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日々雑思 セシリア

セシリア戻る

ペドラーナ(サンペドロの女)はしたたかで油断がならない。一旦気を許すとどこまでもずけずけと踏み込んできて散々な目にあわされる。
以前辞めたセシリアが再び働き出した。別れた女房とよりを戻したような気まずさが漂いぐんなりとした気持ちになる。女という生き物は何事もなかったかのように振る舞うことが出来るからタチが悪い。笑顔で挨拶をするセシリアに「お前はまだ試用期間だ、働けると決まったわけではない」とピシャリと言ってやる。しかしそんなことはどこ吹く風で自分のやり方でせっせと掃除を始めてしまう。「そうではない、このようにやれ」と言うとニヤリと笑って「ヒデキ、こっちの方がいいのに」と馴れ馴れしく口ごたえをする。「お前は友達でもないし、信頼関係もまだないのだ」と言うと「じゃあなんなのだ」と言うので「隣人だ」と答えるとケラケラと笑ってさっさと掃除を再開してしまった。

彼女の仕事は丁寧で、文句のつけようもない。良く目が届き、整理整頓もされている。食事も、なにも指図しなくともテキパキとこなし、片付けも良い。一見万事がうまく運んでいるように客にも見えるらしいが、彼女が帰った後はどっと疲れが出て、どっかりと腰を下ろしたくなる。目には見えないが互いに軽い平手打ちの応酬で距離を測ってる。やがて殴り合い、取っ組み合いになりマウントを取り合うことになるのであろう。彼女は生粋のペドラーナだから。以前は何度言っても止まなかった遅刻グセは今のところ出ていない。3回遅刻したらクビだと言ってあるので、こちらの様子を伺っているのであろう。初日からやって来る時間を毎日1分づつ縮めているので後3日ほどで丁度に来るようになるのではないかと思っていて、いつでも暇を言い渡してやろうとウズウズしているが向こうもそれは感じているようで、互いに一進一退の様子見が続いている。

こちらの歳の半分もいっていない小娘のくせに対等に渡り合っているつもりなのが気に入らない。なにかと難癖をつけ、自分を有利にしようとするところが生意気。こちらのやることにいちいち口を出すところも頭にくる。もっと働かせろと要求する図々しさが癪に触る。だけれどこれほど言い合える女中はほかにない。居て困ることもないのでしばらくは使ってやることにする。

セシリアのいない朝、暗いうちから掃除を始める。風のない夜明け前は底冷えがするけれど気持ちがいい。鏡の様な湖面、対岸の山にかかる細く糸の様にのびた雲が山の中腹に見える家にかかる。やがて湖面は赤く染まりあれよと言う間に明るくなってゆく。
3階のトイレを洗い終え、フリースペースの床を掃く。新しく買った箒は柔らかく音もなく床のホコリを集めてゆく。犬のカフェがやってきてひとしきり挨拶をすると陽の当たり出した場所へ行き腹ばいになって外を眺めている。モップがけをしてからテーブル椅子を雑巾で拭いてゆく。昨夜の風に運ばれたホコリが布に線の様にたまる。洗い場で水をかけ擦り洗う。
2階のタイルには目地がうってないので隙間にホコリがたまる。箒を古いものに変え一目ごとに掃いてゆく。手すりにかかるクモの巣を払いながら端へ端へとホコリを寄せてからチリトリに集めた。モップをかけ、拭き掃除を終える頃にはすっかり身体もあたたまり、寒さを感じなくなっている。1階に降りて扉の鍵を開けてからコーヒーを準備する。挽きたての豆から香りがのぼる。昨夜洗った食器を元の場所へ戻してからコーヒーを少しだけ飲む。毎日同じように淹れているのに日によって味が少しだけ変わるのが面白い。台所を掃き終える頃、客が起きてきた。

毎日、同じことの繰り返しであるはずなのに1日として同じことがない。誰にも邪魔されず自分の気持ちと向き合いながら黙々と作業をすすめていると様々なことが脳裏をよぎり消えてく。1日が始まった。

夜、部屋の前のハンモックに腰掛けてコーヒーを飲む。夕食の片付けを終え、台所の火を落とすと客は各々の部屋に戻りくつろいでいる。
庭から聞こえる虫の鳴き声、隣の子供の泣き声が聞こえる。暗めの黄色い電球は節電もあるけれど雰囲気がいい。ぼんやりと宿の輪郭を浮かび上がらせる。少し風が強い。遠くで湖の波立つ音が聞こえる。最後の客が風呂を終えて階下へと降りて行ったのを見てシャワーを浴びる。シャワーの出を確認し、汚れた床をタワシでこする。今日からは2階の浴室で浴びることにしたので少し風が入り寒さを感じた。コックを少しだけ絞り湯の温度を上げるとすぐに熱い湯になり冷えた身体が温まる。窓の向こう側に蜘蛛がいて虫を狙っている。ジリジリとにじり寄り、ほいと捕まえてしまった。捕まえられた虫はノロくもがいていたがやがて動かなくなった。いたずらに手のひらに溜めた湯を窓にぶつけるが蜘蛛はなにも驚くことなくそこに留まったままだったので、つまらなくなりさっさと身体を洗って風呂を出た。飼っているケモノたちも各々の寝床に入り丸まっている。こちらが風呂から戻ったのを目だけを開けてチラリと見てそのまま寝てしまった。ハンモックに腰掛けて冷めたコーヒーを飲み干した。今月のスシパーティーにはやはり手伝いに行くことが出来ない。3階の水槽が再び水漏れを起こしてしまい修理が必要だし、水が来る日だから。電気を消すと高いところで星が流れた。

1日の終わりに客との会話、去って行った客のこと、あった出来事、これからの事に思いを馳せる。自分に正直であったであろうか、丁寧に暮らせたであろうか、今日の仕舞はどうであったか、明日のことは滞りなく済んだか。1日が終わり円は閉じた。

日々雑思 宿を営む

水が来る日。いつも通りに少し早めに起きてタンクに水を上げようとポンプを動かすと水が上がらない。どうしたことかと確かめる。どうやら空気を噛んでしまっているようで呼び水を差してやらなければならないのだけれど、どこにもさす場所がない。仕方なく給水パイプを切りそこから水を差してやる。果たして水は登ってきたが、時遅く給水は止まってしまう。運悪くインターネットも通信障害を起こして繋がらない。これから来る客に断りの連絡も取れず。年末に向けて多少の問合せがあったところなので迷惑をかけるわけにもいかない。客に節約をおねがいした。
うちの宿は一旦なにかが起きると連鎖的にトラブルが続いてしまう。時間に追われてすべてが後手後手に回り、追いつかなくなってしまう。飼っているケモノたちも散歩にも行けず、じっと我慢している。少しうまくいきだすとふりだしに戻らせれてばかりで、前に進むことができない。何回そんなことが起きたのだろう。最近はそれに慣れてしまって凹むこともなくなったのだけれど、ずいぶんとひどい1年であった。諦めの悪い自分に呆れてしまう。

宿をやっていると日本人の動向がわかるようになった。旅人の移動が皆申し合わせたように同時期となる。グアテマラに限ったことでなくメキシコや南米も同じようにせーのとでも声がかかったように移動を始める。必然的に宿への問合せが増えてくる。器の小さいうちの宿はすぐにいっぱいになってしまい、断ってばかりとなる。ところが掃除のために空けた部屋の事が泊客から漏れてしまう。問合せがくる。うっかり断ると突然客から友達が問合せだのだけど断られたと言っていると言われる。果たして、しばし公平性を保つためにすべての問合せを断ることとなる。気持ちはわかるのだけれど、どうにもやりきれない悪循環となる。

宿の清潔にこだわるのはこれ以上こだわりを捨ててしまったら宿の利点がなくなってしまうから。すでに捨てた食事へのこだわりは自分が間違えていた。外国にあって日本人に日本食を提供することが喜ばれると勘違いしていたことに気がついて赤っ恥をかいてしまった。それはこの宿のこだわりの一つでもあった。長い旅の中にあってホッと一息つけるのではとやってきたのだけど、日本から直接来た客に出し、箸もつけてももらえなかった。深く反省し、以後日本人には素性がわかるまで和食を出すことはなくなった。そもそもうちに泊りに来ること自体が間違っているような気がしてならない。ホテルもあるのに何故と聞きたくなる。分相応という言葉はなにも高望みにだけ使う言葉でもなかろうに。やはり日本人旅行者にはそれなりのホテルがいいのであって、食事もグアテマラ料理を満喫した方が満足感が違うと思うのだけれど。グアテマラにあって和食を出すことは日本の様にはいかない。日本と比較されては太刀打ちもできないのだ。うちにある日本食材は以前泊まってくれた客からの善意の差し入れ。彼らの思いは長く旅をする者達のためにだけに使いたい。
ともあれ残っているのは清潔感だけ。それは捨てることは出来ない。安宿ではあってもキチンとしたもてなしをするべきだと思っているから。

