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日々雑思 雨季になる

暗くなるとポツリポツリと降り出し、遠くの方からトタンを強く叩く音があっというまに近づいて水浸しとなった。雨季に入る。ようやく庭の水やり作業から解放されホッとする。一気に草木が伸び始め、庭の緑は収拾がつかないほどに伸びてきた。季節の変わり目に庭木の剪定をする事を決めている。今週の初めからコツコツと片付けてきて、大きな袋に3個分のゴミが出た。菜園に新しいタネを蒔く。以前から何度も蒔いてはダメなシソを今回も蒔いた。ニラはふた畝分になるように株分けした。これでいつでも食べることができるようになりそうだ。メキシコから持ってきた一本の苗から随分と増えたものだと関心した。ほかにはオクラ、ごほう、メキシコのヒカマと言うナシのような食感の野菜も蒔く。コンポストで作った堆肥も随分とこなれてきたので拡張した畑に入れていく。土が足りないのであと一年くらいはかかるかもしれないが、ここではこうした時間の過ごし方がいい。ミミズがたくさんいる柔らかな土の匂いが鼻の奥をくすぐった。土をいじっているとなぜか心が落ち着いて、なにも考えることがない。良いことも嫌なこともなく、自分の手から伝わるモコモコとした感触と湿り気がただただ心地良い。少し休憩と思い立ち上がるとクラクラと立ちくらみがした。額ににじんだ汗を拭き、テラスで休む。掘り返した土はひんやりとして心地よいのか犬のカフェが早速陣取ってお腹をペタリとつけている。
玄関先の排水路を整備する。雨季の始まりと終わりに大雨が来るので水捌けを良くしておかないと庭が水浸しとなってしまう。雨どいを掃除してから水路に溜まった土を除ける。今年はレイアウトを変えて上手く水を誘導できるようにした。
仕事に来たセシーが庭草と低木を分けてくれというので株分けしてやった。

このふたつきほど予約もなく客もほとんど来ない。女中のセシーに心配されるほど客が少ない。去年の宿帳を見ると20人程は来ていたが今年はいよいよもっていけない。コレはダメだと早々に見切りをつけてスペイン語の勉強をひたすらやっているのだけれど、こちらもまたいけない。さすがに歳なのかと思いたくもなる。本を読むと辞書を片手にではあるけれどなんとなく読めている。言いたいこともだいぶ言えている。それでも、なにかが心に引っかかってしまって納得がいかない。一言で言い表せば、上達が見えない。文法は頭では理解できているようで、考えればなんとかなる。練習が足りない事も承知。なにせ1日中家に閉じこもっているのだから。朝のいっとき、女中のセシーとの会話が1日の唯一の会話。あとはひたすら黙りこくるしかない。1人で居ることがまったく苦痛にならない事もいけない。口を開くとロクなことにならないことがわかっているだけに厄介なのだ。本を書き写し読む。わからない単語を書き出して調べる。調べたところで使う機会がないので覚えることもままならない。モヤモヤが溜まり余計に話したくなくなる。人の話を聞こうとネットで片端から見ていく。意味を忘れてはいても聞き覚えのある単語がずいぶんとあって、ほーとかうーとか言っているうちに夕方になってしまった。

ZUMBAを踊り始めて半年程になった。こちらは上達著しく、この歳になって踊れるようになるとは思わなかっただけに楽しくて仕方がない。先日、踊っている時に左肩を痛めてしまい、しつこい痛みがなかなか取れない。はて、コレはもしや50肩というやつかと憂鬱な気持ちになる。メキシコで買ってきてもらった薬を塗りつつ踊りは欠かさずに通っている。雨季になり湿気が増し、気温が上がったせいで最近は疲れが早く出てしまう。見渡しても誰一人疲れていない。

ここでも歳のことが頭によぎる。考えてみれば諸先輩方がボヤいていたことがことごとく当てはまり出していることに気がついた。となるとこの先は終点に向かってラストスパートになるのだけれど、もう少し争ってみたい気もする。先日見た日本のニュースで中高年の引きこもりが実は大変な数となっていて孤独死の大半がこうした人達であるように書いてあった。誰も来ない宿であっても掃除は欠かさず、庭の手入れもきちんとしている。生活も規則正しく、荒れ果てるに任せる事もない。ゴミも捨てている。三度の食事もキチンと作る。客が居ないので気持ちも穏やかで、ささくれ立つ事もない。自分の好きなことに打ち込める環境があり、犬も良く懐いている。大丈夫だと1人呟いたところでブルッときた。得体の知れない悪寒が首筋を舐めた。急き立てられるように部屋の片づけをして気持ちを紛らわす。まだ遠くにあるけれどヒタヒタと近づいてくるお迎えの足音が聞こえた気がした。それは旅立ちへの怖さではなく生きている痕跡を残してしまうことへの恐れ。たいして所持品はないが粗相のないように、いつでもいいよう決まって整えておかねばならない。人々の記憶に残らないように、常に忘れ去られた存在であるように、人様に心配をかけぬように心がけねばと戒めた。別に変な願望があるわけでもないが、若い時からこのように考えてきた。それが現実味を帯びる齢となっただけのこと。それは楽しみでもあり、きちんと向き合えるようになりたいとの願望でもある。

日々雑思 穏やかな日々

セマナサンタが終わり、村は再び静けさを取り戻す。皆、気が抜けたように呆けていて、観光客の居ない通りに居るものも魂が抜けてしまったように座り込んでいる。観光客が来ないと嘆いた者もすでに諦めてなにも言わなくなる。取り立てて見るべきものもない村なのだから、この位でちょうど良いのだと思うようにしてから、ずいぶんと楽になった。予想以上に客はなく、スペイン語の留学をしている殿方が居なければとっくに宿を閉めてしまい、出稼ぎにでも出るのだけれど、そういう訳にもいかないので、一日中家に閉じこもりスペイン語を勉強して過ごしているうちに月末となってしまった。

あまり人と話す事が得意ではないのに丸2年も見知らぬ人と話してきたのだからそろそろ本来の自分に戻って雨季が終わるまで過ごすのもいいものかもしれない。女中のセシリアが「客と話してないのかと」聞いてくる。「話していない」と答えるとビックリした顔をしているので「客もまったく話さないのだから構わないのだ、邪魔をするものではない」と説明する。「食事の時も話さないのか、一緒に食べないのか」とたたみかけるので「話さないが一緒には食べている」と言うと、呆れた顔となる。「他の予約はないのか」と質問を変える。「ない」と一言だけ答えると「断っているのであろう、受け入れなければダメだ」と訴える。「断ってはいない。本当に何もないのだから仕方がない。少し勉強に付き合え」と話題を変えた。

勉強をしている時セシリアが「この本を貸してくれ」と言い出す。どうしたのかと顔を見ると「私はスペイン語を知らない。少し勉強しなければダメだ」と真顔で言い出す。「ここの村はボキャブラリーが少ないと言われているよ。普段マヤ語なのだから仕方ないだろう。メキシコや都会に行くとよくわかるんだ」「私は学校を休んでから普段スペイン語を使わなくなってしまった。知らない単語が沢山ある。この本の中にもある。ヒデキに質問されて説明出来ない。もちろん意味はわかるけど使ったことのない言葉がある。だから貸してくれ」「持っていけ」やりとりを終えて、ここまで来たかと息をついた。最近は見たことがない単語が少なくなってきた。まだうる覚えではあるけれど一度や二度は見た事のある単語ばかりとなっている。耳も良くなり口も良くなった。大抵のことは通じるし、聞き取りも出来る。でもなぜかバカっぽさを感じてしまうのは何故だろうか。英語では見えなかった領域に入った感はある。皆一度は通る道なのかもしれない。日本では月が変わると時代が変わるのだ。新しい時代の幕開けとなり、自分のスペイン語にも維新があるのだろうか。時代の遺物となって忘れられたこの宿のように、スペイン語も腐り果てていくのであろうか。もうすぐ雨季がやってくる。

毎晩夜になると同じ時間に同じ場所で同じ姿勢で止まっているクモが出る。自分の部屋なのでなんとなくそのままにしておいてやる。机の上の壁に張り付いて、朝にはどこかへ居なくなってしまう。よく見る。複眼が赤っぽく光ってこちらを見ているようだ。ザクロのようなその目の中には何人もの自分がいるのだ。こちらのことなど、なんでも見通しているかのような目玉が急に光りを失ってポトリと机の上に落ちた。腹を上にして弱々しく脚を動かしていたがやがて自分のことを抱え込むように縮こまり、動かなくなった。紙でくるみ捨てる。

