月別アーカイブ: 2018年10月

日々雑思 タイムスリップ

オンドゥーラスからアメリカを目指す移民の群れが次第に大きくなりグアテマラにやってきた。国境ではグアテマラの警官が群衆に押し切られ、蜘蛛の子のやうに蹴散らされてあっけなくグアテマラに入られてしまった。群衆は更に大きくなって海に沿ってメヒコを目指しメヒコとの国境で今度はメヒコの警官隊と睨み合いになったが、移民達も疲れ、風邪をひき元気が出ないので少し休んだが、その中の元気のまだある者が橋を降りて川を渡り、とうとうメヒコに入ってしまった。メヒコの大統領はアメリカの大統領に援助を打ち切るぞと脅されて少し頑張る姿勢を見せたがダメだ。メヒコに入った移民は今度はアメリカ国境を目指すが道は遠く、暑くてやりきれない。山に向かえば寒くなるので暖かいオンドゥーラスの人では皆風邪をひいてしまうだろう。そんなことを思っている間に群はどんどんと膨れ上がってとんでもない数になりだした。ついに催涙弾が炸裂して皆が涙目になっているニュースを見る。おとなしく行進していたようだけれど少し心配でもある。中米の国々ではどの国も貧乏であったり、悪人がいたりして代わり映えしないのだけど、自分の国が大好きで地元に家を建てたい一心で夢の国に向かう。途中で力つきる者、騙されてオロオロする者、上手くいく者がいて夢がある。

庭のアリが引越しをしている。隊列をキチンと組んで各々が大事に卵を運んでいるので赤黒い中に白いつぶつぶがユラユラとしていて気持ち悪い。お湯を沸かしてかけるとあっという間に隊列は煮えてしまった。念を入れて引越し先の穴にも湯を注ぐ。シンと静まり返った穴をしばらく見ていたが何も起きないので、隊列の最後尾を見に行ったが、あれほどいたヤツらはすでにどこかへ行ってしまった後であった。夢破れた者の末路はいつも悲しい。

友人がやってきてセビチェを食べたいと言う。急ぎこしらえた。手伝っていたアナが我慢できずに試食したいと言うので食わせる。なぜこのように作れるのだ、どこで覚えたのだと言う。しばらく考えるが思い当たらない。セビチェはペールーの料理でシンプルだけれど美味しい。この辺りではサルサにウスターソースを混ぜているので黒っぽい色合いのものが普通。てっきりそれを食べ慣れているのであろうと思っていたけれど、そうではないらしい。さらに食べたそうにしているので、いかんとたしなめる。コレを全部客に出すのか客は一人であろうと食い下がる。あまりに食べたそうにしているので、夜に作ってやるので食べに来るがよいと言うと、セビチェは夜は食べてはいけない。夜に食べるときっと腹が痛くなるのだと悲しそうに言う。なぜだと聞くと、そういう風に言われてるからだとサラリと答えた。やってきた友人に聞くと彼もまた夜は食べないと言う。腹が痛くなるのだと同じことを言ったがビールを6本飲みながら全て平らげてしまった。それにしてもあのような簡単な食事をなぜあそこまで喜んで食べるのかがわからない。たしかに美味しいものではあるけれどもう少し他にもあるだろうに。