夜、泊めてくれと客が来る。部屋はないと断るのだけれど、どうしてもと言われれば泊めてやりたくなるのは人情。自分の部屋を明け渡す。自分の部屋は客室ではないので金は取れない。タダで泊めてやることなる。金を払っている客がいる手前、同じようには出来ない。ところがwifeを貸せ。水が飲みたい。食事は出来るか。と聞かれる。出来ないと断っても金は払うと言われてしまう。もし、商いとして金を取るのであれば宿泊料より高くなってしまうのだ。客ではないのだから突き放せばいいのだけれど、それもやりきれない。客からは金を取れと言われる。何故取らぬのだと聞かれ、もてなすことなく金は取れんとしか言いようがない。屋上に毛布を敷いて寝る準備をしていると、ここで寝るのかと聞かれる。どこで寝ようが構わぬだろうと思うのだけれど、まるでこんなところに寝られては迷惑だとばかりに言われているようで、うなだれるしかない。そんなことが何回かあり客も呆れている。どうにも不器用でいけない。

親切は仇になって自分に返ってくる。くだらないこだわりを持ったばかりに誰からも理解されなくなってゆく。この一年は苦しい年となったけれども自分の物差しを手に入れた。それは他人と比べることが出来ない。自分だけをはかるための物差し。安宿ながらプライドを持ちたいと願ってやまない。価値観の異なる人が来るのは宿の常ではあるけれど、自分なりの信念を持って宿と向き合ってこれたのはいい事であった。客が宿を選ぶように宿もまた客を選ぶことを知った。来てくれる旅人に嫌な思いをさせないために、ミスマッチを防ぐためにネガティブな情報を包み隠さず流した。果たして策は功を奏して空港からほど近い都市にある宿では評判が落ち、パタリと客が来なくなったが、以前ここに泊まった外国人達の口コミが広がり、ポツリポツリと来てくれるようになってきた。宿の案内を英語に変えたことで泊まり客の言語の壁がなくなり、夕食が楽しい時間に変わり、会話が弾むようになった。英語はできないがスペイン語ができる者はスペイン語でまくしたて、英語が得意な者が間を取り持つ。笑い声がこだまして性別、肌の色、年齢関係なく楽しめる。誰も苦情を言うことなく、各々が節度をもって過ごしてくれた。僕はただ掃除をして、食事を提供するだけで良くなった。それは僕の理想とする宿にほんのちょっとだけ近づけたと感じさせてくれた。

3年目を迎えたこの宿。まだまだ至らない点は多けれどずいぶんと良くなったと思っている。やりたいことはいずれもちょっとハードルが高いものばかりでなんとか着手してみたいと願っている。それは妄想の域から出て少し現実味がではじめた。
そして僕のスペイン語、目標には少し届かずだったけれど、それは自分でも驚くほどの変化を遂げた。この歳になって多言語を話すということがわかった気がする。僕のは今、以前羨ましいと感じていた人達と同じ場所に立てた。ずいぶんと痛い目にはあったけれどもう大丈夫、すべてのことに糸口を見つけた。宿もスペイン語も次のステップにあがれたのかもしれない。

年が明けてしまったけれど、いい意味でも悪い意味でも苦難の年は自分を成長させてくれた。果たして今年はどの様な展開になるのか。明日が見えない暮らし、予定調和のない暮らしは僕を楽しませてやまない。

日々雑思 サンマルコスの休日

猫に盛りがつき、毎晩うるさい。妙な声で鳴く、小便を垂れる、言う事を聞かず、すっかりバカになってしまった。年端もいかない女子は盛りがつくと狂ってしまうのは人もケモノも同じなのだ。
ウーゴウーゴとあまりにうるさいのでサンダルで頭をひっぱたいてやったら正気に戻ってきた。よほどこたえたのか目が回ってしまっている。ヨレヨレとしながらボーとなった。しばらくすると再び鳴くのでサンダルを脱ぐと鳴きやんだ。まったく近寄らなくなってしまったけれど、ここは宿なのだ。金を払ったお客に迷惑をかけるケモノに権利などないのだ。働かずタダメシを食らうだけのケモノはおとなしくしているか、捨てられてしまう事をわかっていなければならない。カフェはよく心得ていてセンはまだ心得ていない。それでも夜は首元で寝ているので飼い主は覚えているのであろう。この猫はマシで聞き分けを覚え出している。

すっかり客のいなくなった宿で今年は客1人か2人で静かに年を越そうと決めた途端に、バタバタと問い合わせがある。すでにおやすみモードになってしまったので、なにかと理由をつけては断りまくったのだけれど、飛び込みでやってくる旅人は断ることもできずに受け入れた。食事を頼まれる。日本食はやっていない、グアテマラ料理を食べに行けと言うのだけれど、宿の飯を食ってみたい。期待してきたと言う。それでも来たばかりでなにも客について知らない間は日本食は出さない。けっしてロクなことにならないことをしっかりと学習してしまったのだ。そう言うと決まって誰々さんに聞いたと言われるのだけれど、そんなバカな話を信じて来たのか、騙されたのだ、気の毒にと優しく諭してあげる。例によって友人を呼んでも良いかと言われ出す。空き部屋がある事を知ってしまった者の口に蓋をすることも出来ずうなだれながらもダメだと断る。去年までは言えなかった事が言えるようになったのは少しは成長したのか。どちらに転んでもロクなことにならないのである。

スペイン語を習うことにした先生と出かける。対岸の村。ここは美味しいコーヒーがあって最近はここで買うようになった。移動、買い物、食事を楽しみながら会話をして僕のスペイン語の穴を見つけてもらおうと思ったのだけれど、すっかり2人で楽しんでしまった。ふとした時に言いたい事が言えず、あっこれだと思うのだけど、そのときにすぐに聞かずに後回しにしているうちに雲散霧消してしまい、後からさがしてもあれっなんだったかしらと思い出せない。ジェラートを食べているときローマの休日でグレゴリーペック演じるジョーブラドリもアン王女とのスクープを忘れてしまったのは無理もないとボンヤリしていると、どうしたのだと聞かれて我に返る。見ると彼女の手がジェラートが垂れて手が汚れている。貸してみろとコップの水に浸したナプキンで拭いてやると小さな声でありがとうと言った。サンマルコスには泉もなければ手を突っ込める口もない。もしあったら僕の手は見事に食い千切られてしまうので入れるわけもないのだけれど。それでもいい休日となった。
大人しく、控えめではあるけれど今のところ僕の質問には常に答える彼女。レッスン中にうっと詰まるのは、僕に足りていないところをキチンと見つけてくれている証拠。文法がわかると言うのはこういうことなのかと開盲の僕に見えるように教えてくれる。
育ちの良さが溢れ出る彼女、僕のような輩が教わるべきではないような、キレイなものを汚してしまっているような罪悪感がつきまとい、レッスン後にうなだれてしまう。

嫌な予感しかしない。複数の人を雇ったり使ったりしだすとお互いのことが気になりだすようで、しきりにアイツはどうなのだと聞かれるようになる。根が単純なのですぐにそれは嫉妬 や怒りに変わる。ここの雇い主たちはすぐにクビにしてしまうので不安が常につきまとっているからだけれど、それと同じくらい我先感を出す彼らを見ているとハフゥとため息が出てしまう。遠慮といった感覚はなく、むしれるだけむしりたいと考えてしまうのは、明日に生きない者の性なのだろうか。仕事が欲しいと懇願し、与えると途端に当たり前のように考え始めてしまう彼らはある意味でわかりやすいのだけれど、手綱の取り方がいまだにわからない。何度も痛い目にあって来たので結果、嫌な予感しかしなくなってしまったのだろうか。

