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日々雑思 密入国と小さな密輸

「メキシコに行くのか?」「そうだ」「今度メルカドの女衆がメキシコに買い物に行く、お前も一緒に来ればいい」「それはいいな、行く」普段メキシコに行く料金の半額以下で行く事になったのは知らない村。そこは川が流れている国境で渡し船があると言う。パスポートを持たない者も渡れると言う。対岸には市が立ちケツアルも使えると言う。聞いているだけでワクワクとしてきた。
夜中にバスに乗り村を出る。明け方現地に到着する。川の砂を盛り上げて橋のようになっている。川幅は20メートルもあるかどうか。タイヤのチューブの上に板切れを載せただけの簡単なイカダで渡しがあった。沢山のグアテマラ人が向こう岸へと後から後から渡っていく。皆、金を握りしめて真顔で渡って行く。

向こう岸には大きな市があってなんでも安い。言われた通りケツアルも使える。メルカドで見かける製品が沢山あって、仕入れ価格が全部わかってしまう。なるほど道理でまけるはずだと納得してしまった。市場を眺めてから大型スーパーに行く。冷房が効いていてホッとする。家電を見る。安い。自分だけのためにコーヒーを淹れたい客用に小さなコーヒーメーカーを買う。半額。
好きなインスタントコーヒーを買う3つで2つ分の値段。街中でカフェを探したがそんなものはない。コンビニに飛び込んで大好きなシェイクをと思ったが、それもない。やはり田舎なのだ。

グアテマラ側で女衆がトルティーヤを山の様に買っていて、そばからもしゃもしゃと食べていた。ここのトルティーヤはメキシコの物の様に薄い。勢いよく口に入れるので二口でなくなってしまう。左手でトルティーヤを掴み、右手で具材を掴む。両の手が合わさったかと思った途端、具材は包まれ口元へ、頑丈そうなアゴが2回動くとトルティーヤはなくなっている。各自が中に挟む具材を用意してきていて互いに分け合っている。4枚も食べれば十分なのだけど彼女達は10枚も一度に食べる。一緒に店に入り昼メシを食べる時も持ち込んだトルティーヤをドサリと出して堂々と食べる。トルティーヤが足りなくなった女はコジキの子供を呼びつけて10ペソを渡しトルティーヤを買ってこいと命じている。子供が戻り無かったと言うと舌打ちをして、もう一度探せと強面に命じていたのを見ておののいてしまった。女衆はなぜかマヤ語だけで話すので、周りのメキシコ人はキョトンとした顔をしている。少しだけわかるので聞いていると結婚辛辣なことを言っていて、迫力に負けてしまった。
ここは暑いので女衆は汗だくとなり、顔中びしょ濡れだ。フーフー言いながらもあの店この店をめぐり、物怖じせずにガンガン交渉している。イミグレに行くので先に行くと言い残して、国境へと戻る。日帰りなのでどうかと思ったが難なくスタンプをもらい待ち合わせ場所に戻ると婆さんだけが戻っていた。他の女衆はまだだった。婆さんは毛布を買っていた。値を聞くと驚くほど安い。婆さんはとても喜んでいた。時間があったので村を散歩する。やはりこちら側は向こう岸とは全然違う。川を隔てただけなのに道路は未舗装、店も汚いけれどこちらの方が性に合っている気がする。

オバハンに声をかけられる。「中国人か?私は大好きなんだよ」「残念ながら日本人だ」「中国と日本は違うのか」「全然違う」「韓国とも違うのか」「全然違う」「これから私の家に来い、色々な事がしたいだろ」手を握り、こちらの手のひらを指でくすぐっている「悪いが今日は帰る」「そう言わずにおいでよ、沢山してあげるから」「そうかそれはありがたいな、考えておく」手を振り切って別れた。なんだかおかしくて笑いがこみ上げてしまう。来てよかった、旅をしている様だ、知らない場所はやはり楽しい。小腹がすいたので屋台に入る。鳥の炭火焼とトルティーヤを食べた。やはり4枚で十分だった。トライシクルに乗ってガタゴトときた道を戻った。

女衆はまだ帰って来ていない。グアテマラにはオラ チャピィナと言う言葉がある。時間を守らない彼等に向けた言葉。1時間は遅れても何も言わない。彼らはホントに時間にルーズ。案の定3時間も遅れて帰って来た。待っていた者が文句を言っても絶対に謝らない、言い訳にもならない言い訳を堂々と言ってはばからない。それにしてもたいした根性だと感心してしまった。
待っている時間、メキシコ側から続々と荷物を満載したイカダが戻ってくる。あまりに重いのでイカダが傾いている。竹竿をついた拍子にバランスが崩れて2人ほど川に落ちてしまった。それでも彼女達は皆、満足そうな笑顔だ。岸には荷運びの子供がいて、彼女達の荷物を車へとせっせと運んでいた。荷台に積まれた荷物の隙間にもぐりこむ様に座って去って行く彼女達を見ていて、これもありなんだと思った。国境という見えない線はココにはなかった。経済という得体の知れない怪物はなりを潜め、小商いだけがここでは盛っていた。人々は幸せであった。両の手に持てる分だけの荷を運び、小さなトラックに満載して帰路につく。これでいいのだと思った。次回は彼らの様にイカダに乗って川を渡ってみよう。それはちょっぴりスリリングな旅になるに違いないから。

日々雑思 なんだかなぁ

夜、いつものように踊りに行くと女が一人で待っている。まだ来ていないのかと挨拶をするとズンバの先生の旦那さんがバイクで事故に遭ったと言う。「いま病院にいるが良くない、今日はズンバはない」この村ではよく事故が起きる。免許などない。だからルールなどない。子供も乗る。3人で乗る。4人で乗る。事故を起こし皆死んでしまうか、カタワになってしまう。
先生は旦那は頭に血が溜まり専門家が必要だと言う。目の下にクマができ、憔悴して気の毒であった。ことの詳細を聞いた一同はうなだれた。しばらくはズンバは休みとなった。

アボカドの木に実がなり喜んでいたが隣家の旦那から葉っぱが庭に落ちて掃除してもすぐに汚れて嫌だ木を切れと言われる。毎年の事なのに今年に限って言ってくる。よく物を貸してやり、冷蔵庫も貸してやった、電話も貸してやったのに。このところいろいろと要求ばかりされるので、思い切って怒ってやった。木を切り倒した後、「お前らには随分とよくしてやったのになぜだ、こちらも気分が悪い、木は望み通り切ってやったぞ、今後は助けてやるのはやめる」旦那はわかったと一言言って引き下がった。女房は口をきかなくなった。

切り倒したはいいが、切り株を取り除くのに一苦労している。根元を掘り返すと建築資材がガラガラと出てきてげんなりしてしまう。篩にかけ毎日仕分けしているが、進捗の見えない作業は気が滅入っていけない。それでも日が良く当たるようになったので畑にして野菜を植えようと気持ちを切り替えた。後日、切り株をチェーンソーで切ってもらおうと電話で頼む。「月曜日の午後に行く。セグーロだ(確かだ)」と聞いた僕はうなだれた。セグーロ、ノーテンガペーナとペドラーノが言うときは大抵来ない。案の定月曜日には来なかった。やはりこの村では知り合いの伝手で頼むのが一番いいらしい。

村の犬がたくさん死んだ。毒を食わされて、口から泡を吹いて死んだ。まだ生きているものも腰が抜けて大小便を漏らして苦しんでいる。増えすぎた犬を駆除することはこれまでもあったけれど毎晩のように毒を撒かれているのは初めて、少し怖い。注射をした印の赤い首をした犬も死んでいる。飼い犬も死んでいる。外人が警官に食ってかかっている。話によれば犬を好かないグループがいて、毒を撒いているそうだ。おそらく村の者は誰がやっているのかを知っているのだと思った。
この村はたくさん野良犬がいる。貧乏人が飼いきれなくなって捨ててしまう。いたずらに子を作り、大きくなると捨てる。犬はどんどん増えていく。去勢手術などしないので、好き放題増える。一方で狂犬病の恐れがあるので増えすぎると道端に毒を撒いて殺してしまう。
アニマルフレンドリーの外人はそのことに怒って大騒ぎをして役所を困らせる。役人はのらりくらりとごまかして、うやむやにしてしまおうとするので益々外人が怒る。死んだ犬の写真をSNSに投稿してニュースとなった。村は少し異様な雰囲気となった。以前飼っていて逃げてしまったウスイサチヨも道端で死んで異臭を放っていた。顔なじみの野良犬も死んでいた。知らない犬も死んでいた。メルカドに向かう道にいつも居た犬は全ていなくなっていた。犬を殺す者、助ける者どちらにも言い分があってどちらにも一理ある。でも一部の理もないのが貧乏人だ。犬のように暮らす者は犬を飼ってはいけないのだ。

好いた男に振られた女が首を吊った。家が貧乏なのでシェラで働いていたそうだが、家は3階建で立派だと聞いた。きっと死ぬ程好いていたのであろう。恋が成就したところで男は他の女になびく事に気がつかなかったのであろうか、都会で暮らすと人並みの幸せを夢見てしまうのであろうか、わからぬ。

