持ちはいかようとなるのであろうか。以前、海外のホテルでなにかが書けないことがあって非常に恥ずかしかったことを思い出した。
彼女達は特段恥ずかしい感じも見せずに、礼を言うと窓口に向かい入国手続きを済ませた。その姿にたくましさを見た。はじめて行く外国、野宿をしながらの商売、字を書けず、おそらく計算も得意ではないであろう。それでも幼い子供を連れて出かけることに驚きと力強さを感ぜずにはいられない。僕にそのようなことができるであろうか。

まだ捨てたものでもない

間が悪くてバスに乗り遅れてばかり。国境から少し入った大きな町に着いたときにはすでに暗くなってしまっていた。普段ならいさぎよく諦めて一泊するのだけれど今回は帰る途中に連絡が入り、急ぎ戻らなくてはならない。犬のカフェ猫のセンも心配だ。バスが停まっている間にトイレに行く。戻るとすでにバスは消えていた。またかよとガッカリしていると屋台の娘が声をかけてきた「食っていけ、カフェも熱いぞ」「シェラ行きのバスは何時だ」「6時半だ!食って行くか?そこへ座れ」言われるままに座り「何がある、コーヒーはブラックか」「牛がある、コーヒーはすまん砂糖入りだ」僕は彼女が気に入った。チャキチャキとして外国人の僕を見ても怯むそぶりもない。スペイン語を話すこともあるけれど自然な仕草がとてもいい。すぐにテキパキと料理を運んできた。食べはじめた途端にバスが動き出す。「あー」と声を上げると彼女はバスのところに走り寄り戻ってきた「大丈夫だ道の向こうに移動したのだ、送ってやるから安心しろ」と言う。送ってやるとはどういうことなのかはわからなかったが、ダメならここに泊まろうと決めた。食べ終わると男が現れてバイクの後ろに乗れと言う。彼女の方を見るとニッコリと笑って行け行けと言う。僕は訳もわからないままバイクにまたがり彼女に礼を言った。バイクでしばらく行くとバスがあった。男にも礼を言い僕はシェラに向かった。
旅をしているとこうした不思議なことがたまに起きる。普段ならありえないような優しさに触れることがある。何もかもがうまく回らないときにこうしたちょっとしたことに出会うと気持ちのざらつきがスッと引き、旅も悪くないなと感じることができるのだ。すっかり暗くなり、町がざわつき、人々がわらわらとしている。久しぶりに味わう町の雑踏は普段のサンペドロの暮らしとは違って僕に外国にいる事を感じさせてくれた。なによりもグアテマラが合っているのだ。文句ばかり嫌なことばかりだけれど僕にはこの国が合っている。それがなんであるのか、僕の傷を癒してくれているのを最近ハッキリと感じるのだ。日本では生まれてくる時を間違ったと感じる事が多かったのにここではそんなことは微塵も感じることがない。きっと僕は古いやつなのだ。新しいものを欲しがらないバカなヤツ。鶴田浩二の唄にあるように右を向いても左を向いても真っ暗闇のこの国で前を向いて進むことが出来る。それはまだもう少しだけ生き残る希望なのかもしれない。

話す時には

バスに乗ると白人が挨拶をしてくる。なんの問いかけもなくいきなり英語で話し出す。僕はなんだよと思いながらも英語で答える。最近また英語を使う機会が増えてきた。すっかり下手くそになったと思っているのだけれど、会話は以前よりはマシになった気がする。きっと自分の気の持ちようが変わったのだ。ちょっとした小話程度ならボロを出さずにできる。耳もよく聞こえ、口もちゃんと動く。この外人も僕の言うことはよくわかってくれているようで、どこで覚えたのだと言う。日本人と話すときキョトンとされることがあって、自分の英語を疑うのだ。

隣の若い子がスペイン語で話しかけてくる。スペイン語で答える。スペイン語も出来るのかと言うので英語よりはマシだと思うと答える。フランス人でスペイン語を練習していると言っている。そういえばバスを待っている間に観光協会のアンケートに答えていた。はじめはスペイン語だったが途中でわからなくなって英語に切り替えていた。僕も英語かスペイン語かと聞かれたが、どっちでもいいけど、自分は観光客ではないと言うとガッカリしていた。しばらく彼女のスペイン語に付き合ったがフランス語や英語訛りのスペイン語はどうにもいけない。鼻につく。先ほどの白人が話したそうにしていたがイヤホンをつけて話しかけるんじゃねぇオーラを全開にしてやった。そんな時でもグアテマラ人は容赦なく話しかけてくる。ひとしきり話しておしまい。バスの運転手は僕を覚えていて、帰りはいつだと言うので帰りはシャトルは使わぬ、カミオネータで帰ると言うとなぜだと言うのでいつもお前らのバスは遅れるからだと言うとあーと苦笑いをしてブツブツ言っていた。