庭に水やりをする。フランス女が植えたトマトはずいぶんと育っていて、その根元にガマガエルが住み着いた。水が嫌いなのかいつも決まって壁の方に逃げる。よじ登って向こう側へ行きたそうにしているのでホースのノズルを絞って勢いよくカエルの背中に当ててやる。水に無理やり押されるように下に落ちた。上から覗くとこちら側を向いて恨めしそうな目で見上げている。ガラス玉のような目を2、3度瞬いてから乾いた土の方にのそりのそりと歩いて行ってしまった。カエルの去った方にホースで水を撒き散らしてやった。

昼間ベランダで本を読む読んでいると、カフェが連れてきたのかノミが足元にいる。サンダルで潰してやろうと踏んづけるがピンと飛び跳ねるのでライターで炙るとたわいもなく動かなくなった。雨季の前は増えるので念入りに掃除をするが、ああした連中は数で生き残りを図るので殺虫剤を撒いておく。ベランダの下にも撒こうと潜ると知らない子猫が死んでいた。鳥につつかれたのか目玉が穴のようにくりぬけている。まだ腐っていないので昨夜か今朝に死んだのであろう。どおりでカフェが朝方に鳴いていたのかと合点がいった。ビニール袋に入れてゴミ屋に出してしまう。猫もまた最近あちこちに増えている。夜中にギャーと悲鳴がするのは野良犬にやられてしまっているのだろう。

買い物の帰り、前を女が2人急ぎ足で行く。何を急いでいるのかと見ていると、道の向こうの家からもう1人の女が何をしているのだと金切り声をあげて飛び出してきた。見る見るうちに怒った顔は泣き顔になり、もう死んでしまったと言っている。翌日、葬式が開かれた。この前まで遊んでいた子供だった。家の前を通るとオーイオーイとまるで人を呼んでいるかのように泣いている女の声が聞こえてきた。数日後、家の前を通ると中からは笑い声が聞こえてきた。ここの者は強いのだ。そうでないと暮らしていけないのだ。夜、いつものように教会から聞こえてくる下手な歌声が少ししみた。

夜、客とカレーを食べる。いただきますと言ったきり黙ったまま食べる。セシリアが居たらどんな顔をするのであろうか。食べ終えて客が小さな声でご馳走さまでしたと呟く。お粗末様でしたと答えて終い。客は部屋に戻り、自分は皿を洗う。しんと静まり返った台所でコーヒーを淹れた。今日もまた穏やかな1日であった。

日々雑思 明日を見ない者達

隣の婆さんが金をくれと言ってきた。薪を売ってもいいと言う。いくらだと聞くと400円欲しいと言う。「400円分の薪は沢山だぞ、お前そんなに持っていないだろ、以前の様には騙されないことはお前も知っているであろう。一体なにに使うのだ」「物を買う、あと食べ物も」「前に言ったであろうが、大切に使え、くだらないものなど買うからそうなるのだ、アホか、教会へ行け」それでも居座り懇願する。「以前貸した金が先だ、早く返せ」「ヒデキ頼む薪を買ってくれ」「まだ沢山ある、いらぬ、帰れ」「…」「だからお前らはダメなんだ、男に逃げられ、いいように使われ、他人に泣きつく、仕事をしろ、金を貯めておけ、何度言えばわかるのか、待っていろ」仕方なく400円を渡す。「薪を持って来い、山ほどだ」婆さんは庭へ引き返し薪を集めている。仕方ないので取りに行ってやる。50円分ほどの量を積んだところで「もう、十分だ、これでいい、これで400円分だ」日本語に切り替えて「お前ら貧乏人のその腐った根性は神でも治せないのだよ、ダメな奴だなぁ、そんな奴ばかりだココは、こっちが働いているのを見ているだろう、人に頼るな、コジキになったら終いだからな」
隣人たちの馬鹿さ加減にはもはや驚きもしないけど、言われれば腹を立てて露骨な嫌がらせをし始める。今年はガツンといってやろうと決めているので、此の所近所付き合いは随分と楽になった。意地を張っているのもせいぜい半年、すぐにまた金をくれ、仕事をくれと泣きついてくるのだ。人並みの事も出来ないくせにくだらないプライドばかりが高い。安物のプライドはすぐに剥がれ落ち益々情けないものとなるのに何故彼らはわからないのだろう。何故彼らは未来を見る目を持とうとしないのだろう。今を生きる者達は明日を見ることなく終わるのであろうか。ジレンマだけがつのっていく。

「ヒデキ、アボカドを買わないか」「いらん、必要ない」「頼む買ってくれ、一個15円でいい、金がない」「今の客はアボカドは嫌いだ、食わない、だから買わない、必要ない」「どうしてもダメか」「どうしてもダメだ」「アディオスヒデキ、あっ!この缶もらっていいか」「持っていけアディオス」隣の薪を買ってやったのを見ていたのだ。女中で働いていた娘をクビにしたのでこの前まで口も聞いてこなかったのに金がなくなった途端にこのようになる。こうした情けない姿を見るのが嫌いだ、恥も外聞もない。意地もない。プライドのカケラもない。愚か者。午後、隣村まで娘は歩いて学校に向かった。真面目に働いていれば毎日トゥクトゥクに乗って学校へ行けたものを。

これまで物の価格はその物が持つ価値と等価だと考えてきた。ところがこうした国では物の価値は時と場合で変わってくる。
例えば外人価格。相手が金持ちの国から来たと思えば価格が上がる。地元の人とは違った金額を払わされる。
例えば売り手と買い手の合意。はじめから定価と概念ではなく。売り手の希望価格と買い手の希望価格が折り合う所を見つける。相手の腹を探り合う。交渉の行方によって価格が変わる。

こうした事が起こるのは大抵第三世界である事が多い。東南アジア、中南米では当たり前のこと。物の価値を知らないと大損をすることになる。知っていたとしても、損をしいられる事もある。交通機関や電話のSIMでさえ油断ならない。こうした国では価格自体が安いので損をしたとしてもたいした金額ではないのだけれど、そうした根性に腹を立ててしまう。地元価格の5倍ひどい時には10倍もの差があることを知ってしまったら墨を飲んだような気になってしまう。今はSNS全盛の時代、こうした情報はすぐに拡散されて皆の知るところになる。当然こんな国であっても携帯は皆が持つのでそんな事は地元の人間も知っていてしかるべきだとは思うのだけれど一向に改善の兆しがない。困ったものだ。ところが、観光客の来ない閑散期になると状況が変わる。ホテルに客はいなくなり、さびれ始めるとこれまでの強気は鳴りを潜め値引きが始まる。ひどい時には5分の1まで価格が落ちてしまう。そのかわり前金でまとめて払うことになる。そんな価格でどうするのだと思うのだけれど、目先の金のことしか考えられない彼らには損得勘定もうまく出来ない。そんなことばかりしていては次に来る客に値切り倒されてしまうのにと心配になってしまうほど。ここにも明日を見ない者の悲しさがあった。

ここで暮らしはじめた頃、グアテマラ人は金になんでも換算して考えていると感じた事があった。何かしてやるとすぐにいくらだと聞かれた。何かを貸してやるといくらだと聞かれた。コレはいくらしたのだと持っているものの値段を聞かれた。動物が食べ物の匂いに誘われるように彼らは金の匂いに誘われる。とても自然なことなのだけれどあまりにも露骨なので時々戸惑ってしまう。ところが最近は少し考え方が変わってきた。ホテル1泊の値段がカフェで朝食を食べるより安いとはどういうことなのか。物の価格があまりにも違い過ぎて訳がわからない。今を生きる事に精一杯なのか、目先の事しか目に入らないかのように暮らすマヤの人々。人生を楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。あるデータではここの国は日本より幸福だという。ケモノのように暮らすのが幸せとはどうしても思えない。貧困率が60%にもなるこの国で自分をどこに位置づけていいのかわからぬ。逆らいようのない世界経済という流れにもまれるドングリのような気分。果たして浮かぶ瀬はあるのか。もう少し流れに身を任せてみるのも悪くない。