このところギスギスした雰囲気を感じる事がままある。村全体が疲弊しているような感じ。100ケツアル札を出すとつり銭がないと断られる。やたらと物売りがやってくる。昨年はここ10年で最悪の景気だったそうでその影響がジワリと村を苦しめているのであろうか。女中のセシリアにも他に仕事を探せと言っても、働きたいと食い下がる。他の者を雇うのかと疑ってかかる。山で人が殺される。身包み剥がれて裸で見つかった。どうにも物騒だけれども誰も騒がない。誰がやったのか皆が知っているのだきっと。入山料を払わなかった外人への制裁、ガイドを雇いたくないケチな旅行者への見せしめ的な気がする。皆が皆自らの首を真綿でゆっくりとしめているように思えてならない。いやだねぇ。

日々雑思 チョナ 顔から火が出た

グアテマラという沼にはまってしまいもがいているのだけれど、なかなか抜け出すことが出来ずに3年も経ってしまった。どっぷりと生暖かい沼の泥は体にまとわりつき、剥がしても剥がしても執拗に僕の歩みを止めに来る。頭にくることもあるけれど、心地よく自我を削り取られているような、井戸の底から見上げる空が全てであるかのように耳元でささやかれている気持ちになってくる。それでも少しずつ井戸の壁を登っていて、指の爪は剥がれ、掴まった岩が抜けて落ちそうになるのを必死で堪えるような日々が続く。
シャワーが壊れ、排水パイプから漏水し、水がめが割れ、ベッドの脚が取れ、ガスコンロの火がつかなくなる。皿が割れ、鍋が壊れる。全てがまるで仕組まれたように思えてうなだれるしかない。こうした事に抗うように暮らしているうちに驚くほどの生きる力が付いていたことに気がついた。諦める事なく丁寧に暮らす事が身についた。身を粉にして働くということはこのような事であったのかと今更ながらに思うにいたった。
いっときの忙しさが去り、静かな宿に戻った。壊れた物が早く直してくれと亡者のごとく言い寄ってくる。直して直して使い倒す。そうしているうちに静物に命が宿った。自我を宿した静物は最後まで使い倒してくれ、使い物にならなくなるまで働きたいのだと言っているかの様。神が去った地の暗い井戸の底にあっても宿は少しずつ明るさを増してきている。庭に小さな灯が灯り、客がやっと庭に向く様になった。脆弱であったポンプとシャワーの電源を独立させて安定性が増した。壊れかけていたコンロのすべてに火がつく様になった。まともな皿が手に入り、鍋を直した。こんな当たり前の事に2年も費やしてしまったのかと思おうか、2年で出来たと思おうか。宿に命が宿り始めたことは確かで、ある種凄味がではじめた静物達。そして僕もまた宿の一部となっていくのを知っている。

チョナ

チョナはこの村の友人の1人。家庭教師、料理を教えてやっている女、メルカドの洗剤売り、2娘の母。朝7時、メルカドに近い道端に自分の露店を開く。小さな卓とさらに小さな棚を並べて石鹸、洗剤、スポンジなどを広げる。どかりと腰を下ろしていつも何かを食べている。威風堂々した風貌。買い物に行く時は軽く挨拶をする程度だけれど、たまに隣に腰を下ろして世間話をする。
「さっき日本人がお前の家の方に歩いて行ったぞ」
「あぁ、さっきすれ違った。すれちがう女が客になるとは思っていないよ」
「スレチガッタオンナガ、キャクニナルトハオモッテイナカッタだヒデキ、相変わらずだあなぁ」
「ではこれではどうだ、さっきすれ違ったのは客だったのであろうか」
「アレー、ヒデキ、ちゃんと言えてるよ」
「そうか、それは良かった。最近はこんがらがっていて自分が何を言ってるかわからなくなる」
「それならここに来て話せば良い。喋れば覚える」

客が来て石鹸を選び始める。何人もやって来る。みんながチョナの名を呼ぶ。以前、メルカドで物売りをするのはみんなと話せるから楽しいと言っていた。見ていると全部の客が石鹸の匂いを嗅いでいる。聞くと石鹸や洗剤の匂いはとても大切なのだそうだ「黄色は人気だ、青は匂いが少ないから人気がない、黄色がない時は緑がいい」「ならば全部黄色を買えばよかろう。簡単に稼げる」「あはは、そうだな」「このトイレットペーパーは別のか?」「そうだヒデキ、新しいのにした。全部一緒だが値段だけ違う。安い。あっちは14.5でこっちは13.5だ」「それはいいな、でも確かか」「あーぁたしかだよ、メーカーだけだ」「そうか、それならば次回はこれにする。今はゲリの女が泊まっているから、硬いと尻がかぶれて痛かろう、だから悪いのはダメだ」「どうした」「腐ったバナナパンを食ったのだ」「あぁーれー、お前が食わせたのか」「バカを言うな、ひらって食ったのだきっと」「拾ってだ」「拾うだろ」「拾っただ」「もう少しちゃんと覚えろヒデキ」「あははは、そうだな、最近は妄想の話と未来の話を練習しているので益々こんがらがって自分がいったいなにを喋っているのかわからなくなる」「さっき聞いた」「そうか」「そうだ、あははは」「でなんだっけ」「忘れてしまった」「それじゃあとで」「あーヒデキ、あとで」

チョナは優しい。根気よく客のレッスンをやっている。客が喋れないと心が痛むと言う。娘に英語を教え、都会の学校へ行かせるために朝から晩までよく働く。家事もして旦那の面倒もよく見る。ちいさな方の娘がばぁちゃんの家にいくのを嫌がるので自分の時間を削ってあやしてやる。ホームステイを受け入れたいと料理を勉強している。こういう者が報われるようになれば良いのに。

顔から火が出た

世の中には同姓同名の者がいて、時に混乱を招く。それは日本でのことであると高を括っていたのが間違いであった。ひと月ほど前、好青年が宿を訪れ、楽しい話を聞くことが出来た。コーヒーの勉強のためにグアテマラにやってきた彼。熱心にカフェに通い、夢を追いかけていた。僕はとっておきのカフェを教えてあげ、彼も気に入ってくれたと思う。そこは客席が2テーブルしかない小さなカフェで、とても居心地の良い、人には教えたくないお気に入り。そこの豆は特別な製法で作ったものでコーヒーなのにフルーツの香りがして、飲み口がまるでワインのようなアイスコーヒーが飲める。一度、豆を買って自分で淹れてみたがどうにも同じ味にならず諦めていた。彼もまたそれが気に入ったみたいだ。色々と話を聞いているうちにもう一度やってみようとあれこれと試していたところで、もう少しのとこまで近づける事が出来てきた。一度彼に味わってもらいたいと思っていたところだった。

最近来た客は、倅と同い年。なんだか子供を見ているようでじれったい。ついつい親のように接してしまうと彼はプンプン怒っているのだけれど、それもまた懐かしい気分にさせてくれる。なんだかんだと自信を持って言うところが可愛らしくて久しぶりに穏やかな気持ちになった。彼はメキシコに向かい、日本に帰国する予定だと言って発っていった。

数日後、メールが届いた。そこには男の子の名前が書いてあり、1週間ほど戻って来たいと書いてある。僕は驚き、何かあったのではなかろうかと老婆心が出てしまった。そこにはアンティグアにいると書いてある。僕は混乱してなぜアンティグアなんだと思ったけれど、すぐにそこにいろとメールを返した。きっとなにかあったのだ、一緒に出ていった兄貴分のような青年となにかトラブったのか、好きな女の子でも出来て急遽流されるようにアンティグアに行ってしまったのだと思い込んでしまった。メールも乱暴な書き方をしてこちらに戻って来るようなことの無いようにしてしまった。

ところが、僕は大きな勘違いをしていた。それは以前泊まっていた好青年からのメールであった。なぜと思い、名前を見ると同姓同名であった。なんという偶然。不覚にも僕は2人を取り違えていたことに気がついたのは彼の最期のメールを見たあとだった。慌てて詫びのメールを書いたのだけれど後の祭り。その日は思い出すたびに顔から火をふく思いをした。まさか、こんな異国にあって同姓同名の人が泊まるとは。そういえば以前、この宿で会った旅人が偶然にも小学校の同級生であった。そんな事もまた旅の驚きであるのかもしれない。それにしても客商売をしているというのにとんだ失態をしてしまった。少し油断があるのだ。このような宿に来てくれる客であるのだからもっと大切にしなければならないと深く反省した。

日々雑思 ある1日

スセリーからもらった猫を去勢手術に連れて行く。これですぐにおとなしくなると思っていたが麻酔から覚めると夜中にどこかへ逃げてしまった。もううちの猫ではない。朝、ひょっこりと戻って来たので情に流され餌をくれてやる。ところがこれまで猫を気づかっていた犬はあっさりと猫の餌を食べてしまった。猫が欲しいとねだると、威嚇して絶対に譲らない。客がたしなめるがすっかりと全部平らげてしまった。犬も猫がもううちの一員ではないとわかっているのだ。セシリアが「かわいそうだなんとかしてやれ」という。「あの猫は自由を選んだのだ。あの猫の選択なのだ。以前お前がしたようにあの猫もバカな選択をしたのだ。去る者は追わん」と突き放す。「私は戻って来た」というので「バカな女だ。女は皆そうだ。だから女を信用しないのだ。早く仕事にかかれ」というと膨れて3階に行ってしまった。

