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日々雑思 魔法の杖が欲しい 旅の命題

魔法の杖が欲しい

英語やスペイン語の勉強をしていると時に驚くことがある。それは教える側にも教わる側にもあって、きっとこの人は最初からそういう人であったのだろうと思わされる。フィリピン人のカレンは、きっとそうした人なのだと感じた1人。彼女は単語のイメージをいとも簡単に英語で覚えさせてくれた。僕のボキャブラリーが足りないと見るや否や毎日新しい単語を20〜40個、しかも日々使う単語ばかりを僕の脳に刻み込んでくれた。こんな単語は使わないだろうと思っていたものは、今でもよく聞くし僕も使っている。それらは日本語に訳する必要もなく、そのまま覚えているので使う時に考える必要がない。それは1750個にも及んだ。当時、一緒に学んでいた友人に彼女のレッスンのことを聞かれ、彼女は天才肌ですね、なんだかわからないけど覚えられるんですと答えた。友人もまた彼女のレッスンがいたく気に入った。

留学に来た客の1人、キミちゃんもそんな1人。彼女は、本人に言わせると気がついた時には英語が出来た。物心ついた時にはすでに話せていたがそれに気がついたのは彼女が中学生の時に親が気がついたと言う。そんな彼女なのですぐに話せる様になるのであろうと文法に強い学校を紹介して、いい先生について勉強を始めた。ところが全然話せないと言う。先生に聞いても彼女はあんまり勉強していないみたい。だから話せないんじゃないかと困惑している。ところがキミちゃんは学校の帰り道に知り合いになったグレンディと小一時間雑談をして帰って来るようになる。ある日僕とその子が話しているのを聞いていて、キミちゃんは「すごーい全部わかった」と言っている。僕は少し驚いてグレンディに聞くとキミちゃんは話せてる。最初は何にも分からなかったけど今はなんでも話すと言う。ところが先生に聞くと相変わらず同じ答えが返って来た。そうキミちゃんもまた天才肌の1人だった。キミちゃんに聞くと勉強なんかしてたら話せないのだと言う。だからキミちゃんは今でもとっても簡単なことが言えなかったり、間違えたりするのに日常会話は出来ている。

先日、ある先生のレッスンを受けた。彼女の評判は以前から知っていて、レッスンの約束をしていた。たった3時間ほどのレッスンだったのにモヤモヤしていたものが一気に晴れて、全部使える様になった。なぜ今まで悩んでいたのかわからないほど、それはレッスン中に明快になった。しかも教えてもらったその直後から使えるようになった。僕は自分のわからないことが何なのかを明確にしてから勉強するのタイプだけど、これまでなんでわからないのかがさっぱり分からんと五里霧中だったのに、レッスンを受けた後に自分が分からなかったことが分かると言う変な感覚に囚われている。しかもレッスン中に出てきた新しい単語もシッカリと頭に残った。それはカレンに教わった単語同様訳す必要がなくて、しっかりとイメージだけが残った。彼女は少しだけ日本語が出来る。レッスン中に僕が分からないと言うと日本語で説明をしてくれるのだけれど、不思議なことにまったくイメージがわかず益々混乱してしまった。理解はできるのだけれど感じない。そんな感じ。僕は「日本語で言われても何も感じない、全部スペイン語で説明してくれ」と頼む。彼女は「そうね、その方があなたには良さそう」と答え、スペイン語だけでレッスンを進める。その言葉を使う時の心の動き、それを受け取る側の気持ちを僕に伝えながら自分の気持ちを運ぶ道具としてのスペイン語を教えてくれた。それは僕がフィリピンで受けたレッスンとまったくもって同質のもので勉強ではなかった。僕らのレッスンは客から見たらただの雑談やちょっとした相談くらいにしか見えなかったかもしれない。後から彼女の生徒に「彼女のレッスンはどうでした」と聞かれた。僕は「彼女に教わって話せない奴はバカかやる気のないやつだけだよ、彼女に習えば僕なら2ヶ月で話せるようになるよ」と答えた。生徒さんはちょっと驚いて引いていたので僕はまずかったかなと思い「でも、彼女の性能を引き出すには中級以上の力が必要かもしれないけどね」と付け足しておいた。たった3時間ほどレッスンで僕はこれまで苦労していた3つの文法を手に入れることが出来た。まるで僕がわからないところがはじめから彼女には全部わかっていたかのようなレッスンだった。いっさいの無駄がない完璧なレッスンだった。残りはあと3つ。そのうちの1つは前述したキミちゃんから今日の午後、英語で習うことになっている。もちろんキミちゃんはその文法をスペイン語では習っていないし、彼女は既に話していること気づいていない。でも僕はなんのためらいもない。出来るようになる事を確信しているから。

今日、書いた3人はまさに天才肌の人達だと思うのだけれど、僕は彼等がどれほどの努力をしてきたかを知っている。それは人がする様な勉強ではないのかもしれないけど彼等はやったのだ。決して言い訳をせず、サボらず、日々言語に向き合ってコツコツと積み上げたのだ。目に見えない程の小さな積み重ねの結晶の上に彼等の言葉があるからこそ僕の様な凡人の心に言葉を刻む事が出来るのだ。クソのようなプライドや高飛車な気持ちを振りかざす愚か者には手に入れる事が出来ない魔法の杖が僕は欲しい。出来れば英語とスペイン語の2本の杖が欲しい。なぜならそれはテストでは測れず、人と比べる事が出来ない素晴らしい物だから。

旅の命題

ズブリ!「アッイタァ〜」と笑ってしまった。左耳の軟骨を突き抜けたパイプに小さな金属片をクリッとさして引き抜くと耳に銀のワッカが付いていた。特異な性癖を持っている訳でもないし、何かを主張したい訳でも無く、もちろん不良というほどの悪党でもない。単純にやってみたいと思った。