スセリーが遅刻してやってきた。訳を言え、面白い言い訳なら聞いてやると言うと、酔っ払いに絡まれていたとつまらない言い訳であったので仕事に取りかかれ、丁寧にやれとたしなめた。仕事の後に食事をさせても帰ろうとしない。どうしたのだと聞くと今日は学校がない。コーヒーゼリーは作らないのかと言うので、それならばそこのコーヒーを使って作れと言ってやる。コレはいつ食べられるのだと聞くのので1時間後には大丈夫であろうと言うと、「待つ」と答えるので買い物に行って来るので留守番をしていろと言い残し出かける。食材を揃えるついでにクリームチーズを買う。戻り、スセリーに見せるとニッコリと笑い、チーズケーキを作るのかと嬉しそうにしている。今日はお前がすべて作るのだ。教えた通りにやってみろ。スセリーはそそくさと作り出す。わからなかったり自信がないところにくるとこちらを見ているので教えてやる。やはりこうした事をやるのは楽しいのであろう。冷やしている間にオムライスをこしらえてやった。うーんうーんと言いながらあっという間に平らげると腹が苦しくなり帯を緩めている。今日はどうしたものかやけに素直で可愛らしい。アナがやって来ると今日は自分がケーキを作ったと自慢している。アナはひゃーひゃーと言っていたが家の手伝いがあるので一旦帰った。出来上がったデザートを一人で半分ほども食べてしまったが用事があるのでコレで帰ると言いやっと帰って行った。入れ替わりにアナがやってきてケーキをくれとせがむので出してやる。美味しい美味しいと言いながらこちらもよく食べよく笑い帰っていった。彼女達には変な遠慮がなく、思ったことを素直にぶつけてくる。それは僕にとってととも心地がよく毎日の楽しみの一つとなっている。

サンペドロにいるとまるでタイムスリップしたような感覚になる事がある。スセリーやアナを見ている時、まるで自分の両親が子供の時はこのようであったのであろうかと想像がムクムクと大きくなり、自分がまるでその親になったような気持ちになる。時期でいえば昭和20年代か30年代にいるような感じ。彼女達がこれから過ごす未来から僕は何かの拍子で迷い込んでしまったようだ。

ショッピングモールに入ると「見て、ものすごく長いエスカレーターがある!」「あっちにはエレベーターがあるー全部透き通ってる!」と騒いでいる。エスカレーターの前まで来ると「なんだか怖い」ともたりもたりとしている。アナはスセリーに一緒に乗ろうと言っているけれども、スセリーが「あー待って待って触らないで、今乗るから」と意を決して踏み出した。すぐに後ろ足を引き寄せ「アイー」と身悶えしているのを見て僕は笑ってしまった。すぐに初めてエスカレターに乗ると言うのはこう言った気持ちであったのかと驚いた。エレベーターに乗るときもしかり、もたもたしていて閉まり始めたドアに挟まれたスセリーはブギャと叫び声をあげながら慌てて箱の中に逃げ込む、ドアが閉まり僕が乗り遅れると中で2人が金切声をあげているのが聞こえる。僕は可笑しくて可笑しくて仕方ない。下に降りると2人はVRの体験コーナーの前で不思議そうに眺めていて、僕に「ヒデキ、これはなんだ」と聞いてくる。箱メガネのような映写機をつけて妙な動きをしている体験者がよほど不思議なのであろう。「やりたい」と言うが映画が始まるのでダメだと言うと膨れっ面をして物欲しそうに機械をながめている。

映画館に入り、ポップコーン、ジュースを買う。席に座りジュースをドリンクホルダーに入れてやり、座らせる。すぐにポップコーンをよこせと騒ぐのでホルダーにさしてやると「スックリ!(まじかよ)ひっくり返らないのか」と驚いている。こんな当たり前のことに驚く彼女達が可愛らしくて仕方がない。予告編が始まるとスセリーがいきなり携帯電話でスクリーンに映っているものを撮り出した。ビックリして「スセリーダメだと」と言うと「どうしてだ」と怒る。僕はそりゃそうだろうなぁと思いながら、映画館では映画が始まったら携帯は電源を切るのだと諭す。スセリーは納得できずにもたもたとしているが、やがてスクリーンに注意事項が映し出されると、ようやく理解できたようだ。なにせ2人とも映画館に来たのも初めて、観るのも初めてなのだ。アナはこれから始まる恐怖映画が怖くて仕方がない。となりで「どうしようどうしよう」と言っている。始まる前から怖くて仕方がないのだ。「大丈夫だから心配するな」と声をかけてやる。さっきまで大丈夫だと言っていたスセリーもジャンパーの中に顔を隠している。僕は2人が心配になって来た。途中で逃げ出したり、大声で叫び声をあげるのではないかと気になって映画どころではない。恐怖を紛らわすかのようにポップコーンに手を伸ばし、もっとよこせと催促してくる。僕の腿はあっという間にポップコーンの食べかすだらけになってしまった。