宿の毛布を一斉洗濯。所狭しと干した毛布は気持ちがいい。水をたくさん使い普段の節約のうっぷんを晴らすように洗いまくった。風が水気をあっという間に運び去り、洗剤の匂いがほんのりと残った。陽の温もりがこもった毛布を一枚一枚丁寧にたたみ端を揃えて積み上げた。朝きたセシリアが全部洗ったのかというのでそうだと答える。お前が洗えと言ったのであろうがと思ったが口にはしない。彼女が来てから宿がみるみる蘇るように綺麗になっていく。客の満足度も上がっている。文句を言わず黙々と働いている。きっと仕事を失う怖さを覚えたのであろう。

庭のビワの実がたくさんなったのでセシリアにくれてやる。仕事の合間によく捥いで口にしているので好きなのであろう。一緒に木の枝を引っ張り好きなだけもがせる。ついでに庭のアボガドもいくつかもいでやった。カゴにいっぱいになった実を見て満足そうに笑っている。「市場で売るなよ」「あははどうしてわかった」「お前の目はいつもドルマークが付いているのですぐにわかるのだ」「マジか」「ああマジだ、早く帰れ。お袋に持って行くのだぞ、お前のではない」「ありがと。私のではないのだな。また明日来る」「明日はいらない月曜日にくればいい」「もし気が変わったらいつでも電話してくれ」「ああそうする。でもしないよ」

「どうした。ピーマンは嫌いか」「細かく切ってあるのは好きだ」「ではなぜ食わぬ」「これは大きい、いつもはもっと細かく切ってくれているのでそれは好きだ」「肉はどうだ」「肉も同じだ。細かく切ってあるのがいい」「海鮮はどうだ」「カニは好きだ。食べたことがあるか」「ある。でもあれは虫がいるので客には出さん」「あーあれか小さい」「そうだ、だから料理が面倒なのだ。日本にも同じカニがいるが手間がかかる。でもそれで作ったスープはうまい」「作れるのか」「お前にできて、俺にできぬ料理などない」「あはは、そうかセニョール」「そうだセニョリータ」

「風呂のカーテンが汚い。洗っていいか」「洗え」「もう庭の掃除は終わったのか、廊下はまだやっていないだろ」「やった。お前より綺麗にやった」「あははそうかセニョール」「そうだセニョリータ、見てこい」「それでは階段だけだな」「あぁ階段だけだ」「そうだぁ、明日は来れない。なぜなら友達が結婚するのだ、祝ってやりたい」「行ってやれ、同い年か」「一つ下の23だ」お前はまだかと聞きそうになり慌てて口を閉じる。まだやりたいことがあるのであろう、余計なことは聞くものではない。こちらには知らない権利があるのだ。「なんだ」「なんでもない」「なにか言いかけただろう」「何も言いかけていない」「…」「…」

早くに結婚してしまえばいいのだ。好いた男もいて年頃なのだ。この国では女に学はいらない。若くして子を産み、ろくに稼ぎのない旦那に従い、小商いをして家計を支えるのがこの国の大半の女の生き方。それを受け入れることが出来ず頑張る者は要らぬ苦労をすることになる。それができる者はごくわずかでしかない。神にすがり生きる糧とした方が楽なのだ、大学に通うための金をへそくりにしておけば、いくばくかの助けになるであろうに。その昔、大学に通う者が半数にも満たなかった頃。娘が大学に通いたいと言い出すと「悪いことは言わないから、せめて短大にしておきなさい、そこで少し遊んでから働いて2、3年で良い人を見つけて結婚するのが一番の幸せだから。お茶のくみかたがうまい人は良い人を見つけられるのよ」と親戚のおばさんから諭され、最近の若い娘はと色眼鏡で見られた女性がどれだけいただろう。大学に進み総合職を目指した女性がした苦労を思うと皆の様に暮らせと言いたくなる。この宿で稼ぐ小銭に満足するようではダメなのだ。”分相応”この言葉が最近重くのしかかっていけない。

宿で働くスセリーを見ていて思ったことがある。はじめのうちはいろいろと知らない世界を見せてやりたい。世界を広げてやりたいとずいぶんと身勝手なことを考えていた。ある日ふと考えていてゾッとした。この村の若者の世界観は狭く、教養もない。それでも彼らは彼らなりの世界観を持ち、暮らしている。もしスセリー1人だけが日本人と同じような教養を持ち、視野を広げてしまったらおそらく彼女はここの暮らしに耐えられないのではないか。自分の身勝手なおこないが彼女の不幸を作っているのではないかと思うに至ってしまった。この村から出て行けるチャンスを与えることなく一方的な思いで自分の道徳観や倫理観を押し付けるのは傲慢でいやらしいおこないでしかないのだ。姉のセシリアが戻り、以前にもましてよく働き、生き生きしている姿にいたたまれなくなる時がある。どう接していいのかわからなくなる。以前のようにコラソンネグロ(黒い心)でいた方がいいのかもしれない。

「ヒデキ、日本人がアメリカに行くのは簡単か」「簡単だ、働くことも出来る」「ずっとか」「ずっとの者もいれば、少しの者もいる」「私もいつかアメリカに行って働きたい」「モハード(不法就労の隠語)でか、コヨーテ(不法入国を手助けするマフィア)に知り合いでもいるのか」「親戚が使った。私もやりたい」「無事に入国できる者ばかりではないぞ、仕事も見つからないだろう、特に女は危険だ」「知ってる」「お前も身体を売ることなるのだぞ、それでもいいのか」「…」「真っ当な生きる道を探せ、ここにはお前の神がいる。それにすがって生きるのが一番良い、金持ちの男を見つけろ。馬鹿な男はダメだ。働かない男もダメだ。優しい男はもっといけない。覚えておけ。今日はもう仕事はない帰れ。また明日遅刻せずにこい」「今日は帰る、また明日、良い一日をヒデキ」「お前もな」。

日々雑思 サンマルコスの休日

猫に盛りがつき、毎晩うるさい。妙な声で鳴く、小便を垂れる、言う事を聞かず、すっかりバカになってしまった。年端もいかない女子は盛りがつくと狂ってしまうのは人もケモノも同じなのだ。
ウーゴウーゴとあまりにうるさいのでサンダルで頭をひっぱたいてやったら正気に戻ってきた。よほどこたえたのか目が回ってしまっている。ヨレヨレとしながらボーとなった。しばらくすると再び鳴くのでサンダルを脱ぐと鳴きやんだ。まったく近寄らなくなってしまったけれど、ここは宿なのだ。金を払ったお客に迷惑をかけるケモノに権利などないのだ。働かずタダメシを食らうだけのケモノはおとなしくしているか、捨てられてしまう事をわかっていなければならない。カフェはよく心得ていてセンはまだ心得ていない。それでも夜は首元で寝ているので飼い主は覚えているのであろう。この猫はマシで聞き分けを覚え出している。

すっかり客のいなくなった宿で今年は客1人か2人で静かに年を越そうと決めた途端に、バタバタと問い合わせがある。すでにおやすみモードになってしまったので、なにかと理由をつけては断りまくったのだけれど、飛び込みでやってくる旅人は断ることもできずに受け入れた。食事を頼まれる。日本食はやっていない、グアテマラ料理を食べに行けと言うのだけれど、宿の飯を食ってみたい。期待してきたと言う。それでも来たばかりでなにも客について知らない間は日本食は出さない。けっしてロクなことにならないことをしっかりと学習してしまったのだ。そう言うと決まって誰々さんに聞いたと言われるのだけれど、そんなバカな話を信じて来たのか、騙されたのだ、気の毒にと優しく諭してあげる。例によって友人を呼んでも良いかと言われ出す。空き部屋がある事を知ってしまった者の口に蓋をすることも出来ずうなだれながらもダメだと断る。去年までは言えなかった事が言えるようになったのは少しは成長したのか。どちらに転んでもロクなことにならないのである。