日々雑思 壮絶

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」聖書の一節、僕はカトリックではないし神をも信じぬ不届者を自負している。言がなんであったかなど僕には関係ないのだけど、語学について思う時、この言葉がふとよぎる。
言語習得にあたっても、はじめに言があるのではないか、知恵や知識ではなく心の声を口から出すことが肝心。口から出た音が表現だから。音に意味があろうがなかろうが、自分の身体の内から絞り出したこと意味があって、それが自分の言葉なのではないかと思ってやまない。
「勉強しているのに話せない」はよく聞く話。僕は勉強を否定しない。それは自分の知識となり知恵となるから。読むことができるようになり、書くことができるようになる。意味を理解できる事こそ知識の恩恵を受けている証。

言語習得にあたりよく聞く「@#が足りないから話せない」これは言い得て妙な言い訳ではないか。たしかに正しいと思う。でも、文法が出来ないことが話せないことの理由であるなら、文法を習うまで僕らは話すことが出来ないはず。おのずと学校にあがる前の子供は話すことができないことになる。しかし、小学校にあがるまでにはすでに言葉を流暢に使いこなしている。それは正しいとは言い切れない言葉ではあるけれど、もし文法がわからなければ話せないとなると子供が話ができることを説明できない。ボキャブラリーも少なく意味すら知らない言葉を使い、間違いだらけでも子供は心の声を伝えることが出来る。知っている単語で伝えることの方が大切なのではないかと最近とみに思う。単語が分からなければ説明すればいい。知っている単語を並べて相手に伝える力こそが喋るということではないか。そこに勉強はない。耳で聞いた音を口から出すことがはじめにある。それは”真似る”と言う行為だから。”学ぶ”と言う言葉は真似るが訛り”真似ぶ””まなぶ”となったと以前聞いたことがある。音を真似る事が学ぶ事ではないのか。しいては話す事につながる近道なのだと思うのだけど。

年齢も関係ない。若い人のようにやろうとする必要もない。歳をとることで学び方を知っている者は自分に合った学習をすることが出来る。自身をマネージメント出来ることは年齢を重ねてきた者の優位になる。若くないから、物覚えが悪くて、やっているけどと出来ない言い訳ばかりがうまい輩は、はじめから話せない理由しか探さないのだ。馬鹿な言い訳を考える前に出来る方法を考える方がよほど役に立つのに。プライドが邪魔をする。恥ずかしさが学ぶことを妨げる。話すことが出来ないとバカに見られてしまうことはどの言語を学ぶ上でも同じこと。知識があることと話すことは違うのだ。それでも少しでも知恵をつけようとウンチクやなぜなにばかりを追い求めはじめたら益々口は重くなる。下ばかり向いていたら口はいつまで開くことはない。いや、開く必要すらない。ウンチクを語る時は自国の言葉を使うのだから。

最近、マヤの言葉を使い始めた。なにも知らない勉強もしない。ただひたすらに音を聞いて真似をする。意味など分からない。人が使っている状況を見て、同じような時に使ってみる。「なんでそんな言葉知ってるんだ」と驚かれる時もあれば、キョトンされる時もある。間違いを繰り返して使い方を覚える。意味など分からない。でも使える。使えるようになれば意味もわかってくる。けど多言語に訳せない。それでいい。40を過ぎるまで僕は日本語を多言語に置き換えて意味を探ることなどしなかった。恥ずかしながら尊敬語と謙譲語をキチンと使い分けられるかどうかも怪しい。読めない漢字もある。国語のテストで100点をとった記憶もない。それでも社会で生活することは十分に出来たし、人と会話をすることが出来ていた。
勉強などしなくても話せるようになる。勉強なんかしていたら言は益々遠ざかってしまう気がしてならない。

ひとりの男性がスペイン語留学を終えて帰国した。果たして彼のスペイン語は中級の上まで伸びた。彼からの連絡を受けたのは昨年のこと。客がここを紹介した。しかし僕は即座に断った。なぜなら面倒くさいから。歳のいった者はダメだ。これまでも酷い目にあわされたのはこうした人達。他の場所で2ヶ月すでにスペイン語を勉強していた。しかし、話せないと言う。場所を変えてみたいという。場所を変えたら話せるなどと考えている者は話せる様にはならないから。彼は諦め、留学を打ち切った。メキシコへ旅行に行った帰りにうちに泊まりにきた。聞くと支援団体で働きたいと言う。もう一度ここで勉強したいと言う。彼ほどの思いの強さがあれば大丈夫かもしれないと思った。仕方なく引き受けた。

数ヶ月後、この宿での留学が始まった。以前の話を聞いていたので学校ではなく家庭教師を使ってのおさらいから始めたがまったくレッスンが分からず、怒り出してしまう。やはりダメかと思ったが一度引き受けてしまった以上放り出すわけにはいかない。僕は知り合いの紹介以外の客をすべて断って彼の留学に付ききりとなる。

毎日のようにネガティブな言い訳ばかりをしながらも”勉強”だけは欠かさない。先の見えない事に対する努力がいかにたいへんかはフィリピン留学で僕も経験しているので気持ちはよくわかった。2ヶ月を過ぎた辺りから少しずつ変化が出てきた。レッスンの内容がよく理解できるようになってきた。それでもまだ話すには程遠い状態。先生の方が逆に日本語を覚え出している。言語習得にあたっては最初のハードルが一番高い。そこを越えるまでは我慢しかない。暗記しようとする彼にそんな事は必要ない、音に慣れろと繰り返してアドバイスしたが、理解されるはずもない。3ヶ月が経ち、既に知識は相当あるのだけれど口の重さは変わらず。長年染み込んだ勉強のスタイルは容易には変わらないのだ。

ビザクリでメキシコに行く事になる。メキシコから戻ればあと2ヶ月しかない。戻ってきた彼に1日6時間のレッスンを勧めた。彼の留守中先生達と何回も話し合いを重ね、かなり厳しく注文をつける。彼女達はそれを理解し、頑張った。それでも口の重い彼。1人は「もう教えられない、懸命に努力したが、なかなか話せるようにならない。心が痛む」と言う。逃げ出しそうな彼女に僕は檄を飛ばして叱咤した。彼女達もまた懸命であった。女中も使い、なんとか話すように仕向けるが、女中はあまりに僕が厳しく言うので、根をあげてしまう。僕は出来ないなら今月はもう来なくてもいいと言い渡した。このままではダメだと僕は彼を追い込む事に決めた。「人を助けたいという思いの強さを感じて引き受けたのに、助けるどころか彼女達すらダメにしかねない。話せもしない人間がどうやってコミュニケーションをとるのだ。どうして現地の人間がそんな者を頼るのだ。人助けどころかダメにしているだけだ、言い訳などしている間があったら口を開け、文法など必要ない。心の声を出さなければ本を朗読しているのと同じだ。引き受けた仕事は必ずやり遂げる。彼女達をダメにしても構わない。それがあなたの本意なのか」彼は黙って座ったまましばらくして部屋に戻った。

残りひと月。彼のレッスンに変化が出た。よく話している。先生達に聞くとよく話し、よく理解出来てると言う。ようやくハードルを越えた。みるみる良くなり。自分でも話せるようになったと感じていた。先生達に彼のレベルを聞く。「上級ではない。でも全然変わった。今では中級以上だと口を揃えて言う。テストも大丈夫だ。知識も十分にある」と太鼓判を押した。

もう少し勉強したかったと言いながら帰る日が来た。ここへ来た時とはまるで別人のように自然に話す彼。泊まったメキシコ人もフランス人もカナダ人も彼は話せると言っていた。もう大丈夫。彼は言を手に入れた。おそらく彼のスペイン語は同年齢の人の中ではずば抜けているであろう。支援団体の研修などなんてことなくこなせる事は確実だけれど、まだ彼はそれがわかっていない。願わくばどこかの国で活躍する姿を見たいと思う。この宿でスペイン語を勉強した者達の中でも1番大変だった彼。それでも彼はやり遂げた。彼の年齢でここまでやり遂げた者を僕は知らない。”壮絶”とも言える彼の留学は僕にとっても励みとなった。尊敬に値する努力であった。だから僕は彼の活躍を信じて疑わない。