8ヶ月も文句を言わずに働いてくれた2人を映画館へ連れて行ったのだけれど、僕の想像のはるか上をいく2人の挙動に僕は振り回されながらも、終始僕は新鮮な驚きと尽きない興味を味わせてもらった。見るものすべてが珍しく、何時間あっても足りないほどの好奇心が2人から溢れていた。ホテルへ戻ると2人は僕の携帯を持ってさっさと部屋へ行き、何百枚もの写真を眺めて1日を振り返って夜遅くまで楽しんだそうだ。アナは映画が怖くて一人で寝る事ができずにスセリーのベッドに潜り込み、二人で抱き合って寝たのだと朝食の時に楽しそうに話してくれた。

たった1日の小旅行ではあったけれども、僕には久しぶりに楽しい思い出となった。まるで復興期に集団就職のためにやって来た少年少女達を目の当たりにしているような妙な錯覚が止む事がなかった。僕は確かにタイムスリップを経験した。

日々雑思 ある女の話 ある男の話

ある女の話

うちに来たCが言う。昨日、女が泣きながらメルカドでオロオロしていた。訳を聞くと金がない。食べ物が買えない。子供に何も買ってやれない。旦那がすべて呑んでしまったそうだ。
女は小さな畑を持ち、旦那と野菜を作り、ずいぶんと育った。よく実り、売り手も決まった。これまで草取りや、土返し、肥料もくれてきた。たいへんだったが売れることを楽しみにしていた。ところが旦那は女房の知らないところで金を受け取るとその足で飲みに行ってしまった。女房が気が付いた時は全て酒に消えていた。食べ物や子供の物を買うプランがあったがすべてダメになってしまった。女房はフラフラと去ったと言う。

週末になると村の男はいそいそと飲みに行く。稼いだ金が入るのだ。土曜日の朝には正体不明となって道に転がってる。稼いだ者は仲間にたかられる。稼がなかった者は親しげに近づきおべんちゃらを言って一杯の情けを乞う。ケツアルテカはグアテマラの安ラム。透明の酒瓶に描かれた女はおそらくグアテマラ一の悪女であろう。安く、強く、すぐに酔える、男をダメにする。金が尽きた酔っ払いとすれ違うと決まって「アミーゴ1ケツくれー、ビールをくれー」と媚びてくる。ある者はカミさんと子供が迎えに来て引きずるように連れて帰る。ある者はズボンから尻をはみ出させて道端で寝る。明け方に家に戻る男も、家中の窓を開けて大音量で音楽を流し、大声で叫ぶ。娘の部屋に転がり込み、大いびきで寝てしまう。

女房が金を家に入れてくれと頼むと、怒鳴り、叩いて、突き飛ばす。罵声を上げ、悪態の限りをついて何処かへ消えてしまう。村の女は皆怖がっている。別れてしまえばよかろうがと言うと。暮らすことが出来ない。子供があれば我慢するしかないと言う。それならば実家に帰ればよかろうがと言うのだけれど、実家は父が帰って来る事を許さない。他に行けと言われてしまうとにべもない。働いても金を入れない男と暮らすも母子で暮らすも同じではないかと思うのだけれどその様な思いには至らないのが不思議だ。
Cの旦那も以前は酒を飲み、家のことをせず、子供の世話も焼かなかったが、女が強く言うと酒は飲まなくなったが家事はやらないまま。手があるのだから手伝えと言っても俺の手は皿を洗うための手ではないと言うだけで何もしない。無教養が悪いのだ。ここの男は皆、学ばないで女の尻ばかり追いかけている。女は吐き出す様に、思いの丈を伝えているように言ったきり黙ってしまった。うっすらと膜が張ったような目で彼方を見てから、また来ると言って帰っていった。教育の無いものが教育の事を語ると決まって片手落ちとなる。自らのことは棚に上げ、必ず人のせいにする。人は逃げ道がないと生きていけないのだ。女もまた男に逃げる現実は1つの逃げ道なのであろう。