村の中はクリスマスのイベントが毎日のようにあって、活気がある。広場でバンドが演奏し若者が熱狂する。教会に信者が集い賛美歌を歌う。道々に人が溢れ、屋台が賑わい、老いも若きも皆楽しそうに夜長を過ごしている。パーティが夜な夜な開かれ、目があさっての方向を向いている外国人が秘密パーティからゆったりと宿に帰ってゆく。明るい者、沈んだ者、怖がる者、笑う者はそれぞれ使った物の違いだろうか。裏路地に広がる甘い匂いやすえた匂いは6番目の感覚を研ぎ澄まされた者たちにはどのように感じられるのであろう。
宿のテラスに座り夕食後の客の夕べが終わるのを待つ。出かけていった者の帰りを待つ。若者らしい楽しみ方が出来なくなったのはいつからであろうか。遠くから聞こえるラテンのリズムに身を任せ、珍しく曇った夜空を見上げていると客に呼ばれトイレが壊れている、鍵を部屋に入れたままロックしてしまったと矢継ぎ早に言われ我に戻った。宿はいっときの忙しさで急に賑やかになってしまった。ろくなサービスもできない宿が益々酷いものとなる。アレがない。コレを何とかしてくれ。やってもいいかと言われてばかり。日本の宿で働く人はきっとすごい人達なのだろう。グアテマラにあってもそうした事を要求されるのは、僕がまだ日本人に見られているという証なのだといい方に考えておく。

年末が近づき、そろそろ少し物騒になる時期となった。すべての旅人が何事もなく無事に目的地に着くことを、楽しき仲間と巡り合い穏やかなクリスマスと年越しを迎える事が出来ることを願う。

日々雑思 あれこれ

庭の木にクリスマスの飾りをつける。特段の思いをキリストさんに持っているわけではない。季節感のない国に暮らすとどうにもメリハリがないのでこうした事でもしておかないと心の置き場所に困ってしまうから。朝、スセリーがやってきて、すぐに気がつき「かわいい、お前がやったのか」と言う。こうしたことにすぐに気がつくのは彼女の心が繊細だから。普段は減らず口を叩き、強がってばかりいるのだけれど心根は優しい。まるで自分の娘の様に可愛くて仕方がない。わかりやすいほど贔屓にするので客も呆れている。なにを言われても彼女は特別なのだ。彼女が働き出してかれこれ10カ月となる。決して良いとは言えない彼女の働きぶりだけれど、それでも少しずつ良くなっていく姿を見るのは親が自分の娘の成長を感じるのと同じ気持ちなのであろう。来年から隣村の学校へ通うため仕事は今年限りとなる。早くもぽっかりと心に穴があいてしまった。

サンペドロの人を雇入れるのは簡単だけれど使うのはとても難しい。毎日のように頭を悩ますことばかりなので、女中はスセリーで最後にしようと決めていた。いつものように仕事の後、2人で朝食をとっているときにスセリーが「お姉ちゃんがもう一度働きたい。ヒデキに話してくれ」と言っている。と切り出した。「私は働けない。ヒデキどうするのだ、新しい女中を雇うのか、ならお姉ちゃんがいい」と言う。僕は答えに詰まってしまった。勝手にブチ切れて出て行ってしまった彼女を雇うリスクは避けたい。少し考えるとだけ答えて3日ほど後にやんわりと断った。1週間程して、またスセリーが食い下がる「私以外の人がここで働くのは嫌、働くならお姉ちゃんでなければ嫌だ」「もう、断ったであろう。諦めろ」「あの時はお姉ちゃんも間違っていた。お姉ちゃんもヒデキに謝りたいと言っている」いつもならすぐに引き下がるのに帰ろうともしない。”やめておけ”と心が言っている。”また、厄介なことになるぞ”わかっているのだ。ダメだとわかっているのに口から「お前さんがそんなに言うなら一度だけ会ってやろう。ただし話すだけだ。雇うかどうかは決めていない。彼女の話を聞くだけだ。いいか」スセリーは「ヒデキ、コーヒーゼリーを作ろう」とニッコリと笑って席を立ち、さっさとコーヒーを淹れ出した。

果たして、来年からひと月だけ試用期間を設けて受け入れることにした。厳しい条件を出した。スセリーと違うではないかと言われても「彼女は特別だ、お前とは違う。スセリーが頼むから試しに使ってやるのだ。妹に感謝しろ」と突き放した。話しをしても相変わらず心は”やめておけ、どうせダメだ”と警告をやめない。その声は正しいことは承知しているけれど、これはスセリーの頼みなのだ。たとえ間違っていてもスセリーの言うことは正しいのだ。そう決めたのだ。たかが小娘にいいように翻弄される気分は悪くない。

国境にて

ツーリストカードにさっさと記入する。何回も書いているので心得たもの。書き終えて窓口に向かおうと立ち上がったとき、女の子が寄ってきて「コレを書いてくれ」とパスポートとツーリストカードを差し出した。ペンがないのかと思い、貸してやろうとすると「違う、私は字が書けない」と言う。
パナハチェルから乗ってきたグアテマラ人の母と娘3人。バスの中で二言三言会話をしただけだ。一番上の娘の歳は15歳程か。いたって普通の子で身なりも普通だ。パスポートを持っているなんてきっといい家庭なのだと勝手に想像していたので、字が書けないと言われたのには驚いて二度見してしまった。彼女はニッコリと笑ってパスポートを差し出した。真新しく、白いページしかない。IDを見るとパロポの出だ。メキシコの滞在先を聞くと困った顔をしている。大きな荷を持っていたのできっと路上で寝泊まりしながら売りさばくのであろう。いつもはぶっきらぼうの係官がメキシコとだけ書けばいいと言う。奴にもそんな一面があったのかと少し驚いた。サインだけ書けと紙を渡すと。ジッと見つめている。お前の名前を書けと言っても固まったままなので、いいのかなぁと思いつつアナとサンデイとサインも書いてやった。

識字率が低いのは知っていた。でも国外に行くような者までがとは思わなかった。ここでは綴りがわからないときに聞くと、私もわからないと言われることはよくある話。いわゆる文盲だ。普段は困ることがないけれど、そこまで教育が行き届いていない現実は知っていてもショックを受ける。
言葉が出来ないというのはふた通りあって話せないと書けないに分かれる。旅人でも話せない人はいるけれどそれは他言語のことであって母語はもちろんできる。しかし書けないとなると、しかもそれが母語であったり母国語であったとしたら心持ちはいかようとなるのであろうか。以前、海外のホテルでなにかが書けないことがあって非常に恥ずかしかったことを思い出した。
彼女達は特段恥ずかしい感じも見せずに、礼を言うと窓口に向かい入国手続きを済ませた。その姿にたくましさを見た。はじめて行く外国、野宿をしながらの商売、字を書けず、おそらく計算も得意ではないであろう。それでも幼い子供を連れて出かけることに驚きと力強さを感ぜずにはいられない。僕にそのようなことができるであろうか。

まだ捨てたものでもない

間が悪くてバスに乗り遅れてばかり。国境から少し入った大きな町に着いたときにはすでに暗くなってしまっていた。普段ならいさぎよく諦めて一泊するのだけれど今回は帰る途中に連絡が入り、急ぎ戻らなくてはならない。犬のカフェ猫のセンも心配だ。バスが停まっている間にトイレに行く。戻るとすでにバスは消えていた。またかよとガッカリしていると屋台の娘が声をかけてきた「食っていけ、カフェも熱いぞ」「シェラ行きのバスは何時だ」「6時半だ!食って行くか?そこへ座れ」言われるままに座り「何がある、コーヒーはブラックか」「牛がある、コーヒーはすまん砂糖入りだ」僕は彼女が気に入った。チャキチャキとして外国人の僕を見ても怯むそぶりもない。スペイン語を話すこともあるけれど自然な仕草がとてもいい。すぐにテキパキと料理を運んできた。食べはじめた途端にバスが動き出す。「あー」と声を上げると彼女はバスのところに走り寄り戻ってきた「大丈夫だ道の向こうに移動したのだ、送ってやるから安心しろ」と言う。送ってやるとはどういうことなのかはわからなかったが、ダメならここに泊まろうと決めた。食べ終わると男が現れてバイクの後ろに乗れと言う。彼女の方を見るとニッコリと笑って行け行けと言う。僕は訳もわからないままバイクにまたがり彼女に礼を言った。バイクでしばらく行くとバスがあった。男にも礼を言い僕はシェラに向かった。
旅をしているとこうした不思議なことがたまに起きる。普段ならありえないような優しさに触れることがある。何もかもがうまく回らないときにこうしたちょっとしたことに出会うと気持ちのざらつきがスッと引き、旅も悪くないなと感じることができるのだ。すっかり暗くなり、町がざわつき、人々がわらわらとしている。久しぶりに味わう町の雑踏は普段のサンペドロの暮らしとは違って僕に外国にいる事を感じさせてくれた。なによりもグアテマラが合っているのだ。文句ばかり嫌なことばかりだけれど僕にはこの国が合っている。それがなんであるのか、僕の傷を癒してくれているのを最近ハッキリと感じるのだ。日本では生まれてくる時を間違ったと感じる事が多かったのにここではそんなことは微塵も感じることがない。きっと僕は古いやつなのだ。新しいものを欲しがらないバカなヤツ。鶴田浩二の唄にあるように右を向いても左を向いても真っ暗闇のこの国で前を向いて進むことが出来る。それはまだもう少しだけ生き残る希望なのかもしれない。

