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日々雑思 ある女の話 ある男の話

ある女の話

うちに来たCが言う。昨日、女が泣きながらメルカドでオロオロしていた。訳を聞くと金がない。食べ物が買えない。子供に何も買ってやれない。旦那がすべて呑んでしまったそうだ。
女は小さな畑を持ち、旦那と野菜を作り、ずいぶんと育った。よく実り、売り手も決まった。これまで草取りや、土返し、肥料もくれてきた。たいへんだったが売れることを楽しみにしていた。ところが旦那は女房の知らないところで金を受け取るとその足で飲みに行ってしまった。女房が気が付いた時は全て酒に消えていた。食べ物や子供の物を買うプランがあったがすべてダメになってしまった。女房はフラフラと去ったと言う。

週末になると村の男はいそいそと飲みに行く。稼いだ金が入るのだ。土曜日の朝には正体不明となって道に転がってる。稼いだ者は仲間にたかられる。稼がなかった者は親しげに近づきおべんちゃらを言って一杯の情けを乞う。ケツアルテカはグアテマラの安ラム。透明の酒瓶に描かれた女はおそらくグアテマラ一の悪女であろう。安く、強く、すぐに酔える、男をダメにする。金が尽きた酔っ払いとすれ違うと決まって「アミーゴ1ケツくれー、ビールをくれー」と媚びてくる。ある者はカミさんと子供が迎えに来て引きずるように連れて帰る。ある者はズボンから尻をはみ出させて道端で寝る。明け方に家に戻る男も、家中の窓を開けて大音量で音楽を流し、大声で叫ぶ。娘の部屋に転がり込み、大いびきで寝てしまう。

女房が金を家に入れてくれと頼むと、怒鳴り、叩いて、突き飛ばす。罵声を上げ、悪態の限りをついて何処かへ消えてしまう。村の女は皆怖がっている。別れてしまえばよかろうがと言うと。暮らすことが出来ない。子供があれば我慢するしかないと言う。それならば実家に帰ればよかろうがと言うのだけれど、実家は父が帰って来る事を許さない。他に行けと言われてしまうとにべもない。働いても金を入れない男と暮らすも母子で暮らすも同じではないかと思うのだけれどその様な思いには至らないのが不思議だ。
Cの旦那も以前は酒を飲み、家のことをせず、子供の世話も焼かなかったが、女が強く言うと酒は飲まなくなったが家事はやらないまま。手があるのだから手伝えと言っても俺の手は皿を洗うための手ではないと言うだけで何もしない。無教養が悪いのだ。ここの男は皆、学ばないで女の尻ばかり追いかけている。女は吐き出す様に、思いの丈を伝えているように言ったきり黙ってしまった。うっすらと膜が張ったような目で彼方を見てから、また来ると言って帰っていった。教育の無いものが教育の事を語ると決まって片手落ちとなる。自らのことは棚に上げ、必ず人のせいにする。人は逃げ道がないと生きていけないのだ。女もまた男に逃げる現実は1つの逃げ道なのであろう。

ある男の話

知り合いが他に女を作ってよろしくやっているところを家族に踏み込まれて修羅場となる。旦那は必死に抵抗したが風呂場に隠れていた素っ裸の愛人が見つかり万事休すの運びとなった。それでも女房は神と家族に謝れば許すと言ったが旦那は引っ込みがつかなくなり。しばらくして、朝早く荷物をまとめて隣村に住む愛人宅に去って行ってしまった。
後日、村で仕事をしている旦那に会う。どうだ?と聞くとまあまあだとだけ答えていた。一緒にいた客に事の次第を話すと、私ならどこか遠くに行ってしまいたいと言って呆れていた。

この村ではへぇよくある事で、子供までが知っているのにまるでなかったように、皆が大人のように振舞っている。愛人がその男の娘の友達であったり、その事を娘が友達から聞かされたりするのは少し信じ難いのだけれど、受け入れるしかない。男も大概だけれども女もしかり、自分から色仕掛けて金をせびる。法外な金をせびる。付き合いたいなら家を建てろと言われた大工の男は建材を買い、家を建てて始めるが金がない。建材屋を言いくるめたはいいが支払いができないので事が明るみになって、二進も三進もいかなくなり首をくくったが、運悪く死ぬ前に見つかり、病院送りとなった。グアテマラ人は自殺など絶対にしないのだろうと思っていたが彼らもまた人の子であった。また、やりたいなら400ケツ払えと言われた男は、やりたい一心で銀行に行き、金を借りて、腰を振り続けているうちに借金が雪だるまのように膨らみ家を失った。1日に良くて70ケツ程しか稼げないくせに、なぜそのように狂ってしまうのか、よほど女は床上手であったのか、数の子かミミズでも飼っていたのか。一度、一戦交えてみたい気持ちもしないでもない。

道端で行商をしている女衆も、男から言い寄られるそうだ。こんな所で商売をしていて恥ずかしくないのか、他のもっと良い場所で違うものを売ってはどうかと言われると言う。大した稼ぎにならなくても商いが好きな女衆は毎日のやうに同じ場所で同じ物を売っている。たまに犬と散歩出かけるとホッコリ、スッキリした顔つきで向こうから見知った顔の女が知らない男と歩いて来るのに出くわすことがある。はて、どこで見た顔かと考え、あぁ、あそこでアレを売っていた女だと気がつく。道端で見る時とは違って少し若返って見えるのは気のせいではなかろう。

最近、女衆から「お前には女が必要であろう。自分で見つけられないのか、紹介してやるから会ってみるか」と言われることが多くなった気がする。先日道で会った以前世話になっていた家の女房に「お前もすでに半分はここの人間になったな」と言われた時、ちょっと嬉しくなったが、すぐに残りの半分のことが気になり、途端、背中に寒気がして二の腕が鳥の肌のように泡立ってしまった。「当面は半人前でいい」と言ってそそくさと退散した。この村の衆は気はいいが、老いも若きもいささか思慮に欠けるところがあって、どの様に付き合えばいいのかとほとほと困るところがある。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ川のどんぐりとも言うが、もう少しの間、もがき苦しんで瀬に飲まれ溺れ死んでしまう方が幸せかもしれない。

日々雑思 パーティ

パーティ

グアテマラ人女性のパーティ。うちの宿で催す運びとなり、当日は朝から準備に追われる。午後からスセリーとアナがやって来て手伝う。2人がそろうとお喋りばかりでなかなか思うようにコトが運ばないのだけれど、案の定今日もどうにもいけない。それでも時間までにはなんとか間に合い、ぞくぞくと客がやって来始める。アナがそわそわしている。どうしたと聞くと家に戻ってもいいかと言う。どうしたのだと再度聞く。「着替えたい、髪をとかしてから来たい」と言うのでピンときた。そう言えばスセリーは珍しくお洒落な民族衣装を着ているし、やってくる客もめかし込んでいる。アナは自分が普段着である事が恥ずかしくなってしまったのだ。「いそげ」と言うと飛んで帰った。戻って来たアナはこれまで見たこともない立派な民族衣姿となり、髪も良く整えてある。なるほどと膝を打ちたくなった。

普段はおとなしく、慎ましくいるグアテマラの女性たちも、いざ女性だけの集いとなれば一世一代のめかしこみをして臨のだ。独身も既婚も子持ちも子無しも関係なく集いを楽しみにしていたのだ。キャイキャイとよくはしゃぎ、酒もないのによく話、よく笑い、よく体を振り回して楽しんでいる。エロ話も旦那の愚痴も、恋人の話も全部ぶちまけてのストレス発散の場となった。そんな場に相応しくないとアナは感じたのだ。スセリーは知っていたのかと感心した。歳は1つ違いでもそうしたことに敏感な娘もあればそうでない娘もいるのは日本となんら変わりない。
スセリーとアナはそんな雰囲気にのまれてしまい少し萎縮している。3階にあがるのが恐いと言いだす。3階に置き忘れたコップを持って来いと言うとスッと行くのだけれど直ぐに戻って来て無かったとモジモジしている。彼女たちの迫力に負けて目の前にあるものも見えなくなっているようだ。仕方なく取りに行くとあっという間に質問ぜめに合い、タジタジとなってしまった。これでは彼女たちでは形も無しであろうと合点がいった。