若い頃に流行っていたリーゼント、アメリカングラフティから抜け出してきたかのようなボーリングシャツ、ダブダブの学生服にトラの刺繍、スカジャン、ルーズソックス、腰パン、などなど。あの家の子とは遊んではいけない。あんな格好をして不良に違いない。世間様に顔向けが出来ない。親にもらった大切な身体に傷をつけるなんてと言われてしまうようなことはすべてが憧れを伴って輝いていた。僕にとってそんなものの1つがピアス。特段憧れがあった訳でもないのだけれど、不意に思い立ってやってみることにした。プラプラとする金具を見ても特段何が変わったわけでもなければ、若返りの高揚感もない。「ふーん」それだけだった。不良おじさんでもないが、人様からそう見られてしまうのかしらと帰りにすれ違う人をジッと観察して見たけれども、誰も気にも止めてくれないので少しガッカリしてしまう。もはやピアスごときでどうなるものでもないだ。これから日本に帰る旅人が就職の時によくないと言っていたのを思い出す。さすがに僕の年齢で就職もなにもないのだけれど、果たして今の日本ではどう思われるのであろうかしらと妄想してフフフと笑ってしまった。ほっぺたの上の方から顎にかけて人差し指ですっと線を引いたり、小指の第二関節から折り曲げて先が欠けているように見せたり。服の袖を捲り上げて斜に構えたりするように耳に人差し指でと親指でワッカを作るような仕草があったりするのかしらと妄想は果てしなく広がった。ボワリ〜ンと熱を持つ耳がなんとなく気になり鏡をのぞく。恐る恐る触って見た。「時々クルクルと動かすのだ」と言われた通りにやってみる。ウズウズとした痛みが走った。でもその感覚は嫌いではない。

旅に出る時に決めたこと”迷ったらやる”をやってみただけ、バイク、ロッククライミング、ダイビング、宿。すべてが楽しかった。新しい経験は新鮮で怖さや不安があった。それは僕をワクワクさせたし驚きと喜びを感じさせてくれた。そして今回もおんなじ。嫌なら外せばおしまい。じきに穴は塞がって小さな傷となって思い出の一つとして残るだけなのだ。まだまだやってみたいことは沢山ある。ドレッドヘアー、青刺のようなアウトロー的な物、多言語や文化に浸かる。これまで行ったことがないような高い山に登ったり、何百キロも歩いたり。未知のものを口にしたり、沢山の人と話したり。恋人ができるかもしれないし、どん底で這いつくばることだって僕には楽しいのだ。「迷ったらやる」僕の旅の命題なのかなとちょっと思う。とりあえずこの言葉を心に留めて忘れないようにしよう。

日々雑思 ブログを再開しました

久しぶりの更新です

いろいろとあって筆が止まってしまいサボる。外国で暮らすことは日本人であることを強く意識させ、時にそれが重くのしかかり、まるで漬物石がのっているかのように心が真っ黒になった。日々の暮らしは穏やかで波立つこともなく淡々としているのだけれど、自分の心を吐露すると混沌をいざない、煩悩の舟で業の海に漕ぎ出した人のようになる。結局、破滅の滝へと流れて落ちてしまい、自我崩壊の夢を見た。遠い異国の地にあっても日本人として暮らすのは難しいのだと知る。

ポツリポツリとやって来る客だけでは暮らして行くこともままならないので寿司を売った。ケーキを売った。どうにもならない事などこれまでの旅ではなかったと記憶している。だからどうにかなるのだ。それにしてもつくづく自分は商人ではないのだ。道端で人様に自信を持って売る事が出来ない。買ってくださいと懇願出来ない。それでもお情けにすがって食いつなぐことができるのはグアテマラだからか。

買い物から帰ってくると客がいない。出て行ってしまった。金を取りはぐれる。くよくよしても始まらないのだといいきかせる。以前、最初に支払をしてもらった方がいいですよと言われた事があったのだけれど、大丈夫だとたかをくくっていた。次にあった時はどうしてくれようかと思いあぐねるが女々しいのでやめる。

ある日、飛び込みでやって来た若者が「実は金がないのだけれど泊めてくれないか」と言う。訳を聞くと銀行の金が無くなってしまいカードが使えない、今、振込んでもらっているのだけれどなかなかうまくいかない」と言う。「泊まりなさい」と言って部屋を貸す。「明日から学校へいく」と言うので「金は」と聞くとすでに払ったと答える。学校への支払はして宿の支払いは後回しなのかといやな予感がしたのだけれど1泊だというので仕方がないとあきらめた。翌日もその翌日も出ていかないので振込はどうだと聞くがまだだと言うだけ。遊びに来たエリコちゃんに話すと「またそんなことして」と怒られる。午後に帰って来た若者は「金がおろせた。支払う」と言って支払いを済ませるとその夜に出て行った。

電話があった。唐突に「1泊幾らだ」と聞かれる。答えると「50じゃ無いんだ、あそう」と言って電話が切れた。歳をとってしまった事で、外国に暮らしている事で今の日本人の感覚がわからなくなってしまったのだろうと諦める。先日来た客はバスでスリにあい財布を盗られてしまった。カードが無くなり困っている。日本から代わりのカードを送って貰うのでその間居させてくれと言われた。先日出来たDHLでならなんとかなるであろうと思い引き受ける。連日連夜面白い話をしてくれるのでついつい聞き入ってしまう。

メールのはなし
その昔、メールが始まった頃、電話と違い返事を急がないものだったのだけれど、一晩返信が遅れるとメールが届いているのかと問い合わせがある。申し訳ないと謝るのだけれどなぜだかしっくり来ない。メールのやり取りでは1通1問の型式が多い。LINEの影響であろうか。メールには用件を箇条書きにして答えやすいようにまとめたものだけれども昨今は少し異なるらしい。長い返信には「長文スマソ」と書くのが礼儀になるのだと聞く。まだ泊まるかどうかわからないと書かれている。それならば予約の問い合わせなどしなければよかろうにと思うのだけれど、どうやらそうではないらしい。最後のひと押しが必要だと注意を受ける。「まぁそんなことをおっしゃらずに一度来てみてくださいな、お泊まりになってから決めてもよろしいのではないですか、どうぞ、ぜひ、一度だけでも来てください」とお誘いをするのが礼儀だと言う。泊まる泊まらないは本人の自由だと思っていたので大変驚き、感心した。