スペイン語を習うことにした先生と出かける。対岸の村。ここは美味しいコーヒーがあって最近はここで買うようになった。移動、買い物、食事を楽しみながら会話をして僕のスペイン語の穴を見つけてもらおうと思ったのだけれど、すっかり2人で楽しんでしまった。ふとした時に言いたい事が言えず、あっこれだと思うのだけど、そのときにすぐに聞かずに後回しにしているうちに雲散霧消してしまい、後からさがしてもあれっなんだったかしらと思い出せない。ジェラートを食べているときローマの休日でグレゴリーペック演じるジョーブラドリもアン王女とのスクープを忘れてしまったのは無理もないとボンヤリしていると、どうしたのだと聞かれて我に返る。見ると彼女の手がジェラートが垂れて手が汚れている。貸してみろとコップの水に浸したナプキンで拭いてやると小さな声でありがとうと言った。サンマルコスには泉もなければ手を突っ込める口もない。もしあったら僕の手は見事に食い千切られてしまうので入れるわけもないのだけれど。それでもいい休日となった。
大人しく、控えめではあるけれど今のところ僕の質問には常に答える彼女。レッスン中にうっと詰まるのは、僕に足りていないところをキチンと見つけてくれている証拠。文法がわかると言うのはこういうことなのかと開盲の僕に見えるように教えてくれる。
育ちの良さが溢れ出る彼女、僕のような輩が教わるべきではないような、キレイなものを汚してしまっているような罪悪感がつきまとい、レッスン後にうなだれてしまう。

嫌な予感しかしない。複数の人を雇ったり使ったりしだすとお互いのことが気になりだすようで、しきりにアイツはどうなのだと聞かれるようになる。根が単純なのですぐにそれは嫉妬 や怒りに変わる。ここの雇い主たちはすぐにクビにしてしまうので不安が常につきまとっているからだけれど、それと同じくらい我先感を出す彼らを見ているとハフゥとため息が出てしまう。遠慮といった感覚はなく、むしれるだけむしりたいと考えてしまうのは、明日に生きない者の性なのだろうか。仕事が欲しいと懇願し、与えると途端に当たり前のように考え始めてしまう彼らはある意味でわかりやすいのだけれど、手綱の取り方がいまだにわからない。何度も痛い目にあって来たので結果、嫌な予感しかしなくなってしまったのだろうか。

村の中はクリスマスのイベントが毎日のようにあって、活気がある。広場でバンドが演奏し若者が熱狂する。教会に信者が集い賛美歌を歌う。道々に人が溢れ、屋台が賑わい、老いも若きも皆楽しそうに夜長を過ごしている。パーティが夜な夜な開かれ、目があさっての方向を向いている外国人が秘密パーティからゆったりと宿に帰ってゆく。明るい者、沈んだ者、怖がる者、笑う者はそれぞれ使った物の違いだろうか。裏路地に広がる甘い匂いやすえた匂いは6番目の感覚を研ぎ澄まされた者たちにはどのように感じられるのであろう。
宿のテラスに座り夕食後の客の夕べが終わるのを待つ。出かけていった者の帰りを待つ。若者らしい楽しみ方が出来なくなったのはいつからであろうか。遠くから聞こえるラテンのリズムに身を任せ、珍しく曇った夜空を見上げていると客に呼ばれトイレが壊れている、鍵を部屋に入れたままロックしてしまったと矢継ぎ早に言われ我に戻った。宿はいっときの忙しさで急に賑やかになってしまった。ろくなサービスもできない宿が益々酷いものとなる。アレがない。コレを何とかしてくれ。やってもいいかと言われてばかり。日本の宿で働く人はきっとすごい人達なのだろう。グアテマラにあってもそうした事を要求されるのは、僕がまだ日本人に見られているという証なのだといい方に考えておく。

年末が近づき、そろそろ少し物騒になる時期となった。すべての旅人が何事もなく無事に目的地に着くことを、楽しき仲間と巡り合い穏やかなクリスマスと年越しを迎える事が出来ることを願う。

日々雑思 あれこれ

庭の木にクリスマスの飾りをつける。特段の思いをキリストさんに持っているわけではない。季節感のない国に暮らすとどうにもメリハリがないのでこうした事でもしておかないと心の置き場所に困ってしまうから。朝、スセリーがやってきて、すぐに気がつき「かわいい、お前がやったのか」と言う。こうしたことにすぐに気がつくのは彼女の心が繊細だから。普段は減らず口を叩き、強がってばかりいるのだけれど心根は優しい。まるで自分の娘の様に可愛くて仕方がない。わかりやすいほど贔屓にするので客も呆れている。なにを言われても彼女は特別なのだ。彼女が働き出してかれこれ10カ月となる。決して良いとは言えない彼女の働きぶりだけれど、それでも少しずつ良くなっていく姿を見るのは親が自分の娘の成長を感じるのと同じ気持ちなのであろう。来年から隣村の学校へ通うため仕事は今年限りとなる。早くもぽっかりと心に穴があいてしまった。

サンペドロの人を雇入れるのは簡単だけれど使うのはとても難しい。毎日のように頭を悩ますことばかりなので、女中はスセリーで最後にしようと決めていた。いつものように仕事の後、2人で朝食をとっているときにスセリーが「お姉ちゃんがもう一度働きたい。ヒデキに話してくれ」と言っている。と切り出した。「私は働けない。ヒデキどうするのだ、新しい女中を雇うのか、ならお姉ちゃんがいい」と言う。僕は答えに詰まってしまった。勝手にブチ切れて出て行ってしまった彼女を雇うリスクは避けたい。少し考えるとだけ答えて3日ほど後にやんわりと断った。1週間程して、またスセリーが食い下がる「私以外の人がここで働くのは嫌、働くならお姉ちゃんでなければ嫌だ」「もう、断ったであろう。諦めろ」「あの時はお姉ちゃんも間違っていた。お姉ちゃんもヒデキに謝りたいと言っている」いつもならすぐに引き下がるのに帰ろうともしない。”やめておけ”と心が言っている。”また、厄介なことになるぞ”わかっているのだ。ダメだとわかっているのに口から「お前さんがそんなに言うなら一度だけ会ってやろう。ただし話すだけだ。雇うかどうかは決めていない。彼女の話を聞くだけだ。いいか」スセリーは「ヒデキ、コーヒーゼリーを作ろう」とニッコリと笑って席を立ち、さっさとコーヒーを淹れ出した。

果たして、来年からひと月だけ試用期間を設けて受け入れることにした。厳しい条件を出した。スセリーと違うではないかと言われても「彼女は特別だ、お前とは違う。スセリーが頼むから試しに使ってやるのだ。妹に感謝しろ」と突き放した。話しをしても相変わらず心は”やめておけ、どうせダメだ”と警告をやめない。その声は正しいことは承知しているけれど、これはスセリーの頼みなのだ。たとえ間違っていてもスセリーの言うことは正しいのだ。そう決めたのだ。たかが小娘にいいように翻弄される気分は悪くない。

国境にて

ツーリストカードにさっさと記入する。何回も書いているので心得たもの。書き終えて窓口に向かおうと立ち上がったとき、女の子が寄ってきて「コレを書いてくれ」とパスポートとツーリストカードを差し出した。ペンがないのかと思い、貸してやろうとすると「違う、私は字が書けない」と言う。
パナハチェルから乗ってきたグアテマラ人の母と娘3人。バスの中で二言三言会話をしただけだ。一番上の娘の歳は15歳程か。いたって普通の子で身なりも普通だ。パスポートを持っているなんてきっといい家庭なのだと勝手に想像していたので、字が書けないと言われたのには驚いて二度見してしまった。彼女はニッコリと笑ってパスポートを差し出した。真新しく、白いページしかない。IDを見るとパロポの出だ。メキシコの滞在先を聞くと困った顔をしている。大きな荷を持っていたのできっと路上で寝泊まりしながら売りさばくのであろう。いつもはぶっきらぼうの係官がメキシコとだけ書けばいいと言う。奴にもそんな一面があったのかと少し驚いた。サインだけ書けと紙を渡すと。ジッと見つめている。お前の名前を書けと言っても固まったままなので、いいのかなぁと思いつつアナとサンデイとサインも書いてやった。

識字率が低いのは知っていた。でも国外に行くような者までがとは思わなかった。ここでは綴りがわからないときに聞くと、私もわからないと言われることはよくある話。いわゆる文盲だ。普段は困ることがないけれど、そこまで教育が行き届いていない現実は知っていてもショックを受ける。
言葉が出来ないというのはふた通りあって話せないと書けないに分かれる。旅人でも話せない人はいるけれどそれは他言語のことであって母語はもちろんできる。しかし書けないとなると、しかもそれが母語であったり母国語であったとしたら心持ちはいかようとなるのであろうか。以前、海外のホテルでなにかが書けないことがあって非常に恥ずかしかったことを思い出した。
彼女達は特段恥ずかしい感じも見せずに、礼を言うと窓口に向かい入国手続きを済ませた。その姿にたくましさを見た。はじめて行く外国、野宿をしながらの商売、字を書けず、おそらく計算も得意ではないであろう。それでも幼い子供を連れて出かけることに驚きと力強さを感ぜずにはいられない。僕にそのようなことができるであろうか。