いつもはタンクトップにぶっとい身体を押し込んでピッチピッチでいる彼女たちも民族衣装を身にまとうといつもとは全く違った雰囲気になり、しとやかに見える。年齢の話になったときに再び驚く。おばさんだと思っていた彼女達は客よりずっと若いことを知る。どもにもグアテマラ人の年齢はわかりずらくていけない。一体いつからあのように急激な老化が始まるのであろうか。少し見ない間にあっと驚くほど体がデカくなり急激に歳をとる。誰だか見分けがつかなくなってしまう。ついこの間まで働いていた女中もふたまわりほど大きくなっていて驚いた。民族衣装はそんな彼女たちが着るととてもよく似あって見える。通りで見かけた時、二度見してしまった。たった数ヶ月だというのに。

パーティにはホームスティをやっている女将もやって来ていて、レシピを根掘り葉掘り聞いてくる。自分の所でも日本食を出したいと言う。レシピを教えると喜んでいた。後日、スーパーでバッタリと会う。このあいだの調味料はどれとどれだだと聞くので教えてやる。これで出来るのかと聞くので詳しく教えてやった。どうせ同じ味は出せないのだ。料理とはそういうものなのだ。これまで何度かよく教えてやったが、いずれもうまく出来ないと嘆いていた。グアテマラ人は鼻はいいが舌はバカなのだ。目も耳も節穴だから食材の声が聞こえないのだ。千切りのキャベツを見せるとどの機械を使ったのだと言う。手だと言うと信じない。見せてやるとお前の手はすごいと驚く。包丁を見せてやると驚いている。怖くて使えないと言う。調理するのを見せてやるとやりたいと言うが出来ない。衣食住は生きていく上での基本中の基本であろうに、ないがしろにしているからその様な体たらくとなるのだ。出直してくるがよろし。

ある日、朝から雨の音で目覚める。朝早くのボートに乗る客の事を思う。かわいそうに雨の出発かと気の毒になる。降りて茶を沸かし弁当をこしらえてやった。いつもは言わないのに、ダメだったら戻っておいでと声をかけてから驚く。なぜその様なことを言ったのだろう。他の客に朝食を出している時に扉が開いた。出発した客が戻って来た。メキシコで集会がありバスが通れないので今日はダメだと言われたと言う。寒そうなので温かな食事を出してやる。ボートのチケットを使ってしまったので、ツーリストオフィスへ行き、明日の確約とボートチケットを再度もらってやるととても喜んでいた。雨季の終わりは雨が強くなるので天気予報を見ると台風が来ていた。どおりで。客が近くの村に行きたいと言うが雨だからやめておけと言う。諦めきれない様子なので女中のスセリーに雨は止むかと聞く。スセリーは「見ろ、あそこが見えない。雨だ。今日はダメだ」と言う。客もそれを聞き諦めた。雨のせいでネットも切れたので皆、おもいおもいに過ごしている。かわいそうであったのでチーズケーキを作ってやった。生と焼きの両方を作る。生は今回初めてであったけれど前々からよく考えていたので良い仕上がりとなった。女中のアナも欲しがったが、来なかったので全部食べてしまった。

日々雑思

ある日、風の音で目覚める。近所の建てつけの悪いトタンがあおられて音を立てている。湖からやって来る風は季節を運ぶ。2〜3日は強い風が続く。なぜか山の上に張り付く雲は動くことがなく、低い場所だけを風がなでている。

カフェで勉強をしていると隣のドーラから電話がかかってきて「どこにいるのだ、客が待っている」と言う。戻り、部屋を準備した。飛び込みの日本人客は珍しい。この所問い合わせもないのでてっきり今日も客は来ないのだと思っていたがひょっこりと現れた。女中のアナがやってきて良かったなぁと慰められる。
客がネットに繋がらないと言う。確かめるとネットが切れていた。ネット屋に電話すると風のせいだ、明日直ると言う。いつものことなので客に「ネットはない。諦めろ」と伝える。ネットカフェを教えろと言うので連れて行く。1時間ほどしてスッキリとした顔で戻ってきた。雨季の終わりは停電やネットの切断など問題が起きるので嫌だ。日本ではニュースになる事もここでは普通なのだ。

夜、いつものようにズンバに行くと「今週末にミーティングを開きたい。お前のところはレストランであろう。よいか」と言うので「よい」と答えるとメニューを見せろと言う。メニューなどないのだけれど仕方ないので急ぎメニューをこしらえる。皆に見せると予想以上の人数となった。客にパーティを開くのでうるさいが構わないかと聞くと構わないと言うので引き受けた。最近は宿泊客があまり来ないので、こうした地元の客も大切にしながら生きながらえている。料理も好評で不味いと言われることもない。

客の中には、こだわりの強い者がいて京都ではこの素材はこの様に使う、こんな使い方はしないと箸もつけない輩がいるので、和食を出すこともメッキリ減らしたが、地元の者や外国の者は美味しいと言ってくれる。それは当然のことであって、文句を言う客が正しいのだ。ここは日本ではないので、そこで日本人に和食を出すことが間違っていたのだ。グアテマラに来ているのであるから、グアテマラ料理を楽しんでもらうべきなのだ。外国の人や地元の人にとってはいい経験でも日本人には無用の気遣いであった。こんな簡単な事に気がつくまで2年近くかかってしまうとは呆れたものだ。そもそも旅人に故郷の味など必要がないのであろう。世界を観に出ているのであるから、そこの物を食するのが当然の事なのだ。よくよく反省をした。

ドーラが冷蔵庫に入れてあったタマーレスを取りに来た。タマーレスはグアテマラの食べ物の1つ。トウモロコシの粉を練って、中に鶏肉とトマトソースを入れ蒸したもの。「せっかく作ったのに子供達は食べない。嫌になる」と愚痴っている。ヒデキ食べないかと言うので腹は満ちていると言うと1つ置いていった。あの様な物を好き好んで食べるわけもなかろうに思うのだけど。そういえば子供の頃、オヤキを出されることがあった。栃餅を出されることがあった。食べずにいると母がこんなに美味しいのにと文句を言いながら一人で食べていた。しばらくしてオヤキは残ったが栃餅を見ることはなくなってしまった。より美味しい物が出てくれば、昔の味は廃れてゆくのであろう。この辺の年寄りたちは新しいものはまるで口にしない者もあり、まだまだ古き習慣が残るが、ゆくゆくは消えてゆくのであろうか。

夕方、ネット屋が来て喜べと言う。なにを喜ぶと言うのだと思っているとネット会社を変更した、アメリカの会社だ、よりマシになると得意そうに言う。そそくさと設定をし直して繋げてみろと言う。速度が落ちているではないかと文句を言うと。安定性が増したのだと力説する。いずれにしても他の選択肢がないので様子を見る事にした。これまでも随分とネットには泣かされてきたので、げんなりしてしまう。翌朝、もう一度計ると村で1番の速度となっていた。びっくりしてもう一度計り直すが速い。とは言っても他国とは比べものにならないので、宿にはネットはないとこの文を読める人には言っておく。あるにはあるがオマケ。サービスでもなければ設備でもない。くれぐれも仕事で使おうなどと思ったり、大容量のデータ送信をしようなどとゆめゆめ思われるな。

日々雑思  キャンタマティーが飲みたい

客がすべて去り、穏やかな時間が戻る。のんびりとスペイン語でもと思っていた矢先に友人から茶を飲みたいと言われる。
「ヒデキ、茶が飲みたい。オレンジティーオリエンタルを淹れられるか」
「オレンジティーオリエンタルとはなんだ?沢山種類がある、いくつかは淹れてやれるがどんなのが飲みたいのだ。冷たいやつもある。クリームを添えたのもある。なにがいいのだ」
「お前に任せる。後で行く」

メルカドへ行き、オレンジ、レモン、リンゴ、モモを買う。キウイが欲しかったがなかったのでリンゴとモモで代用とした。途中店に寄りティーポットとゼリーに使う器を買う。ゼリーに使う器はガラスで足の付いたワイングラスをうんと平たくしたやつ。ホコリまみれだったので負けてもらう。

戻り、はてどうしたものかと思案する。普通の紅茶、黒紅茶、オレンジペコのいずれを使ったものか、甘みはガムシロ、地蜂の蜂蜜、普通の蜂蜜にしたものかと悩み、オレンジペコ、地蜂の蜂蜜に決める。薄く切った果物をポットに入れ、熱い紅茶を注ぐ、地蜂の蜂蜜をそっと流し込み底に溜まるようにして最後にオレンジの輪切りをポットの縁に洒落た感じに引っ掛けた。
先日、試しに作ったコーヒーゼリーを器に入れ、ガムシロ、クリームをかけミントの葉を乗せて合わせ出す。