話す時には

バスに乗ると白人が挨拶をしてくる。なんの問いかけもなくいきなり英語で話し出す。僕はなんだよと思いながらも英語で答える。最近また英語を使う機会が増えてきた。すっかり下手くそになったと思っているのだけれど、会話は以前よりはマシになった気がする。きっと自分の気の持ちようが変わったのだ。ちょっとした小話程度ならボロを出さずにできる。耳もよく聞こえ、口もちゃんと動く。この外人も僕の言うことはよくわかってくれているようで、どこで覚えたのだと言う。日本人と話すときキョトンとされることがあって、自分の英語を疑うのだ。

隣の若い子がスペイン語で話しかけてくる。スペイン語で答える。スペイン語も出来るのかと言うので英語よりはマシだと思うと答える。フランス人でスペイン語を練習していると言っている。そういえばバスを待っている間に観光協会のアンケートに答えていた。はじめはスペイン語だったが途中でわからなくなって英語に切り替えていた。僕も英語かスペイン語かと聞かれたが、どっちでもいいけど、自分は観光客ではないと言うとガッカリしていた。しばらく彼女のスペイン語に付き合ったがフランス語や英語訛りのスペイン語はどうにもいけない。鼻につく。先ほどの白人が話したそうにしていたがイヤホンをつけて話しかけるんじゃねぇオーラを全開にしてやった。そんな時でもグアテマラ人は容赦なく話しかけてくる。ひとしきり話しておしまい。バスの運転手は僕を覚えていて、帰りはいつだと言うので帰りはシャトルは使わぬ、カミオネータで帰ると言うとなぜだと言うのでいつもお前らのバスは遅れるからだと言うとあーと苦笑いをしてブツブツ言っていた。

日本人と話す時はついつい余計なことを言ってしまう。普段言えないことも日本語でなら話せるから。それが嫌で仕方がない。日本語は自分の気持ちと言うことを一致させる事も出来るし、わざと乖離させることも出来て自由自在なのだけど、時に相手が自分とは違うことを忘れてしまい。慌てて口をつぐむことも多い。努めて丁寧な物言いを心がけて波風を立てずに済むようにしなくてはいけない。他言語ではストレートに聞けることも日本語では注意しなければ人格まで否定されかねない。長いこと日本を離れているので自分は中途半端なのだとよくよく言い聞かせている。

日々雑思 スペイン語

去年詰まった排水管が再び詰まり、水が溢れている。こしらえたウッドデッキが邪魔となるので、一部をバラし、配管を覆ったカバーを取り外す。見ると汚れてベットリとしていた。排水管のパイプ掃除機があればいいのだけれど、望むべくもなく、ガス用の硬めのホースに鉄パイプを刺して掃除する。3時間ほどかかりやっと詰まりが解消したが、汚れ落しのために使ったケミカルが腕についてケロイド状の火傷になってしまった。しばらく腕がひっつれた様になって気になるので薬局で薬を買ひ塗った。子供の頃足にお湯をかけて火傷を負ったのだけれど、どうしたものかその時の記憶はない。腕に出来たケロイドを眺めながらいつかこの記憶もなくなってしまうのであろうかと考えた。

洗濯機が途中で止まってしまい脱水が出来なくなる。掃除をしてみたが動かないのでひっくり返して配管を外して中の水を取り除く。狭いところに手を入れるので指先が切り傷だらけとなった。この洗濯機は宿を始めるときに買った韓国だか中国製のもの。技術を伴わないメーカーが作ったのであろうか、センサーなどの精度が低く、トラブってきたけれどなかなかよく働いてくれている。客の去った後のシーツを手洗いするとなると1日仕事になってしまうところを1時間やそこらでやってくれるのはありがたい。一通りいじくりまわすと機嫌をなおしてくれた。テレビを叩いたり、携帯のアンテナを髪の毛にこすりつけたりすれば立ち所に直った記憶が蘇る。今の日本にもまだこうしたことはあるのであろうか。

トイレのタンクに水が溜まらなくなる。給水パイプの上に付いているパッキンが風邪をひいてしまい硬くなっている。針金を持ってきて、押してやると再び水が溜まる様になった。パッキンを押さえるネジを調整して溢れない様に調整してやり、動作確認済ませた。水を流すレバーが外れかけていた。乱暴に扱った者がいたのであろう。排水のための蓋につながる鎖を付け直した。おそらくコレも長くは保たないであろう。このセットは去年買い直した新しい方なのになぜ。

宿をやっていると色々と壊れていくが、すぐに買い換える事が出来ないのであれこれと修理しているうちに大抵のことは自分で出来るようになった。電気、水回りの配管、コンクリの補修、ペンキ塗り、大工仕事、裁縫、包丁研ぎなどなんでもやらなければならない。こうした知恵は日本では発揮することもないたわいのないことだけれどグアテマラでは必須となる。若い頃、建築で働いた経験や小田原での半自給自足の暮らしがこんな形で未来につながっていたのかとぼんやりと考える。とすれば今のこの暮らしの何かがまだ見ていない未来につながっているのであろうか。「丁寧に生きる」それは僕にとってとても大切な生き方のひとつとなった。

村が家庭教師

はじめからこっちで勉強しておけば良かったと何回か客の口から言われたことがある。最初は自然が豊かで落ち着いた村だからだと思っていた。確かにその通りではあるのだけれど、先日、ある客と話していてハッとさせられた。
彼女によると「@#/&€♪☆で勉強してる人って話せない人が多いですよね」僕もそれは薄々思っていたのだけれどそれは勉強の方法の違いかなぁくらいにしか思っていなかった。彼女は続けて「ここって出かけていけばみんなが話しかけてくれるじゃないですか、都会だと話す機会があんまりないしほぼ先生とだけだからじゃないですか」僕はそれを聞いてそうだったんだと膝を叩いた。

そう、この村は宿を一歩出ると村人みんなが気さくに話しかけてくれる。「どこから来た」「名前はなんだ」「どの位居るんだ」「家族はいるのか」「サンペドロはどうだ」「ヒデキを知ってるぞ」などなどすぐに質問攻めにあう。家庭教師から民族衣装を借りて村を散歩するだけで「ペドラーナ(地元の娘)」「とても可愛いわよ」「それどうしたの」老若男女問わずに親しく話しかけられる。私服に着替えても彼らは覚えていて「今日は着ないのか」「毎日着た方がいいのに」とやっぱり話しかけられる。学校で習ったスペイン語をすぐに使う状況になる。一度村人と話すとどんどん知り合いが増えていき、言いたくても言えなかったことがどんどん増えていく。必然的に勉強するのでどんどんセンテンス、ボキャブラリーが増えていく。学校と違い生の会話では相手は容赦してくれない。普段の話し言葉でガンガン話しかけられているうちにどんどんスペイン語に慣れていく。何よりこの村の人は親切で、こちらがわからないとなると、わかるまで何度でも言い直してくれる。それはスペイン語初心者にとってはとてもいい練習でしかも楽しい。当然2週間もいればこちらがアラッと驚くほど話せるようになっている。

そうこの村は言ってみれば全員が家庭教師みたいなものなのだ。しかもタダ。そう言えばよく出かけていく客は帰ってきて「今日はこんなことを話しかけられたんですよ、こんな時どんなふうに答えたらいいんですか?」「こんなことを言われたんですけどわからなくて、どう言う意味ですか」と質問される。そんな時の客の顔はとても楽しそうだ。ストンと疑問が腹に落ちた音がした。サンペドロで学んでよかったと言う人が何を感じていたのかやっとわかった。ここで学ぶスペイン語は村民が作ってくれていた。それは文法的には間違っていることもあるし、方言が混じることもある。だから”きちんとしたスペイン語”と言われるものを習うには適していないのかもしれない。試験で良い点数を取りたいのであれば大きな町で権威のある学校や試験対策に実績を持っている学校で学ぶ方が確実で、日本人が多く学び、先生たちも日本人の特性をよく知っていて、教え慣れている学校を選ぶことが懸命だと思う。
でも僕は自分の気持ちを運ぶためのツールとしてのスペイン語が好きだ。旅人が経験から学んだスペイン語は聞きやすい。自然で相手の気持ちがすんなりとこちらの心に入ってくる。多少の間違いなど気にもならない。楽しそうにスペイン語を話せる様になった客を見るのは気持ちいい。そうした客ははじめからそうなることが決まっている気がしてならない。そんな彼らのレッスンをするうちの家庭教師達もまた楽しそうで喜んでいる。商売としてはまったく成り立たない、まったくのボランティアではあるけれど、やりがいを感じる事がいい。もし商売にしてしまったら多分やなことがたくさん出ることもわかっているから、それはまだやらない。僕が紹介したい客にだけそっと教えてあげるのだ、フフフ。