案内のはなし
近隣の村々の事を聞かれる。気候や治安のことを聞かれる。こんな時どのように答えるのがいいのかと悩む。「どうですか?」と聞かれるのが苦手な僕は「普通です」と答えたいところを我慢して村の人口や概略、年間平均気温、大陸性気候について答える。そんなことを言った途端「コイツはバカなのか」という目で見られてしまう。以前、どこかの宿で管理人をやっていたという自信に満ち溢れた若者に「そんなことではいけない。知らなくてもいいところだと背中を押してあげなければいけない。けっしてたいしたところではないなどと言ってはいけない」と諭される。こちらにしてみれば果たしてそんな事を聞きたいのだとは思っていないのだけれど、例えば「日本の5月下旬の気候です」などと気を利かせて口を滑らせた途端「それは日本のどこですか?北海道ですか沖縄ですか」などと言われてしまうのではないかと勘ぐりたくなるほど、悩ましいのだ。

HPを英語表記に変更する。日本語で書いていても客が来ないので、これではイケナイ、外人を呼び込めと言う策。久しぶりに書き換えるHPに苦労する。チラシをつくりあちこちに置いてもらう。すぐに客がやって来た。どうだと聞くととてもキレイで安い、人に紹介したいが日本人でないと泊まれないのかと言われる。大丈夫だどんどん友達に紹介してくれとお願いした。
チラシを置いた店からチラシが無くなったから持って来いと連絡が入る。結構持って行ったり写真を撮っているといわれる。
行く先で寿司は今日は無いのかと言われる。でもあれじゃ高いだろと聞くとあれは安いと言われる。ケーキもしかり。これまで言われてきたことと真逆の事を言われて困惑してしまう。3階は雰囲気が悪い、宿代が高い、施設が汚いと言われて来たのに全く逆の評価に変わる。これは一体どうした事なのか全くわからない。
日本人をあてにしてはいけないと言われた言葉がズシンとのしかかって来た。外人を泊めるとうるさくする、汚くつかう、などなど言われてきたが決してそのようなことなく礼儀正しく何かあればきちんと聞いてくる。

日本人がバイクの事故で亡くなった。チキンバスとの事故。バスの運転手は逃走しようとしたけれど捕まった。面識はなかったのだけれども、うちに来る客がずいぶんと世話になったのに驚いていると言っている。バイクで旅をして来た者としてやはりこうした事故を聞くと心が痛む。丁度友人がロシアでバイクの旅を始めたばかりだったので無事を祈るばかり。

「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」

先日見た映画の中でのダライラマのセリフ。なぜこんな事を平気で言える事ができるのであろう。ありきたりの言葉しか知らない僕には到底無理な心温まる言葉だ。記事を読んだ時に不意にこの言葉がよぎった。

朝、メルカドへ向かう路すがら空を見ると、とても高くてまるで秋の空のよう。そう言えば8月も終わるのだ。ここには雨季と乾季しかなく村の人は夏と冬という言葉を使って説明するのだけれど、どうもしっくりとこないのでいけない。不意にブログを再開しようと思った。日本に暮らしていた頃もなぜだか秋の高い空を見るとなにかを始めようと決めることが多かった気がする。ブログを止めて反省している間にも、様々なコトがあってメモには書きためてあるので、折を見て書き足して行こうと思っている。良いコト、嫌なコトがあった。

留学に関するあれこれ

今回の記事に関しまして、一部不適切な表現がありましたため、今回の記事は削除いたしました。

ご気分を害された方には深くお詫び申し上げます。

なお、今後このようなことが起きませんようにブログ記事に関して再考いたします。当面の間、謹慎いたします。

 

 

僕のスペイン語の話をしよう

僕のスペイン語の話を少し。現在の自分に至る経緯としてはこんな感じだという記事になっています。今回は留学に関する情報ではありません。

バイク旅でメキシコに入った時に僕は旅の一番大切なツールである英語を失って途方に暮れた。そうメキシコはスペイン語圏だったから。
毎日、ガソリンスタンドとタコス屋に行き、繰り返し彼等の口からこぼれ出る音を拾い続けた。英語で嫌という程痛い目に遭った発音とリスニングを勉強をしはじめる前からつぶしたくなかった。

グアテマラでスペイン語留学を合計5ヶ月する事になる。果して、中途半端な知識と旅に必要なスペイン語を手に入れた。自分ではだいぶ話せるようになったと喜んではいたけれど、カタコトで必要最低限の会話しかできない状態だったと気がつくのにそう時間はかからなかった。

宿をはじめた初日、ガスのボンベが切れてガスを注文することになる。がく然となる。電話で注文しなければならないのに”もしもし”がわからなかった。ガスボンベをなんと言うのか、この場所をどう伝えればいいのか、直ぐに必要だとどう言えばいいのか、電話を切る時はどう言うのだと途方に暮れてしまう。電話をかければ相手がなんと言っているのかまったく分からず、はたしてガスボンベが届くのかどうかもわからなかった。
それからは日常のすべてに困る事となる。とにかく生活に必要なスペイン語を知らなかった。女中を雇うと掃除、ルームメイク、料理につかう言葉がわからない。隣近所のつきあいや、光熱費などの支払いなど生活に必要なスペイン語が毎日山のように押し寄せてきた。

客との会話にも困る事となった。日本語の文法用語がわからない。「線過去と点過去の使い分けがわからないんですけど」と言われても僕にはその言葉の意味が理解出来ない。日本語の文法書をあわてて読んだ。