「コレはなんだ」
「ヘラティーナ デ カフェ(ゼラチンコーヒー)だ」
一口食べて目を見開いてこちらを見る
「…」
更に一口食べ
「だいすきだコレ、どうやって作った。こんなの初めて食べた」
「そうかそれは良かった、黙って食え、紅茶はどうだ」
「紅茶も美味い。完璧だ。お前の作るものはいつもすごい。レストランはやらぁないのか」
「ありがとう、世辞はいいから飲め、レストランはやらん。同じ物を毎日作るのは嫌だ」
「ヒデキ、1つ質問がある」
モジモジしながらこちらを見ている。
「そのぉ、セクシュアルに効くお茶か食べ物を知らないか」
「はぁなんだそれは健康と言うことか、それとも女か」
「そのぉ、最近ちょっと…若い時は、1日4〜5回は自分で出来たんだけど、最近ちょっと…」
「4〜5回!お水取りをか!すげーなお前」
「だからそのぉ、そんなのがあればと」
「バイアグラでもつかっていろ」
「あーアレはあかん、アレはそれだろそのぉ15分程で効いてくるじゃ、そうではなくいつでもスタンバイ出来てる状態でいたいのだ。ナトゥラルでなければダメだ」
「あー、わかった。内臓を食え内臓はあっちにいいぞ」
「内臓かぁ、お前は作れるのか」
「作ってやる、モツ煮だ」
「それはうまいのか、効くのか」
「よいかお主、俺たちは肉体と精神から出来ておる、バランスがよくよく大切なのだ、2つは別々の物に見えるが関係しているのだから気持ちをしっかりと持つことが肝要だ」
「なるほど、気持ちもわかった。ところでやりすぎるとバカになるのか」
「バカにはならぬ。ただ赤い玉が出たら終いだ。諦めろ」
「お前は出たのか」
「いや、まだ出とらん」
「バカになるのは嫌だが俺は好きなんだ」
「好きなようにやれ。そうだマカを知っているか」
「それはなんだ、良いのか、日本にあるのか、スペイン語ではなんというのだ」
「マカはスペイン語であろうが、たしかペルーだ」
「それはどこで買えるのだ、ここにあるのか」
「ここにはない、パナハチェルへ行け、そこにあるやもしれぬ」
「パナか、そこにあるのか」
「多分、でもグアテマラシティならあるであろう」
「あーアソコならな、そう言えば腹が減った、何かないか」
「何が食いたいのだ」
「何があるのだ」
「お好み焼きを作ってやる。それを食ったら帰れ」
「それはアレに効くのか」
「気の持ちようだと申しておる、それでよいか」

こんな会話をするのはなん年ぶりか、久しぶりに吹き出してしまった。そんな話が出来るような友達が出来、スペイン語で話せる事が不思議であるけれども、コレもまた良い練習でもある。”勃起”などと言う単語は学校では習えないし、女中とはとても出来ない会話だけれど、何故か心地よさが残った。男は馬鹿話、エロ話が好きなのだ。猫を被らずに話すのは気持ちがいい。ヤツとならこれまで謎であった数々の事も聞けるやもしれん。

彼とは犬の散歩に出かけた時に湖畔で出会った。家を教えるとやって来てランチをたまに食べるようになった。都会の出で、まだ若く、明るい。頭が良さそうだし、働き者のようだ。英語も少し話し、共通の友人もいる。また少しサンペドロに馴染んだのかもしれない。そういえば最近村のあちこちで声をかけられるようになり、立ち話をすることがしばしばある。こちらがおかしな言い方をしても理解してくれるのはよく知られる様になったのだと思うことにしている。

ズンバ会場にて
「今日はお前の娘はどうした」
「先日、娘ではないと言った」
「では、あの2人はなんだ」
「アミーガだ(友達だ)」
「では前に来た娘はお前のか」
「アレもアミーガだ」
「お前は何故若い娘を沢山連れて歩くのだ」
「宿をやっているのだと言ったであろう」

皆が皆同じ質問をする。何故なのだろうと思っていたが、噂話、恋愛話に飢えているのだと気がつく。

道端にて
「お前に聞きたいことがある」
「なんだ、言ってみろ」
「家の前に停めてあるのはお前のバイクか、うちの旦那が買いたいと言っている、いくらだ」
「アレは売り物ではない、売るとしても高い」
「いくらなら売るのだ」
「30万だ」
「まからんのか」
「まからん、諦めろ」
「…また聞くことにする」

なんでも欲しがり、すぐにいくらだと聞くのがここら辺りのやり方。いちいち腹を立てていたら身がもたない。馬鹿に強欲では神も救うわけもなかろうに。

スーパーにて
「猫はどうした」
「家だ」
「何故連れて来ぬのだ」
「既に育って大きくなったからだ」
「袋に入れてくればよかろう」
「袋よりも大きくなった」
「それでは新しい猫を見つけろ」

何故、その発想なのかがわからない。聞き間違えたかと思うことしばしば。こちらが予想しない会話をされてはスペイン語がわからないと勘違いをしてしまいそうだ。「お前も新しい男を見つけろ」と返すのが正しいのか。わからぬ。

投げて捨てる様な会話が好きだ。真っ直ぐに物を言う直接的なやりとりは、変に気を回さなくて良い。相手の腹をさぐるやり取りは疲れてしまう。ここでは一切の気遣いが無用なほど、他人が人の腹の中に手を突っ込んでさぐりまくる。気遣いなどと言うものは、いっそのことすべて捨ててしまってもいいのかもしれないと思えるほどこの国のこの場所は喜怒哀楽を持っている。民族衣装の彩りの様な複雑でいて調和がある不思議な感じ。
日曜日の朝メルカドの端に腰を下ろす。人々を眺めているだけでいい。声にならない音が匂いをもってやってくる。何十もの彩りが目に飛び込んでくる。青い匂い、黄色の匂い、赤い匂い、黒い匂いがまるで聞こえるようにやって来て刺激してやまない。手についた鶏の油をズボンで拭い立ち上がった。

日々雑思 魔法の杖が欲しい 旅の命題

魔法の杖が欲しい

英語やスペイン語の勉強をしていると時に驚くことがある。それは教える側にも教わる側にもあって、きっとこの人は最初からそういう人であったのだろうと思わされる。フィリピン人のカレンは、きっとそうした人なのだと感じた1人。彼女は単語のイメージをいとも簡単に英語で覚えさせてくれた。僕のボキャブラリーが足りないと見るや否や毎日新しい単語を20〜40個、しかも日々使う単語ばかりを僕の脳に刻み込んでくれた。こんな単語は使わないだろうと思っていたものは、今でもよく聞くし僕も使っている。それらは日本語に訳する必要もなく、そのまま覚えているので使う時に考える必要がない。それは1750個にも及んだ。当時、一緒に学んでいた友人に彼女のレッスンのことを聞かれ、彼女は天才肌ですね、なんだかわからないけど覚えられるんですと答えた。友人もまた彼女のレッスンがいたく気に入った。

留学に来た客の1人、キミちゃんもそんな1人。彼女は、本人に言わせると気がついた時には英語が出来た。物心ついた時にはすでに話せていたがそれに気がついたのは彼女が中学生の時に親が気がついたと言う。そんな彼女なのですぐに話せる様になるのであろうと文法に強い学校を紹介して、いい先生について勉強を始めた。ところが全然話せないと言う。先生に聞いても彼女はあんまり勉強していないみたい。だから話せないんじゃないかと困惑している。ところがキミちゃんは学校の帰り道に知り合いになったグレンディと小一時間雑談をして帰って来るようになる。ある日僕とその子が話しているのを聞いていて、キミちゃんは「すごーい全部わかった」と言っている。僕は少し驚いてグレンディに聞くとキミちゃんは話せてる。最初は何にも分からなかったけど今はなんでも話すと言う。ところが先生に聞くと相変わらず同じ答えが返って来た。そうキミちゃんもまた天才肌の1人だった。キミちゃんに聞くと勉強なんかしてたら話せないのだと言う。だからキミちゃんは今でもとっても簡単なことが言えなかったり、間違えたりするのに日常会話は出来ている。