僕のスペイン語の先生を見つけた

新しい家庭教師を見つけた。4年ほど経験のある女性で会ってみると人柄は良さそうだ。控えめで大人しい感じを受ける。試しにレッスンを受けてみるとよくわかる。ところが客につけるとどうにもしっくりとしない感じであったので一緒にレッスンを受けて日本語でフォローしているうちに、僕自身があれよあれよと言う間にすっかり理解してしまう。説明が上手なのか、例題がいいのかわからない。あまり喋り上手でもないし、会話が弾むこともない。愛想がないのかと思い、日常会話をすれば、よくコロコロと笑い可愛らしい面も見せる。

彼女がとてもよくわかるレッスンをしてくれるのでノートを見せてくれと頼むと快く応じてくれる。見ると驚いた事に客のためにノートを一冊新調して資料をこのレッスンのために作っていた。レッスン中客の言った事をいちいち書き留め、どう間違えたかをキチンと整理している。それを元に次のレッスンを組み立てていた。どおりでわかりやすいはずだと合点がいった。通常、学校ではひと月またはそれ以上をかけて教えている接続法をたった2週間それも1日2時間ですべて教えてしまった。しかも、それをすぐに使えるように教えてくれたのには驚いた。しかもとても優秀だ。僕は”見つけた!”と思った。

彼女に毎日1時間スペイン語を習う事にした。あまりに僕が褒めるのでそれを聞いていた話せないと悩んで相談しに来ていた者が興味を示す。僕は聞こえないフリで流しておしまい。人の物をなんでも欲しがる奴にろくな奴はいないのだ。そうした輩にこれまでこっぴどい目に合わされてきているのでこちらも随分と知恵をつけさせてもらった。うちの宿は学校ではないし、僕はエージェントでもない、ノホホンと暮らしているオッサンであって相談するべき相手ではないのだ。好き嫌いがはげしい嫌われ者に相談したところで得るものはなにもない。

今年もあとひと月、果たして僕は目標にたどり着けるのであろうか。

日々雑思 黒い心の持ち主なのです

季節が変わり、風が強く吹くようになる。今年も道路工事が始まり、再び村への道が閉ざされた。観光客が減り村の経済が疲弊しているにもかかわらず、自らチャンスを潰してしまうとは呆れたものだ。それでも今年は少し考えて、2つ先の村からバスが出るようになる。そこまでボートで行けば村の人の交通手段は少しは良くなるのだけれど、そこの村にバスを停めた途端に寄ってたかって泥棒に盗まれてしまい、ほとんどのバスが引き上げてしまった。以前から治安の悪いことで知られていた村だけれどもなんでかなぁ。果たして去年と同様の交通手段に戻ったけれども、今度はボートが強い風で転覆してしまい大勢の人が死んだ。定員を超えて乗せれば稼げると踏んだ組合がわんさと詰め込んだせいだ。ボートに乗ると皆真ん中には座りたがらずに、すぐに逃げられるように前と後ろに固まっている。そうそうに救命胴衣をつけている者もある。数が足りていないので早い者勝ち。惨事が新聞に出ると道路を少し開けてやっと通れるようになった。たかが道路工事1つで随分と混乱を招くものだ。全体を見る者がいないというのは悲しいことしか招かないのだ。皆、自分のことしか頭にないので、我先に目の前の小事に飛びつきたがる。うちにも働かせてくれと頼みに来る者が増えたが、どうせロクなことにはならないので適当にえへら笑いでごまかしておく。嫉妬と噂話のネタになるのかもしれない。

季節の変わり目は庭の手入れをする。伸びた草木を刈り、陽が庭に入るようにする。述べ4日ほどかけ、大きなゴミ袋に10袋にもなった。庭は明るくなりスッキリとした好みのものとなる。屋根に寝そべって伸びたツタを刈っているときに肘を擦りむいて血がダラダラとしたたる。アナが大変だと言っているので「物は直さなければ壊れたままだが人はほっておけば治るのだ」と答えると「なぜヒデキは自分の体を大切にしないのだ、お前の手を見ろ、アカギレで皿も洗えぬではないか、もう少し世話をしろ」と怒っている。空気が乾燥しているのでこの季節は水仕事をするとすぐに切れてしまう。このところずっと庭の手入れをしていたからか、皆が疲れているのかと聞いてくる。働けば疲れるであろうにと思うのだけれど、肩を揉んでやると言われる。「背中が固い、少し頑張り過ぎだ、休め」とたしなめられる。客をもてなすのが宿であるから施設の見てくれは大切なのだ。宿主の事など構わないであろうにと思うのだけれど、わからぬ。キレイな宿で美味い飯が食えればそれだけで十分であろう。ともあれ人様の優しさに触れた気がするが、この程度のことではこれまでしてきた所業に比べれば罪滅ぼしにもならぬ事は承知している。なにせ心が腹の底から腐っているのだ。地獄に落ちる人は生きている時から行くことがわかるものなのだ。黒い心は幾ら白を足したところで白くはならないのだ。

対岸の村にあるレストランに頼まれて寿司を巻きに行く。80本程巻き、最終のボートで帰ろうかと思っていたが、思いの外客足が伸びて最後まで手伝わされてしまう。英語を話す者、スペイン語を話す者がたくさん来て久しぶりに外国にいるような気になった。いつもは車を貸し切り帰ってくるのだけれど今日はボートを貸し切った。あっという間にサンペドロに戻れたし快適であった。若者の噂でピストルを使った強盗が逃げていて、隣村の男を殺したのだとまことしやかにSNSで拡散していた。詳細を確かめると悪人ではあるけれどもう一つ向こうの村に逃げたので問題はないと、またこちらも根拠のない話を聞かされていたので、やはり少し心配ではあったのだ。ボートであれば海賊は出ないので明るい桟橋から帰れるのはいい。
サンペドロは静かな村ではあるけれど、年末が近づくとこうした話が出始める。以前は人さらいが出たりしたらしいが、そうした記憶が村人の心内にあるからであろうか。ともあれ子供達が恐れをもって暮らすことは悪いことではない気がする。そろそろクリスマスの飾り付けなどをする季節となったことを知る。

日々雑思 欲しかった者 グアテマラ人のメンタリティー シイタケさん

欲しかった者
以前から気になっていた女の子がいる。可愛らしい。内面から人柄が滲み出ている。話していて気持ちがいい。親切で仕事を見ていても誠実であることがすぐにわかる。仕事の後、夜間の学校に通う。英語の勉強もしている努力家。

そんな彼女が仕事を辞めたがっていると聞いた。彼女に会いに行って確かめるとその通りであった。辞めた後のコトを聞くとスペイン語学校で働きたいと言う。そんな時、うちの客の1人が彼女と仲良くなってスペイン語をあっという間に話せるようになって僕を驚かせた。話を聞くとただ話しているだけだと言う。僕はすぐにピンと来た。彼女もまた天才肌の持ち主かもしれない。翌日、僕はすぐに彼女のもとへ出向き、家庭教師の話を持ちかけた。「もし、仕事を辞めたら次の仕事までのつなぎでもいいからうちで家庭教師をやって見ないかい。もちろん、技能確認はするけど君なら出来ると僕は信じているんだ」と伝えると「とても興味深い話しね、やって見たい気がするわ」と言うので僕の電話番号を伝えた。しばらく間があって連絡があった。僕は即日彼女と面接をした。その前から雇うことは決めていたのだけれど、仕事の内容について話すと彼女の顔はみるみるほころんだ。なにせ彼女が1日で稼ぐ金額を数時間で払うと伝えたからだ。理由は一つ。彼女と話していると不思議とスペイン語が話せるようになるのだ。文法や机上の勉強ももちろん大切ではあるけれど、僕は話せるようになりたいと言う客をサポートしたい。文法ばかりで話せない者をたくさん見て来た僕は会話をしながらスペイン語を教えることが出来る人間を探して来た。英語、スペイン語それぞれで僕は数人の天才肌に出会った。そうしたことができる人間がいることを知っている。誰にでも合うわけではないけれど、コレはと思う客に紹介してあげたいと思う。安心して間違ったコトを言えて、話していても緊張しない先生は数少ない。レッスンに紙や鉛筆を必要としないレッスン、するすると魔法のように言葉が心に刻まれていく、知らずに言葉が口から出てくるような練習相手。おそらく彼女はそんなレッスンが出来る1人だと確信している。さっそく1人の客に彼女を付けた。会わせたその時から客は彼女とのレッスンが楽しみだと言う。僕は内心ニンマリしてしまった。そう思わせるだけの何かをすでに客も感じ取っているのであろう。残念ながら彼女が教えることができるのは1日に1人だけ。それでも旅のツールとしてのスペイン語を伝えたいという僕の夢に一歩近づいたことは確かだ。なんと言われても彼女を大切にしたい。喋れないのを学校や先生のせいにするような輩には絶対に紹介しないし、頼まれても断る。そんなつまらないことでせっかくの才能を潰したくないから。僕はまた一つこの旅で欲しかった物(者)を手に入れた。