今では、文法的な事を聞かれればそこそこ説明出来るので知識は一通りあるらしい。でもそれは知っているだけ、話せないのが問題なのに頭ばかりがデカくなる。本は知らない単語さえ調べてしまえば理解はできる。朗読はまるで出来の悪い小学生並み。100回読んでもバカ丸出し。ボキャブラリーは恐らく聞いたら分かるけど、使えない単語を含めれば2000もあるかどうかといったところ。日常会話では多岐に渡るテーマやコミュニケーションとなるとちょっと自信がない。発音はLがいまだにダメ、アクセントやイントネーションを直されることも多い。聴き間違えもひんぱんにおこしてしまう。

よく見積もっても僕のスペイン語はこの通り。近所の馬鹿餓鬼にも劣る程度なのでこれから書くことはスペイン語が出来る人にはまったくもって役に立たない情報なので最初に断っておく。

今のスペイン語の勉強方

言語を学ぶにはいくつかの段階があると思っていて、時々に応じた学の機会が必要となるようだ。はじめは参考書や学校が必要だけれども、それではいつ迄も国語の教科書を朗読しているような話し方になってしまい、話中の相槌や会話をつなげるためのちょっとしたひと言は口から出ない。
知り合いに頼んで夜にすこし勉強をして見たのだけれど、どうしてもテクニカルな事に集中してしまい、話すという目的とはちょっと違う方向に進んでしまった。この学び方は違うと思いつつ、なかなか修整をすることが出来なかった。僕のスペイン語は学校にまじめに通っている生徒さんにも劣る酷いものになってしまった。

なかなか糸口が見つからない。女中さんに家庭教師も頼む事にした。彼女はスペイン語は話せるけれど学校の先生の様には教えることは出来ない。でも逆にそれが良かった。小難しい質問をしなくなり、言葉をそのまま受け入れた。そうなると買物やちょっとした頼み事などもスムーズにいくようになり出し、このころから話す事への垣根が随分と低くなった。と同時に自分のスペイン語が変わり始めたことに気がつく。宿の日常生活に必要な単語を覚えてしまうと側から見ればペラペラにみえてしまうのだと感じたのだけれど、自分のスペイン語が全くなっていない事も分かっているという変な感覚がつきまとった。相手も僕がスペイン語を話せることを前提に話すので勘違いや言い間違いが目に付くようになって来た。それが原因で女中さんのセシーは辞めてしまったのだけれどそれが僕の実力なのだとあらためて思い知る事となる。

僕はもう一度キチンと勉強しなおす必要性を感じて、本を買い、文法書を引っ張り出して、「読み」「書き」「話し」「聞く」をいっぺんに同時進行で勉強することにした。語学学習では各スキルが少しのタイムラグを置いて同時に伸びて行くものだと思っているので、何かひとつに特化して勉強するのは今の僕にとってはあまり良い勉強方法だとは思えなかったから。大嫌いだった書くこと、読む事を中心に分からないことがあればそのつど辞書をひき、文法書を読みなおした。新しく来た女中さんにもお願いして仕事のあと1時間のレッスンを受けている。レッスンでは本を全速力で読んで貰い、録音したものを何回も聞き、同じ速度で読めるまで練習を繰り返す。翌日、僕が朗読する。チェックしてもらい、発音や抑揚をなおしてもらう。読んだ文章をセンテンスごとに何が書かれているかを説明して、分からない単語は使い方をより詳しく教えてもらい、その場で文章を作って理解しているかをチェックした。文中の動詞はどの活用が使われているか書き出して、どうしてその活用が使われているのかを考えた。これまでぴんとこなかった活用が見え始めてきたのでより理解が早くなって話しの中で明確に使い分ける事ができるようになっていく。YouTube で流行りの曲を聴いて一緒に歌う。間違える事を承知で新しい構文で話し、あっているか、間違えている時は直してもらい、口が覚えるまで繰り返す。最近はもっぱらこの方法で自分のスペイン語を磨いているのだけれど果たしてこの方法があっているかかどうかはまだわかっていない。

スペイン語が話したいんだ

最近、スペイン語を話したくて仕方ない、英語もしかり。日常の生活には困っていないし、ことは足りているのだけれど、話していて自分がバカに思えてくるような、道徳も教養もない頭の悪さを露呈するようなスペイン語が嫌なのだ。まるでいつも真っ裸で歩いているような気分になる。
日本人だから、歳だから、性格的になどといった言い訳などまっぴらごめんで、何が何でも話したいと負けず嫌いの性格を丸出しにして勉強をしているのだけれど、いまいち上手くなっていない気がして仕方がない。聞けば「お前のスペイン語は正しい」と言われてもそんな訳があるはずなかろうと疑いの気持ちがムクムクと湧出していけない。

話し方がとろくさく、いちいち必要な単語を探さなければ口から出てこない、話していて間違えるたびに”あっ”とか”また間違えた”とかと四六時中感じているのが嫌で嫌で”お前は馬か鹿なのか”と自身に悪態をついている。

英語を習った時にも感じたこの苛立ちは、心にべっとりと張り付いて今でもはがすことが出来ないもので、こんなものに一生張り付かれていてはたまったものではない。早くひっぺがして捨ててやりたいとかきむしってはいるのだけれど、なかなか突破口が見つからない。

外国で暮らす、特に地元に根付くように暮らすとなると片言で済まないことが多々あって、ただ話せると言うだけでは片付けられない問題が出でくる。言葉はその国に住む人のアイデンティティの一部であって、その国の文化や人々の気持ちのありように深く根ざしていると思っている。言葉がとてもよく話せてもその国のジョークがわからなくてキョトンとしてしまうのはそのため。言い回しやエクスプレッションなどがいい例。単語自体に本来の意味を付加していなかったり、擬似的な有様を他の単語で表すような言い回しはその国を知らなければ話すことが出来ない。
感情や想像、推測を含む言い方にも苦労する。自分が持つ心の動きと使う言葉にズレが出てしまう。勘違いが起きて凹むのだ。痛い目を見るのだ。いらいらしたり、心がざわざわするのだ。