「また来てもいいですか」と聞かれ、僕はすぐに答えることが出来なかった。「考えておきます」と言うと彼は苦笑いをしていた。もう一度同じ事を引き受けるかと聞かれたらもう2度とゴメンだと言うだろう。自分でも呆れてしまうほど入れ込んでしまうから。僕には学校経営やエージェントは向かないのだ。チャンスではあるけれどあまりにも割に合わないから。やはり僕は偏屈な安宿のおっさんが性に合っている。彼を見送る時、「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」と僕は祈った。彼が去った後、セシリアに「最後に彼になんと言ったのだ、祈ったのか、お前が祈るのをはじめてみた」と言われ「あーそうか、祈ったんだよ。彼はそれに値する努力をしたからな」「さみしいのか」「ここは宿だ、客はいつかは去る」「彼はまた戻って来るのか」「ここへ戻る必要がないであろう。そうなってもらわないと困る」「ウソつき」「お前ほどではない、さっさと帰れ」セシリアはニヤリと笑って帰った。1人になり静かになった宿を眺めた。客を断り過ぎたのでしばらくは来ないだろう。少しの間休んでのんびり過ごそう。

最後に、僕のサポートを信じてこの宿に滞在し、勉強を続けてくれた彼、そしてこれまでとはまったく違うスタイルで教えることに果敢に挑戦して成し、遂げてくれた3人の先生に心から感謝します。以前から考えていた留学のスタイルを具現化出来たことは僕にとっても素晴らしい経験となりました。多言語を学ぶ、それをサポートする事ということが少しわかったような気がしています。そして、また1人の日本人がこの宿でスペイン語のレッスンを始めました。勉強したいのなら他に行けと言っているのに。

日々雑思 密入国と小さな密輸

「メキシコに行くのか?」「そうだ」「今度メルカドの女衆がメキシコに買い物に行く、お前も一緒に来ればいい」「それはいいな、行く」普段メキシコに行く料金の半額以下で行く事になったのは知らない村。そこは川が流れている国境で渡し船があると言う。パスポートを持たない者も渡れると言う。対岸には市が立ちケツアルも使えると言う。聞いているだけでワクワクとしてきた。
夜中にバスに乗り村を出る。明け方現地に到着する。川の砂を盛り上げて橋のようになっている。川幅は20メートルもあるかどうか。タイヤのチューブの上に板切れを載せただけの簡単なイカダで渡しがあった。沢山のグアテマラ人が向こう岸へと後から後から渡っていく。皆、金を握りしめて真顔で渡って行く。

向こう岸には大きな市があってなんでも安い。言われた通りケツアルも使える。メルカドで見かける製品が沢山あって、仕入れ価格が全部わかってしまう。なるほど道理でまけるはずだと納得してしまった。市場を眺めてから大型スーパーに行く。冷房が効いていてホッとする。家電を見る。安い。自分だけのためにコーヒーを淹れたい客用に小さなコーヒーメーカーを買う。半額。
好きなインスタントコーヒーを買う3つで2つ分の値段。街中でカフェを探したがそんなものはない。コンビニに飛び込んで大好きなシェイクをと思ったが、それもない。やはり田舎なのだ。

グアテマラ側で女衆がトルティーヤを山の様に買っていて、そばからもしゃもしゃと食べていた。ここのトルティーヤはメキシコの物の様に薄い。勢いよく口に入れるので二口でなくなってしまう。左手でトルティーヤを掴み、右手で具材を掴む。両の手が合わさったかと思った途端、具材は包まれ口元へ、頑丈そうなアゴが2回動くとトルティーヤはなくなっている。各自が中に挟む具材を用意してきていて互いに分け合っている。4枚も食べれば十分なのだけど彼女達は10枚も一度に食べる。一緒に店に入り昼メシを食べる時も持ち込んだトルティーヤをドサリと出して堂々と食べる。トルティーヤが足りなくなった女はコジキの子供を呼びつけて10ペソを渡しトルティーヤを買ってこいと命じている。子供が戻り無かったと言うと舌打ちをして、もう一度探せと強面に命じていたのを見ておののいてしまった。女衆はなぜかマヤ語だけで話すので、周りのメキシコ人はキョトンとした顔をしている。少しだけわかるので聞いていると結婚辛辣なことを言っていて、迫力に負けてしまった。
ここは暑いので女衆は汗だくとなり、顔中びしょ濡れだ。フーフー言いながらもあの店この店をめぐり、物怖じせずにガンガン交渉している。イミグレに行くので先に行くと言い残して、国境へと戻る。日帰りなのでどうかと思ったが難なくスタンプをもらい待ち合わせ場所に戻ると婆さんだけが戻っていた。他の女衆はまだだった。婆さんは毛布を買っていた。値を聞くと驚くほど安い。婆さんはとても喜んでいた。時間があったので村を散歩する。やはりこちら側は向こう岸とは全然違う。川を隔てただけなのに道路は未舗装、店も汚いけれどこちらの方が性に合っている気がする。

オバハンに声をかけられる。「中国人か?私は大好きなんだよ」「残念ながら日本人だ」「中国と日本は違うのか」「全然違う」「韓国とも違うのか」「全然違う」「これから私の家に来い、色々な事がしたいだろ」手を握り、こちらの手のひらを指でくすぐっている「悪いが今日は帰る」「そう言わずにおいでよ、沢山してあげるから」「そうかそれはありがたいな、考えておく」手を振り切って別れた。なんだかおかしくて笑いがこみ上げてしまう。来てよかった、旅をしている様だ、知らない場所はやはり楽しい。小腹がすいたので屋台に入る。鳥の炭火焼とトルティーヤを食べた。やはり4枚で十分だった。トライシクルに乗ってガタゴトときた道を戻った。

女衆はまだ帰って来ていない。グアテマラにはオラ チャピィナと言う言葉がある。時間を守らない彼等に向けた言葉。1時間は遅れても何も言わない。彼らはホントに時間にルーズ。案の定3時間も遅れて帰って来た。待っていた者が文句を言っても絶対に謝らない、言い訳にもならない言い訳を堂々と言ってはばからない。それにしてもたいした根性だと感心してしまった。
待っている時間、メキシコ側から続々と荷物を満載したイカダが戻ってくる。あまりに重いのでイカダが傾いている。竹竿をついた拍子にバランスが崩れて2人ほど川に落ちてしまった。それでも彼女達は皆、満足そうな笑顔だ。岸には荷運びの子供がいて、彼女達の荷物を車へとせっせと運んでいた。荷台に積まれた荷物の隙間にもぐりこむ様に座って去って行く彼女達を見ていて、これもありなんだと思った。国境という見えない線はココにはなかった。経済という得体の知れない怪物はなりを潜め、小商いだけがここでは盛っていた。人々は幸せであった。両の手に持てる分だけの荷を運び、小さなトラックに満載して帰路につく。これでいいのだと思った。次回は彼らの様にイカダに乗って川を渡ってみよう。それはちょっぴりスリリングな旅になるに違いないから。

日々雑思 なんだかなぁ

夜、いつものように踊りに行くと女が一人で待っている。まだ来ていないのかと挨拶をするとズンバの先生の旦那さんがバイクで事故に遭ったと言う。「いま病院にいるが良くない、今日はズンバはない」この村ではよく事故が起きる。免許などない。だからルールなどない。子供も乗る。3人で乗る。4人で乗る。事故を起こし皆死んでしまうか、カタワになってしまう。
先生は旦那は頭に血が溜まり専門家が必要だと言う。目の下にクマができ、憔悴して気の毒であった。ことの詳細を聞いた一同はうなだれた。しばらくはズンバは休みとなった。

アボカドの木に実がなり喜んでいたが隣家の旦那から葉っぱが庭に落ちて掃除してもすぐに汚れて嫌だ木を切れと言われる。毎年の事なのに今年に限って言ってくる。よく物を貸してやり、冷蔵庫も貸してやった、電話も貸してやったのに。このところいろいろと要求ばかりされるので、思い切って怒ってやった。木を切り倒した後、「お前らには随分とよくしてやったのになぜだ、こちらも気分が悪い、木は望み通り切ってやったぞ、今後は助けてやるのはやめる」旦那はわかったと一言言って引き下がった。女房は口をきかなくなった。

切り倒したはいいが、切り株を取り除くのに一苦労している。根元を掘り返すと建築資材がガラガラと出てきてげんなりしてしまう。篩にかけ毎日仕分けしているが、進捗の見えない作業は気が滅入っていけない。それでも日が良く当たるようになったので畑にして野菜を植えようと気持ちを切り替えた。後日、切り株をチェーンソーで切ってもらおうと電話で頼む。「月曜日の午後に行く。セグーロだ(確かだ)」と聞いた僕はうなだれた。セグーロ、ノーテンガペーナとペドラーノが言うときは大抵来ない。案の定月曜日には来なかった。やはりこの村では知り合いの伝手で頼むのが一番いいらしい。