日本人と話す時はついつい余計なことを言ってしまう。普段言えないことも日本語でなら話せるから。それが嫌で仕方がない。日本語は自分の気持ちと言うことを一致させる事も出来るし、わざと乖離させることも出来て自由自在なのだけど、時に相手が自分とは違うことを忘れてしまい。慌てて口をつぐむことも多い。努めて丁寧な物言いを心がけて波風を立てずに済むようにしなくてはいけない。他言語ではストレートに聞けることも日本語では注意しなければ人格まで否定されかねない。長いこと日本を離れているので自分は中途半端なのだとよくよく言い聞かせている。

日々雑思 スペイン語

去年詰まった排水管が再び詰まり、水が溢れている。こしらえたウッドデッキが邪魔となるので、一部をバラし、配管を覆ったカバーを取り外す。見ると汚れてベットリとしていた。排水管のパイプ掃除機があればいいのだけれど、望むべくもなく、ガス用の硬めのホースに鉄パイプを刺して掃除する。3時間ほどかかりやっと詰まりが解消したが、汚れ落しのために使ったケミカルが腕についてケロイド状の火傷になってしまった。しばらく腕がひっつれた様になって気になるので薬局で薬を買ひ塗った。子供の頃足にお湯をかけて火傷を負ったのだけれど、どうしたものかその時の記憶はない。腕に出来たケロイドを眺めながらいつかこの記憶もなくなってしまうのであろうかと考えた。

洗濯機が途中で止まってしまい脱水が出来なくなる。掃除をしてみたが動かないのでひっくり返して配管を外して中の水を取り除く。狭いところに手を入れるので指先が切り傷だらけとなった。この洗濯機は宿を始めるときに買った韓国だか中国製のもの。技術を伴わないメーカーが作ったのであろうか、センサーなどの精度が低く、トラブってきたけれどなかなかよく働いてくれている。客の去った後のシーツを手洗いするとなると1日仕事になってしまうところを1時間やそこらでやってくれるのはありがたい。一通りいじくりまわすと機嫌をなおしてくれた。テレビを叩いたり、携帯のアンテナを髪の毛にこすりつけたりすれば立ち所に直った記憶が蘇る。今の日本にもまだこうしたことはあるのであろうか。

トイレのタンクに水が溜まらなくなる。給水パイプの上に付いているパッキンが風邪をひいてしまい硬くなっている。針金を持ってきて、押してやると再び水が溜まる様になった。パッキンを押さえるネジを調整して溢れない様に調整してやり、動作確認済ませた。水を流すレバーが外れかけていた。乱暴に扱った者がいたのであろう。排水のための蓋につながる鎖を付け直した。おそらくコレも長くは保たないであろう。このセットは去年買い直した新しい方なのになぜ。

宿をやっていると色々と壊れていくが、すぐに買い換える事が出来ないのであれこれと修理しているうちに大抵のことは自分で出来るようになった。電気、水回りの配管、コンクリの補修、ペンキ塗り、大工仕事、裁縫、包丁研ぎなどなんでもやらなければならない。こうした知恵は日本では発揮することもないたわいのないことだけれどグアテマラでは必須となる。若い頃、建築で働いた経験や小田原での半自給自足の暮らしがこんな形で未来につながっていたのかとぼんやりと考える。とすれば今のこの暮らしの何かがまだ見ていない未来につながっているのであろうか。「丁寧に生きる」それは僕にとってとても大切な生き方のひとつとなった。

村が家庭教師

はじめからこっちで勉強しておけば良かったと何回か客の口から言われたことがある。最初は自然が豊かで落ち着いた村だからだと思っていた。確かにその通りではあるのだけれど、先日、ある客と話していてハッとさせられた。
彼女によると「@#/&€♪☆で勉強してる人って話せない人が多いですよね」僕もそれは薄々思っていたのだけれどそれは勉強の方法の違いかなぁくらいにしか思っていなかった。彼女は続けて「ここって出かけていけばみんなが話しかけてくれるじゃないですか、都会だと話す機会があんまりないしほぼ先生とだけだからじゃないですか」僕はそれを聞いてそうだったんだと膝を叩いた。