ある男の話

知り合いが他に女を作ってよろしくやっているところを家族に踏み込まれて修羅場となる。旦那は必死に抵抗したが風呂場に隠れていた素っ裸の愛人が見つかり万事休すの運びとなった。それでも女房は神と家族に謝れば許すと言ったが旦那は引っ込みがつかなくなり。しばらくして、朝早く荷物をまとめて隣村に住む愛人宅に去って行ってしまった。
後日、村で仕事をしている旦那に会う。どうだ?と聞くとまあまあだとだけ答えていた。一緒にいた客に事の次第を話すと、私ならどこか遠くに行ってしまいたいと言って呆れていた。

この村ではへぇよくある事で、子供までが知っているのにまるでなかったように、皆が大人のように振舞っている。愛人がその男の娘の友達であったり、その事を娘が友達から聞かされたりするのは少し信じ難いのだけれど、受け入れるしかない。男も大概だけれども女もしかり、自分から色仕掛けて金をせびる。法外な金をせびる。付き合いたいなら家を建てろと言われた大工の男は建材を買い、家を建てて始めるが金がない。建材屋を言いくるめたはいいが支払いができないので事が明るみになって、二進も三進もいかなくなり首をくくったが、運悪く死ぬ前に見つかり、病院送りとなった。グアテマラ人は自殺など絶対にしないのだろうと思っていたが彼らもまた人の子であった。また、やりたいなら400ケツ払えと言われた男は、やりたい一心で銀行に行き、金を借りて、腰を振り続けているうちに借金が雪だるまのように膨らみ家を失った。1日に良くて70ケツ程しか稼げないくせに、なぜそのように狂ってしまうのか、よほど女は床上手であったのか、数の子かミミズでも飼っていたのか。一度、一戦交えてみたい気持ちもしないでもない。

道端で行商をしている女衆も、男から言い寄られるそうだ。こんな所で商売をしていて恥ずかしくないのか、他のもっと良い場所で違うものを売ってはどうかと言われると言う。大した稼ぎにならなくても商いが好きな女衆は毎日のやうに同じ場所で同じ物を売っている。たまに犬と散歩出かけるとホッコリ、スッキリした顔つきで向こうから見知った顔の女が知らない男と歩いて来るのに出くわすことがある。はて、どこで見た顔かと考え、あぁ、あそこでアレを売っていた女だと気がつく。道端で見る時とは違って少し若返って見えるのは気のせいではなかろう。

最近、女衆から「お前には女が必要であろう。自分で見つけられないのか、紹介してやるから会ってみるか」と言われることが多くなった気がする。先日道で会った以前世話になっていた家の女房に「お前もすでに半分はここの人間になったな」と言われた時、ちょっと嬉しくなったが、すぐに残りの半分のことが気になり、途端、背中に寒気がして二の腕が鳥の肌のように泡立ってしまった。「当面は半人前でいい」と言ってそそくさと退散した。この村の衆は気はいいが、老いも若きもいささか思慮に欠けるところがあって、どの様に付き合えばいいのかとほとほと困るところがある。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ川のどんぐりとも言うが、もう少しの間、もがき苦しんで瀬に飲まれ溺れ死んでしまう方が幸せかもしれない。

日々雑思 パーティ

パーティ

グアテマラ人女性のパーティ。うちの宿で催す運びとなり、当日は朝から準備に追われる。午後からスセリーとアナがやって来て手伝う。2人がそろうとお喋りばかりでなかなか思うようにコトが運ばないのだけれど、案の定今日もどうにもいけない。それでも時間までにはなんとか間に合い、ぞくぞくと客がやって来始める。アナがそわそわしている。どうしたと聞くと家に戻ってもいいかと言う。どうしたのだと再度聞く。「着替えたい、髪をとかしてから来たい」と言うのでピンときた。そう言えばスセリーは珍しくお洒落な民族衣装を着ているし、やってくる客もめかし込んでいる。アナは自分が普段着である事が恥ずかしくなってしまったのだ。「いそげ」と言うと飛んで帰った。戻って来たアナはこれまで見たこともない立派な民族衣姿となり、髪も良く整えてある。なるほどと膝を打ちたくなった。