まだ捨てたものでもない

間が悪くてバスに乗り遅れてばかり。国境から少し入った大きな町に着いたときにはすでに暗くなってしまっていた。普段ならいさぎよく諦めて一泊するのだけれど今回は帰る途中に連絡が入り、急ぎ戻らなくてはならない。犬のカフェ猫のセンも心配だ。バスが停まっている間にトイレに行く。戻るとすでにバスは消えていた。またかよとガッカリしていると屋台の娘が声をかけてきた「食っていけ、カフェも熱いぞ」「シェラ行きのバスは何時だ」「6時半だ!食って行くか?そこへ座れ」言われるままに座り「何がある、コーヒーはブラックか」「牛がある、コーヒーはすまん砂糖入りだ」僕は彼女が気に入った。チャキチャキとして外国人の僕を見ても怯むそぶりもない。スペイン語を話すこともあるけれど自然な仕草がとてもいい。すぐにテキパキと料理を運んできた。食べはじめた途端にバスが動き出す。「あー」と声を上げると彼女はバスのところに走り寄り戻ってきた「大丈夫だ道の向こうに移動したのだ、送ってやるから安心しろ」と言う。送ってやるとはどういうことなのかはわからなかったが、ダメならここに泊まろうと決めた。食べ終わると男が現れてバイクの後ろに乗れと言う。彼女の方を見るとニッコリと笑って行け行けと言う。僕は訳もわからないままバイクにまたがり彼女に礼を言った。バイクでしばらく行くとバスがあった。男にも礼を言い僕はシェラに向かった。
旅をしているとこうした不思議なことがたまに起きる。普段ならありえないような優しさに触れることがある。何もかもがうまく回らないときにこうしたちょっとしたことに出会うと気持ちのざらつきがスッと引き、旅も悪くないなと感じることができるのだ。すっかり暗くなり、町がざわつき、人々がわらわらとしている。久しぶりに味わう町の雑踏は普段のサンペドロの暮らしとは違って僕に外国にいる事を感じさせてくれた。なによりもグアテマラが合っているのだ。文句ばかり嫌なことばかりだけれど僕にはこの国が合っている。それがなんであるのか、僕の傷を癒してくれているのを最近ハッキリと感じるのだ。日本では生まれてくる時を間違ったと感じる事が多かったのにここではそんなことは微塵も感じることがない。きっと僕は古いやつなのだ。新しいものを欲しがらないバカなヤツ。鶴田浩二の唄にあるように右を向いても左を向いても真っ暗闇のこの国で前を向いて進むことが出来る。それはまだもう少しだけ生き残る希望なのかもしれない。

話す時には

バスに乗ると白人が挨拶をしてくる。なんの問いかけもなくいきなり英語で話し出す。僕はなんだよと思いながらも英語で答える。最近また英語を使う機会が増えてきた。すっかり下手くそになったと思っているのだけれど、会話は以前よりはマシになった気がする。きっと自分の気の持ちようが変わったのだ。ちょっとした小話程度ならボロを出さずにできる。耳もよく聞こえ、口もちゃんと動く。この外人も僕の言うことはよくわかってくれているようで、どこで覚えたのだと言う。日本人と話すときキョトンとされることがあって、自分の英語を疑うのだ。

隣の若い子がスペイン語で話しかけてくる。スペイン語で答える。スペイン語も出来るのかと言うので英語よりはマシだと思うと答える。フランス人でスペイン語を練習していると言っている。そういえばバスを待っている間に観光協会のアンケートに答えていた。はじめはスペイン語だったが途中でわからなくなって英語に切り替えていた。僕も英語かスペイン語かと聞かれたが、どっちでもいいけど、自分は観光客ではないと言うとガッカリしていた。しばらく彼女のスペイン語に付き合ったがフランス語や英語訛りのスペイン語はどうにもいけない。鼻につく。先ほどの白人が話したそうにしていたがイヤホンをつけて話しかけるんじゃねぇオーラを全開にしてやった。そんな時でもグアテマラ人は容赦なく話しかけてくる。ひとしきり話しておしまい。バスの運転手は僕を覚えていて、帰りはいつだと言うので帰りはシャトルは使わぬ、カミオネータで帰ると言うとなぜだと言うのでいつもお前らのバスは遅れるからだと言うとあーと苦笑いをしてブツブツ言っていた。

日本人と話す時はついつい余計なことを言ってしまう。普段言えないことも日本語でなら話せるから。それが嫌で仕方がない。日本語は自分の気持ちと言うことを一致させる事も出来るし、わざと乖離させることも出来て自由自在なのだけど、時に相手が自分とは違うことを忘れてしまい。慌てて口をつぐむことも多い。努めて丁寧な物言いを心がけて波風を立てずに済むようにしなくてはいけない。他言語ではストレートに聞けることも日本語では注意しなければ人格まで否定されかねない。長いこと日本を離れているので自分は中途半端なのだとよくよく言い聞かせている。

日々雑思 欲しかった者 グアテマラ人のメンタリティー シイタケさん

欲しかった者
以前から気になっていた女の子がいる。可愛らしい。内面から人柄が滲み出ている。話していて気持ちがいい。親切で仕事を見ていても誠実であることがすぐにわかる。仕事の後、夜間の学校に通う。英語の勉強もしている努力家。

そんな彼女が仕事を辞めたがっていると聞いた。彼女に会いに行って確かめるとその通りであった。辞めた後のコトを聞くとスペイン語学校で働きたいと言う。そんな時、うちの客の1人が彼女と仲良くなってスペイン語をあっという間に話せるようになって僕を驚かせた。話を聞くとただ話しているだけだと言う。僕はすぐにピンと来た。彼女もまた天才肌の持ち主かもしれない。翌日、僕はすぐに彼女のもとへ出向き、家庭教師の話を持ちかけた。「もし、仕事を辞めたら次の仕事までのつなぎでもいいからうちで家庭教師をやって見ないかい。もちろん、技能確認はするけど君なら出来ると僕は信じているんだ」と伝えると「とても興味深い話しね、やって見たい気がするわ」と言うので僕の電話番号を伝えた。しばらく間があって連絡があった。僕は即日彼女と面接をした。その前から雇うことは決めていたのだけれど、仕事の内容について話すと彼女の顔はみるみるほころんだ。なにせ彼女が1日で稼ぐ金額を数時間で払うと伝えたからだ。理由は一つ。彼女と話していると不思議とスペイン語が話せるようになるのだ。文法や机上の勉強ももちろん大切ではあるけれど、僕は話せるようになりたいと言う客をサポートしたい。文法ばかりで話せない者をたくさん見て来た僕は会話をしながらスペイン語を教えることが出来る人間を探して来た。英語、スペイン語それぞれで僕は数人の天才肌に出会った。そうしたことができる人間がいることを知っている。誰にでも合うわけではないけれど、コレはと思う客に紹介してあげたいと思う。安心して間違ったコトを言えて、話していても緊張しない先生は数少ない。レッスンに紙や鉛筆を必要としないレッスン、するすると魔法のように言葉が心に刻まれていく、知らずに言葉が口から出てくるような練習相手。おそらく彼女はそんなレッスンが出来る1人だと確信している。さっそく1人の客に彼女を付けた。会わせたその時から客は彼女とのレッスンが楽しみだと言う。僕は内心ニンマリしてしまった。そう思わせるだけの何かをすでに客も感じ取っているのであろう。残念ながら彼女が教えることができるのは1日に1人だけ。それでも旅のツールとしてのスペイン語を伝えたいという僕の夢に一歩近づいたことは確かだ。なんと言われても彼女を大切にしたい。喋れないのを学校や先生のせいにするような輩には絶対に紹介しないし、頼まれても断る。そんなつまらないことでせっかくの才能を潰したくないから。僕はまた一つこの旅で欲しかった物(者)を手に入れた。

猫襲撃からグアテマラ人のメンタリティを見る

グアテマラ人はなんでも金で解決を図ると前々から思っている。「これはいくらだ」「いくらなら売るのだ」「まからないのか」などなどあまりに直球を投げつけてくるのでへきえきとなる。

ある日、アナと掃除をしているとなにやら下が騒がしい。隣のピットが「たいへんだーヒデキー猫が死ぬぞ、ネコが死ぬー」と血相変えて駆け上がってくる。「どうしたのだ」と慌てて降りる。母親のドーラが支離滅裂に怒鳴っている。カフェも大興奮して叫んでいる。「どうしたのだ」とドーラに聞くと「前の家の犬が入ってお前の猫を襲っていた。死んだか」と言う。見ると犬のヨダレともらした糞尿にまみれた猫が丸くなり「フゥーフゥー」と威嚇の声をあげている。近づいて抱き上げると口が裂けている。相当やられたようだ。ドーラが「カフェが懸命に止めていたがやられてしまった。カフェは偉い」と褒めている。カフェが足元に来て下から見上げているので褒めてやる。猫を2階に連れて行くとアナが「どうしたのだ」と言うので「お前の犬2匹が猫を襲ったのだ」と答えるとアナが珍しく取り乱して「あーたいへんだー」と猫を見てから「ちょっと帰る」と言うや否や飛び出して行ってしまう。しばらくして「ヒデキ悪かった、犬達を懲らしめてきた、たくさんぶってやった」と言う。「アナ、あまり懲らしめるな、お前の犬だ、気にするな」となだめる。糞尿まみれでは可哀想なので洗ってやらなくてはいけないが、今はショックが酷そうなので、首輪につないで、2階で休ませた。
夕方、仕事を終えたアナの兄が謝りに来た。とても丁寧に謝り、申し訳なさそうにしている。ほーグアテマラ人にもこのような気持ちがあるのかと感心した。