先日、ある先生のレッスンを受けた。彼女の評判は以前から知っていて、レッスンの約束をしていた。たった3時間ほどのレッスンだったのにモヤモヤしていたものが一気に晴れて、全部使える様になった。なぜ今まで悩んでいたのかわからないほど、それはレッスン中に明快になった。しかも教えてもらったその直後から使えるようになった。僕は自分のわからないことが何なのかを明確にしてから勉強するのタイプだけど、これまでなんでわからないのかがさっぱり分からんと五里霧中だったのに、レッスンを受けた後に自分が分からなかったことが分かると言う変な感覚に囚われている。しかもレッスン中に出てきた新しい単語もシッカリと頭に残った。それはカレンに教わった単語同様訳す必要がなくて、しっかりとイメージだけが残った。彼女は少しだけ日本語が出来る。レッスン中に僕が分からないと言うと日本語で説明をしてくれるのだけれど、不思議なことにまったくイメージがわかず益々混乱してしまった。理解はできるのだけれど感じない。そんな感じ。僕は「日本語で言われても何も感じない、全部スペイン語で説明してくれ」と頼む。彼女は「そうね、その方があなたには良さそう」と答え、スペイン語だけでレッスンを進める。その言葉を使う時の心の動き、それを受け取る側の気持ちを僕に伝えながら自分の気持ちを運ぶ道具としてのスペイン語を教えてくれた。それは僕がフィリピンで受けたレッスンとまったくもって同質のもので勉強ではなかった。僕らのレッスンは客から見たらただの雑談やちょっとした相談くらいにしか見えなかったかもしれない。後から彼女の生徒に「彼女のレッスンはどうでした」と聞かれた。僕は「彼女に教わって話せない奴はバカかやる気のないやつだけだよ、彼女に習えば僕なら2ヶ月で話せるようになるよ」と答えた。生徒さんはちょっと驚いて引いていたので僕はまずかったかなと思い「でも、彼女の性能を引き出すには中級以上の力が必要かもしれないけどね」と付け足しておいた。たった3時間ほどレッスンで僕はこれまで苦労していた3つの文法を手に入れることが出来た。まるで僕がわからないところがはじめから彼女には全部わかっていたかのようなレッスンだった。いっさいの無駄がない完璧なレッスンだった。残りはあと3つ。そのうちの1つは前述したキミちゃんから今日の午後、英語で習うことになっている。もちろんキミちゃんはその文法をスペイン語では習っていないし、彼女は既に話していること気づいていない。でも僕はなんのためらいもない。出来るようになる事を確信しているから。

今日、書いた3人はまさに天才肌の人達だと思うのだけれど、僕は彼等がどれほどの努力をしてきたかを知っている。それは人がする様な勉強ではないのかもしれないけど彼等はやったのだ。決して言い訳をせず、サボらず、日々言語に向き合ってコツコツと積み上げたのだ。目に見えない程の小さな積み重ねの結晶の上に彼等の言葉があるからこそ僕の様な凡人の心に言葉を刻む事が出来るのだ。クソのようなプライドや高飛車な気持ちを振りかざす愚か者には手に入れる事が出来ない魔法の杖が僕は欲しい。出来れば英語とスペイン語の2本の杖が欲しい。なぜならそれはテストでは測れず、人と比べる事が出来ない素晴らしい物だから。

旅の命題

ズブリ!「アッイタァ〜」と笑ってしまった。左耳の軟骨を突き抜けたパイプに小さな金属片をクリッとさして引き抜くと耳に銀のワッカが付いていた。特異な性癖を持っている訳でもないし、何かを主張したい訳でも無く、もちろん不良というほどの悪党でもない。単純にやってみたいと思った。

若い頃に流行っていたリーゼント、アメリカングラフティから抜け出してきたかのようなボーリングシャツ、ダブダブの学生服にトラの刺繍、スカジャン、ルーズソックス、腰パン、などなど。あの家の子とは遊んではいけない。あんな格好をして不良に違いない。世間様に顔向けが出来ない。親にもらった大切な身体に傷をつけるなんてと言われてしまうようなことはすべてが憧れを伴って輝いていた。僕にとってそんなものの1つがピアス。特段憧れがあった訳でもないのだけれど、不意に思い立ってやってみることにした。プラプラとする金具を見ても特段何が変わったわけでもなければ、若返りの高揚感もない。「ふーん」それだけだった。不良おじさんでもないが、人様からそう見られてしまうのかしらと帰りにすれ違う人をジッと観察して見たけれども、誰も気にも止めてくれないので少しガッカリしてしまう。もはやピアスごときでどうなるものでもないだ。これから日本に帰る旅人が就職の時によくないと言っていたのを思い出す。さすがに僕の年齢で就職もなにもないのだけれど、果たして今の日本ではどう思われるのであろうかしらと妄想してフフフと笑ってしまった。ほっぺたの上の方から顎にかけて人差し指ですっと線を引いたり、小指の第二関節から折り曲げて先が欠けているように見せたり。服の袖を捲り上げて斜に構えたりするように耳に人差し指でと親指でワッカを作るような仕草があったりするのかしらと妄想は果てしなく広がった。ボワリ〜ンと熱を持つ耳がなんとなく気になり鏡をのぞく。恐る恐る触って見た。「時々クルクルと動かすのだ」と言われた通りにやってみる。ウズウズとした痛みが走った。でもその感覚は嫌いではない。

旅に出る時に決めたこと”迷ったらやる”をやってみただけ、バイク、ロッククライミング、ダイビング、宿。すべてが楽しかった。新しい経験は新鮮で怖さや不安があった。それは僕をワクワクさせたし驚きと喜びを感じさせてくれた。そして今回もおんなじ。嫌なら外せばおしまい。じきに穴は塞がって小さな傷となって思い出の一つとして残るだけなのだ。まだまだやってみたいことは沢山ある。ドレッドヘアー、青刺のようなアウトロー的な物、多言語や文化に浸かる。これまで行ったことがないような高い山に登ったり、何百キロも歩いたり。未知のものを口にしたり、沢山の人と話したり。恋人ができるかもしれないし、どん底で這いつくばることだって僕には楽しいのだ。「迷ったらやる」僕の旅の命題なのかなとちょっと思う。とりあえずこの言葉を心に留めて忘れないようにしよう。

日々雑思 停電 独立記念日 他

昔、先輩にマッサージを頼まれ散々な目にあったけれども、人の身体がわかるようになった。不思議なことにわかるのは右手だけで左手ではとんとわからない。タイでマッサージを受け、その効果に驚き、仲良くなったマッサージの女にずいぶんと教えてもらった。これまで何人かに頼まれ施したことがあって、してやると喜ばれてきたので悪くもないのだろう。50肩に悩む友人の母親がくるようになって2週間程経った。当初は目から涙が溢れるほど痛がっていたが此の所ずいぶんと良くなってきた。夜も寝れると言う。家事も出来るようになってきた。揉まれている間もリラックスしていてよい。

「金を払いたいがどうだ」
「ワシは座頭金ではない。目も暗くない。琵琶も弾かなければ、按摩でもないので金はいらん」
「でも、お前はずいぶんと働いている。手も痛かろう」
「お前は友達の母親なので特別だ、お前らは何故なんで金で済まそうとするのだ。人がたまにほどこす親切は素直に受ければよい。そもそも病院に行けないからここに来ているのであろう」
「これまで二つの病院へ行った。どちらでも写真を撮ったが良くならない。先生は色々言うがなにもよくならなかった。でもお前は写真も撮らなければ、なにも余計なことを話さない。妻も最初は痛がっていたが最近は少しの痛みだけだと言う。夜もよく寝ている。礼がしたい」
「礼なら毎回お前ら2人が言っている、十分だ。今日は終わった帰れ」

二日後、茶碗2つとコーヒー1袋が入った小さな袋を持って現れる。その小さな袋もやると言う。ありがたくいただく。共に安物。可愛らしいがすぐに割れてしまう茶碗。メルカドの安コーヒー。けれど気持ちがそこにはあった。旦那の方は漁師で朝だけ漁に出ている。毎日ではない。その他の日は山に行っていると言う。薪集めか畑でても働いているのかもしれない。稼ぎも多くはないのだろう。午後はキリスト教の本の研究をしているという。妻がマッサージを受けている間ずっと本を読んでいる。時に質問をしてくる。時にスペイン語を教えてくれる。妻が呻くと痛いかと聞いている。仲のいい夫婦なのだ。

妻の肩はまだ痼があり、いくばくかの時間がかかるかもしれない。それでもずいぶんと良くなってきているので、ストレッチとリハビリの方法を教える。次からは三日おきに来るがよい、痛みは当分残るが大丈夫だ。良くなるので心配するなと伝えた。