そう、僕は今、とってもスペイン語が話したくなったのに腰が引けて話せない時がある。そんな時、自分の中にある日本人を感じて、自分はこんな者ではないと悔しい思いをしている。

誰しもが通る道ではあるけれど、出来れば避けて通りたい。でも僕も御多分に洩れず泥沼にはまってしまったようだ。それでも僕にはスセリーやレオがいて、午前午後と彼らの情けを受けて一歩でも前に進もうともがいている。

僕は4年前にフィリピンで英語留学をしました。ほぼ話せない状態からのスタートは楽しくもあり、辛くもありました。それでも僕は英語を手に入れ、旅の途中にあっても困ることはなくなっていました。宿を始めて外人のお客さんが来ても簡単な意思の疎通はできる程度には話すことが出来ます。おそらくそれは当たり障りのない会話だからこそ支障を感じていないのだと思っています。でも語学にはその先がありました。日本語でなら出来ることが出来ない、込み入った会話をするには、もう少し勉強する必要があります。英語では到達する事のなかった世界がスペイン語で立ちはだかりました。幸いにもグアテマラで暮らす僕には多くの友人がいて機会にはとても恵まれた環境にいます。僕はその世界に踏み込んでみることにしました。

ここでの暮らしも一定の落ち着きを見せてきて、書くことがなくなってきたので、スペイン語についてちょっと書いていこうと思っています。
学校や家庭教師のこと、どう学ぶのが効率的なのか、先生とのマッチングや日本人にありがちな癖、目標設定やレベルによる学び方などを僕なりの時点で言い放ってみてもいいのかなぁと思っています。

根も葉もない噂を立てられ困っていますよ。リスペクトを忘れた馬鹿者

先日、うちでお願いしている家庭教師とのレッスンは意味がなかったという噂があると、心配した友人のカバさんが連絡をくれた。僕はすぐにピンと来た。

家庭教師のレオはとても穏やかで辛抱強く生徒が発言するまで待ってくれる。それは彼の最大の長所で、初心者、特に日本人はシャイな人が多いので初めは口が遅く、あせりばかりが先立ってしまい、自信を持てなくなってしまう。先生がイラつきを見せたりすればなおさら。日本人の気質を知るレオは正に初心者にはうってつけの先生だと僕は自信を持って勧めている。学校で教えていた経験のある彼は、ある程度文法の知識は持っているが、現役の先生に比べれば見劣りがするのは否めない。それでも時間には必ずやって来て、すっぽかすこともなく、真面目な彼はこの村では数少ない優秀な家庭教師の一人だと思う。

あるお客さんが「スペイン語を習いたい」というので学校と家庭教師の案内をすると「学校は高いので嫌だ」という。彼はすでに他の場所でスペイン語を学んで来ていたので、家庭教師では物足りなくなるであろうことを伝えても頑としてこちらのいうことは聞かなかった。そこでレオを紹介した。初めは「気に入った」と言っていた彼の顔が曇りだしたのは数日してから、僕はそうであろうと見当がついた。
マリアは僕のスペイン語の先生で学校で働いている。この宿へは毎晩皿洗いに働きにくる。訳あって彼女にはお金が必要なのだ。彼女はこの村でも指折りの先生で、教え方、文法の知識も豊富。前述の彼があまりにも悩んでいるので僕はマリアにちょっと助けてもらうことにしたのだ。本来、学校で働いている先生はうちでは使うことがない。ほとんどの学校で家庭教師は禁止しているので、もし見つかれば彼女たちは首になってしまう。

彼の質問を聞いたマリアは、スラスラと質問に答え、彼も納得がいったようだ。僕は彼に「これが学校の先生のスキルだよ」と教えてあげたのだ。彼はそれをいたく気に入って、マリアに家庭教師を頼みたいとしきりにせがまれたが、僕は学校との約束があるからそれはできないと断った。

ちょうど閑散期の終わりの時期、学校の先生たちは少しでも金を稼ごうと学校に内緒でうちの宿に売り込みに来る。彼らの言い分は「学校はもうやめた、一緒にやらないか」というものだ。そんな彼らをその青年がほっておくわけがない。早速、レッスンを受ていたがどうも気に入らないらしい。そもそもそうやって売り込みに来る先生は初めに仕事を干されてしまう、スキルの低い先生が多いのだ。彼の不満は募るばかり、他の先生はいないのか、もっと安く教えてくれないのかと毎日のように言いだしてしまった。

僕は彼にこの村で家庭教師だけでスペイン語をマスターするのは難しいのではないかとアドバイスしたが聞き入れるつもりはないらしい。ついに手癖の悪い先生に手をだし始めたのでこの宿ではできないのでカフェにいってくれないかと頼んだ。そんな折、ある学校の先生が辞めたので彼に進めるといたく気に入ったようで、せっせとレッスンに通いだした。しかしレッスンでは文法ばかりだと言い出す始末。僕は彼にどうしたいのか聞いてみることにした。彼の希望は次の通り

相性がいい先生がいい
明るい先生がいい
間違いを直してくれる先生がいい
話題が豊富な先生がいい

どれも抽象的であったので僕は

相性は自分のことなので試してみないとわからない
性格は皆明るいので問題はないでしょう、そもそも明るいとは何をさしているのだい?
間違いは直してくれているでしょう?言い回しの違いを直す先生はそんなにいないでしょ、第一、君は自分の話し方がポピュラーな言い回しかどうかを気にしているだけで間違ってはいないのだから君の言う間違いを直してくれる先生はいないよ
どんな話題がいいのか教えてくれないか、好きな話題を提示すれば先生だってやりやすいし、第一、君の好きな話題を何も言わずにわかってくれる先生などいないよ