そう、この村は宿を一歩出ると村人みんなが気さくに話しかけてくれる。「どこから来た」「名前はなんだ」「どの位居るんだ」「家族はいるのか」「サンペドロはどうだ」「ヒデキを知ってるぞ」などなどすぐに質問攻めにあう。家庭教師から民族衣装を借りて村を散歩するだけで「ペドラーナ(地元の娘)」「とても可愛いわよ」「それどうしたの」老若男女問わずに親しく話しかけられる。私服に着替えても彼らは覚えていて「今日は着ないのか」「毎日着た方がいいのに」とやっぱり話しかけられる。学校で習ったスペイン語をすぐに使う状況になる。一度村人と話すとどんどん知り合いが増えていき、言いたくても言えなかったことがどんどん増えていく。必然的に勉強するのでどんどんセンテンス、ボキャブラリーが増えていく。学校と違い生の会話では相手は容赦してくれない。普段の話し言葉でガンガン話しかけられているうちにどんどんスペイン語に慣れていく。何よりこの村の人は親切で、こちらがわからないとなると、わかるまで何度でも言い直してくれる。それはスペイン語初心者にとってはとてもいい練習でしかも楽しい。当然2週間もいればこちらがアラッと驚くほど話せるようになっている。

そうこの村は言ってみれば全員が家庭教師みたいなものなのだ。しかもタダ。そう言えばよく出かけていく客は帰ってきて「今日はこんなことを話しかけられたんですよ、こんな時どんなふうに答えたらいいんですか?」「こんなことを言われたんですけどわからなくて、どう言う意味ですか」と質問される。そんな時の客の顔はとても楽しそうだ。ストンと疑問が腹に落ちた音がした。サンペドロで学んでよかったと言う人が何を感じていたのかやっとわかった。ここで学ぶスペイン語は村民が作ってくれていた。それは文法的には間違っていることもあるし、方言が混じることもある。だから”きちんとしたスペイン語”と言われるものを習うには適していないのかもしれない。試験で良い点数を取りたいのであれば大きな町で権威のある学校や試験対策に実績を持っている学校で学ぶ方が確実で、日本人が多く学び、先生たちも日本人の特性をよく知っていて、教え慣れている学校を選ぶことが懸命だと思う。
でも僕は自分の気持ちを運ぶためのツールとしてのスペイン語が好きだ。旅人が経験から学んだスペイン語は聞きやすい。自然で相手の気持ちがすんなりとこちらの心に入ってくる。多少の間違いなど気にもならない。楽しそうにスペイン語を話せる様になった客を見るのは気持ちいい。そうした客ははじめからそうなることが決まっている気がしてならない。そんな彼らのレッスンをするうちの家庭教師達もまた楽しそうで喜んでいる。商売としてはまったく成り立たない、まったくのボランティアではあるけれど、やりがいを感じる事がいい。もし商売にしてしまったら多分やなことがたくさん出ることもわかっているから、それはまだやらない。僕が紹介したい客にだけそっと教えてあげるのだ、フフフ。

僕のスペイン語の先生を見つけた

新しい家庭教師を見つけた。4年ほど経験のある女性で会ってみると人柄は良さそうだ。控えめで大人しい感じを受ける。試しにレッスンを受けてみるとよくわかる。ところが客につけるとどうにもしっくりとしない感じであったので一緒にレッスンを受けて日本語でフォローしているうちに、僕自身があれよあれよと言う間にすっかり理解してしまう。説明が上手なのか、例題がいいのかわからない。あまり喋り上手でもないし、会話が弾むこともない。愛想がないのかと思い、日常会話をすれば、よくコロコロと笑い可愛らしい面も見せる。

彼女がとてもよくわかるレッスンをしてくれるのでノートを見せてくれと頼むと快く応じてくれる。見ると驚いた事に客のためにノートを一冊新調して資料をこのレッスンのために作っていた。レッスン中客の言った事をいちいち書き留め、どう間違えたかをキチンと整理している。それを元に次のレッスンを組み立てていた。どおりでわかりやすいはずだと合点がいった。通常、学校ではひと月またはそれ以上をかけて教えている接続法をたった2週間それも1日2時間ですべて教えてしまった。しかも、それをすぐに使えるように教えてくれたのには驚いた。しかもとても優秀だ。僕は”見つけた!”と思った。

彼女に毎日1時間スペイン語を習う事にした。あまりに僕が褒めるのでそれを聞いていた話せないと悩んで相談しに来ていた者が興味を示す。僕は聞こえないフリで流しておしまい。人の物をなんでも欲しがる奴にろくな奴はいないのだ。そうした輩にこれまでこっぴどい目に合わされてきているのでこちらも随分と知恵をつけさせてもらった。うちの宿は学校ではないし、僕はエージェントでもない、ノホホンと暮らしているオッサンであって相談するべき相手ではないのだ。好き嫌いがはげしい嫌われ者に相談したところで得るものはなにもない。