普段はおとなしく、慎ましくいるグアテマラの女性たちも、いざ女性だけの集いとなれば一世一代のめかしこみをして臨のだ。独身も既婚も子持ちも子無しも関係なく集いを楽しみにしていたのだ。キャイキャイとよくはしゃぎ、酒もないのによく話、よく笑い、よく体を振り回して楽しんでいる。エロ話も旦那の愚痴も、恋人の話も全部ぶちまけてのストレス発散の場となった。そんな場に相応しくないとアナは感じたのだ。スセリーは知っていたのかと感心した。歳は1つ違いでもそうしたことに敏感な娘もあればそうでない娘もいるのは日本となんら変わりない。
スセリーとアナはそんな雰囲気にのまれてしまい少し萎縮している。3階にあがるのが恐いと言いだす。3階に置き忘れたコップを持って来いと言うとスッと行くのだけれど直ぐに戻って来て無かったとモジモジしている。彼女たちの迫力に負けて目の前にあるものも見えなくなっているようだ。仕方なく取りに行くとあっという間に質問ぜめに合い、タジタジとなってしまった。これでは彼女たちでは形も無しであろうと合点がいった。

いつもはタンクトップにぶっとい身体を押し込んでピッチピッチでいる彼女たちも民族衣装を身にまとうといつもとは全く違った雰囲気になり、しとやかに見える。年齢の話になったときに再び驚く。おばさんだと思っていた彼女達は客よりずっと若いことを知る。どもにもグアテマラ人の年齢はわかりずらくていけない。一体いつからあのように急激な老化が始まるのであろうか。少し見ない間にあっと驚くほど体がデカくなり急激に歳をとる。誰だか見分けがつかなくなってしまう。ついこの間まで働いていた女中もふたまわりほど大きくなっていて驚いた。民族衣装はそんな彼女たちが着るととてもよく似あって見える。通りで見かけた時、二度見してしまった。たった数ヶ月だというのに。

パーティにはホームスティをやっている女将もやって来ていて、レシピを根掘り葉掘り聞いてくる。自分の所でも日本食を出したいと言う。レシピを教えると喜んでいた。後日、スーパーでバッタリと会う。このあいだの調味料はどれとどれだだと聞くので教えてやる。これで出来るのかと聞くので詳しく教えてやった。どうせ同じ味は出せないのだ。料理とはそういうものなのだ。これまで何度かよく教えてやったが、いずれもうまく出来ないと嘆いていた。グアテマラ人は鼻はいいが舌はバカなのだ。目も耳も節穴だから食材の声が聞こえないのだ。千切りのキャベツを見せるとどの機械を使ったのだと言う。手だと言うと信じない。見せてやるとお前の手はすごいと驚く。包丁を見せてやると驚いている。怖くて使えないと言う。調理するのを見せてやるとやりたいと言うが出来ない。衣食住は生きていく上での基本中の基本であろうに、ないがしろにしているからその様な体たらくとなるのだ。出直してくるがよろし。

ある日、朝から雨の音で目覚める。朝早くのボートに乗る客の事を思う。かわいそうに雨の出発かと気の毒になる。降りて茶を沸かし弁当をこしらえてやった。いつもは言わないのに、ダメだったら戻っておいでと声をかけてから驚く。なぜその様なことを言ったのだろう。他の客に朝食を出している時に扉が開いた。出発した客が戻って来た。メキシコで集会がありバスが通れないので今日はダメだと言われたと言う。寒そうなので温かな食事を出してやる。ボートのチケットを使ってしまったので、ツーリストオフィスへ行き、明日の確約とボートチケットを再度もらってやるととても喜んでいた。雨季の終わりは雨が強くなるので天気予報を見ると台風が来ていた。どおりで。客が近くの村に行きたいと言うが雨だからやめておけと言う。諦めきれない様子なので女中のスセリーに雨は止むかと聞く。スセリーは「見ろ、あそこが見えない。雨だ。今日はダメだ」と言う。客もそれを聞き諦めた。雨のせいでネットも切れたので皆、おもいおもいに過ごしている。かわいそうであったのでチーズケーキを作ってやった。生と焼きの両方を作る。生は今回初めてであったけれど前々からよく考えていたので良い仕上がりとなった。女中のアナも欲しがったが、来なかったので全部食べてしまった。