先日、彼らの家の近くで知らない女から声をかけられる。「お前がマッサージをしている日本人か」「そうだ」「彼女はずいぶんと喜んでいる。お前の仕事か」「仕事ではない」「では、何故できるのだ医者か」「医者でもないが、ここの医者よりはマシだ」「いくらだ」「金はとらん」「わたしにもしてくれるのか」「お前にはしてやらん」「何故だ」「お前は友達ではないからだ」「いくらならしてくれるのだ」「1時間200ケツならしてやる」「ススッ」「そうだ、アディオスアミーガ」
善い行いも悪い行いも自分で決めるのか肝心。人がどう思うかなどどうでもいいのだ。こちらがどんな人間かは勝手に決めれば良い。自分は自分なのだ。いちいち人の想像に左右されているのはめんどくさいしガラでもない。

停電
夜になり雷が鳴り出す。夕食をとっていると停電となった。いったんは復旧したがまた直ぐに消えた。これは明日の朝まではダメだなと思った。ろうそくを廊下に置くと宿の形にぼんやりとした明かりが立った。停電は久しぶり。僕は停電が嫌いではない。村がしんと静まり返り普段聴こえてこない人の話し声が遠くに聞こえる。子供達のはしゃぐ声、ろうそくを灯し各家から漏れる静かな灯火。山極が暗闇の中に浮かび上がり、路は野良犬たちの天下となる。あちらこちらで吠える声が上がり、悲鳴も上がる。
雨が上がり、ぽちゃぽちゃと水がたれる音がする。家の裏で生まれたばかりの子猫の声は消えていた。夕方、カフェと散歩に出かけた時、どこに居るのかと探したが声は聞こえるけれども見つけることはできなかった。先程の激しい雷雨に打たれ凍えてしまったのであろうか。対岸の村には電気がついているのでこのあたりだけが停電なのかもしれない。やる事がなくなり早々に寝る。

独立記念日
独立記念日となる。あまりいつもと変わらない。いつも湖端で練習している学生たちが晴着で楽団となり道を行く。太鼓をたたく者、ラッパを吹く者、ジャカジャカとなる大根おろし器のような楽器を鳴らす者、踊る者が皆そろって練り歩く。村人は足を止め、道を開ける。村を巡って広場に集合した他の楽団も一様にやり遂げたような顔をして並んだ。女中のスセリーも参加した。汽車のハリボテの中担当。途中でハリボテの汽車が壊れ恥ずかしかったと言っていた。壊れたハリボテを道端に捨てたので先生からえらいこと叱られ、ひらいに行かされた。重くて嫌だったと少し拗ねていた。

中米の独立記念日はどの国も一緒の日だという。スペインから揃って独立したのだ。植民地のままでいれば今頃スペインとしてやっていけたろうにと思ってしまうのだけれど、きっと自分で出来ると思い込んで言い張る子供のように駄々をこねたのだ。挙句貧乏な国となってしまい、アメリカに不法就労などをしに行くことをよしとするようになってしまった。どうせ独立するのであれば一つにまとまってもよかったのではないかしらと思うのだけれど、自分だけが儲けたいと思った輩が6〜7人いたのだろう。勝手気儘に国を立ち上げてしまった。烏合の衆となり益々まとまりがなくなってしまった。

さぞ、色々なイベントでもあるのかと思っていたが、昼過ぎにはすべて終わってしまい、午後はいつもと変わらない休日となった。

夕方からサンマルコスのレストランへ手伝いに行く。80本ばかり寿司を巻いてくれと頼まれた。よほど人手が足りなくなると声がかかる。客を連れて行けば夕食の支度をせずに済むのだけれど、客が行かなかったり、宿で食事がしたいと言えば戻って作る。今回は戻らなくてはいけない。寿司は2人で巻いたので2時間程で終わる。最後に全部入りの特別巻きをこしらえて1本頬張る。東を向いて笑って食べるようなことはしない。ボート乗り場へと急ぐ途中、女の子が赤ん坊に乳を吸われて痛ーいと叫んでいる。遊び半分で自分の乳を吸わせたら思いの外力強くて驚いてしまったのだろう。隣で見ていた弟はケラケラと笑い転げている。グアテマラの子供は親の手伝いをよくするという。そういえば小さな子供が文句一つ言わずに手伝っているのを見かけることが多い。子供がやりたいと言った時にやらせてやる。失敗しても叱らない。次もやらせるのだという。
桟橋に子供が2人、客の呼び込みをやっている。大きな方が着ているTシャツに東京と漢字で書いてある。「パナか?」「サンペドロだ」「どこから来た」「東京だ、日本だ、お前のシャツに書いてある場所から来たのだ」「お前はこの字が書けるのか」「簡単だ」「スペイン語をどこで習った」「ここだチャ」チャというのはこの辺りの方言のようなもので他にもチ、ニシなどと語尾につけると地元感が強くなる。それを聞いて何者かを直ぐに理解したようだ。ボート代は地元価格になった。通常、客と乗るときは観光客価格を払うのだけれど一人で乗るときは地元価格しか払わない。
急ぎ宿に戻り夕食を準備する。

日々雑思 Bentoをつくる他

アナは土日にやってくる女中。向こうに住んでいる。以前姉の方が働いていたが、めんどくさがり屋で箸にも棒にもかからないおバカぶりだった。姉はまるで公衆便所のような女に成り下がり、取っ替え引っ替えオトコを漁っている。化粧もめっきり濃くなった。安物を使うのでたまに瞼が晴れ上がり益々安っぽい女に見える。夜な夜な家からほど近い小径で情事に及ぶので妹も呆れている。アナは姉とはまるで違い、勤勉で仕事も誠実にこなす。きっと姉がカスを一身に背負っていってくれたので、良いところだけが残ったのだろう。一度理解すればキチンと出来る珍しいタイプ。スセリーとは違い器量はないが可愛らしい。
ある日、「学校の課題で香水を作ることにした。ヒデキ、バラのエッセンスを売っているところを知らないか」と言うので旅行者通りにある自然食品の店に連れて行く。値段を聞いて驚いている。翌週「アレは高すぎて無理なので料理を作ることにした」と言っている。嫌な予感しかしないので無視していると「ヒデキ手伝ってくれ」と単刀直入に切り込んできた。「何が作りたいのだ」と答えてしまいまんまと罠にかかった。大抵の場合、罠にかかった虫は蜘蛛の糸に絡め取られて汁を吸われてカピカピにされてから捨てられるか、食べられてしまうことに決まっている。もうダメだと諦めた。スパゲティ、寿司、中華、マカロニサラダ、弁当を提案する。弁当にいたく興味を示している。「弁当がいい」と言う。「友達を隣村から呼ぶがいいか」と聞き、連絡をしている。「ヒデキ、友達が怖いから来れないと言っている」「外国人の家に来るのは怖いのだろう」「違うよ、人さらいが出るから怖いのだと言ってる」「どこで?ゲートが出来てからいなくなったのであろう」「隣村とそのまた隣村の間の道で2人さらわれた」「ここと隣村の間は大丈夫であろう」「私も毎日学校に行っているから大丈夫だと言っている、とにかく迎えに行ってくる」と言って出ていった。しばらくすると2人が現れた。

メニュー
牛そぼろご飯
鶏の照り焼き
ブロッコリーのマスタードマヨネーズ和え
粉ふきいもカレー風味
ほうれん草の胡麻和え
ピーマン、ソーセージ、ズッキーニのケチャップ炒め
ゆで卵

出来上がった物を試食する。「どうだ」「美味い」「なにか意見はあるか」「ない、これでいい。食べたことがないものしかない、きれいだ。コレを売ったら幾らでうる?」「誰にだ?」「ツーリストに」「50だ」「グアテマラ人には売るのか」「お前らには売らん」「なぜだ」「買えぬであろう、半額で売っても儲からんからお前らには売らぬ」
「他の仲間とも相談するので待ってくれ」と言う。「コレはお前らの課題であるのだから次回は指図はするが手は出さん。よく相談しろ。今日はタダで良い、帰れ」