今年もあとひと月、果たして僕は目標にたどり着けるのであろうか。

日々雑思 黒い心の持ち主なのです

季節が変わり、風が強く吹くようになる。今年も道路工事が始まり、再び村への道が閉ざされた。観光客が減り村の経済が疲弊しているにもかかわらず、自らチャンスを潰してしまうとは呆れたものだ。それでも今年は少し考えて、2つ先の村からバスが出るようになる。そこまでボートで行けば村の人の交通手段は少しは良くなるのだけれど、そこの村にバスを停めた途端に寄ってたかって泥棒に盗まれてしまい、ほとんどのバスが引き上げてしまった。以前から治安の悪いことで知られていた村だけれどもなんでかなぁ。果たして去年と同様の交通手段に戻ったけれども、今度はボートが強い風で転覆してしまい大勢の人が死んだ。定員を超えて乗せれば稼げると踏んだ組合がわんさと詰め込んだせいだ。ボートに乗ると皆真ん中には座りたがらずに、すぐに逃げられるように前と後ろに固まっている。そうそうに救命胴衣をつけている者もある。数が足りていないので早い者勝ち。惨事が新聞に出ると道路を少し開けてやっと通れるようになった。たかが道路工事1つで随分と混乱を招くものだ。全体を見る者がいないというのは悲しいことしか招かないのだ。皆、自分のことしか頭にないので、我先に目の前の小事に飛びつきたがる。うちにも働かせてくれと頼みに来る者が増えたが、どうせロクなことにはならないので適当にえへら笑いでごまかしておく。嫉妬と噂話のネタになるのかもしれない。

季節の変わり目は庭の手入れをする。伸びた草木を刈り、陽が庭に入るようにする。述べ4日ほどかけ、大きなゴミ袋に10袋にもなった。庭は明るくなりスッキリとした好みのものとなる。屋根に寝そべって伸びたツタを刈っているときに肘を擦りむいて血がダラダラとしたたる。アナが大変だと言っているので「物は直さなければ壊れたままだが人はほっておけば治るのだ」と答えると「なぜヒデキは自分の体を大切にしないのだ、お前の手を見ろ、アカギレで皿も洗えぬではないか、もう少し世話をしろ」と怒っている。空気が乾燥しているのでこの季節は水仕事をするとすぐに切れてしまう。このところずっと庭の手入れをしていたからか、皆が疲れているのかと聞いてくる。働けば疲れるであろうにと思うのだけれど、肩を揉んでやると言われる。「背中が固い、少し頑張り過ぎだ、休め」とたしなめられる。客をもてなすのが宿であるから施設の見てくれは大切なのだ。宿主の事など構わないであろうにと思うのだけれど、わからぬ。キレイな宿で美味い飯が食えればそれだけで十分であろう。ともあれ人様の優しさに触れた気がするが、この程度のことではこれまでしてきた所業に比べれば罪滅ぼしにもならぬ事は承知している。なにせ心が腹の底から腐っているのだ。地獄に落ちる人は生きている時から行くことがわかるものなのだ。黒い心は幾ら白を足したところで白くはならないのだ。

対岸の村にあるレストランに頼まれて寿司を巻きに行く。80本程巻き、最終のボートで帰ろうかと思っていたが、思いの外客足が伸びて最後まで手伝わされてしまう。英語を話す者、スペイン語を話す者がたくさん来て久しぶりに外国にいるような気になった。いつもは車を貸し切り帰ってくるのだけれど今日はボートを貸し切った。あっという間にサンペドロに戻れたし快適であった。若者の噂でピストルを使った強盗が逃げていて、隣村の男を殺したのだとまことしやかにSNSで拡散していた。詳細を確かめると悪人ではあるけれどもう一つ向こうの村に逃げたので問題はないと、またこちらも根拠のない話を聞かされていたので、やはり少し心配ではあったのだ。ボートであれば海賊は出ないので明るい桟橋から帰れるのはいい。
サンペドロは静かな村ではあるけれど、年末が近づくとこうした話が出始める。以前は人さらいが出たりしたらしいが、そうした記憶が村人の心内にあるからであろうか。ともあれ子供達が恐れをもって暮らすことは悪いことではない気がする。そろそろクリスマスの飾り付けなどをする季節となったことを知る。