彼は納得がいかない様子で「新しい先生を見つけてきた、隣に住んでいる」と言う。僕は「彼女は学校で働いているではないか、うちでは使うことはできないといったでしょ」と言うととにかく話をしてみたいと言うので渋々、先生のところへ赴いた。

彼女にどんな話題を持っているか聞いてごらんと促すと彼は先生に質問する。先生は「グアテマラのことやマヤについてかな」と答える。彼は「それはつまらないから嫌だ」と言う。すかさず先生は「どんな話題がいいの?」と聞き返す。彼はしばらく黙って「僕の楽しい話題」とだけ答えた。僕の楽しい話題が赤の他人の先生にわかるわけもなく僕は先生と顔を見合わせてしまった。最後に彼は先生に値段を聞くと至極真っ当な金額を言われ顔を曇らせた。

宿に帰り、ここの人たちはネイティブじゃないから教えられないのだと見当はずれのことを言いだした。確かにここの人たちはマヤの言葉を話すが、それがネイティブではないと言うことにはならない。僕らに比べ得ればとても上手に話すことができるのだから。彼は正しいスペイン語を習いたいと言うが、僕には正しいスペイン語がなんであるかわからない。スペインのスペイン語が正しいのなら、彼はスペインに行くべきだ。そもそもスペインだって地方により発音が違ったり、南米とは異なる言い回しをするが、一体どっちが正しいなどあるのかと困惑してしまった。

彼はさらに他の先生を知らないかと食い下がる。僕はこの村には君の求めることを満たす先生はいないよ、どうしてもここで見つけたいのならバーやカフェに先生募集の紙を貼って連絡を待てばいい、きっとすぐに連絡があるはずだと教えて上げた。しかし彼は不満そうに近所の女の子や女中さんのセシーはどうだと言うので、近所の女の子だったら5ケツで教えてくれるだろう。会話がしたいのなら、彼女たちをパナハッチェルにでも誘って行ってくればいい。もしセシーを使うならそれは家庭教師として使ってくれ。彼女のスペイン語は正しい、そして僕は彼女に仕事としてスペイン語を教えるように言っているから当然、料金は発生するよと突き放した。

僕は、クオリティーを求めるならそれなりの料金を払わなければ難しいと言うと、彼はだって高いじゃないですかとふくれてしまった。一体彼はどこからやってきたのだと不思議に思ってしまった。自国で学ぶより十分に安い価格で高いクオリティーのスペイン語を学べるのに一体何が高いと言うのだ、彼らの報酬は安く、外国て言語を学ぶチャンスなどなきに等しいと言うのに、学費を払い大学で学んできた彼らの努力を一切見ようとせず、安く買い叩こうとする彼の姿勢は到底受け入れることができなかった。彼にはリスペクトする心がないのだ。

僕は、これ以上学校の先生を買い叩くようなことをするのなら、この宿にはいることはできない。安いホテルに泊まり、浮いたお金で学校に通いなさいと言った。彼はご飯がまずい、朝食がつかないなどグダグダと駄々をこねていたが、僕の態度が変わらないので諦めた。

噂のことを聞いたのはその数日後、僕は彼がレオとのレッスンが無意味だったと言っていることを聞いて、とても残念な気持ちになった。自分のやりたいことを、自分の好きなことを、やってくれないと嘆き、お金は払わず、クオリティーだけを求める自分勝手極まりない。それを棚に上げて、吹聴して回ることだけはいっちょまえにやるのだ。

レオの名誉のために僕は言っておく。彼の良さは穏やかで知的に話ができることだ。学校とは違い、日常会話によく出てくるフレーズなどを挟みながら、根気強く教えてくれる家庭教師は少ない。そんな彼の名誉を傷つけるようなことは、決して許せないし、今回の噂話は真っ赤な嘘だとはっきり言っておく。

スペイン語の話

朝起きて外にでる。いつもよりひんやりした空気が巻きついてブルとなる。今朝はどんよりした雲が垂れていてスッキリしない。門の鍵を開けていると下に住んでいるガルシアがやってきて「犬に噛まれた傷はどうだ。あの犬は繋いでおいて方がいいのに。病院へは行ったか」と聞いてくる。「病院へ行って注射を打っている」と答えると「あぁ神様」と言ってから「ガビとは連絡を取っているのか。子供達は元気なのか」「彼らは元気だ」「あの家族と連絡が私はできないから困っていた、すると息子がヒデキに聞けばいいと言うので聞きにきたのだ。これはいい考えだと思う」犬の話はすっかりなくなりひとしきりガビちゃん一家のことを聞いて納得したのかアディオスと言って去って行った。

ここ2〜3日、スペイン語がうまく話せない。スランプらしきものがそっと背中に張り付いて会話の邪魔をしている。簡単な単語が出てこない、話している途中で言えるはずの言葉が詰まる。もどかしくて仕方がないが、こうしたことの後には少しうまくなるので気にすることはなくなった。たいていの場合新しい言い方や、新たに覚えなければいけない単語が出てくると頭の中の引き出しが閉まらなくなってとっちらかってしまう感じ。今回は何か新しい単語を覚えたのかしらと思い返してみると、どうやら泊まっているお客さんにスペイン語を2時間ほど教えてあげたことがいけなかったらしいと思い当たる。
普段はまったく考えずに使っている言葉をどんな時に使うのか、どう使うのか、この言い方とあの言い方はどう違うのか、使い分けているのかと矢継ぎ早に質問されたのでいちいち日本語で考えなくてはいけなくなって、そうなると一旦、英語に置き換えて、それを日本語で説明するから引き出しが閉まらなくなってしまったのだ。
日本語でだって「あ、そう」「それで」「そうだよ」「でしょ」といった言葉を説明するのは難しいのだ。