最近、めっきり帰って来なくなっていた猫。もしや、悪い虫でも付いたかと内心ハラハラしていたが、ある朝、満身創痍でビッコを引き引き帰って来て、反省の色を見せていた矢先の襲撃事件にすっかり意気消沈している。せっかくのペッピンさんも口が裂けて口裂け女の面妖となり当分は人様の前に出ることも出来なくなってしまった。ともあれ、繋がれる事を嫌がっている様子もないので謹慎を言い渡した。

翌日、アナがやって来て猫を心配している。昨夜、風呂に入れてやりキレイになると他にも傷があちこちにあった。それを見たアナが「本当に死ななくてよかった。昨日、兄がとても心配していた。ヒデキに悪い事をした。猫が死んだらヒデキに新しいのを買わなくちゃ」と2人で話していたのだと言う。そして「その猫は幾らで買ったのだ」とケロリと言うのを聞いて思わず「そっちカァーい」と日本語でツッコミを入れてしまった。アナはキョトンとしていたが、まだまだグアテマラ人のメンタリティが分かっていないと反省した。

シイタケさん

「そもそも愚老の易断は、下世話に申す当るも八卦当らぬも八卦の看板通り、世間の八卦見のようにきっと当ると保証も致さぬ代り、きっと外れると請合いも致さぬ」と言うやうにいい加減なものではあるけれども、時に人の心を救う事もある。だいたい救われたと言う人間は心が弱っていて救いが欲しいと思っている節があるので、書きようによってはどんな占いでも当たっているものだ。

宿をやっていると妙齢の女子がやってきて、きっとそのような話をし始める。正直、苦手な部類の話ではあるけれど、無下にする事も出来ないのでこの占いはよく当たっている。この相性診断はすごいと言われ「あーそうなんですかぁ」と適当に相槌をうってやり過ごす。ところがこのところ何人かの女子から”シイタケ”と言うワードを続けざまに聞いた。気になり調べてみる。せっかくなので自分の占いを見る。読み終わった時、当たっていると思ってしまった自分に驚いた。特段心が弱っている様子も無い。何かにすがりたいと思う気持ちも持っていないのだけれど当たっている気がする。占いは半年ごとに分かれているものを読んだのだけれど、あまり読み過ぎてはいけないとたしなめられた。読みすぎるとそれに頼りきりになるのでじっとして半年毎の楽しみにするのだと注意を受ける。

先日、友人から相談を受けたのでシイタケ占いを勧めた。すぐに当たっていると返事が来てニンマリとなる。そして次にあるのはシイタケからシイタケさんとさん付けになるのだ。八卦は当たるも当らぬも請け合いもいたせんと言われているのに。さてこの宿の主人である僕の下半期は果たして占いの通りとなるのか。そのようなことになったら宿名をCasa de Shitakeと変える事にしよう。

日々雑思 タイムスリップ

オンドゥーラスからアメリカを目指す移民の群れが次第に大きくなりグアテマラにやってきた。国境ではグアテマラの警官が群衆に押し切られ、蜘蛛の子のやうに蹴散らされてあっけなくグアテマラに入られてしまった。群衆は更に大きくなって海に沿ってメヒコを目指しメヒコとの国境で今度はメヒコの警官隊と睨み合いになったが、移民達も疲れ、風邪をひき元気が出ないので少し休んだが、その中の元気のまだある者が橋を降りて川を渡り、とうとうメヒコに入ってしまった。メヒコの大統領はアメリカの大統領に援助を打ち切るぞと脅されて少し頑張る姿勢を見せたがダメだ。メヒコに入った移民は今度はアメリカ国境を目指すが道は遠く、暑くてやりきれない。山に向かえば寒くなるので暖かいオンドゥーラスの人では皆風邪をひいてしまうだろう。そんなことを思っている間に群はどんどんと膨れ上がってとんでもない数になりだした。ついに催涙弾が炸裂して皆が涙目になっているニュースを見る。おとなしく行進していたようだけれど少し心配でもある。中米の国々ではどの国も貧乏であったり、悪人がいたりして代わり映えしないのだけど、自分の国が大好きで地元に家を建てたい一心で夢の国に向かう。途中で力つきる者、騙されてオロオロする者、上手くいく者がいて夢がある。

庭のアリが引越しをしている。隊列をキチンと組んで各々が大事に卵を運んでいるので赤黒い中に白いつぶつぶがユラユラとしていて気持ち悪い。お湯を沸かしてかけるとあっという間に隊列は煮えてしまった。念を入れて引越し先の穴にも湯を注ぐ。シンと静まり返った穴をしばらく見ていたが何も起きないので、隊列の最後尾を見に行ったが、あれほどいたヤツらはすでにどこかへ行ってしまった後であった。夢破れた者の末路はいつも悲しい。

友人がやってきてセビチェを食べたいと言う。急ぎこしらえた。手伝っていたアナが我慢できずに試食したいと言うので食わせる。なぜこのように作れるのだ、どこで覚えたのだと言う。しばらく考えるが思い当たらない。セビチェはペールーの料理でシンプルだけれど美味しい。この辺りではサルサにウスターソースを混ぜているので黒っぽい色合いのものが普通。てっきりそれを食べ慣れているのであろうと思っていたけれど、そうではないらしい。さらに食べたそうにしているので、いかんとたしなめる。コレを全部客に出すのか客は一人であろうと食い下がる。あまりに食べたそうにしているので、夜に作ってやるので食べに来るがよいと言うと、セビチェは夜は食べてはいけない。夜に食べるときっと腹が痛くなるのだと悲しそうに言う。なぜだと聞くと、そういう風に言われてるからだとサラリと答えた。やってきた友人に聞くと彼もまた夜は食べないと言う。腹が痛くなるのだと同じことを言ったがビールを6本飲みながら全て平らげてしまった。それにしてもあのような簡単な食事をなぜあそこまで喜んで食べるのかがわからない。たしかに美味しいものではあるけれどもう少し他にもあるだろうに。

スセリーが遅刻してやってきた。訳を言え、面白い言い訳なら聞いてやると言うと、酔っ払いに絡まれていたとつまらない言い訳であったので仕事に取りかかれ、丁寧にやれとたしなめた。仕事の後に食事をさせても帰ろうとしない。どうしたのだと聞くと今日は学校がない。コーヒーゼリーは作らないのかと言うので、それならばそこのコーヒーを使って作れと言ってやる。コレはいつ食べられるのだと聞くのので1時間後には大丈夫であろうと言うと、「待つ」と答えるので買い物に行って来るので留守番をしていろと言い残し出かける。食材を揃えるついでにクリームチーズを買う。戻り、スセリーに見せるとニッコリと笑い、チーズケーキを作るのかと嬉しそうにしている。今日はお前がすべて作るのだ。教えた通りにやってみろ。スセリーはそそくさと作り出す。わからなかったり自信がないところにくるとこちらを見ているので教えてやる。やはりこうした事をやるのは楽しいのであろう。冷やしている間にオムライスをこしらえてやった。うーんうーんと言いながらあっという間に平らげると腹が苦しくなり帯を緩めている。今日はどうしたものかやけに素直で可愛らしい。アナがやって来ると今日は自分がケーキを作ったと自慢している。アナはひゃーひゃーと言っていたが家の手伝いがあるので一旦帰った。出来上がったデザートを一人で半分ほども食べてしまったが用事があるのでコレで帰ると言いやっと帰って行った。入れ替わりにアナがやってきてケーキをくれとせがむので出してやる。美味しい美味しいと言いながらこちらもよく食べよく笑い帰っていった。彼女達には変な遠慮がなく、思ったことを素直にぶつけてくる。それは僕にとってととも心地がよく毎日の楽しみの一つとなっている。

サンペドロにいるとまるでタイムスリップしたような感覚になる事がある。スセリーやアナを見ている時、まるで自分の両親が子供の時はこのようであったのであろうかと想像がムクムクと大きくなり、自分がまるでその親になったような気持ちになる。時期でいえば昭和20年代か30年代にいるような感じ。彼女達がこれから過ごす未来から僕は何かの拍子で迷い込んでしまったようだ。

ショッピングモールに入ると「見て、ものすごく長いエスカレーターがある!」「あっちにはエレベーターがあるー全部透き通ってる!」と騒いでいる。エスカレーターの前まで来ると「なんだか怖い」ともたりもたりとしている。アナはスセリーに一緒に乗ろうと言っているけれども、スセリーが「あー待って待って触らないで、今乗るから」と意を決して踏み出した。すぐに後ろ足を引き寄せ「アイー」と身悶えしているのを見て僕は笑ってしまった。すぐに初めてエスカレターに乗ると言うのはこう言った気持ちであったのかと驚いた。エレベーターに乗るときもしかり、もたもたしていて閉まり始めたドアに挟まれたスセリーはブギャと叫び声をあげながら慌てて箱の中に逃げ込む、ドアが閉まり僕が乗り遅れると中で2人が金切声をあげているのが聞こえる。僕は可笑しくて可笑しくて仕方ない。下に降りると2人はVRの体験コーナーの前で不思議そうに眺めていて、僕に「ヒデキ、これはなんだ」と聞いてくる。箱メガネのような映写機をつけて妙な動きをしている体験者がよほど不思議なのであろう。「やりたい」と言うが映画が始まるのでダメだと言うと膨れっ面をして物欲しそうに機械をながめている。