親身になるとつけこんでくるので適度に突き放しておくことを既に学んであるので、良い人にはならない。アイツのコラソン(心)は黒いと言われているくらいでよろし。

所用でグアテマラシティへ出かける。今回はやたらと文字が目に飛び込んでくる。意味は忘れてしまったけれど一度聞いたことがあるもの。既に意味はわかっているが、こうして使うのかと感心させられるものが次々と焼き付いていくのが面白くてキョロキョロとしてしまう。やはり都会は文字で溢れているのだ。サンペドロにあるのは教会のスローガンばかりで面白みに欠ける。スペイン語に触れるということはこうした雑多な環境にあった方がいいのだと改めて思う。陸橋に書かれた高さ制限の文字、ファストフード店の客寄せの文字、役所のインフォメーション、バスの広告全てが新鮮であるけれど、なぜか外国にあることを感じさせない。タクシーに乗る。運転手との雑談もおきまりのことではあるけれど、話すスピードも気にならない。ぽんぽんと小気味よく会話ができるのであっという間に目的地についてしまった。先日きみちゃんから映画やドラマを2倍速で見るといいと聞いた。試しにレゲトンの曲を2倍速で聞いてみた。もちろん口は追いつかないのだけれど耳はしっかりと聞き取っていることに気がついた。バスの中でもイヤホンで曲をかけながら声を出さずに口ずさんでいると、となりにいるカップルがスマホに流れるビデオと見比べてこの外人歌えてるとちょっと驚いていた。いつものように乗ってくる物売り達の口上もこれまでとは違うように聞こえているので益々楽しい。果たして2倍速再生の成果なのかわからない。けれども新しいメソッドを手に入れたと喜ぶ。

マクドナルドに入る。今時のマクドナルドは注文すらカウンターでしなくてもいいようになっていてカウンター近くのモニターをタッチするだけで済んでしまうのに驚く。店員が哀れな外人を助けようと英語で話しかけてくる。スペイン語でどう使うのだと聞くと、すぐに切り替えてスペイン語で説明しだす。
「好きなものを選べ」
「どう選べはよいのだ」
「画面に触ればよい」
「コレはなんだ」
「野菜入りのスクランブルエッグとチーズとふにゃほら」
「値段がわからないではないか」
「こうするとわかるのだ」
「なるほど便利だな」
「コーヒーの大きさを選べ」
「どれほどの大きさなのだ」
「これこれしかじかになっておる」
「なるほどコレでよい、これで全部だ」
「では、ここを押せ、もう一度、もう一度」
とやりとりを終えるとレジで金を払えと案内された。初めて見る注文用機械に感心していたが、自分がまるで日本と同じ感覚で話していることに気がついた。

少しはやく用事が済んだので今回は早めに帰路に着いた。バスから見る車窓はまだ日が高く明るいのでよく見渡すことが出来る。高原に上がると一面にトウモロコシ畑が広がった。どこか間が抜けているように見えるのはアメリカの畑を見てしまったから。どこまでも手作業で行う農業とはこうしたものなのだと改めて感じる。機械はあるにはあるけれど、小さい。この広い土地にはあまりに非力なのだけれど、ないよりマシなのだ。次々と目に映る景色は新鮮で、知らないことが沢山あるのが嬉しい。標高2500を過ぎるあたりから人々のほっぺに赤みが増す。まるで違う民族を見ているような気になる。こうした所に住んでいる人々の笑顔はかわいい。あぁした笑顔になるには高い代償を払わなければいけないのだ。だからあの笑顔はいらない。

二日後、この村のチキンバスの運転手がシティーで撃ち殺された。バイクの一団に寄ってたかって撃たれた。他にも客と車掌が怪我をして病院送りとなった。死んだ運転手は近所の人。なぜ殺されたかと言うとみかじめ料を払わなかったから。通常こうしたバスの運転手はマフィアにお金を払って安全を買っている。たまに払わない者がいるとこうして殺されてしまう。大体、週に150ケツアルほど払えばよい。2000円くらいか。安いのだか高いのだかわからないが、ここでの人の命はそのくらいの値段なのだ。マフィアからすれば払わない者がいて皆が真似すると困ってしまう。次々と払わない者が出て来ては暮らしていけないので殺して見せしめにする。そうすれば他の者はおとなしく払う。サンペドロの者が殺されてしまったのは初めてだと声をひそめるように水屋のセニョールが教えてくれた。
良いも悪くもない。ここではそういうものなのだ。やった者は今頃教会で懺悔をして、胸をなで下ろしているに違いない。やられた者の家族もまた教会で天国へ行けるように祈って諦める。怪我をした者の家族もまた神に無事を感謝しているのだ。ただそれだけの事。折しも明後日は独立記念日。こうした祭り事が近くなるときは用心に越した事がない。もう一度グアテマラシティーへ行かなければならないので気が重い。次回は運転手の後ろに座るのはやめるか、みかじめ料を払っているか聞いてから決めることにする。

日々雑思 ねこ いぬ アルファ米とサバ缶と

ねこ
ある日、突然、気がついた。猫の顔は思っていたよりも平らなものなのだ。鞠のようであり、そこに耳をのせたら猫になる。ずっと犬の様に口元が飛びだしているのだと思っていた。口も小さい。歯も細い。犬のようにポリポリと骨を食べる事できなさそうにしか見えない。身体は柔らかく、よく伸びる。指で押すと体の中に飲み込まれ、向こう側を触れるのではないかと試してみたくなる。手足も普段は短いけれども伸すとどこまでも長くなり、見た目が可笑しくてバランスがよくない。尻尾もまた犬とは違い滑らかに良く動く。尾の先だけも動かせるし、付け根からちから強く動かすこともできる。猫の尻尾で機嫌が分かると言うけれど、そもそもケダモノの機嫌などとるような事をしないので、そんなことで一喜一憂する訳も無い。

産まれたばかりの時からうちに来て住んでいる猫は、そんな風に思われていると知ってか知らずか大人しく悪さもあまりしない。叱られると良く憶え、わがままを言わずに我慢している。犬のカフェもくっつかれるのは絶対に許さない。一定の距離を必ず守るように猫に言って聞かせているのだきっと。カフェのご飯に手を出したりすれば容赦なくやられてしまう。猫の頭がスッポリとカフェの口の中に入ってしまうほどガブリとやられてしまう。腰を抜かしたように後ずさって物陰からジッと物欲しそうにしている姿が乞食女のようであさましい。

あまりのあしらわれように、客がくるとまるで自分が猫である事を思い出したように媚び諂い、ぴったりと寄り添って可愛いがってもらっている。すっかりと寛ぎ、ひとときの幸せを感じているかのようだ。
そうした油断をしているので夜寝る前の用足しを忘れ、ベッドの上でふん尿を垂れ流してしまうのだ。風呂から戻って部屋に入ると、いままさに用を足そうとしている猫と目が合う。じっとこちらを見ながらヨタヨタと前進しつつ下痢便を垂れ流し、前脚でかきむしっている。悪臭が漂い。布団が糞まみれとなった。バカ猫め。

いぬ
カフェはよほど気に入った客としか出かけない。何が基準となっているのか皆目見当もつかないが、何かあるのであろう。最近のお気に入りはキミちゃん。スペイン語学校に通っている。ズンバ部のメンバー。カフェはキミちゃんのことがいたくお気に入りのようでどこへでも付いていく。ところがキミちゃんはケダモノがあまり好きではない。「一緒は嫌だ」と言っているがカフェはどこ吹く風で付いていく。カフェは道案内をするつもりで先に立って歩いて行く。自分のお気に入りの道を行こうと先に曲がる。するとキミちゃんは反対側に曲がってしまう。するとカフェは戻ってキミちゃんにピッタリと寄り添うように歩くように気をつけた。ある日、いつものように学校に行く。キミちゃんは対岸の村に学校が終わってからいくことにしていたのでカフェもやる気満々でボート乗り場に行ったけれども、おいていかれてしまった。そんな事であろうと後からカフェを桟橋に迎えに行った。果たしてカフェは桟橋にちょこんと座ってキミちゃんを待っていた。後ろから声をかけると喜んでいる。ボートの兄ちゃんたちも「この犬は賢い」と褒めていた。

昨日、いつものようにカフェは出掛けたが、しばらくしてスセリーと戻ってきた。どうしたのだと声をかけると、片方の目から涙がこぼれた。キミちゃんに振られたなとすぐにわかる。しょんぼりとうなだれているので、かわいそうになった。スセリーに宿を頼み、湖に散歩に出かけた。嬉しそうに走りまわり、いつもより長く泳いで気が晴れたのか帰ると寝てしまった。帰ってきたキミちゃんは「嫌いじゃないけどキミじゃないんだ」とケロリと言っている。カフェに「世の中の女はキミちゃんだけじゃない、きっと他にいい女がいるのだからそれにしろ、悪いことは言わないからあの女は諦めるのだ」と諭す。夜の餌に肉をたくさんあげた。

