日別アーカイブ: 2018/09/14

日々雑思 Bentoをつくる他

アナは土日にやってくる女中。向こうに住んでいる。以前姉の方が働いていたが、めんどくさがり屋で箸にも棒にもかからないおバカぶりだった。姉はまるで公衆便所のような女に成り下がり、取っ替え引っ替えオトコを漁っている。化粧もめっきり濃くなった。安物を使うのでたまに瞼が晴れ上がり益々安っぽい女に見える。夜な夜な家からほど近い小径で情事に及ぶので妹も呆れている。アナは姉とはまるで違い、勤勉で仕事も誠実にこなす。きっと姉がカスを一身に背負っていってくれたので、良いところだけが残ったのだろう。一度理解すればキチンと出来る珍しいタイプ。スセリーとは違い器量はないが可愛らしい。
ある日、「学校の課題で香水を作ることにした。ヒデキ、バラのエッセンスを売っているところを知らないか」と言うので旅行者通りにある自然食品の店に連れて行く。値段を聞いて驚いている。翌週「アレは高すぎて無理なので料理を作ることにした」と言っている。嫌な予感しかしないので無視していると「ヒデキ手伝ってくれ」と単刀直入に切り込んできた。「何が作りたいのだ」と答えてしまいまんまと罠にかかった。大抵の場合、罠にかかった虫は蜘蛛の糸に絡め取られて汁を吸われてカピカピにされてから捨てられるか、食べられてしまうことに決まっている。もうダメだと諦めた。スパゲティ、寿司、中華、マカロニサラダ、弁当を提案する。弁当にいたく興味を示している。「弁当がいい」と言う。「友達を隣村から呼ぶがいいか」と聞き、連絡をしている。「ヒデキ、友達が怖いから来れないと言っている」「外国人の家に来るのは怖いのだろう」「違うよ、人さらいが出るから怖いのだと言ってる」「どこで?ゲートが出来てからいなくなったのであろう」「隣村とそのまた隣村の間の道で2人さらわれた」「ここと隣村の間は大丈夫であろう」「私も毎日学校に行っているから大丈夫だと言っている、とにかく迎えに行ってくる」と言って出ていった。しばらくすると2人が現れた。

メニュー
牛そぼろご飯
鶏の照り焼き
ブロッコリーのマスタードマヨネーズ和え
粉ふきいもカレー風味
ほうれん草の胡麻和え
ピーマン、ソーセージ、ズッキーニのケチャップ炒め
ゆで卵

出来上がった物を試食する。「どうだ」「美味い」「なにか意見はあるか」「ない、これでいい。食べたことがないものしかない、きれいだ。コレを売ったら幾らでうる?」「誰にだ?」「ツーリストに」「50だ」「グアテマラ人には売るのか」「お前らには売らん」「なぜだ」「買えぬであろう、半額で売っても儲からんからお前らには売らぬ」
「他の仲間とも相談するので待ってくれ」と言う。「コレはお前らの課題であるのだから次回は指図はするが手は出さん。よく相談しろ。今日はタダで良い、帰れ」

親身になるとつけこんでくるので適度に突き放しておくことを既に学んであるので、良い人にはならない。アイツのコラソン(心)は黒いと言われているくらいでよろし。

所用でグアテマラシティへ出かける。今回はやたらと文字が目に飛び込んでくる。意味は忘れてしまったけれど一度聞いたことがあるもの。既に意味はわかっているが、こうして使うのかと感心させられるものが次々と焼き付いていくのが面白くてキョロキョロとしてしまう。やはり都会は文字で溢れているのだ。サンペドロにあるのは教会のスローガンばかりで面白みに欠ける。スペイン語に触れるということはこうした雑多な環境にあった方がいいのだと改めて思う。陸橋に書かれた高さ制限の文字、ファストフード店の客寄せの文字、役所のインフォメーション、バスの広告全てが新鮮であるけれど、なぜか外国にあることを感じさせない。タクシーに乗る。運転手との雑談もおきまりのことではあるけれど、話すスピードも気にならない。ぽんぽんと小気味よく会話ができるのであっという間に目的地についてしまった。先日きみちゃんから映画やドラマを2倍速で見るといいと聞いた。試しにレゲトンの曲を2倍速で聞いてみた。もちろん口は追いつかないのだけれど耳はしっかりと聞き取っていることに気がついた。バスの中でもイヤホンで曲をかけながら声を出さずに口ずさんでいると、となりにいるカップルがスマホに流れるビデオと見比べてこの外人歌えてるとちょっと驚いていた。いつものように乗ってくる物売り達の口上もこれまでとは違うように聞こえているので益々楽しい。果たして2倍速再生の成果なのかわからない。けれども新しいメソッドを手に入れたと喜ぶ。