日々雑思

ある日、風の音で目覚める。近所の建てつけの悪いトタンがあおられて音を立てている。湖からやって来る風は季節を運ぶ。2〜3日は強い風が続く。なぜか山の上に張り付く雲は動くことがなく、低い場所だけを風がなでている。

カフェで勉強をしていると隣のドーラから電話がかかってきて「どこにいるのだ、客が待っている」と言う。戻り、部屋を準備した。飛び込みの日本人客は珍しい。この所問い合わせもないのでてっきり今日も客は来ないのだと思っていたがひょっこりと現れた。女中のアナがやってきて良かったなぁと慰められる。
客がネットに繋がらないと言う。確かめるとネットが切れていた。ネット屋に電話すると風のせいだ、明日直ると言う。いつものことなので客に「ネットはない。諦めろ」と伝える。ネットカフェを教えろと言うので連れて行く。1時間ほどしてスッキリとした顔で戻ってきた。雨季の終わりは停電やネットの切断など問題が起きるので嫌だ。日本ではニュースになる事もここでは普通なのだ。

夜、いつものようにズンバに行くと「今週末にミーティングを開きたい。お前のところはレストランであろう。よいか」と言うので「よい」と答えるとメニューを見せろと言う。メニューなどないのだけれど仕方ないので急ぎメニューをこしらえる。皆に見せると予想以上の人数となった。客にパーティを開くのでうるさいが構わないかと聞くと構わないと言うので引き受けた。最近は宿泊客があまり来ないので、こうした地元の客も大切にしながら生きながらえている。料理も好評で不味いと言われることもない。

客の中には、こだわりの強い者がいて京都ではこの素材はこの様に使う、こんな使い方はしないと箸もつけない輩がいるので、和食を出すこともメッキリ減らしたが、地元の者や外国の者は美味しいと言ってくれる。それは当然のことであって、文句を言う客が正しいのだ。ここは日本ではないので、そこで日本人に和食を出すことが間違っていたのだ。グアテマラに来ているのであるから、グアテマラ料理を楽しんでもらうべきなのだ。外国の人や地元の人にとってはいい経験でも日本人には無用の気遣いであった。こんな簡単な事に気がつくまで2年近くかかってしまうとは呆れたものだ。そもそも旅人に故郷の味など必要がないのであろう。世界を観に出ているのであるから、そこの物を食するのが当然の事なのだ。よくよく反省をした。

ドーラが冷蔵庫に入れてあったタマーレスを取りに来た。タマーレスはグアテマラの食べ物の1つ。トウモロコシの粉を練って、中に鶏肉とトマトソースを入れ蒸したもの。「せっかく作ったのに子供達は食べない。嫌になる」と愚痴っている。ヒデキ食べないかと言うので腹は満ちていると言うと1つ置いていった。あの様な物を好き好んで食べるわけもなかろうに思うのだけど。そういえば子供の頃、オヤキを出されることがあった。栃餅を出されることがあった。食べずにいると母がこんなに美味しいのにと文句を言いながら一人で食べていた。しばらくしてオヤキは残ったが栃餅を見ることはなくなってしまった。より美味しい物が出てくれば、昔の味は廃れてゆくのであろう。この辺の年寄りたちは新しいものはまるで口にしない者もあり、まだまだ古き習慣が残るが、ゆくゆくは消えてゆくのであろうか。