村の犬がたくさん死んだ。毒を食わされて、口から泡を吹いて死んだ。まだ生きているものも腰が抜けて大小便を漏らして苦しんでいる。増えすぎた犬を駆除することはこれまでもあったけれど毎晩のように毒を撒かれているのは初めて、少し怖い。注射をした印の赤い首をした犬も死んでいる。飼い犬も死んでいる。外人が警官に食ってかかっている。話によれば犬を好かないグループがいて、毒を撒いているそうだ。おそらく村の者は誰がやっているのかを知っているのだと思った。
この村はたくさん野良犬がいる。貧乏人が飼いきれなくなって捨ててしまう。いたずらに子を作り、大きくなると捨てる。犬はどんどん増えていく。去勢手術などしないので、好き放題増える。一方で狂犬病の恐れがあるので増えすぎると道端に毒を撒いて殺してしまう。
アニマルフレンドリーの外人はそのことに怒って大騒ぎをして役所を困らせる。役人はのらりくらりとごまかして、うやむやにしてしまおうとするので益々外人が怒る。死んだ犬の写真をSNSに投稿してニュースとなった。村は少し異様な雰囲気となった。以前飼っていて逃げてしまったウスイサチヨも道端で死んで異臭を放っていた。顔なじみの野良犬も死んでいた。知らない犬も死んでいた。メルカドに向かう道にいつも居た犬は全ていなくなっていた。犬を殺す者、助ける者どちらにも言い分があってどちらにも一理ある。でも一部の理もないのが貧乏人だ。犬のように暮らす者は犬を飼ってはいけないのだ。

好いた男に振られた女が首を吊った。家が貧乏なのでシェラで働いていたそうだが、家は3階建で立派だと聞いた。きっと死ぬ程好いていたのであろう。恋が成就したところで男は他の女になびく事に気がつかなかったのであろうか、都会で暮らすと人並みの幸せを夢見てしまうのであろうか、わからぬ。

このところギスギスした雰囲気を感じる事がままある。村全体が疲弊しているような感じ。100ケツアル札を出すとつり銭がないと断られる。やたらと物売りがやってくる。昨年はここ10年で最悪の景気だったそうでその影響がジワリと村を苦しめているのであろうか。女中のセシリアにも他に仕事を探せと言っても、働きたいと食い下がる。他の者を雇うのかと疑ってかかる。山で人が殺される。身包み剥がれて裸で見つかった。どうにも物騒だけれども誰も騒がない。誰がやったのか皆が知っているのだきっと。入山料を払わなかった外人への制裁、ガイドを雇いたくないケチな旅行者への見せしめ的な気がする。皆が皆自らの首を真綿でゆっくりとしめているように思えてならない。いやだねぇ。

日々雑思 チョナ 顔から火が出た

グアテマラという沼にはまってしまいもがいているのだけれど、なかなか抜け出すことが出来ずに3年も経ってしまった。どっぷりと生暖かい沼の泥は体にまとわりつき、剥がしても剥がしても執拗に僕の歩みを止めに来る。頭にくることもあるけれど、心地よく自我を削り取られているような、井戸の底から見上げる空が全てであるかのように耳元でささやかれている気持ちになってくる。それでも少しずつ井戸の壁を登っていて、指の爪は剥がれ、掴まった岩が抜けて落ちそうになるのを必死で堪えるような日々が続く。
シャワーが壊れ、排水パイプから漏水し、水がめが割れ、ベッドの脚が取れ、ガスコンロの火がつかなくなる。皿が割れ、鍋が壊れる。全てがまるで仕組まれたように思えてうなだれるしかない。こうした事に抗うように暮らしているうちに驚くほどの生きる力が付いていたことに気がついた。諦める事なく丁寧に暮らす事が身についた。身を粉にして働くということはこのような事であったのかと今更ながらに思うにいたった。
いっときの忙しさが去り、静かな宿に戻った。壊れた物が早く直してくれと亡者のごとく言い寄ってくる。直して直して使い倒す。そうしているうちに静物に命が宿った。自我を宿した静物は最後まで使い倒してくれ、使い物にならなくなるまで働きたいのだと言っているかの様。神が去った地の暗い井戸の底にあっても宿は少しずつ明るさを増してきている。庭に小さな灯が灯り、客がやっと庭に向く様になった。脆弱であったポンプとシャワーの電源を独立させて安定性が増した。壊れかけていたコンロのすべてに火がつく様になった。まともな皿が手に入り、鍋を直した。こんな当たり前の事に2年も費やしてしまったのかと思おうか、2年で出来たと思おうか。宿に命が宿り始めたことは確かで、ある種凄味がではじめた静物達。そして僕もまた宿の一部となっていくのを知っている。

チョナ

チョナはこの村の友人の1人。家庭教師、料理を教えてやっている女、メルカドの洗剤売り、2娘の母。朝7時、メルカドに近い道端に自分の露店を開く。小さな卓とさらに小さな棚を並べて石鹸、洗剤、スポンジなどを広げる。どかりと腰を下ろしていつも何かを食べている。威風堂々した風貌。買い物に行く時は軽く挨拶をする程度だけれど、たまに隣に腰を下ろして世間話をする。
「さっき日本人がお前の家の方に歩いて行ったぞ」
「あぁ、さっきすれ違った。すれちがう女が客になるとは思っていないよ」
「スレチガッタオンナガ、キャクニナルトハオモッテイナカッタだヒデキ、相変わらずだあなぁ」
「ではこれではどうだ、さっきすれ違ったのは客だったのであろうか」
「アレー、ヒデキ、ちゃんと言えてるよ」
「そうか、それは良かった。最近はこんがらがっていて自分が何を言ってるかわからなくなる」
「それならここに来て話せば良い。喋れば覚える」

客が来て石鹸を選び始める。何人もやって来る。みんながチョナの名を呼ぶ。以前、メルカドで物売りをするのはみんなと話せるから楽しいと言っていた。見ていると全部の客が石鹸の匂いを嗅いでいる。聞くと石鹸や洗剤の匂いはとても大切なのだそうだ「黄色は人気だ、青は匂いが少ないから人気がない、黄色がない時は緑がいい」「ならば全部黄色を買えばよかろう。簡単に稼げる」「あはは、そうだな」「このトイレットペーパーは別のか?」「そうだヒデキ、新しいのにした。全部一緒だが値段だけ違う。安い。あっちは14.5でこっちは13.5だ」「それはいいな、でも確かか」「あーぁたしかだよ、メーカーだけだ」「そうか、それならば次回はこれにする。今はゲリの女が泊まっているから、硬いと尻がかぶれて痛かろう、だから悪いのはダメだ」「どうした」「腐ったバナナパンを食ったのだ」「あぁーれー、お前が食わせたのか」「バカを言うな、ひらって食ったのだきっと」「拾ってだ」「拾うだろ」「拾っただ」「もう少しちゃんと覚えろヒデキ」「あははは、そうだな、最近は妄想の話と未来の話を練習しているので益々こんがらがって自分がいったいなにを喋っているのかわからなくなる」「さっき聞いた」「そうか」「そうだ、あははは」「でなんだっけ」「忘れてしまった」「それじゃあとで」「あーヒデキ、あとで」

チョナは優しい。根気よく客のレッスンをやっている。客が喋れないと心が痛むと言う。娘に英語を教え、都会の学校へ行かせるために朝から晩までよく働く。家事もして旦那の面倒もよく見る。ちいさな方の娘がばぁちゃんの家にいくのを嫌がるので自分の時間を削ってあやしてやる。ホームステイを受け入れたいと料理を勉強している。こういう者が報われるようになれば良いのに。

顔から火が出た

世の中には同姓同名の者がいて、時に混乱を招く。それは日本でのことであると高を括っていたのが間違いであった。ひと月ほど前、好青年が宿を訪れ、楽しい話を聞くことが出来た。コーヒーの勉強のためにグアテマラにやってきた彼。熱心にカフェに通い、夢を追いかけていた。僕はとっておきのカフェを教えてあげ、彼も気に入ってくれたと思う。そこは客席が2テーブルしかない小さなカフェで、とても居心地の良い、人には教えたくないお気に入り。そこの豆は特別な製法で作ったものでコーヒーなのにフルーツの香りがして、飲み口がまるでワインのようなアイスコーヒーが飲める。一度、豆を買って自分で淹れてみたがどうにも同じ味にならず諦めていた。彼もまたそれが気に入ったみたいだ。色々と話を聞いているうちにもう一度やってみようとあれこれと試していたところで、もう少しのとこまで近づける事が出来てきた。一度彼に味わってもらいたいと思っていたところだった。