猫襲撃からグアテマラ人のメンタリティを見る

グアテマラ人はなんでも金で解決を図ると前々から思っている。「これはいくらだ」「いくらなら売るのだ」「まからないのか」などなどあまりに直球を投げつけてくるのでへきえきとなる。

ある日、アナと掃除をしているとなにやら下が騒がしい。隣のピットが「たいへんだーヒデキー猫が死ぬぞ、ネコが死ぬー」と血相変えて駆け上がってくる。「どうしたのだ」と慌てて降りる。母親のドーラが支離滅裂に怒鳴っている。カフェも大興奮して叫んでいる。「どうしたのだ」とドーラに聞くと「前の家の犬が入ってお前の猫を襲っていた。死んだか」と言う。見ると犬のヨダレともらした糞尿にまみれた猫が丸くなり「フゥーフゥー」と威嚇の声をあげている。近づいて抱き上げると口が裂けている。相当やられたようだ。ドーラが「カフェが懸命に止めていたがやられてしまった。カフェは偉い」と褒めている。カフェが足元に来て下から見上げているので褒めてやる。猫を2階に連れて行くとアナが「どうしたのだ」と言うので「お前の犬2匹が猫を襲ったのだ」と答えるとアナが珍しく取り乱して「あーたいへんだー」と猫を見てから「ちょっと帰る」と言うや否や飛び出して行ってしまう。しばらくして「ヒデキ悪かった、犬達を懲らしめてきた、たくさんぶってやった」と言う。「アナ、あまり懲らしめるな、お前の犬だ、気にするな」となだめる。糞尿まみれでは可哀想なので洗ってやらなくてはいけないが、今はショックが酷そうなので、首輪につないで、2階で休ませた。
夕方、仕事を終えたアナの兄が謝りに来た。とても丁寧に謝り、申し訳なさそうにしている。ほーグアテマラ人にもこのような気持ちがあるのかと感心した。

最近、めっきり帰って来なくなっていた猫。もしや、悪い虫でも付いたかと内心ハラハラしていたが、ある朝、満身創痍でビッコを引き引き帰って来て、反省の色を見せていた矢先の襲撃事件にすっかり意気消沈している。せっかくのペッピンさんも口が裂けて口裂け女の面妖となり当分は人様の前に出ることも出来なくなってしまった。ともあれ、繋がれる事を嫌がっている様子もないので謹慎を言い渡した。

翌日、アナがやって来て猫を心配している。昨夜、風呂に入れてやりキレイになると他にも傷があちこちにあった。それを見たアナが「本当に死ななくてよかった。昨日、兄がとても心配していた。ヒデキに悪い事をした。猫が死んだらヒデキに新しいのを買わなくちゃ」と2人で話していたのだと言う。そして「その猫は幾らで買ったのだ」とケロリと言うのを聞いて思わず「そっちカァーい」と日本語でツッコミを入れてしまった。アナはキョトンとしていたが、まだまだグアテマラ人のメンタリティが分かっていないと反省した。

シイタケさん

「そもそも愚老の易断は、下世話に申す当るも八卦当らぬも八卦の看板通り、世間の八卦見のようにきっと当ると保証も致さぬ代り、きっと外れると請合いも致さぬ」と言うやうにいい加減なものではあるけれども、時に人の心を救う事もある。だいたい救われたと言う人間は心が弱っていて救いが欲しいと思っている節があるので、書きようによってはどんな占いでも当たっているものだ。

宿をやっていると妙齢の女子がやってきて、きっとそのような話をし始める。正直、苦手な部類の話ではあるけれど、無下にする事も出来ないのでこの占いはよく当たっている。この相性診断はすごいと言われ「あーそうなんですかぁ」と適当に相槌をうってやり過ごす。ところがこのところ何人かの女子から”シイタケ”と言うワードを続けざまに聞いた。気になり調べてみる。せっかくなので自分の占いを見る。読み終わった時、当たっていると思ってしまった自分に驚いた。特段心が弱っている様子も無い。何かにすがりたいと思う気持ちも持っていないのだけれど当たっている気がする。占いは半年ごとに分かれているものを読んだのだけれど、あまり読み過ぎてはいけないとたしなめられた。読みすぎるとそれに頼りきりになるのでじっとして半年毎の楽しみにするのだと注意を受ける。

先日、友人から相談を受けたのでシイタケ占いを勧めた。すぐに当たっていると返事が来てニンマリとなる。そして次にあるのはシイタケからシイタケさんとさん付けになるのだ。八卦は当たるも当らぬも請け合いもいたせんと言われているのに。さてこの宿の主人である僕の下半期は果たして占いの通りとなるのか。そのようなことになったら宿名をCasa de Shitakeと変える事にしよう。

日々雑思 タイムスリップ

オンドゥーラスからアメリカを目指す移民の群れが次第に大きくなりグアテマラにやってきた。国境ではグアテマラの警官が群衆に押し切られ、蜘蛛の子のやうに蹴散らされてあっけなくグアテマラに入られてしまった。群衆は更に大きくなって海に沿ってメヒコを目指しメヒコとの国境で今度はメヒコの警官隊と睨み合いになったが、移民達も疲れ、風邪をひき元気が出ないので少し休んだが、その中の元気のまだある者が橋を降りて川を渡り、とうとうメヒコに入ってしまった。メヒコの大統領はアメリカの大統領に援助を打ち切るぞと脅されて少し頑張る姿勢を見せたがダメだ。メヒコに入った移民は今度はアメリカ国境を目指すが道は遠く、暑くてやりきれない。山に向かえば寒くなるので暖かいオンドゥーラスの人では皆風邪をひいてしまうだろう。そんなことを思っている間に群はどんどんと膨れ上がってとんでもない数になりだした。ついに催涙弾が炸裂して皆が涙目になっているニュースを見る。おとなしく行進していたようだけれど少し心配でもある。中米の国々ではどの国も貧乏であったり、悪人がいたりして代わり映えしないのだけど、自分の国が大好きで地元に家を建てたい一心で夢の国に向かう。途中で力つきる者、騙されてオロオロする者、上手くいく者がいて夢がある。

庭のアリが引越しをしている。隊列をキチンと組んで各々が大事に卵を運んでいるので赤黒い中に白いつぶつぶがユラユラとしていて気持ち悪い。お湯を沸かしてかけるとあっという間に隊列は煮えてしまった。念を入れて引越し先の穴にも湯を注ぐ。シンと静まり返った穴をしばらく見ていたが何も起きないので、隊列の最後尾を見に行ったが、あれほどいたヤツらはすでにどこかへ行ってしまった後であった。夢破れた者の末路はいつも悲しい。

友人がやってきてセビチェを食べたいと言う。急ぎこしらえた。手伝っていたアナが我慢できずに試食したいと言うので食わせる。なぜこのように作れるのだ、どこで覚えたのだと言う。しばらく考えるが思い当たらない。セビチェはペールーの料理でシンプルだけれど美味しい。この辺りではサルサにウスターソースを混ぜているので黒っぽい色合いのものが普通。てっきりそれを食べ慣れているのであろうと思っていたけれど、そうではないらしい。さらに食べたそうにしているので、いかんとたしなめる。コレを全部客に出すのか客は一人であろうと食い下がる。あまりに食べたそうにしているので、夜に作ってやるので食べに来るがよいと言うと、セビチェは夜は食べてはいけない。夜に食べるときっと腹が痛くなるのだと悲しそうに言う。なぜだと聞くと、そういう風に言われてるからだとサラリと答えた。やってきた友人に聞くと彼もまた夜は食べないと言う。腹が痛くなるのだと同じことを言ったがビールを6本飲みながら全て平らげてしまった。それにしてもあのような簡単な食事をなぜあそこまで喜んで食べるのかがわからない。たしかに美味しいものではあるけれどもう少し他にもあるだろうに。

