カテゴリー別アーカイブ: 日々雑思

日々雑思 明けましておめでとうございます

もうすぐ年末年始がやってくるなぁと思っていたらあれよという間に満室になり、トモさんはメキシコへ、一人で出来るとタカをくくっていたら、飛び込み客やらなにやらでいっぱいいっぱいになってしまう。ベッドを奪われ、部屋を追い出され、屋上で一人テントに暮らすなんとも複雑な年越しになり、ちょっとクタリとなってしまう。
ともあれ、無事に年を越すことができ、お客も出て行ったので、一切の受け入れを断ってちょっとのんびりとカフェに出向く。セシーに私の仕事がなくなるではないかと叱れれたが、人生には仕事も休養も必要なのだよと上手いことを言ってごまかす。手のかかりそうな旅人はほっておいて、つかの間の休日を楽しんだ。

新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
昨年中に訪れてくれたすべての旅人の方達に感謝いたします。どうか良い年になりますように。

ネコ来る、ネコ去る
すっかり日が昇りきってしまった正午前、トモさんと買い物に出る。小道の真ん中で薄茶の丸い毛球がうずくまっている。犬が近づいても動かない。かなり弱っている様子でコレはダメだとすぐわかる。クビをひょいとつまんで土手の上に置いてやる。置かれたままの姿でまったくうんでもないし、すんでもない。そのままトモさんとメルカドへ向かう。
「ありゃダメだねトモさん。弱り切ってるよ。きっと昨日の夜、犬がやたらめったら吠えたてていたのはアレの所為だと思う」
「随分と鳴いてましたねー、アレがいたんですね、随分と弱ってましたね、きっと一晩中追い立てられていたんでしょうね、飼うんですか」
「ネコは拾ってもすぐ死ぬからヤダ、それにあいつは少し大きくなってるから、根性も曲がってしまっているよ、助ける気はないよ」

メルカドで買い物を済ませ戻る。先ほどの場所にまたちょこんと毛球がいる。カフェが近づいてフンスンと鼻を鳴らして嗅いでいる。それはまったく反応しない。もう一度クビをつまんでほっぽり投げてやろうと思ったが、くたりと垂れた姿が哀れになり、家まで持っていく。どうせ死んでしまうのだ。面倒を見るだけ無駄だ、やめておけと声がするが、試しにドックフードをくれてやると食べている。いくつか目の前においてやるとあっという間に平らげてしまった。水は飲まない。落ち着いたのを見計らって身体を見る。ひっくり返し、目をめくり、口の中、耳の中を見る、爪の間、肛門を見る。3階に連れて行き、タライに洗剤を垂らし、構わず水をぶっかける。水をかけられて抵抗するが力が入ってないので、あっという間に泡だらけにされ、すっかり力が抜けてしまった。ブルブルと震えているのでドライヤーで乾かしてやっている時に、やっと怒り出した。無理やり押さえて乾かした後、ポイと放り投げた。寒さと恐怖で震えはおさまらないけど逃げる様子もない。

10日間ほど飼い、随分と慣れて来てうちで飼おうと決め、名前をセンとつけた。子猫は癲癇を患っていて、時折激しく発作を起こした。見ていて気の毒だったけれど、調べると本人はあまりわかっていないらしい、辛くもないと書かれていたので注意しながら可愛がっていた。ある朝、発作を起こし脱糞してしまったので後でお風呂に入れてやろうと思い、庭に放してやっている間にどこかへ消えてしまった。まるで神隠しにあったよう。よく懐いていただけに一寸心が痛んだが、それはあの猫の選択だったのだと諦める。いさぎよく諦めることもここでは大切なのだから。

カフェにて

新しくできたカフェの屋上の工事が済んで、そこからの眺めが至極いいと教えてもらったのでトモさんと行く。日当たりがよく気持ちいい。目の前に湖が広がって周辺の村々も良く見ることができる。
コーヒーを飲んでいて湖に泳いでいる男を見つける。男は沖へ沖へと泳いで行く。入江の三分の一くらい行ったところで、水上バスが男を見つけ、近寄って行く。泳いでいることがわかると踵を返して目的地に向かうが、引き波が男を上下に揺さぶっていて、その度に男は立ち泳ぎしなければならない。どうやら反対岸の岬を目指しているようだけれど通りすがるボートの引き波に遊ばれてチョット嫌になってしまったのか立ち泳ぎをしながら後ろを振り返っている。すでに真ん中より向こうようりに行ってしまっているので「早く向こうへ泳ぎ切っておしまい」と思っているとトモさんも「泳いでますねぇ、随分と向こうへ行ったしまったけれど向こう岸まで泳ぐつもりなんですかねぇ」とぼんやりと言っている。「随分と小さくなってしまいましたねぇ、もう少し頑張れば向こう岸だから、石の上で休むことができますよ」と僕もぼんやりした返事をする。ここは日当たりが良すぎて二人とものぼせてしまったのかしら、日に焼けて赤くなってしまったかしらと自分の腕とトモさんの顔を見るけれど、二人ともすでに浅黒い顔をしているのでわからない。