最近来た客は、倅と同い年。なんだか子供を見ているようでじれったい。ついつい親のように接してしまうと彼はプンプン怒っているのだけれど、それもまた懐かしい気分にさせてくれる。なんだかんだと自信を持って言うところが可愛らしくて久しぶりに穏やかな気持ちになった。彼はメキシコに向かい、日本に帰国する予定だと言って発っていった。

数日後、メールが届いた。そこには男の子の名前が書いてあり、1週間ほど戻って来たいと書いてある。僕は驚き、何かあったのではなかろうかと老婆心が出てしまった。そこにはアンティグアにいると書いてある。僕は混乱してなぜアンティグアなんだと思ったけれど、すぐにそこにいろとメールを返した。きっとなにかあったのだ、一緒に出ていった兄貴分のような青年となにかトラブったのか、好きな女の子でも出来て急遽流されるようにアンティグアに行ってしまったのだと思い込んでしまった。メールも乱暴な書き方をしてこちらに戻って来るようなことの無いようにしてしまった。

ところが、僕は大きな勘違いをしていた。それは以前泊まっていた好青年からのメールであった。なぜと思い、名前を見ると同姓同名であった。なんという偶然。不覚にも僕は2人を取り違えていたことに気がついたのは彼の最期のメールを見たあとだった。慌てて詫びのメールを書いたのだけれど後の祭り。その日は思い出すたびに顔から火をふく思いをした。まさか、こんな異国にあって同姓同名の人が泊まるとは。そういえば以前、この宿で会った旅人が偶然にも小学校の同級生であった。そんな事もまた旅の驚きであるのかもしれない。それにしても客商売をしているというのにとんだ失態をしてしまった。少し油断があるのだ。このような宿に来てくれる客であるのだからもっと大切にしなければならないと深く反省した。

日々雑思 ある1日

スセリーからもらった猫を去勢手術に連れて行く。これですぐにおとなしくなると思っていたが麻酔から覚めると夜中にどこかへ逃げてしまった。もううちの猫ではない。朝、ひょっこりと戻って来たので情に流され餌をくれてやる。ところがこれまで猫を気づかっていた犬はあっさりと猫の餌を食べてしまった。猫が欲しいとねだると、威嚇して絶対に譲らない。客がたしなめるがすっかりと全部平らげてしまった。犬も猫がもううちの一員ではないとわかっているのだ。セシリアが「かわいそうだなんとかしてやれ」という。「あの猫は自由を選んだのだ。あの猫の選択なのだ。以前お前がしたようにあの猫もバカな選択をしたのだ。去る者は追わん」と突き放す。「私は戻って来た」というので「バカな女だ。女は皆そうだ。だから女を信用しないのだ。早く仕事にかかれ」というと膨れて3階に行ってしまった。

宿の毛布を一斉洗濯。所狭しと干した毛布は気持ちがいい。水をたくさん使い普段の節約のうっぷんを晴らすように洗いまくった。風が水気をあっという間に運び去り、洗剤の匂いがほんのりと残った。陽の温もりがこもった毛布を一枚一枚丁寧にたたみ端を揃えて積み上げた。朝きたセシリアが全部洗ったのかというのでそうだと答える。お前が洗えと言ったのであろうがと思ったが口にはしない。彼女が来てから宿がみるみる蘇るように綺麗になっていく。客の満足度も上がっている。文句を言わず黙々と働いている。きっと仕事を失う怖さを覚えたのであろう。

庭のビワの実がたくさんなったのでセシリアにくれてやる。仕事の合間によく捥いで口にしているので好きなのであろう。一緒に木の枝を引っ張り好きなだけもがせる。ついでに庭のアボガドもいくつかもいでやった。カゴにいっぱいになった実を見て満足そうに笑っている。「市場で売るなよ」「あははどうしてわかった」「お前の目はいつもドルマークが付いているのですぐにわかるのだ」「マジか」「ああマジだ、早く帰れ。お袋に持って行くのだぞ、お前のではない」「ありがと。私のではないのだな。また明日来る」「明日はいらない月曜日にくればいい」「もし気が変わったらいつでも電話してくれ」「ああそうする。でもしないよ」

「どうした。ピーマンは嫌いか」「細かく切ってあるのは好きだ」「ではなぜ食わぬ」「これは大きい、いつもはもっと細かく切ってくれているのでそれは好きだ」「肉はどうだ」「肉も同じだ。細かく切ってあるのがいい」「海鮮はどうだ」「カニは好きだ。食べたことがあるか」「ある。でもあれは虫がいるので客には出さん」「あーあれか小さい」「そうだ、だから料理が面倒なのだ。日本にも同じカニがいるが手間がかかる。でもそれで作ったスープはうまい」「作れるのか」「お前にできて、俺にできぬ料理などない」「あはは、そうかセニョール」「そうだセニョリータ」

「風呂のカーテンが汚い。洗っていいか」「洗え」「もう庭の掃除は終わったのか、廊下はまだやっていないだろ」「やった。お前より綺麗にやった」「あははそうかセニョール」「そうだセニョリータ、見てこい」「それでは階段だけだな」「あぁ階段だけだ」「そうだぁ、明日は来れない。なぜなら友達が結婚するのだ、祝ってやりたい」「行ってやれ、同い年か」「一つ下の23だ」お前はまだかと聞きそうになり慌てて口を閉じる。まだやりたいことがあるのであろう、余計なことは聞くものではない。こちらには知らない権利があるのだ。「なんだ」「なんでもない」「なにか言いかけただろう」「何も言いかけていない」「…」「…」

早くに結婚してしまえばいいのだ。好いた男もいて年頃なのだ。この国では女に学はいらない。若くして子を産み、ろくに稼ぎのない旦那に従い、小商いをして家計を支えるのがこの国の大半の女の生き方。それを受け入れることが出来ず頑張る者は要らぬ苦労をすることになる。それができる者はごくわずかでしかない。神にすがり生きる糧とした方が楽なのだ、大学に通うための金をへそくりにしておけば、いくばくかの助けになるであろうに。その昔、大学に通う者が半数にも満たなかった頃。娘が大学に通いたいと言い出すと「悪いことは言わないから、せめて短大にしておきなさい、そこで少し遊んでから働いて2、3年で良い人を見つけて結婚するのが一番の幸せだから。お茶のくみかたがうまい人は良い人を見つけられるのよ」と親戚のおばさんから諭され、最近の若い娘はと色眼鏡で見られた女性がどれだけいただろう。大学に進み総合職を目指した女性がした苦労を思うと皆の様に暮らせと言いたくなる。この宿で稼ぐ小銭に満足するようではダメなのだ。”分相応”この言葉が最近重くのしかかっていけない。

宿で働くスセリーを見ていて思ったことがある。はじめのうちはいろいろと知らない世界を見せてやりたい。世界を広げてやりたいとずいぶんと身勝手なことを考えていた。ある日ふと考えていてゾッとした。この村の若者の世界観は狭く、教養もない。それでも彼らは彼らなりの世界観を持ち、暮らしている。もしスセリー1人だけが日本人と同じような教養を持ち、視野を広げてしまったらおそらく彼女はここの暮らしに耐えられないのではないか。自分の身勝手なおこないが彼女の不幸を作っているのではないかと思うに至ってしまった。この村から出て行けるチャンスを与えることなく一方的な思いで自分の道徳観や倫理観を押し付けるのは傲慢でいやらしいおこないでしかないのだ。姉のセシリアが戻り、以前にもましてよく働き、生き生きしている姿にいたたまれなくなる時がある。どう接していいのかわからなくなる。以前のようにコラソンネグロ(黒い心)でいた方がいいのかもしれない。