新しい文法はもはやないけれど、苦手な言い回しや、あまり使わない言い方は自分のものになるまで時間がかかる。こうなるともはや学校ではなくてひたすら日常で使い込むしか道はない。それに言いたいことが言えるようになってくると必要な単語が増えて来てこれまた覚えるまでに時間がかかる。不思議と1発で覚えてしまう単語もあれば、何回使っても覚えられない単語もある。「あ〜あれなんだっけ、もう少し、そこにあるのに」とじれったくて仕方ないが、次の瞬間にポンと現れる単語もあれば、霧のかなたに消え去ってしまう薄情者もいて、思うに任せない。決まってそれは必要な時にやって来て、僕を困らせるのである。

スペイン語学校に通う旅人もまた苦労している。2週間あれば旅に必要な会話はできるようになるのだけれど、それが何かがわからないで通っている人が多いので上達を感じられないようだ。僕は英語ができる人には自分が普段つかっている動詞を先生に渡して仕舞えば余計な勉強をしなくて済むと言っているのだけれど、未だ嘗てそれをした生徒さんはいない。すでに英語を話せる人は3000語から6000語ほどの単語を知っているのだ。でも実際つかっている単語はおそらく1500語もないであろう。スペイン語圏の若者は日常80ほどの単語しかつかっていないという記事を読んだことがある。となれば日本人であれば早い人なら1日で覚えてしまえる数だ。

旅で使う単語の代表は
have want need can how whatの6個があれば事足りる。
これに必要な名詞をくっつけてしまえばとりあえずは事足りるのだ。
切符、部屋、肉、魚、野菜、お湯、観光会社、バス、飛行機、電車、タクシーを英語で言えない人はいないだろう。これに、いくら、どのくらい、どこ、なにの疑問詞、行く、泊まる、食べる、飲む、見るの動詞があれば事足りてしまう。

実はほとんどの人は、旅先で知り合った人と会話を楽しみたいと思っていて、話せるようになりたいのだと思う。そんな時、自分が使う質問、言い回し、話題について考えればそんなに必要な言葉は多くない。問題は相手が話していることが聞き取れないということに気がついていない人が少なくないこと。道を聞くことができても、その答えを聞き取れないから困っているのではないのか、質問に対する答えが予想外に長くて、しかも余計なことまで言われるのでちんぷんかんぷんになってしまうのではないだろうか、言っていることはなんとなくわかるけど、勘違いも多くて、あとでなんだとなる経験があるのだと思う。

これの解決法はただ一つ、聞いて聞いて聞きまくり、わからない単語を見つけること。それさえわかってしまえばあっさりと解決するのだ。これは文法をいくらやっても遠回り。店に行き物の名前を聞きまくり、レストランで注文し、街中で道を聞くしかない。「今なんて言ったの」「その意味はなに」「ここに書いて」「もう一度言って」と言えればすんなり解決。次回は理解できるようになっている。最初の1週間でこれを覚えて、あとは町に出て話しまくっているうちに、一つ一つ単語が増えて耳から入った単語が口からで始めればもう話せているのだということに気がついてもらいたい。 僕がつかっている質問はほとんど「Que」の一言。これに「デ」「パラ」「ア」「ポル」「コン」をつけて聞いてしまう。文法もへったくれもない。「そうなんだ」「本当に?」「そうだよ」と言った合いの手を打つような言葉を使っておしまい。「私はそれの意味がわかりません。もう一度言ってくださいますか?」などと日本語ですら聞かない。「えっ?なに?もう一度お願い」と言っている。ここに主語もなければ敬語もない。さらに言えば、ここでは僕らは外国人だから多少下手くそでも相手は理解してくれる。「わからない、もう一度言え」と言ったって相手は気を悪くするはずもないのだ。

とは言え、初めての言語を学ぶ気持ちもよくわかる。語学学校に行って基礎を学ぶことはいいとっかりとなる。学校で体系的に多くのインフォメーションを受け取ることはとてもいいこと。覚えなくても大丈夫。繰り返し繰り返し同じ言葉を聞くことになるので自然に耳に残って理解できるようになる。ヨーダも言っていた。Don’t think… feel…
考えるな感じるのだ。ブルースリーも言っていた有名な言葉。またAnger… fear…shy. The dark side of the language are they.
怒り、恐れ、恥ずかさこそが言語の暗黒面だ。くれぐれもダークサイドに落ちることなかれ。

これから留学する旅人が増え始めるサンペドロ。いい先生を捕まえたいなら少し早めに来られた方がよろし。人気の先生から埋まって行くのは世の常。短期であれば尚更のこと。そして大切なお金の話。もし費用対効果を高めたいのであれば数千円をケチることなかれ。これから先の旅で使う言語であれば尚更。2週間でその差は歴然と出ていますよ。

旅人の方と学校巡り

スペイン語の勉強をされたいというお二人と学校巡りをしました。主だった学校を巡った感想です。

僕は最近学校を紹介するとき心がけていることがあります。それは留学を希望される方がどんな留学を期待されているかを推し量らないといけないということです。楽しいアクティビティーの一つとして経験をしたいのか、それともある程度きちんとした勉強をするつもりなのか、ガッツリと勉強したいのかによって変わってくるからです。なるべく僕の意見にバイアスがかからないように話すのは思ったよりも難しくて、イマイチはっきりとものを言えないもどかしさも感じているのです。
フィリピン留学体験ラジオの中谷さんはその辺りが非常にお上手で希望者から巧みに引き出す話術はとっても勉強になるのです。今後こうした機会が増えるであろうことを考えるとこの辺りきちんと考えておかねばと思っているのです。

久しぶりに色々な学校を巡ったので僕もどんな対応をするかが楽しみでした。最初に訪れた学校は以前評判の悪かった学校です。僕は彼らに直接見てもらうのが一番だと考えてあえて質問等はしませんでした。彼らには英語がきちんと伝わるか、2重料金を提示してこないかなどを注意事項として与えておきました。果たして彼らが事務所に入ると片言の日本語で挨拶をしてきますが、相変わらず英語はちょっと苦手な様子。毎日アクティビティーがあるとかちょっと間違えてます。ただアクティビティーに参加する料金はレッスン代に含まれていると言いました。以前は別料金を要求するなど生徒とのトラブルがありましたが、いまは変わったのでしょうか。先生は全員英語ができるといいますが、かなりの怪しさは感じた僕でした。