夕方、ネット屋が来て喜べと言う。なにを喜ぶと言うのだと思っているとネット会社を変更した、アメリカの会社だ、よりマシになると得意そうに言う。そそくさと設定をし直して繋げてみろと言う。速度が落ちているではないかと文句を言うと。安定性が増したのだと力説する。いずれにしても他の選択肢がないので様子を見る事にした。これまでも随分とネットには泣かされてきたので、げんなりしてしまう。翌朝、もう一度計ると村で1番の速度となっていた。びっくりしてもう一度計り直すが速い。とは言っても他国とは比べものにならないので、宿にはネットはないとこの文を読める人には言っておく。あるにはあるがオマケ。サービスでもなければ設備でもない。くれぐれも仕事で使おうなどと思ったり、大容量のデータ送信をしようなどとゆめゆめ思われるな。

日々雑思  キャンタマティーが飲みたい

客がすべて去り、穏やかな時間が戻る。のんびりとスペイン語でもと思っていた矢先に友人から茶を飲みたいと言われる。
「ヒデキ、茶が飲みたい。オレンジティーオリエンタルを淹れられるか」
「オレンジティーオリエンタルとはなんだ?沢山種類がある、いくつかは淹れてやれるがどんなのが飲みたいのだ。冷たいやつもある。クリームを添えたのもある。なにがいいのだ」
「お前に任せる。後で行く」

メルカドへ行き、オレンジ、レモン、リンゴ、モモを買う。キウイが欲しかったがなかったのでリンゴとモモで代用とした。途中店に寄りティーポットとゼリーに使う器を買う。ゼリーに使う器はガラスで足の付いたワイングラスをうんと平たくしたやつ。ホコリまみれだったので負けてもらう。

戻り、はてどうしたものかと思案する。普通の紅茶、黒紅茶、オレンジペコのいずれを使ったものか、甘みはガムシロ、地蜂の蜂蜜、普通の蜂蜜にしたものかと悩み、オレンジペコ、地蜂の蜂蜜に決める。薄く切った果物をポットに入れ、熱い紅茶を注ぐ、地蜂の蜂蜜をそっと流し込み底に溜まるようにして最後にオレンジの輪切りをポットの縁に洒落た感じに引っ掛けた。
先日、試しに作ったコーヒーゼリーを器に入れ、ガムシロ、クリームをかけミントの葉を乗せて合わせ出す。

「コレはなんだ」
「ヘラティーナ デ カフェ(ゼラチンコーヒー)だ」
一口食べて目を見開いてこちらを見る
「…」
更に一口食べ
「だいすきだコレ、どうやって作った。こんなの初めて食べた」
「そうかそれは良かった、黙って食え、紅茶はどうだ」
「紅茶も美味い。完璧だ。お前の作るものはいつもすごい。レストランはやらぁないのか」
「ありがとう、世辞はいいから飲め、レストランはやらん。同じ物を毎日作るのは嫌だ」
「ヒデキ、1つ質問がある」
モジモジしながらこちらを見ている。
「そのぉ、セクシュアルに効くお茶か食べ物を知らないか」
「はぁなんだそれは健康と言うことか、それとも女か」
「そのぉ、最近ちょっと…若い時は、1日4〜5回は自分で出来たんだけど、最近ちょっと…」
「4〜5回!お水取りをか!すげーなお前」
「だからそのぉ、そんなのがあればと」
「バイアグラでもつかっていろ」
「あーアレはあかん、アレはそれだろそのぉ15分程で効いてくるじゃ、そうではなくいつでもスタンバイ出来てる状態でいたいのだ。ナトゥラルでなければダメだ」
「あー、わかった。内臓を食え内臓はあっちにいいぞ」
「内臓かぁ、お前は作れるのか」
「作ってやる、モツ煮だ」
「それはうまいのか、効くのか」
「よいかお主、俺たちは肉体と精神から出来ておる、バランスがよくよく大切なのだ、2つは別々の物に見えるが関係しているのだから気持ちをしっかりと持つことが肝要だ」
「なるほど、気持ちもわかった。ところでやりすぎるとバカになるのか」
「バカにはならぬ。ただ赤い玉が出たら終いだ。諦めろ」
「お前は出たのか」
「いや、まだ出とらん」
「バカになるのは嫌だが俺は好きなんだ」
「好きなようにやれ。そうだマカを知っているか」
「それはなんだ、良いのか、日本にあるのか、スペイン語ではなんというのだ」
「マカはスペイン語であろうが、たしかペルーだ」
「それはどこで買えるのだ、ここにあるのか」
「ここにはない、パナハチェルへ行け、そこにあるやもしれぬ」
「パナか、そこにあるのか」
「多分、でもグアテマラシティならあるであろう」
「あーアソコならな、そう言えば腹が減った、何かないか」
「何が食いたいのだ」
「何があるのだ」
「お好み焼きを作ってやる。それを食ったら帰れ」
「それはアレに効くのか」
「気の持ちようだと申しておる、それでよいか」