映画館に入り、ポップコーン、ジュースを買う。席に座りジュースをドリンクホルダーに入れてやり、座らせる。すぐにポップコーンをよこせと騒ぐのでホルダーにさしてやると「スックリ!(まじかよ)ひっくり返らないのか」と驚いている。こんな当たり前のことに驚く彼女達が可愛らしくて仕方がない。予告編が始まるとスセリーがいきなり携帯電話でスクリーンに映っているものを撮り出した。ビックリして「スセリーダメだと」と言うと「どうしてだ」と怒る。僕はそりゃそうだろうなぁと思いながら、映画館では映画が始まったら携帯は電源を切るのだと諭す。スセリーは納得できずにもたもたとしているが、やがてスクリーンに注意事項が映し出されると、ようやく理解できたようだ。なにせ2人とも映画館に来たのも初めて、観るのも初めてなのだ。アナはこれから始まる恐怖映画が怖くて仕方がない。となりで「どうしようどうしよう」と言っている。始まる前から怖くて仕方がないのだ。「大丈夫だから心配するな」と声をかけてやる。さっきまで大丈夫だと言っていたスセリーもジャンパーの中に顔を隠している。僕は2人が心配になって来た。途中で逃げ出したり、大声で叫び声をあげるのではないかと気になって映画どころではない。恐怖を紛らわすかのようにポップコーンに手を伸ばし、もっとよこせと催促してくる。僕の腿はあっという間にポップコーンの食べかすだらけになってしまった。

8ヶ月も文句を言わずに働いてくれた2人を映画館へ連れて行ったのだけれど、僕の想像のはるか上をいく2人の挙動に僕は振り回されながらも、終始僕は新鮮な驚きと尽きない興味を味わせてもらった。見るものすべてが珍しく、何時間あっても足りないほどの好奇心が2人から溢れていた。ホテルへ戻ると2人は僕の携帯を持ってさっさと部屋へ行き、何百枚もの写真を眺めて1日を振り返って夜遅くまで楽しんだそうだ。アナは映画が怖くて一人で寝る事ができずにスセリーのベッドに潜り込み、二人で抱き合って寝たのだと朝食の時に楽しそうに話してくれた。

たった1日の小旅行ではあったけれども、僕には久しぶりに楽しい思い出となった。まるで復興期に集団就職のためにやって来た少年少女達を目の当たりにしているような妙な錯覚が止む事がなかった。僕は確かにタイムスリップを経験した。

日々雑思  キャンタマティーが飲みたい

客がすべて去り、穏やかな時間が戻る。のんびりとスペイン語でもと思っていた矢先に友人から茶を飲みたいと言われる。
「ヒデキ、茶が飲みたい。オレンジティーオリエンタルを淹れられるか」
「オレンジティーオリエンタルとはなんだ?沢山種類がある、いくつかは淹れてやれるがどんなのが飲みたいのだ。冷たいやつもある。クリームを添えたのもある。なにがいいのだ」
「お前に任せる。後で行く」

メルカドへ行き、オレンジ、レモン、リンゴ、モモを買う。キウイが欲しかったがなかったのでリンゴとモモで代用とした。途中店に寄りティーポットとゼリーに使う器を買う。ゼリーに使う器はガラスで足の付いたワイングラスをうんと平たくしたやつ。ホコリまみれだったので負けてもらう。

戻り、はてどうしたものかと思案する。普通の紅茶、黒紅茶、オレンジペコのいずれを使ったものか、甘みはガムシロ、地蜂の蜂蜜、普通の蜂蜜にしたものかと悩み、オレンジペコ、地蜂の蜂蜜に決める。薄く切った果物をポットに入れ、熱い紅茶を注ぐ、地蜂の蜂蜜をそっと流し込み底に溜まるようにして最後にオレンジの輪切りをポットの縁に洒落た感じに引っ掛けた。
先日、試しに作ったコーヒーゼリーを器に入れ、ガムシロ、クリームをかけミントの葉を乗せて合わせ出す。

「コレはなんだ」
「ヘラティーナ デ カフェ(ゼラチンコーヒー)だ」
一口食べて目を見開いてこちらを見る
「…」
更に一口食べ
「だいすきだコレ、どうやって作った。こんなの初めて食べた」
「そうかそれは良かった、黙って食え、紅茶はどうだ」
「紅茶も美味い。完璧だ。お前の作るものはいつもすごい。レストランはやらぁないのか」
「ありがとう、世辞はいいから飲め、レストランはやらん。同じ物を毎日作るのは嫌だ」
「ヒデキ、1つ質問がある」
モジモジしながらこちらを見ている。
「そのぉ、セクシュアルに効くお茶か食べ物を知らないか」
「はぁなんだそれは健康と言うことか、それとも女か」
「そのぉ、最近ちょっと…若い時は、1日4〜5回は自分で出来たんだけど、最近ちょっと…」
「4〜5回!お水取りをか!すげーなお前」
「だからそのぉ、そんなのがあればと」
「バイアグラでもつかっていろ」
「あーアレはあかん、アレはそれだろそのぉ15分程で効いてくるじゃ、そうではなくいつでもスタンバイ出来てる状態でいたいのだ。ナトゥラルでなければダメだ」
「あー、わかった。内臓を食え内臓はあっちにいいぞ」
「内臓かぁ、お前は作れるのか」
「作ってやる、モツ煮だ」
「それはうまいのか、効くのか」
「よいかお主、俺たちは肉体と精神から出来ておる、バランスがよくよく大切なのだ、2つは別々の物に見えるが関係しているのだから気持ちをしっかりと持つことが肝要だ」
「なるほど、気持ちもわかった。ところでやりすぎるとバカになるのか」
「バカにはならぬ。ただ赤い玉が出たら終いだ。諦めろ」
「お前は出たのか」
「いや、まだ出とらん」
「バカになるのは嫌だが俺は好きなんだ」
「好きなようにやれ。そうだマカを知っているか」
「それはなんだ、良いのか、日本にあるのか、スペイン語ではなんというのだ」
「マカはスペイン語であろうが、たしかペルーだ」
「それはどこで買えるのだ、ここにあるのか」
「ここにはない、パナハチェルへ行け、そこにあるやもしれぬ」
「パナか、そこにあるのか」
「多分、でもグアテマラシティならあるであろう」
「あーアソコならな、そう言えば腹が減った、何かないか」
「何が食いたいのだ」
「何があるのだ」
「お好み焼きを作ってやる。それを食ったら帰れ」
「それはアレに効くのか」
「気の持ちようだと申しておる、それでよいか」

こんな会話をするのはなん年ぶりか、久しぶりに吹き出してしまった。そんな話が出来るような友達が出来、スペイン語で話せる事が不思議であるけれども、コレもまた良い練習でもある。”勃起”などと言う単語は学校では習えないし、女中とはとても出来ない会話だけれど、何故か心地よさが残った。男は馬鹿話、エロ話が好きなのだ。猫を被らずに話すのは気持ちがいい。ヤツとならこれまで謎であった数々の事も聞けるやもしれん。

彼とは犬の散歩に出かけた時に湖畔で出会った。家を教えるとやって来てランチをたまに食べるようになった。都会の出で、まだ若く、明るい。頭が良さそうだし、働き者のようだ。英語も少し話し、共通の友人もいる。また少しサンペドロに馴染んだのかもしれない。そういえば最近村のあちこちで声をかけられるようになり、立ち話をすることがしばしばある。こちらがおかしな言い方をしても理解してくれるのはよく知られる様になったのだと思うことにしている。

ズンバ会場にて
「今日はお前の娘はどうした」
「先日、娘ではないと言った」
「では、あの2人はなんだ」
「アミーガだ(友達だ)」
「では前に来た娘はお前のか」
「アレもアミーガだ」
「お前は何故若い娘を沢山連れて歩くのだ」
「宿をやっているのだと言ったであろう」

皆が皆同じ質問をする。何故なのだろうと思っていたが、噂話、恋愛話に飢えているのだと気がつく。

道端にて
「お前に聞きたいことがある」
「なんだ、言ってみろ」
「家の前に停めてあるのはお前のバイクか、うちの旦那が買いたいと言っている、いくらだ」
「アレは売り物ではない、売るとしても高い」
「いくらなら売るのだ」
「30万だ」
「まからんのか」
「まからん、諦めろ」
「…また聞くことにする」

なんでも欲しがり、すぐにいくらだと聞くのがここら辺りのやり方。いちいち腹を立てていたら身がもたない。馬鹿に強欲では神も救うわけもなかろうに。

スーパーにて
「猫はどうした」
「家だ」
「何故連れて来ぬのだ」
「既に育って大きくなったからだ」
「袋に入れてくればよかろう」
「袋よりも大きくなった」
「それでは新しい猫を見つけろ」