アルファ米とサバ缶と
”尾西食品は安心と思いがけない幸せを提供します。”さすがと思わせるこのフレーズは日本の食品メーカー尾西食品株式会社のもの。災害時やアウトドアでおいしいご飯を食べられるように乾燥米を売っている。以前泊まったお客さんから貰ったものを食べる。山菜おこわと書いてある。この味をすでに知っていたので、特段なにもワクワクしたりせずにお湯を入れて15分程待ち食べた。一口。瞬間、思いがけない幸せを感じてしまう。”これってこんなに美味しかったのだ”と驚いた。まさに日本の山菜ご飯であった。まじまじをパックの中を覗く、どう贔屓目に見てもうちで炊く米より断然おいしい。カリフォルニア米を圧力鍋で炊くよりまったくおいしい。こんなのが毎日食べられるのであればこれで暮らしていけると心底思った。不謹慎を承知で言えば、災害時に乾燥米ではとグチをこぼす被災者はいったい普段何を食べているのであろうか、よほど美味しいものを食べているのか、一度御所版に預かりたいものだと思ってしまった。外国に出て4年、日本の味をすっかり忘れてしまったのだ。

サバ缶をもらう。客に「サバ缶を出したいのだけれど良いか」ときく。客も日本を離れ3年以上が過ぎている人であったので喜んでくれている。さらに「調理をせずに食べたいのだけれど良いか」僕はオリジナルで食べたいと申し出る。そうしようと話がまとまった。
ご飯を炊き、サバ缶を温める。缶の中にある汁までしっかりと出し切って皿にもる。ホウレンソウを添えてうやうやと口に運んだ。体から力が抜けた。美味しいのだ。とても美味しい。グアテマラでは食べものを食べておいしいと感じることはほぼ無い。自分の作る料理にしても同じで、いくら頑張ったとしても日本で作った自分の料理には到底及ばない。敗北感が押し寄せた。どんなに丁寧に作った料理でもこのサバ缶一つに敵わない。宿をはじめてから食べて来たものの中で一番おいしい。客と二人で汁まですべて平らげてしまった。「食とはこうあるべきなのだよ」とサバ缶に言われた気がした。そしてこれまでご飯がおいしいと言われて来たのは全て世辞であったのだと悟る。おいしいというのはこういう事なのだとこの歳になって初めてわかった気がした。

食後、捨てたサバ缶をゴミ箱から拾い、まじまじと見る。いまだに芳醇な香りを発するその缶はすでに役割を終えてしまってはいるけれど僕が忘れてしまった大切な何かを失う事なく保っていた。今の僕なら羽田空港のトイレで暮らせるであろう。なんの躊躇も無く寝起きし、なんならウォシュレットでうがいをする事だってできそうだ。便器の蓋で調理をしたとしてもここで作る食事よりもっと美味しくできそうだ。それほどまでに尾西の乾燥米とサバ缶は素晴らしかった。日本のクオリティーは別次元なのだ。海外での暮らしに慣れすぎてしまった。きっと日本人らしさは日々削り取られてしまって僕自身が道端に捨てられた空き缶やパックのように干からび、錆びつき、犬にも見向きもされない物体へと変わり果ててしまった。以前のような輝きを失ってしまったのだ。少し悲しい。

日々雑思 暇に任せて

この時期は暇で客がいない。11月までひたすら我慢の月が続く。雨季がいけない。雨季は観光客を遠ざけるのだ。でもサンペドロはいつも午前中は快晴になるのでいい。客もいないのでやりたい事をするのだ。暇だけれども忙しいふりをしていればここでの生活は楽しいものになる。

Zumbaを始める
客の女の子からzumbaに行こうと誘われる。以前から宿泊している客に紹介してはいたのだけれど自分がやることになるとは思いもしなかった。月水木の週3回で1ヶ月Q25は安い。金曜は別料金でQ5なのでこちらも行くことに決めた。

村役場の2階に夜8時に行くと、コロコロと太った女衆が集まっていて男は僕ひとり。恥ずかしいもなにも無いので見よう見まねで踊りだす。なかなか難しく笑ってしまう。宿を始めてから、こうして出かけるコトがすっかりなくなってしまったから気晴らしにいい。

ひと月真面目に通うと、だいぶ踊りについていけるようになった。女衆も優しい。ある日、行くとなかなか始まらない。どうしたのだと聞くと「スピーカーのコードがないので音楽がながせない」と困っている。「誰かが持って行ってしまった。こうしたことはたまに起きるので悲しい」と嘆いている。差し込み口を見てから近くのプロジェクターのコードが使えそうなので試しにさして見る。今度は「コンセントの差し込み口の形が違う。これではダメだ」というので、館内を見渡すとはじの方の壁にコンセントを見つける。「あそこまで届かない」というのでスピーカーを運んでさすと電源が入った。途端に全員が笑顔になり「いい仕事をしてくれた。お前はすごい」と口々に賞賛される。この程度のことは誰でもできるのだ。嬉々として踊る女衆が可愛らしく見えた。

踊っていると村の男衆が代わる代わる見にやって来る。アジアから来たおっさんが踊っているのを見て笑っている。この村の男衆は情けないくせにプライドだけは高いのでこうした踊りはできないのだ。先生になぜ男衆はやってこないのだと聞いても知らないと言うばかりで、はなから来ないものだと決めつけている。帰り道で知り合いに「踊っているのか」と聞かれる。「踊っている」とだけ答えると「いいな、健康になる」と言ったので「そうだ歌って踊れるおっさんを目指しているのだ」と得意に答えてやった。「歌えるのか」と聞くので「女中に習っている。歌える」と答えると「何曲歌えるのだ」というので「いまではたくさん歌える」と答える。電気屋のスピーカーから流れて来るレゲトンを口ずさんでやると驚いていた。女中のスセリーも見にきた。翌日「踊っていたな」と言うので「見たな」と言ってやる。スセリーは本当は踊りたいのだけれどエバンヘリコなので教義として踊らないことになっているからできないのだ。

ある日、行くと「今日は先生が急に休んだからできない。また明日こい」と言う。翌日先生からメッセージを送りたいから電話番号を教えろと言われる。教えると 「SNSのグループもあるが入るか、でもみんながすごく書き込みをするので大変でめんどくさい」と言われたので「考えておく」と返事をする。この村にはたくさんのグループがあってその情報伝達力は驚くべきものがある。彼らに秘密などないのだ。全てがお見通しになってしまっていて、この村ではそうしたことに慣れなければいけない。スペイン語学校の先生も若い子たちも皆グループを持っている。彼らはどんな輩がいるか、めんどくさい奴がいるかなどぜーんぶ承知なのだ。たまに僕のところにだけそっと言ってくれるのはある種の警告なのかもしれない。

せっかく始めたzumba。こうしたことは真面目に続けなければいけない。サボってはいけない。3ヶ月は黙って踊るのだと言い聞かせる。

レゲトンを歌う
気に入ったレゲトンを歌う練習をする。レゲトンとはラテンの歌謡曲のようなもので若い人たちに人気がある。流行りの曲は聴かない日がないほどどこかで流れていて、たまにうんざりすることもある。Zumbaでも使うので覚えておいて損はないのだ。レゲトンはとにかく速い、なかなか追いつけないのだけれど歌えるようになるとお客が驚く、グアテマラ人も驚く、自分も驚く。歌えるようになった曲、練習中の曲。
Azukita
Bailame
Sin Pijama
MI Medicina
Robarte Un Beso
Me Voy Enamorando
Criminal
Bailando
Echame La Culpa
Despacito
Me Niego
Mi cama
Nena Maldicion
Deja Vu
Te Bote Remix
Vaina Loca
Si Tu Vuelves
目についた片端から歌いまくる。速くて歌えないものあるけれど、毎日練習していると不思議と歌えるようになる。歌えるようになると聞けるようになる。歌の意味などどうでも良い、歌っているうちにわかるようになる。単語の意味などもうどうでもよくなって来ている。スペイン語で理解していれば他言語での訳などどうでも良いのだ。スセリーが「これは聞いたか?最近出たのだ」「聞いた、でも難しい」「そんなことはないヒデキはもう歌える、歌え!」「わかった歌う」翌日「練習したか」「まだしていない」「忙しかったのか」「忙しくないがやっていない」「・・・」ブーと膨れられてしまう。スセリーが歌い出す。歌っている時の彼女の口元は生き物のように舌がよく動き滑らかに音が出てくる。じっと見ているとこちらに気が付き目でにっこりと笑う。

50肩
家庭教師のコンセプシオンが「お母さんが背中が痛いと言っている。痛くて痛くて眠れない。姉妹でマッサージ器を買ったがダメだ」と言う。話を聞くとどうやら50肩のようだ。「一度、見てやる、でも動かせない程痛かったら薬を飲んで待たなければならない」「いつ来てくれるのだ。明日はダメか」「明日なら良い、3時に行ってやる」