こんな会話をするのはなん年ぶりか、久しぶりに吹き出してしまった。そんな話が出来るような友達が出来、スペイン語で話せる事が不思議であるけれども、コレもまた良い練習でもある。”勃起”などと言う単語は学校では習えないし、女中とはとても出来ない会話だけれど、何故か心地よさが残った。男は馬鹿話、エロ話が好きなのだ。猫を被らずに話すのは気持ちがいい。ヤツとならこれまで謎であった数々の事も聞けるやもしれん。

彼とは犬の散歩に出かけた時に湖畔で出会った。家を教えるとやって来てランチをたまに食べるようになった。都会の出で、まだ若く、明るい。頭が良さそうだし、働き者のようだ。英語も少し話し、共通の友人もいる。また少しサンペドロに馴染んだのかもしれない。そういえば最近村のあちこちで声をかけられるようになり、立ち話をすることがしばしばある。こちらがおかしな言い方をしても理解してくれるのはよく知られる様になったのだと思うことにしている。

ズンバ会場にて
「今日はお前の娘はどうした」
「先日、娘ではないと言った」
「では、あの2人はなんだ」
「アミーガだ(友達だ)」
「では前に来た娘はお前のか」
「アレもアミーガだ」
「お前は何故若い娘を沢山連れて歩くのだ」
「宿をやっているのだと言ったであろう」

皆が皆同じ質問をする。何故なのだろうと思っていたが、噂話、恋愛話に飢えているのだと気がつく。

道端にて
「お前に聞きたいことがある」
「なんだ、言ってみろ」
「家の前に停めてあるのはお前のバイクか、うちの旦那が買いたいと言っている、いくらだ」
「アレは売り物ではない、売るとしても高い」
「いくらなら売るのだ」
「30万だ」
「まからんのか」
「まからん、諦めろ」
「…また聞くことにする」

なんでも欲しがり、すぐにいくらだと聞くのがここら辺りのやり方。いちいち腹を立てていたら身がもたない。馬鹿に強欲では神も救うわけもなかろうに。

スーパーにて
「猫はどうした」
「家だ」
「何故連れて来ぬのだ」
「既に育って大きくなったからだ」
「袋に入れてくればよかろう」
「袋よりも大きくなった」
「それでは新しい猫を見つけろ」

何故、その発想なのかがわからない。聞き間違えたかと思うことしばしば。こちらが予想しない会話をされてはスペイン語がわからないと勘違いをしてしまいそうだ。「お前も新しい男を見つけろ」と返すのが正しいのか。わからぬ。

投げて捨てる様な会話が好きだ。真っ直ぐに物を言う直接的なやりとりは、変に気を回さなくて良い。相手の腹をさぐるやり取りは疲れてしまう。ここでは一切の気遣いが無用なほど、他人が人の腹の中に手を突っ込んでさぐりまくる。気遣いなどと言うものは、いっそのことすべて捨ててしまってもいいのかもしれないと思えるほどこの国のこの場所は喜怒哀楽を持っている。民族衣装の彩りの様な複雑でいて調和がある不思議な感じ。
日曜日の朝メルカドの端に腰を下ろす。人々を眺めているだけでいい。声にならない音が匂いをもってやってくる。何十もの彩りが目に飛び込んでくる。青い匂い、黄色の匂い、赤い匂い、黒い匂いがまるで聞こえるようにやって来て刺激してやまない。手についた鶏の油をズボンで拭い立ち上がった。