急にトモさんが「ヒデさん碌な手伝いもできず、タダメシを食らってばかりですみません」と言う。「そんなこたぁないよ、ちゃんとやってくれているから感謝しているだーよ」「そうですか、それならいいんですけど・・」「あ〜それでいいよ」と言っているうちに男は向こう岸に泳ぎ着き、石の上によじ登った後、すっかり動かなくなってしまった。精も根も尽き果てたのであろうか、渡り切った満足感に浸っているのであろうか、帰りはまた泳ぐのであろうか、パンツいっちょで歩いて帰ってくるのであろうか。

店の工事をしている職人がやって来て「どうだいい眺めだろ、数週のうちにうちにここにも屋根をつけるし、椅子も置く、もっとよくなるぞ」と話しかけて来た。僕はせっかくの日当たりなのに屋根をつけたらのぼせなくなってしまうなぁと考えていると、トモさんが「ヒデさん、オートラ セマーナとプロキシマ セマーナってどう違うんですかプロキシマは次の週のことですよね、オートラは別の週じゃないですか、意味は同じなんですかねどう使うんですかね、使い分けているのですかね」と聞く。「来週とそのうちの違いじゃないかねぇトモさん。彼らだっていつ完成するかなんてわかってないんだから考えても仕方ないんだよ」といい加減に答えると「あ〜そうなんですね、便利な言葉ですねぇそう言う風に使っているんですね〜」と答えるので「行きましょうかトモさん」と言って席を立った。

ここのカフェはいつ行っても客がいない。閑散としているけれどコーヒーは美味しい。いつかサンペドロに来た際には行かれるがよろしい。

今年のご報告

まずはこのブログを見に来てくださった皆様に
今年もたくさんの方々が拙いブログを読んでくださいました。ありがとうございました。宿が忙しく、更新がなかなかできないにも関わらず購読を続けていただき感謝しています。

今年は2万人を超える方がこのページを見に来てくださいました。閲覧回数は57000回を超えました。この数字は昨年を大幅に超えるものでした。4年目にしてこんなにたくさんの人の目にとまるようになったことは僕にとって大きな励みとなっています。

106カ国で閲覧され90カ国で複数回の閲覧がありました。まさかこんなに多くの国から見てもらえるようになるとは思いもしませんでした。宿を始めたことが大きな要因であることは想像がつきますが、宿を始め1年でこうした国々を旅する人、またはその国に住んでいる人が見てくれるなんて4年前には思いもしないことでした。

旅を一旦中断する形でグアテマラで宿を始め、この1年で300人を超える方たちがこの宿に訪れて、僕にとても大きな影響を与えてくれました。毎日が新鮮な驚きに満ち満ちて、非日常の世界が僕を楽しませてくれ続けています。それは旅にも劣らないほどの素晴らしいものであって僕の好奇心を刺激してやみません。日々目に留まるたわいもないことが実はとても面白いことだと気がつくようになり、それを日々雑思として綴っているだけのブログが多くの方の目に止まることに戸惑いと、畏れ多さを持ちつつも書き続けて来て良かったと思っています。

一足先に宿は2年目を迎え、新たな年も楽しいことが目白押しとなっています。遅筆でなかなか公開するに至らない記事や書きたいことがまだまだ山ほどありますが、それはまた来年に。

私ごと
僕のスペイン語はこの1年で大きく成長しました。特に勉強らしいこともせずに日々の生活の中で少しづつ伸びて来た僕のスペイン語の感覚は日本語と変わらないほど身近なものとなりました。ふと気がつくとスペイン語で考えている自分に気がついたときは気恥ずかしさと嬉しさがないまぜになった気分でちょっと鼻が高くなった気分になることがありました。市場の人、近隣住民、友人、女中のセシーみんなが作り上げてくれている僕の新しい
アイデンティテーはまだまだ未完成ではありますが、大きな希望を僕にもたらしてくれています。一方でいよいよもって怪しくなって来た英語。もう少しなんとかしなければと焦りばかりが先行して、思うに任せない状態が続いています。せっかく手に入れた旅のツールを手放してしまっては勿体無いのでなんとしても捕まえておかなくてはと思っています。

最後にブログを見に来てくださった全ての人と友人たちへ
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ。

HIDEKI

日々雑思 ちょっと前のことだけれど

大工のミゲルにテーブルを頼む。天然木のがいい。丸くなくていい。味のあるテーブルにしてくれるかと聞くと。「出来る。すぐ出来る」と言う。いくらだと聞くとしばらく考えて「あーうー、1つ250だ」と言う。そして「2つ必要か、2ついるだろう」と言うので2つ頼んだ。数日後持ってきたテーブルの出来の悪さに怒ると「コレはオレガツクッタモノデハナイ」と言うので「ヤリナオシテコイ」と叱ると、すごすごと帰ったきり、来なくなった。たまに電話が来て言い訳をしているから気にはなっているのであろう。どうするのか、もう少し待ってみたがラチがあかないので自分で作り直してしまった。2階のベランダに設置したテーブルは最初からそこにあったかのようにピタリとはまった。