2軒目は僕がかなり気になっている学校の一つです。湖沿いにあるとても綺麗な学校で、独自のカリキュラム、テキストを持っていてかなりしっかりした印象があります。ただし料金的にはちょっと高くて週Q900ほどしてしまうのでが玉に瑕です。学校の先生は大学での教育を受けた人ばかり、しっかりしたレッスンを受けるのであればこの学校はかなりいいのではという印象を受けました。今日の受付にいた人は英語ができないので、僕が通訳をすることになりましたが、お二人の印象はかなりハイレベルな学校とうつったようでした。ただ施設などはとても綺麗で価格の差がこうしたところに現れていることを実感できたようです。

3軒目は先生たちが出資して作った学校です。先生の質にはある程度のばらつきが見られますが、ここも僕が気になっている一つです。価格は先ほどの学校より若干安いくらい。ここも施設がよく開放的な環境下でレッスンを受けることができます。いまは生徒が少なく料金交渉にも応じてくれました。アクティビティーも充実していていい感触を持たれた様子でしたがやはり価格が気になった様子です。

やはり学校選びで一番きになるのは価格でしょう。僕の学校はすでに見学に行かれたようなので今日は行きませんでしたが、質と価格を天秤にかけてバランスが取れているのだと思います。学校のいい面は設備とアクティビティーです。2週間ほどの留学でスペイン語が話せない旅人にとってはあまり学校の質にこだわるよりかは全体の雰囲気や価格など妥協点を見つけられれば大差はないかもしれません。これまでも多くの旅人に話を聞いてきましたが、いい先生につければ2週間ほどで旅行に必要な会話を最低限はできるようになるでしょう。せっかくの機会ですから是非とも楽しんでいただきたいものです。

家庭教師のレッスンについても少し

家庭教師の良さは価格の安さです。大体学校の半額でレッスンを受けることができます。ただし、いい先生を見つけるのが大変なこと、外れた時のがっかり感は否めません。これは学校の先生に比べ教える生徒の数が少ないことに起因します。経験が少ないのでうまくはまるととてもいいのですが、噛み合わない時の修正が効きにくいという難点があります。いまの時期は学校の仕事が激減しているのでいい先生を見つけることは比較的たやすいので経験豊かないい先生を見つければ学校と同等のレッスンを格安で受けられるメリットがあります。
先生によって色々なスタイルがあり、村内を散策しながら実践的なレッスンをしてくれる先生やカフェで2時間、散歩をしながら2時間というスタイルの先生もいます。ホテルに来てくれたり、勉強する場所を持っている先生もいるので色々探してみるのもいいでしょう。最初に簡単なレッスンを受けてみて彼らの仕事のスキルを見ることも大切なことです。どのようなスタイルで教えてくれるのか質問してみるといいかもしれません。

先生に求めるスキルは英語?

旅人のみなさんは英語がとても堪能です。ですから英語ができるかどうかはかなりのウエートを占めているのだと感じます。学校、プライベート両方に言えることですが、レッスンの説明を英語で受けることができるとわかりやすいと考えられています。そこで先生に求める英語力が必然的に高くなってしまう気がしています。ネイティブ並みに話せる先生もいますがやはりスペイン語のレッスンはスペイン語で受けた方が上達が早いのです。必要最低限の説明だけ英語で受けるくらいの気持ちの方がいいような気もするのですが、こればかりは完璧主義の日本人、なかなか難しいのかもしれません。

雨季の留学も場所によってはとってもいいのです

9月10月は年間を通して生徒数が激減する時期なので、南米に向かわれる旅人にとってはいい時期かもしれません。一般的にこの時期は雨季にあたり毎日雨ばかりといった感がありますがサンペドロは午前中は晴れて暑くなることが多く、夕方からドバッと雨が降るパターンが一般的です。思っているよりずっと快適に留学が出来、先生も選べるこの時期は個人的にはオススメの季節です。旅の予定を少し繰り上げてここでスペイン語をじっくり勉強されるのも一つの選択肢として考えてもいいかもしれません。

スペイン語留学 番外編 スペイン語版 F Word

使ってはいけない汚い言葉 留学では教えてくれない言葉です

今日は普通留学では習わない使ってはいけない言葉を紹介します。F wordと呼ばれるこれらの言葉、公共の場で使ったり、特定の個人に対して投げつけたりすることは人格を疑われるばかりかときに自分の身を危険にさらすことになります。ただし、こうした言葉を知っていれば無用なエヘラ笑でごまかしたりせずに堂々と嫌悪感をあらわにすることができますし、危険を事前に察知して素早く立ち去ることができるのです。海外ではこうした差別的な発言を受ける機会に遭遇します。日本では考えられませんが店員がお客に対していうことだってあるんです。また酔っ払いや物乞いが吐き捨てるように言うこともあります。使い方いよっては非常に攻撃的な意味を持ち、すわ喧嘩ということになるのです。 続きを読む

スペイン語留学19週目 レッスンは今日で終わりです 

文法が一通り終わりました

長かった文法の勉強が一通り終わりました。もちろん最後は駆け足でしたので網羅したわけではなく主なものです。でもこれほど言語について勉強をしたのは初めての経験でした。私たちが普段使う言葉に関して学問としてきちんとした知識としてなぜなにを知るということはとても興味深いものでした。今になって思えば中学、高校とじっくりと学ぶチャンスがあったのになぜと思ってしまいます。おそらく学ぶという行為はある程度の経験がないとそれを知りたいと思う気持ちが湧かないのでしょう。子供にいろいろな経験が必要だと言われるのは将来の知欲を刺戟するための準備なのでしょう。すべてを覚えることはかなり難しいのですが、このところのレッスンでの理解力は驚くほど向上しました。 続きを読む