何故、その発想なのかがわからない。聞き間違えたかと思うことしばしば。こちらが予想しない会話をされてはスペイン語がわからないと勘違いをしてしまいそうだ。「お前も新しい男を見つけろ」と返すのが正しいのか。わからぬ。

投げて捨てる様な会話が好きだ。真っ直ぐに物を言う直接的なやりとりは、変に気を回さなくて良い。相手の腹をさぐるやり取りは疲れてしまう。ここでは一切の気遣いが無用なほど、他人が人の腹の中に手を突っ込んでさぐりまくる。気遣いなどと言うものは、いっそのことすべて捨ててしまってもいいのかもしれないと思えるほどこの国のこの場所は喜怒哀楽を持っている。民族衣装の彩りの様な複雑でいて調和がある不思議な感じ。
日曜日の朝メルカドの端に腰を下ろす。人々を眺めているだけでいい。声にならない音が匂いをもってやってくる。何十もの彩りが目に飛び込んでくる。青い匂い、黄色の匂い、赤い匂い、黒い匂いがまるで聞こえるようにやって来て刺激してやまない。手についた鶏の油をズボンで拭い立ち上がった。

日々雑思 Bentoをつくる他

アナは土日にやってくる女中。向こうに住んでいる。以前姉の方が働いていたが、めんどくさがり屋で箸にも棒にもかからないおバカぶりだった。姉はまるで公衆便所のような女に成り下がり、取っ替え引っ替えオトコを漁っている。化粧もめっきり濃くなった。安物を使うのでたまに瞼が晴れ上がり益々安っぽい女に見える。夜な夜な家からほど近い小径で情事に及ぶので妹も呆れている。アナは姉とはまるで違い、勤勉で仕事も誠実にこなす。きっと姉がカスを一身に背負っていってくれたので、良いところだけが残ったのだろう。一度理解すればキチンと出来る珍しいタイプ。スセリーとは違い器量はないが可愛らしい。
ある日、「学校の課題で香水を作ることにした。ヒデキ、バラのエッセンスを売っているところを知らないか」と言うので旅行者通りにある自然食品の店に連れて行く。値段を聞いて驚いている。翌週「アレは高すぎて無理なので料理を作ることにした」と言っている。嫌な予感しかしないので無視していると「ヒデキ手伝ってくれ」と単刀直入に切り込んできた。「何が作りたいのだ」と答えてしまいまんまと罠にかかった。大抵の場合、罠にかかった虫は蜘蛛の糸に絡め取られて汁を吸われてカピカピにされてから捨てられるか、食べられてしまうことに決まっている。もうダメだと諦めた。スパゲティ、寿司、中華、マカロニサラダ、弁当を提案する。弁当にいたく興味を示している。「弁当がいい」と言う。「友達を隣村から呼ぶがいいか」と聞き、連絡をしている。「ヒデキ、友達が怖いから来れないと言っている」「外国人の家に来るのは怖いのだろう」「違うよ、人さらいが出るから怖いのだと言ってる」「どこで?ゲートが出来てからいなくなったのであろう」「隣村とそのまた隣村の間の道で2人さらわれた」「ここと隣村の間は大丈夫であろう」「私も毎日学校に行っているから大丈夫だと言っている、とにかく迎えに行ってくる」と言って出ていった。しばらくすると2人が現れた。

メニュー
牛そぼろご飯
鶏の照り焼き
ブロッコリーのマスタードマヨネーズ和え
粉ふきいもカレー風味
ほうれん草の胡麻和え
ピーマン、ソーセージ、ズッキーニのケチャップ炒め
ゆで卵

出来上がった物を試食する。「どうだ」「美味い」「なにか意見はあるか」「ない、これでいい。食べたことがないものしかない、きれいだ。コレを売ったら幾らでうる?」「誰にだ?」「ツーリストに」「50だ」「グアテマラ人には売るのか」「お前らには売らん」「なぜだ」「買えぬであろう、半額で売っても儲からんからお前らには売らぬ」
「他の仲間とも相談するので待ってくれ」と言う。「コレはお前らの課題であるのだから次回は指図はするが手は出さん。よく相談しろ。今日はタダで良い、帰れ」

親身になるとつけこんでくるので適度に突き放しておくことを既に学んであるので、良い人にはならない。アイツのコラソン(心)は黒いと言われているくらいでよろし。

所用でグアテマラシティへ出かける。今回はやたらと文字が目に飛び込んでくる。意味は忘れてしまったけれど一度聞いたことがあるもの。既に意味はわかっているが、こうして使うのかと感心させられるものが次々と焼き付いていくのが面白くてキョロキョロとしてしまう。やはり都会は文字で溢れているのだ。サンペドロにあるのは教会のスローガンばかりで面白みに欠ける。スペイン語に触れるということはこうした雑多な環境にあった方がいいのだと改めて思う。陸橋に書かれた高さ制限の文字、ファストフード店の客寄せの文字、役所のインフォメーション、バスの広告全てが新鮮であるけれど、なぜか外国にあることを感じさせない。タクシーに乗る。運転手との雑談もおきまりのことではあるけれど、話すスピードも気にならない。ぽんぽんと小気味よく会話ができるのであっという間に目的地についてしまった。先日きみちゃんから映画やドラマを2倍速で見るといいと聞いた。試しにレゲトンの曲を2倍速で聞いてみた。もちろん口は追いつかないのだけれど耳はしっかりと聞き取っていることに気がついた。バスの中でもイヤホンで曲をかけながら声を出さずに口ずさんでいると、となりにいるカップルがスマホに流れるビデオと見比べてこの外人歌えてるとちょっと驚いていた。いつものように乗ってくる物売り達の口上もこれまでとは違うように聞こえているので益々楽しい。果たして2倍速再生の成果なのかわからない。けれども新しいメソッドを手に入れたと喜ぶ。

マクドナルドに入る。今時のマクドナルドは注文すらカウンターでしなくてもいいようになっていてカウンター近くのモニターをタッチするだけで済んでしまうのに驚く。店員が哀れな外人を助けようと英語で話しかけてくる。スペイン語でどう使うのだと聞くと、すぐに切り替えてスペイン語で説明しだす。
「好きなものを選べ」
「どう選べはよいのだ」
「画面に触ればよい」
「コレはなんだ」
「野菜入りのスクランブルエッグとチーズとふにゃほら」
「値段がわからないではないか」
「こうするとわかるのだ」
「なるほど便利だな」
「コーヒーの大きさを選べ」
「どれほどの大きさなのだ」
「これこれしかじかになっておる」
「なるほどコレでよい、これで全部だ」
「では、ここを押せ、もう一度、もう一度」
とやりとりを終えるとレジで金を払えと案内された。初めて見る注文用機械に感心していたが、自分がまるで日本と同じ感覚で話していることに気がついた。

少しはやく用事が済んだので今回は早めに帰路に着いた。バスから見る車窓はまだ日が高く明るいのでよく見渡すことが出来る。高原に上がると一面にトウモロコシ畑が広がった。どこか間が抜けているように見えるのはアメリカの畑を見てしまったから。どこまでも手作業で行う農業とはこうしたものなのだと改めて感じる。機械はあるにはあるけれど、小さい。この広い土地にはあまりに非力なのだけれど、ないよりマシなのだ。次々と目に映る景色は新鮮で、知らないことが沢山あるのが嬉しい。標高2500を過ぎるあたりから人々のほっぺに赤みが増す。まるで違う民族を見ているような気になる。こうした所に住んでいる人々の笑顔はかわいい。あぁした笑顔になるには高い代償を払わなければいけないのだ。だからあの笑顔はいらない。

二日後、この村のチキンバスの運転手がシティーで撃ち殺された。バイクの一団に寄ってたかって撃たれた。他にも客と車掌が怪我をして病院送りとなった。死んだ運転手は近所の人。なぜ殺されたかと言うとみかじめ料を払わなかったから。通常こうしたバスの運転手はマフィアにお金を払って安全を買っている。たまに払わない者がいるとこうして殺されてしまう。大体、週に150ケツアルほど払えばよい。2000円くらいか。安いのだか高いのだかわからないが、ここでの人の命はそのくらいの値段なのだ。マフィアからすれば払わない者がいて皆が真似すると困ってしまう。次々と払わない者が出て来ては暮らしていけないので殺して見せしめにする。そうすれば他の者はおとなしく払う。サンペドロの者が殺されてしまったのは初めてだと声をひそめるように水屋のセニョールが教えてくれた。
良いも悪くもない。ここではそういうものなのだ。やった者は今頃教会で懺悔をして、胸をなで下ろしているに違いない。やられた者の家族もまた教会で天国へ行けるように祈って諦める。怪我をした者の家族もまた神に無事を感謝しているのだ。ただそれだけの事。折しも明後日は独立記念日。こうした祭り事が近くなるときは用心に越した事がない。もう一度グアテマラシティーへ行かなければならないので気が重い。次回は運転手の後ろに座るのはやめるか、みかじめ料を払っているか聞いてから決めることにする。