スセリーが遅刻してやってきた。訳を言え、面白い言い訳なら聞いてやると言うと、酔っ払いに絡まれていたとつまらない言い訳であったので仕事に取りかかれ、丁寧にやれとたしなめた。仕事の後に食事をさせても帰ろうとしない。どうしたのだと聞くと今日は学校がない。コーヒーゼリーは作らないのかと言うので、それならばそこのコーヒーを使って作れと言ってやる。コレはいつ食べられるのだと聞くのので1時間後には大丈夫であろうと言うと、「待つ」と答えるので買い物に行って来るので留守番をしていろと言い残し出かける。食材を揃えるついでにクリームチーズを買う。戻り、スセリーに見せるとニッコリと笑い、チーズケーキを作るのかと嬉しそうにしている。今日はお前がすべて作るのだ。教えた通りにやってみろ。スセリーはそそくさと作り出す。わからなかったり自信がないところにくるとこちらを見ているので教えてやる。やはりこうした事をやるのは楽しいのであろう。冷やしている間にオムライスをこしらえてやった。うーんうーんと言いながらあっという間に平らげると腹が苦しくなり帯を緩めている。今日はどうしたものかやけに素直で可愛らしい。アナがやって来ると今日は自分がケーキを作ったと自慢している。アナはひゃーひゃーと言っていたが家の手伝いがあるので一旦帰った。出来上がったデザートを一人で半分ほども食べてしまったが用事があるのでコレで帰ると言いやっと帰って行った。入れ替わりにアナがやってきてケーキをくれとせがむので出してやる。美味しい美味しいと言いながらこちらもよく食べよく笑い帰っていった。彼女達には変な遠慮がなく、思ったことを素直にぶつけてくる。それは僕にとってととも心地がよく毎日の楽しみの一つとなっている。

サンペドロにいるとまるでタイムスリップしたような感覚になる事がある。スセリーやアナを見ている時、まるで自分の両親が子供の時はこのようであったのであろうかと想像がムクムクと大きくなり、自分がまるでその親になったような気持ちになる。時期でいえば昭和20年代か30年代にいるような感じ。彼女達がこれから過ごす未来から僕は何かの拍子で迷い込んでしまったようだ。

ショッピングモールに入ると「見て、ものすごく長いエスカレーターがある!」「あっちにはエレベーターがあるー全部透き通ってる!」と騒いでいる。エスカレーターの前まで来ると「なんだか怖い」ともたりもたりとしている。アナはスセリーに一緒に乗ろうと言っているけれども、スセリーが「あー待って待って触らないで、今乗るから」と意を決して踏み出した。すぐに後ろ足を引き寄せ「アイー」と身悶えしているのを見て僕は笑ってしまった。すぐに初めてエスカレターに乗ると言うのはこう言った気持ちであったのかと驚いた。エレベーターに乗るときもしかり、もたもたしていて閉まり始めたドアに挟まれたスセリーはブギャと叫び声をあげながら慌てて箱の中に逃げ込む、ドアが閉まり僕が乗り遅れると中で2人が金切声をあげているのが聞こえる。僕は可笑しくて可笑しくて仕方ない。下に降りると2人はVRの体験コーナーの前で不思議そうに眺めていて、僕に「ヒデキ、これはなんだ」と聞いてくる。箱メガネのような映写機をつけて妙な動きをしている体験者がよほど不思議なのであろう。「やりたい」と言うが映画が始まるのでダメだと言うと膨れっ面をして物欲しそうに機械をながめている。

映画館に入り、ポップコーン、ジュースを買う。席に座りジュースをドリンクホルダーに入れてやり、座らせる。すぐにポップコーンをよこせと騒ぐのでホルダーにさしてやると「スックリ!(まじかよ)ひっくり返らないのか」と驚いている。こんな当たり前のことに驚く彼女達が可愛らしくて仕方がない。予告編が始まるとスセリーがいきなり携帯電話でスクリーンに映っているものを撮り出した。ビックリして「スセリーダメだと」と言うと「どうしてだ」と怒る。僕はそりゃそうだろうなぁと思いながら、映画館では映画が始まったら携帯は電源を切るのだと諭す。スセリーは納得できずにもたもたとしているが、やがてスクリーンに注意事項が映し出されると、ようやく理解できたようだ。なにせ2人とも映画館に来たのも初めて、観るのも初めてなのだ。アナはこれから始まる恐怖映画が怖くて仕方がない。となりで「どうしようどうしよう」と言っている。始まる前から怖くて仕方がないのだ。「大丈夫だから心配するな」と声をかけてやる。さっきまで大丈夫だと言っていたスセリーもジャンパーの中に顔を隠している。僕は2人が心配になって来た。途中で逃げ出したり、大声で叫び声をあげるのではないかと気になって映画どころではない。恐怖を紛らわすかのようにポップコーンに手を伸ばし、もっとよこせと催促してくる。僕の腿はあっという間にポップコーンの食べかすだらけになってしまった。

8ヶ月も文句を言わずに働いてくれた2人を映画館へ連れて行ったのだけれど、僕の想像のはるか上をいく2人の挙動に僕は振り回されながらも、終始僕は新鮮な驚きと尽きない興味を味わせてもらった。見るものすべてが珍しく、何時間あっても足りないほどの好奇心が2人から溢れていた。ホテルへ戻ると2人は僕の携帯を持ってさっさと部屋へ行き、何百枚もの写真を眺めて1日を振り返って夜遅くまで楽しんだそうだ。アナは映画が怖くて一人で寝る事ができずにスセリーのベッドに潜り込み、二人で抱き合って寝たのだと朝食の時に楽しそうに話してくれた。

たった1日の小旅行ではあったけれども、僕には久しぶりに楽しい思い出となった。まるで復興期に集団就職のためにやって来た少年少女達を目の当たりにしているような妙な錯覚が止む事がなかった。僕は確かにタイムスリップを経験した。

日々雑思 ある女の話 ある男の話

ある女の話

うちに来たCが言う。昨日、女が泣きながらメルカドでオロオロしていた。訳を聞くと金がない。食べ物が買えない。子供に何も買ってやれない。旦那がすべて呑んでしまったそうだ。
女は小さな畑を持ち、旦那と野菜を作り、ずいぶんと育った。よく実り、売り手も決まった。これまで草取りや、土返し、肥料もくれてきた。たいへんだったが売れることを楽しみにしていた。ところが旦那は女房の知らないところで金を受け取るとその足で飲みに行ってしまった。女房が気が付いた時は全て酒に消えていた。食べ物や子供の物を買うプランがあったがすべてダメになってしまった。女房はフラフラと去ったと言う。

週末になると村の男はいそいそと飲みに行く。稼いだ金が入るのだ。土曜日の朝には正体不明となって道に転がってる。稼いだ者は仲間にたかられる。稼がなかった者は親しげに近づきおべんちゃらを言って一杯の情けを乞う。ケツアルテカはグアテマラの安ラム。透明の酒瓶に描かれた女はおそらくグアテマラ一の悪女であろう。安く、強く、すぐに酔える、男をダメにする。金が尽きた酔っ払いとすれ違うと決まって「アミーゴ1ケツくれー、ビールをくれー」と媚びてくる。ある者はカミさんと子供が迎えに来て引きずるように連れて帰る。ある者はズボンから尻をはみ出させて道端で寝る。明け方に家に戻る男も、家中の窓を開けて大音量で音楽を流し、大声で叫ぶ。娘の部屋に転がり込み、大いびきで寝てしまう。

女房が金を家に入れてくれと頼むと、怒鳴り、叩いて、突き飛ばす。罵声を上げ、悪態の限りをついて何処かへ消えてしまう。村の女は皆怖がっている。別れてしまえばよかろうがと言うと。暮らすことが出来ない。子供があれば我慢するしかないと言う。それならば実家に帰ればよかろうがと言うのだけれど、実家は父が帰って来る事を許さない。他に行けと言われてしまうとにべもない。働いても金を入れない男と暮らすも母子で暮らすも同じではないかと思うのだけれどその様な思いには至らないのが不思議だ。
Cの旦那も以前は酒を飲み、家のことをせず、子供の世話も焼かなかったが、女が強く言うと酒は飲まなくなったが家事はやらないまま。手があるのだから手伝えと言っても俺の手は皿を洗うための手ではないと言うだけで何もしない。無教養が悪いのだ。ここの男は皆、学ばないで女の尻ばかり追いかけている。女は吐き出す様に、思いの丈を伝えているように言ったきり黙ってしまった。うっすらと膜が張ったような目で彼方を見てから、また来ると言って帰っていった。教育の無いものが教育の事を語ると決まって片手落ちとなる。自らのことは棚に上げ、必ず人のせいにする。人は逃げ道がないと生きていけないのだ。女もまた男に逃げる現実は1つの逃げ道なのであろう。