「ヒデキ、日本人がアメリカに行くのは簡単か」「簡単だ、働くことも出来る」「ずっとか」「ずっとの者もいれば、少しの者もいる」「私もいつかアメリカに行って働きたい」「モハード(不法就労の隠語)でか、コヨーテ(不法入国を手助けするマフィア)に知り合いでもいるのか」「親戚が使った。私もやりたい」「無事に入国できる者ばかりではないぞ、仕事も見つからないだろう、特に女は危険だ」「知ってる」「お前も身体を売ることなるのだぞ、それでもいいのか」「…」「真っ当な生きる道を探せ、ここにはお前の神がいる。それにすがって生きるのが一番良い、金持ちの男を見つけろ。馬鹿な男はダメだ。働かない男もダメだ。優しい男はもっといけない。覚えておけ。今日はもう仕事はない帰れ。また明日遅刻せずにこい」「今日は帰る、また明日、良い一日をヒデキ」「お前もな」。

日々雑思 サンマルコスの休日

猫に盛りがつき、毎晩うるさい。妙な声で鳴く、小便を垂れる、言う事を聞かず、すっかりバカになってしまった。年端もいかない女子は盛りがつくと狂ってしまうのは人もケモノも同じなのだ。
ウーゴウーゴとあまりにうるさいのでサンダルで頭をひっぱたいてやったら正気に戻ってきた。よほどこたえたのか目が回ってしまっている。ヨレヨレとしながらボーとなった。しばらくすると再び鳴くのでサンダルを脱ぐと鳴きやんだ。まったく近寄らなくなってしまったけれど、ここは宿なのだ。金を払ったお客に迷惑をかけるケモノに権利などないのだ。働かずタダメシを食らうだけのケモノはおとなしくしているか、捨てられてしまう事をわかっていなければならない。カフェはよく心得ていてセンはまだ心得ていない。それでも夜は首元で寝ているので飼い主は覚えているのであろう。この猫はマシで聞き分けを覚え出している。

すっかり客のいなくなった宿で今年は客1人か2人で静かに年を越そうと決めた途端に、バタバタと問い合わせがある。すでにおやすみモードになってしまったので、なにかと理由をつけては断りまくったのだけれど、飛び込みでやってくる旅人は断ることもできずに受け入れた。食事を頼まれる。日本食はやっていない、グアテマラ料理を食べに行けと言うのだけれど、宿の飯を食ってみたい。期待してきたと言う。それでも来たばかりでなにも客について知らない間は日本食は出さない。けっしてロクなことにならないことをしっかりと学習してしまったのだ。そう言うと決まって誰々さんに聞いたと言われるのだけれど、そんなバカな話を信じて来たのか、騙されたのだ、気の毒にと優しく諭してあげる。例によって友人を呼んでも良いかと言われ出す。空き部屋がある事を知ってしまった者の口に蓋をすることも出来ずうなだれながらもダメだと断る。去年までは言えなかった事が言えるようになったのは少しは成長したのか。どちらに転んでもロクなことにならないのである。

スペイン語を習うことにした先生と出かける。対岸の村。ここは美味しいコーヒーがあって最近はここで買うようになった。移動、買い物、食事を楽しみながら会話をして僕のスペイン語の穴を見つけてもらおうと思ったのだけれど、すっかり2人で楽しんでしまった。ふとした時に言いたい事が言えず、あっこれだと思うのだけど、そのときにすぐに聞かずに後回しにしているうちに雲散霧消してしまい、後からさがしてもあれっなんだったかしらと思い出せない。ジェラートを食べているときローマの休日でグレゴリーペック演じるジョーブラドリもアン王女とのスクープを忘れてしまったのは無理もないとボンヤリしていると、どうしたのだと聞かれて我に返る。見ると彼女の手がジェラートが垂れて手が汚れている。貸してみろとコップの水に浸したナプキンで拭いてやると小さな声でありがとうと言った。サンマルコスには泉もなければ手を突っ込める口もない。もしあったら僕の手は見事に食い千切られてしまうので入れるわけもないのだけれど。それでもいい休日となった。
大人しく、控えめではあるけれど今のところ僕の質問には常に答える彼女。レッスン中にうっと詰まるのは、僕に足りていないところをキチンと見つけてくれている証拠。文法がわかると言うのはこういうことなのかと開盲の僕に見えるように教えてくれる。
育ちの良さが溢れ出る彼女、僕のような輩が教わるべきではないような、キレイなものを汚してしまっているような罪悪感がつきまとい、レッスン後にうなだれてしまう。

嫌な予感しかしない。複数の人を雇ったり使ったりしだすとお互いのことが気になりだすようで、しきりにアイツはどうなのだと聞かれるようになる。根が単純なのですぐにそれは嫉妬 や怒りに変わる。ここの雇い主たちはすぐにクビにしてしまうので不安が常につきまとっているからだけれど、それと同じくらい我先感を出す彼らを見ているとハフゥとため息が出てしまう。遠慮といった感覚はなく、むしれるだけむしりたいと考えてしまうのは、明日に生きない者の性なのだろうか。仕事が欲しいと懇願し、与えると途端に当たり前のように考え始めてしまう彼らはある意味でわかりやすいのだけれど、手綱の取り方がいまだにわからない。何度も痛い目にあって来たので結果、嫌な予感しかしなくなってしまったのだろうか。

村の中はクリスマスのイベントが毎日のようにあって、活気がある。広場でバンドが演奏し若者が熱狂する。教会に信者が集い賛美歌を歌う。道々に人が溢れ、屋台が賑わい、老いも若きも皆楽しそうに夜長を過ごしている。パーティが夜な夜な開かれ、目があさっての方向を向いている外国人が秘密パーティからゆったりと宿に帰ってゆく。明るい者、沈んだ者、怖がる者、笑う者はそれぞれ使った物の違いだろうか。裏路地に広がる甘い匂いやすえた匂いは6番目の感覚を研ぎ澄まされた者たちにはどのように感じられるのであろう。
宿のテラスに座り夕食後の客の夕べが終わるのを待つ。出かけていった者の帰りを待つ。若者らしい楽しみ方が出来なくなったのはいつからであろうか。遠くから聞こえるラテンのリズムに身を任せ、珍しく曇った夜空を見上げていると客に呼ばれトイレが壊れている、鍵を部屋に入れたままロックしてしまったと矢継ぎ早に言われ我に戻った。宿はいっときの忙しさで急に賑やかになってしまった。ろくなサービスもできない宿が益々酷いものとなる。アレがない。コレを何とかしてくれ。やってもいいかと言われてばかり。日本の宿で働く人はきっとすごい人達なのだろう。グアテマラにあってもそうした事を要求されるのは、僕がまだ日本人に見られているという証なのだといい方に考えておく。

年末が近づき、そろそろ少し物騒になる時期となった。すべての旅人が何事もなく無事に目的地に着くことを、楽しき仲間と巡り合い穏やかなクリスマスと年越しを迎える事が出来ることを願う。

日々雑思 あれこれ

庭の木にクリスマスの飾りをつける。特段の思いをキリストさんに持っているわけではない。季節感のない国に暮らすとどうにもメリハリがないのでこうした事でもしておかないと心の置き場所に困ってしまうから。朝、スセリーがやってきて、すぐに気がつき「かわいい、お前がやったのか」と言う。こうしたことにすぐに気がつくのは彼女の心が繊細だから。普段は減らず口を叩き、強がってばかりいるのだけれど心根は優しい。まるで自分の娘の様に可愛くて仕方がない。わかりやすいほど贔屓にするので客も呆れている。なにを言われても彼女は特別なのだ。彼女が働き出してかれこれ10カ月となる。決して良いとは言えない彼女の働きぶりだけれど、それでも少しずつ良くなっていく姿を見るのは親が自分の娘の成長を感じるのと同じ気持ちなのであろう。来年から隣村の学校へ通うため仕事は今年限りとなる。早くもぽっかりと心に穴があいてしまった。

サンペドロの人を雇入れるのは簡単だけれど使うのはとても難しい。毎日のように頭を悩ますことばかりなので、女中はスセリーで最後にしようと決めていた。いつものように仕事の後、2人で朝食をとっているときにスセリーが「お姉ちゃんがもう一度働きたい。ヒデキに話してくれ」と言っている。と切り出した。「私は働けない。ヒデキどうするのだ、新しい女中を雇うのか、ならお姉ちゃんがいい」と言う。僕は答えに詰まってしまった。勝手にブチ切れて出て行ってしまった彼女を雇うリスクは避けたい。少し考えるとだけ答えて3日ほど後にやんわりと断った。1週間程して、またスセリーが食い下がる「私以外の人がここで働くのは嫌、働くならお姉ちゃんでなければ嫌だ」「もう、断ったであろう。諦めろ」「あの時はお姉ちゃんも間違っていた。お姉ちゃんもヒデキに謝りたいと言っている」いつもならすぐに引き下がるのに帰ろうともしない。”やめておけ”と心が言っている。”また、厄介なことになるぞ”わかっているのだ。ダメだとわかっているのに口から「お前さんがそんなに言うなら一度だけ会ってやろう。ただし話すだけだ。雇うかどうかは決めていない。彼女の話を聞くだけだ。いいか」スセリーは「ヒデキ、コーヒーゼリーを作ろう」とニッコリと笑って席を立ち、さっさとコーヒーを淹れ出した。