マクドナルドに入る。今時のマクドナルドは注文すらカウンターでしなくてもいいようになっていてカウンター近くのモニターをタッチするだけで済んでしまうのに驚く。店員が哀れな外人を助けようと英語で話しかけてくる。スペイン語でどう使うのだと聞くと、すぐに切り替えてスペイン語で説明しだす。
「好きなものを選べ」
「どう選べはよいのだ」
「画面に触ればよい」
「コレはなんだ」
「野菜入りのスクランブルエッグとチーズとふにゃほら」
「値段がわからないではないか」
「こうするとわかるのだ」
「なるほど便利だな」
「コーヒーの大きさを選べ」
「どれほどの大きさなのだ」
「これこれしかじかになっておる」
「なるほどコレでよい、これで全部だ」
「では、ここを押せ、もう一度、もう一度」
とやりとりを終えるとレジで金を払えと案内された。初めて見る注文用機械に感心していたが、自分がまるで日本と同じ感覚で話していることに気がついた。

少しはやく用事が済んだので今回は早めに帰路に着いた。バスから見る車窓はまだ日が高く明るいのでよく見渡すことが出来る。高原に上がると一面にトウモロコシ畑が広がった。どこか間が抜けているように見えるのはアメリカの畑を見てしまったから。どこまでも手作業で行う農業とはこうしたものなのだと改めて感じる。機械はあるにはあるけれど、小さい。この広い土地にはあまりに非力なのだけれど、ないよりマシなのだ。次々と目に映る景色は新鮮で、知らないことが沢山あるのが嬉しい。標高2500を過ぎるあたりから人々のほっぺに赤みが増す。まるで違う民族を見ているような気になる。こうした所に住んでいる人々の笑顔はかわいい。あぁした笑顔になるには高い代償を払わなければいけないのだ。だからあの笑顔はいらない。

二日後、この村のチキンバスの運転手がシティーで撃ち殺された。バイクの一団に寄ってたかって撃たれた。他にも客と車掌が怪我をして病院送りとなった。死んだ運転手は近所の人。なぜ殺されたかと言うとみかじめ料を払わなかったから。通常こうしたバスの運転手はマフィアにお金を払って安全を買っている。たまに払わない者がいるとこうして殺されてしまう。大体、週に150ケツアルほど払えばよい。2000円くらいか。安いのだか高いのだかわからないが、ここでの人の命はそのくらいの値段なのだ。マフィアからすれば払わない者がいて皆が真似すると困ってしまう。次々と払わない者が出て来ては暮らしていけないので殺して見せしめにする。そうすれば他の者はおとなしく払う。サンペドロの者が殺されてしまったのは初めてだと声をひそめるように水屋のセニョールが教えてくれた。
良いも悪くもない。ここではそういうものなのだ。やった者は今頃教会で懺悔をして、胸をなで下ろしているに違いない。やられた者の家族もまた教会で天国へ行けるように祈って諦める。怪我をした者の家族もまた神に無事を感謝しているのだ。ただそれだけの事。折しも明後日は独立記念日。こうした祭り事が近くなるときは用心に越した事がない。もう一度グアテマラシティーへ行かなければならないので気が重い。次回は運転手の後ろに座るのはやめるか、みかじめ料を払っているか聞いてから決めることにする。