ある男の話

知り合いが他に女を作ってよろしくやっているところを家族に踏み込まれて修羅場となる。旦那は必死に抵抗したが風呂場に隠れていた素っ裸の愛人が見つかり万事休すの運びとなった。それでも女房は神と家族に謝れば許すと言ったが旦那は引っ込みがつかなくなり。しばらくして、朝早く荷物をまとめて隣村に住む愛人宅に去って行ってしまった。
後日、村で仕事をしている旦那に会う。どうだ?と聞くとまあまあだとだけ答えていた。一緒にいた客に事の次第を話すと、私ならどこか遠くに行ってしまいたいと言って呆れていた。

この村ではへぇよくある事で、子供までが知っているのにまるでなかったように、皆が大人のように振舞っている。愛人がその男の娘の友達であったり、その事を娘が友達から聞かされたりするのは少し信じ難いのだけれど、受け入れるしかない。男も大概だけれども女もしかり、自分から色仕掛けて金をせびる。法外な金をせびる。付き合いたいなら家を建てろと言われた大工の男は建材を買い、家を建てて始めるが金がない。建材屋を言いくるめたはいいが支払いができないので事が明るみになって、二進も三進もいかなくなり首をくくったが、運悪く死ぬ前に見つかり、病院送りとなった。グアテマラ人は自殺など絶対にしないのだろうと思っていたが彼らもまた人の子であった。また、やりたいなら400ケツ払えと言われた男は、やりたい一心で銀行に行き、金を借りて、腰を振り続けているうちに借金が雪だるまのように膨らみ家を失った。1日に良くて70ケツ程しか稼げないくせに、なぜそのように狂ってしまうのか、よほど女は床上手であったのか、数の子かミミズでも飼っていたのか。一度、一戦交えてみたい気持ちもしないでもない。

道端で行商をしている女衆も、男から言い寄られるそうだ。こんな所で商売をしていて恥ずかしくないのか、他のもっと良い場所で違うものを売ってはどうかと言われると言う。大した稼ぎにならなくても商いが好きな女衆は毎日のやうに同じ場所で同じ物を売っている。たまに犬と散歩出かけるとホッコリ、スッキリした顔つきで向こうから見知った顔の女が知らない男と歩いて来るのに出くわすことがある。はて、どこで見た顔かと考え、あぁ、あそこでアレを売っていた女だと気がつく。道端で見る時とは違って少し若返って見えるのは気のせいではなかろう。

最近、女衆から「お前には女が必要であろう。自分で見つけられないのか、紹介してやるから会ってみるか」と言われることが多くなった気がする。先日道で会った以前世話になっていた家の女房に「お前もすでに半分はここの人間になったな」と言われた時、ちょっと嬉しくなったが、すぐに残りの半分のことが気になり、途端、背中に寒気がして二の腕が鳥の肌のように泡立ってしまった。「当面は半人前でいい」と言ってそそくさと退散した。この村の衆は気はいいが、老いも若きもいささか思慮に欠けるところがあって、どの様に付き合えばいいのかとほとほと困るところがある。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ川のどんぐりとも言うが、もう少しの間、もがき苦しんで瀬に飲まれ溺れ死んでしまう方が幸せかもしれない。

日々雑思 パーティ

パーティ

グアテマラ人女性のパーティ。うちの宿で催す運びとなり、当日は朝から準備に追われる。午後からスセリーとアナがやって来て手伝う。2人がそろうとお喋りばかりでなかなか思うようにコトが運ばないのだけれど、案の定今日もどうにもいけない。それでも時間までにはなんとか間に合い、ぞくぞくと客がやって来始める。アナがそわそわしている。どうしたと聞くと家に戻ってもいいかと言う。どうしたのだと再度聞く。「着替えたい、髪をとかしてから来たい」と言うのでピンときた。そう言えばスセリーは珍しくお洒落な民族衣装を着ているし、やってくる客もめかし込んでいる。アナは自分が普段着である事が恥ずかしくなってしまったのだ。「いそげ」と言うと飛んで帰った。戻って来たアナはこれまで見たこともない立派な民族衣姿となり、髪も良く整えてある。なるほどと膝を打ちたくなった。

普段はおとなしく、慎ましくいるグアテマラの女性たちも、いざ女性だけの集いとなれば一世一代のめかしこみをして臨のだ。独身も既婚も子持ちも子無しも関係なく集いを楽しみにしていたのだ。キャイキャイとよくはしゃぎ、酒もないのによく話、よく笑い、よく体を振り回して楽しんでいる。エロ話も旦那の愚痴も、恋人の話も全部ぶちまけてのストレス発散の場となった。そんな場に相応しくないとアナは感じたのだ。スセリーは知っていたのかと感心した。歳は1つ違いでもそうしたことに敏感な娘もあればそうでない娘もいるのは日本となんら変わりない。
スセリーとアナはそんな雰囲気にのまれてしまい少し萎縮している。3階にあがるのが恐いと言いだす。3階に置き忘れたコップを持って来いと言うとスッと行くのだけれど直ぐに戻って来て無かったとモジモジしている。彼女たちの迫力に負けて目の前にあるものも見えなくなっているようだ。仕方なく取りに行くとあっという間に質問ぜめに合い、タジタジとなってしまった。これでは彼女たちでは形も無しであろうと合点がいった。

いつもはタンクトップにぶっとい身体を押し込んでピッチピッチでいる彼女たちも民族衣装を身にまとうといつもとは全く違った雰囲気になり、しとやかに見える。年齢の話になったときに再び驚く。おばさんだと思っていた彼女達は客よりずっと若いことを知る。どもにもグアテマラ人の年齢はわかりずらくていけない。一体いつからあのように急激な老化が始まるのであろうか。少し見ない間にあっと驚くほど体がデカくなり急激に歳をとる。誰だか見分けがつかなくなってしまう。ついこの間まで働いていた女中もふたまわりほど大きくなっていて驚いた。民族衣装はそんな彼女たちが着るととてもよく似あって見える。通りで見かけた時、二度見してしまった。たった数ヶ月だというのに。

パーティにはホームスティをやっている女将もやって来ていて、レシピを根掘り葉掘り聞いてくる。自分の所でも日本食を出したいと言う。レシピを教えると喜んでいた。後日、スーパーでバッタリと会う。このあいだの調味料はどれとどれだだと聞くので教えてやる。これで出来るのかと聞くので詳しく教えてやった。どうせ同じ味は出せないのだ。料理とはそういうものなのだ。これまで何度かよく教えてやったが、いずれもうまく出来ないと嘆いていた。グアテマラ人は鼻はいいが舌はバカなのだ。目も耳も節穴だから食材の声が聞こえないのだ。千切りのキャベツを見せるとどの機械を使ったのだと言う。手だと言うと信じない。見せてやるとお前の手はすごいと驚く。包丁を見せてやると驚いている。怖くて使えないと言う。調理するのを見せてやるとやりたいと言うが出来ない。衣食住は生きていく上での基本中の基本であろうに、ないがしろにしているからその様な体たらくとなるのだ。出直してくるがよろし。

ある日、朝から雨の音で目覚める。朝早くのボートに乗る客の事を思う。かわいそうに雨の出発かと気の毒になる。降りて茶を沸かし弁当をこしらえてやった。いつもは言わないのに、ダメだったら戻っておいでと声をかけてから驚く。なぜその様なことを言ったのだろう。他の客に朝食を出している時に扉が開いた。出発した客が戻って来た。メキシコで集会がありバスが通れないので今日はダメだと言われたと言う。寒そうなので温かな食事を出してやる。ボートのチケットを使ってしまったので、ツーリストオフィスへ行き、明日の確約とボートチケットを再度もらってやるととても喜んでいた。雨季の終わりは雨が強くなるので天気予報を見ると台風が来ていた。どおりで。客が近くの村に行きたいと言うが雨だからやめておけと言う。諦めきれない様子なので女中のスセリーに雨は止むかと聞く。スセリーは「見ろ、あそこが見えない。雨だ。今日はダメだ」と言う。客もそれを聞き諦めた。雨のせいでネットも切れたので皆、おもいおもいに過ごしている。かわいそうであったのでチーズケーキを作ってやった。生と焼きの両方を作る。生は今回初めてであったけれど前々からよく考えていたので良い仕上がりとなった。女中のアナも欲しがったが、来なかったので全部食べてしまった。