果たして、来年からひと月だけ試用期間を設けて受け入れることにした。厳しい条件を出した。スセリーと違うではないかと言われても「彼女は特別だ、お前とは違う。スセリーが頼むから試しに使ってやるのだ。妹に感謝しろ」と突き放した。話しをしても相変わらず心は”やめておけ、どうせダメだ”と警告をやめない。その声は正しいことは承知しているけれど、これはスセリーの頼みなのだ。たとえ間違っていてもスセリーの言うことは正しいのだ。そう決めたのだ。たかが小娘にいいように翻弄される気分は悪くない。

国境にて

ツーリストカードにさっさと記入する。何回も書いているので心得たもの。書き終えて窓口に向かおうと立ち上がったとき、女の子が寄ってきて「コレを書いてくれ」とパスポートとツーリストカードを差し出した。ペンがないのかと思い、貸してやろうとすると「違う、私は字が書けない」と言う。
パナハチェルから乗ってきたグアテマラ人の母と娘3人。バスの中で二言三言会話をしただけだ。一番上の娘の歳は15歳程か。いたって普通の子で身なりも普通だ。パスポートを持っているなんてきっといい家庭なのだと勝手に想像していたので、字が書けないと言われたのには驚いて二度見してしまった。彼女はニッコリと笑ってパスポートを差し出した。真新しく、白いページしかない。IDを見るとパロポの出だ。メキシコの滞在先を聞くと困った顔をしている。大きな荷を持っていたのできっと路上で寝泊まりしながら売りさばくのであろう。いつもはぶっきらぼうの係官がメキシコとだけ書けばいいと言う。奴にもそんな一面があったのかと少し驚いた。サインだけ書けと紙を渡すと。ジッと見つめている。お前の名前を書けと言っても固まったままなので、いいのかなぁと思いつつアナとサンデイとサインも書いてやった。

識字率が低いのは知っていた。でも国外に行くような者までがとは思わなかった。ここでは綴りがわからないときに聞くと、私もわからないと言われることはよくある話。いわゆる文盲だ。普段は困ることがないけれど、そこまで教育が行き届いていない現実は知っていてもショックを受ける。
言葉が出来ないというのはふた通りあって話せないと書けないに分かれる。旅人でも話せない人はいるけれどそれは他言語のことであって母語はもちろんできる。しかし書けないとなると、しかもそれが母語であったり母国語であったとしたら心持ちはいかようとなるのであろうか。以前、海外のホテルでなにかが書けないことがあって非常に恥ずかしかったことを思い出した。
彼女達は特段恥ずかしい感じも見せずに、礼を言うと窓口に向かい入国手続きを済ませた。その姿にたくましさを見た。はじめて行く外国、野宿をしながらの商売、字を書けず、おそらく計算も得意ではないであろう。それでも幼い子供を連れて出かけることに驚きと力強さを感ぜずにはいられない。僕にそのようなことができるであろうか。

まだ捨てたものでもない

間が悪くてバスに乗り遅れてばかり。国境から少し入った大きな町に着いたときにはすでに暗くなってしまっていた。普段ならいさぎよく諦めて一泊するのだけれど今回は帰る途中に連絡が入り、急ぎ戻らなくてはならない。犬のカフェ猫のセンも心配だ。バスが停まっている間にトイレに行く。戻るとすでにバスは消えていた。またかよとガッカリしていると屋台の娘が声をかけてきた「食っていけ、カフェも熱いぞ」「シェラ行きのバスは何時だ」「6時半だ!食って行くか?そこへ座れ」言われるままに座り「何がある、コーヒーはブラックか」「牛がある、コーヒーはすまん砂糖入りだ」僕は彼女が気に入った。チャキチャキとして外国人の僕を見ても怯むそぶりもない。スペイン語を話すこともあるけれど自然な仕草がとてもいい。すぐにテキパキと料理を運んできた。食べはじめた途端にバスが動き出す。「あー」と声を上げると彼女はバスのところに走り寄り戻ってきた「大丈夫だ道の向こうに移動したのだ、送ってやるから安心しろ」と言う。送ってやるとはどういうことなのかはわからなかったが、ダメならここに泊まろうと決めた。食べ終わると男が現れてバイクの後ろに乗れと言う。彼女の方を見るとニッコリと笑って行け行けと言う。僕は訳もわからないままバイクにまたがり彼女に礼を言った。バイクでしばらく行くとバスがあった。男にも礼を言い僕はシェラに向かった。
旅をしているとこうした不思議なことがたまに起きる。普段ならありえないような優しさに触れることがある。何もかもがうまく回らないときにこうしたちょっとしたことに出会うと気持ちのざらつきがスッと引き、旅も悪くないなと感じることができるのだ。すっかり暗くなり、町がざわつき、人々がわらわらとしている。久しぶりに味わう町の雑踏は普段のサンペドロの暮らしとは違って僕に外国にいる事を感じさせてくれた。なによりもグアテマラが合っているのだ。文句ばかり嫌なことばかりだけれど僕にはこの国が合っている。それがなんであるのか、僕の傷を癒してくれているのを最近ハッキリと感じるのだ。日本では生まれてくる時を間違ったと感じる事が多かったのにここではそんなことは微塵も感じることがない。きっと僕は古いやつなのだ。新しいものを欲しがらないバカなヤツ。鶴田浩二の唄にあるように右を向いても左を向いても真っ暗闇のこの国で前を向いて進むことが出来る。それはまだもう少しだけ生き残る希望なのかもしれない。

話す時には

バスに乗ると白人が挨拶をしてくる。なんの問いかけもなくいきなり英語で話し出す。僕はなんだよと思いながらも英語で答える。最近また英語を使う機会が増えてきた。すっかり下手くそになったと思っているのだけれど、会話は以前よりはマシになった気がする。きっと自分の気の持ちようが変わったのだ。ちょっとした小話程度ならボロを出さずにできる。耳もよく聞こえ、口もちゃんと動く。この外人も僕の言うことはよくわかってくれているようで、どこで覚えたのだと言う。日本人と話すときキョトンとされることがあって、自分の英語を疑うのだ。

隣の若い子がスペイン語で話しかけてくる。スペイン語で答える。スペイン語も出来るのかと言うので英語よりはマシだと思うと答える。フランス人でスペイン語を練習していると言っている。そういえばバスを待っている間に観光協会のアンケートに答えていた。はじめはスペイン語だったが途中でわからなくなって英語に切り替えていた。僕も英語かスペイン語かと聞かれたが、どっちでもいいけど、自分は観光客ではないと言うとガッカリしていた。しばらく彼女のスペイン語に付き合ったがフランス語や英語訛りのスペイン語はどうにもいけない。鼻につく。先ほどの白人が話したそうにしていたがイヤホンをつけて話しかけるんじゃねぇオーラを全開にしてやった。そんな時でもグアテマラ人は容赦なく話しかけてくる。ひとしきり話しておしまい。バスの運転手は僕を覚えていて、帰りはいつだと言うので帰りはシャトルは使わぬ、カミオネータで帰ると言うとなぜだと言うのでいつもお前らのバスは遅れるからだと言うとあーと苦笑いをしてブツブツ言っていた。

日本人と話す時はついつい余計なことを言ってしまう。普段言えないことも日本語でなら話せるから。それが嫌で仕方がない。日本語は自分の気持ちと言うことを一致させる事も出来るし、わざと乖離させることも出来て自由自在なのだけど、時に相手が自分とは違うことを忘れてしまい。慌てて口をつぐむことも多い。努めて丁寧な物言いを心がけて波風を立てずに済むようにしなくてはいけない。他言語ではストレートに聞けることも日本語では注意しなければ人格まで否定されかねない。長いこと日本を離れているので自分は中途半端なのだとよくよく言い聞かせている。