彼女の母親の年齢は57才だと言う。肩の状態を見る。ゴリゴリしている。動かせることはできるので1時間ほどマッサージをしてやった。50肩は時間もかかるし、なかなか治らない。理学療法や注射を使って痛みをとれば良いのだけれどここにはそんなものは無い。
「う〜ん」
「痛いか」
「ムーチョ」
「我慢できるか」
「できる」
「ここは痛いか」
「ムーチョ」
「ここもか」
「なぜ痛いところがわかるのだ」
「知らん、でも右の掌で触ると昔からわかるのだ、左手はバカなのかわからない」
「治せるのか」
「知らない、でもこれまでも治ったと言われてきたのでやるだけやってやる」
「親切だなヒデキ」
「そうか、なら我慢していろ」
1日おきに1時間、夕方になると旦那とやってくる。旦那は質問が多くていけない。日本語でなら説明出来るがスペイン語では単語すら知らないので、朝やってくる女中たちになんと言うのだと聞くが彼女たちもスペイン語ではわからん、ツトゥヒル語ならわかると言うのでそれを習う。ツトゥヒル語はこの地域だけで話されるマヤの原語でおそらく滅び行く言語の一つ。喋れるようになってもなんの役にも立たないのだけれど、もし話せるようになったら日本で履歴書に書いてやろうと思っている。

ブログを再開してたくさんの人からメッセージをもらいました。拙くなく内容のないこんな記事を読んでくださる方々にお礼を申し上げます。記事にできないことのほうが実は多いのだけれど。

日々雑思 ブログを再開しました

久しぶりの更新です

いろいろとあって筆が止まってしまいサボる。外国で暮らすことは日本人であることを強く意識させ、時にそれが重くのしかかり、まるで漬物石がのっているかのように心が真っ黒になった。日々の暮らしは穏やかで波立つこともなく淡々としているのだけれど、自分の心を吐露すると混沌をいざない、煩悩の舟で業の海に漕ぎ出した人のようになる。結局、破滅の滝へと流れて落ちてしまい、自我崩壊の夢を見た。遠い異国の地にあっても日本人として暮らすのは難しいのだと知る。

ポツリポツリとやって来る客だけでは暮らして行くこともままならないので寿司を売った。ケーキを売った。どうにもならない事などこれまでの旅ではなかったと記憶している。だからどうにかなるのだ。それにしてもつくづく自分は商人ではないのだ。道端で人様に自信を持って売る事が出来ない。買ってくださいと懇願出来ない。それでもお情けにすがって食いつなぐことができるのはグアテマラだからか。

買い物から帰ってくると客がいない。出て行ってしまった。金を取りはぐれる。くよくよしても始まらないのだといいきかせる。以前、最初に支払をしてもらった方がいいですよと言われた事があったのだけれど、大丈夫だとたかをくくっていた。次にあった時はどうしてくれようかと思いあぐねるが女々しいのでやめる。

ある日、飛び込みでやって来た若者が「実は金がないのだけれど泊めてくれないか」と言う。訳を聞くと銀行の金が無くなってしまいカードが使えない、今、振込んでもらっているのだけれどなかなかうまくいかない」と言う。「泊まりなさい」と言って部屋を貸す。「明日から学校へいく」と言うので「金は」と聞くとすでに払ったと答える。学校への支払はして宿の支払いは後回しなのかといやな予感がしたのだけれど1泊だというので仕方がないとあきらめた。翌日もその翌日も出ていかないので振込はどうだと聞くがまだだと言うだけ。遊びに来たエリコちゃんに話すと「またそんなことして」と怒られる。午後に帰って来た若者は「金がおろせた。支払う」と言って支払いを済ませるとその夜に出て行った。

電話があった。唐突に「1泊幾らだ」と聞かれる。答えると「50じゃ無いんだ、あそう」と言って電話が切れた。歳をとってしまった事で、外国に暮らしている事で今の日本人の感覚がわからなくなってしまったのだろうと諦める。先日来た客はバスでスリにあい財布を盗られてしまった。カードが無くなり困っている。日本から代わりのカードを送って貰うのでその間居させてくれと言われた。先日出来たDHLでならなんとかなるであろうと思い引き受ける。連日連夜面白い話をしてくれるのでついつい聞き入ってしまう。

メールのはなし
その昔、メールが始まった頃、電話と違い返事を急がないものだったのだけれど、一晩返信が遅れるとメールが届いているのかと問い合わせがある。申し訳ないと謝るのだけれどなぜだかしっくり来ない。メールのやり取りでは1通1問の型式が多い。LINEの影響であろうか。メールには用件を箇条書きにして答えやすいようにまとめたものだけれども昨今は少し異なるらしい。長い返信には「長文スマソ」と書くのが礼儀になるのだと聞く。まだ泊まるかどうかわからないと書かれている。それならば予約の問い合わせなどしなければよかろうにと思うのだけれど、どうやらそうではないらしい。最後のひと押しが必要だと注意を受ける。「まぁそんなことをおっしゃらずに一度来てみてくださいな、お泊まりになってから決めてもよろしいのではないですか、どうぞ、ぜひ、一度だけでも来てください」とお誘いをするのが礼儀だと言う。泊まる泊まらないは本人の自由だと思っていたので大変驚き、感心した。

案内のはなし
近隣の村々の事を聞かれる。気候や治安のことを聞かれる。こんな時どのように答えるのがいいのかと悩む。「どうですか?」と聞かれるのが苦手な僕は「普通です」と答えたいところを我慢して村の人口や概略、年間平均気温、大陸性気候について答える。そんなことを言った途端「コイツはバカなのか」という目で見られてしまう。以前、どこかの宿で管理人をやっていたという自信に満ち溢れた若者に「そんなことではいけない。知らなくてもいいところだと背中を押してあげなければいけない。けっしてたいしたところではないなどと言ってはいけない」と諭される。こちらにしてみれば果たしてそんな事を聞きたいのだとは思っていないのだけれど、例えば「日本の5月下旬の気候です」などと気を利かせて口を滑らせた途端「それは日本のどこですか?北海道ですか沖縄ですか」などと言われてしまうのではないかと勘ぐりたくなるほど、悩ましいのだ。

HPを英語表記に変更する。日本語で書いていても客が来ないので、これではイケナイ、外人を呼び込めと言う策。久しぶりに書き換えるHPに苦労する。チラシをつくりあちこちに置いてもらう。すぐに客がやって来た。どうだと聞くととてもキレイで安い、人に紹介したいが日本人でないと泊まれないのかと言われる。大丈夫だどんどん友達に紹介してくれとお願いした。
チラシを置いた店からチラシが無くなったから持って来いと連絡が入る。結構持って行ったり写真を撮っているといわれる。
行く先で寿司は今日は無いのかと言われる。でもあれじゃ高いだろと聞くとあれは安いと言われる。ケーキもしかり。これまで言われてきたことと真逆の事を言われて困惑してしまう。3階は雰囲気が悪い、宿代が高い、施設が汚いと言われて来たのに全く逆の評価に変わる。これは一体どうした事なのか全くわからない。
日本人をあてにしてはいけないと言われた言葉がズシンとのしかかって来た。外人を泊めるとうるさくする、汚くつかう、などなど言われてきたが決してそのようなことなく礼儀正しく何かあればきちんと聞いてくる。

日本人がバイクの事故で亡くなった。チキンバスとの事故。バスの運転手は逃走しようとしたけれど捕まった。面識はなかったのだけれども、うちに来る客がずいぶんと世話になったのに驚いていると言っている。バイクで旅をして来た者としてやはりこうした事故を聞くと心が痛む。丁度友人がロシアでバイクの旅を始めたばかりだったので無事を祈るばかり。

「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」

先日見た映画の中でのダライラマのセリフ。なぜこんな事を平気で言える事ができるのであろう。ありきたりの言葉しか知らない僕には到底無理な心温まる言葉だ。記事を読んだ時に不意にこの言葉がよぎった。

朝、メルカドへ向かう路すがら空を見ると、とても高くてまるで秋の空のよう。そう言えば8月も終わるのだ。ここには雨季と乾季しかなく村の人は夏と冬という言葉を使って説明するのだけれど、どうもしっくりとこないのでいけない。不意にブログを再開しようと思った。日本に暮らしていた頃もなぜだか秋の高い空を見るとなにかを始めようと決めることが多かった気がする。ブログを止めて反省している間にも、様々なコトがあってメモには書きためてあるので、折を見て書き足して行こうと思っている。良いコト、嫌なコトがあった。