廊下のベンチに腰を下ろしていると。うつらうつらした、肥やしのような臭いがする。庭に入れたコンポストで作った土がまだ出来切っていないのでそんな臭いがするのだ。先日、石灰を混ぜたので化学反応を起こしてアンモニアが発生したんだ。コレは根に悪く、息苦しくなった花の苗はアレヨと枯れてしまった。土作りは思うに任せない。肥料を買って来る。早速、鉢植え、庭の草木にくれてやる。数日後、アレヨアレヨというまにとろけて枯れしまう。どうやら肥料が強すぎたのだ。国が変わると肥料も変わるのだと知る。セシーに次はあげてはダメだと叱られる。

今日は何もなし。ぼんやりして暮らす。お午頃、雨少しく降り出し、洗濯物を慌てて取り込む。午睡のためベットの中で雨の打つ音を聞いているうちに寝てしまった。
起きると雨はいっそう降っていて雨ではないように葉にあたりはじけている。「霰たしばるなすのしのはら」と不意に頭に浮かんだ。源実朝だったか。

サンペドロの話
何年か前、大きな土砂崩れがあって大勢の人が死んだ。家も小屋も家畜もみんな流された。土砂で埋まったぬかるみの中を生き残った村人が埋まった人を探したが見つからなかった。まだ見つからない。

今の市長は4回めでやっと当選した。たくさんのお金を使ったので、片端からお金を取り出して、店々を周り、露店のおばちゃんのところからも集めて回っている。病院や広場の設計をしてがっぽり儲けている。市長の家の鉄筋は他の家よりも太くて丈夫なものを使っている。車も新しくランクルを買った。
村人は政府は何もしてくれないと言うが、村人もなにもしないのでおあいこなのではないかと思うのだけど、彼らは納税の義務などどこ吹く風なので話をするのも馬鹿馬鹿しい。

ここの村人は普段、マヤの言葉を話すのでスペイン語をたまに忘れてしまう。「コレなんていうの」と聞いても「知らない」とぬけぬけと言う。

村人の大半は神を信じていて、毎晩のように教会で歌いまくっているが、一向に上手くならない、1年も同じ歌を歌い続けて嫌にならないのだろうか、もう少し上手くならないのだろうか。

お客さんに「英語を練習するなら本がいい、本を読んでいると英語を忘れない、声に出して読むとなおいい」と言われ村の古本屋に出向く。カフェも付いて来たけど店の中には入れない。何度か入ろうと試みるが店のオヤジに叱られている。中に猫の餌があるから。どれもこれもつまらなそうな本ばかりであきらめかけた時、見つけた本はアフリカを自転車で旅した人の話。チョコレートの箱のように大きな本だったのも気に入った。40ケツを35ケツにしてもらう。自転車の話だと思って読み出すとヨットが転覆してあわや遭難するところから始まる。知らない単語もたくさんあるので、調べながら何度も声に出して読んでいるうちに意味がわかるようになるから不思議だ。

今日のセシーは元気がない。お腹が痛いと言う。医者に行くと胃潰瘍と言われたらしい。まだ若いのに。

庭の草むしりをしていると雨になった。ドーラがやって来て「村の子供が凧揚げに夢中になって屋根から落ちて頭が割れて死んだ。悲しいことだ」と言う。ここの子供はなぜか屋根で凧揚げをする。自分の立っている場所を忘れて下がって下がって落ちてしまうのだ。日本であればきっとタコの説明書に屋根であげると墜落の危険性があるのでやらないでくださいと書きかねないと思った。

日々記憶に残った小事をこうして書き綴っていつかまとめてやろうと思っているのだけれど、ブログのネタ用に考えていることが行き詰まると、こうしてダダ漏れのような記事にしてごまかす癖がついてしまった。困ったことだと思うのだけれど、仕方がない。

日々雑思 口紅棺桶アボガド 

ある日

宿職人でありたい僕は職人について考えながら買い物と犬の散歩に出かける。ぼんやり歩いていて道端で寝ている犬を危うく踏んづけそうになる。犬は驚いたように少し怒ったような顔をして体をくねらせだけでまた日の温もりのある道にごろりとなってしまった。

 

余って凍らせてあった魚の切り身をどう料理するか考える。ホイル焼きにするか煮付けにするか。煮付けにすると付け合わせの野菜も煮なければならないのでホイル焼きにしようかと考えるがそうすると煮付けにするよりも多くの野菜を切らなければいけないので決めかねていた。結局決まらないままでいると、近所の貧乏人が死んだとアデライダがやってきて言っている。アデライダは最近、色気付いてきて、髪を染めて口紅をさしている。彼女にそんな癖がついたのは、彼氏ができてまもなくの頃から。中国製の安物だけれど舶来化粧品を売り歩く輩から買ったのだ。それにしても色が濃すぎて、ダラクしたねと僕が日本語で言ってやっても、毎日真紅に塗りたくって機嫌が良い。

 

何かあるとまずいので弔辞の心得、通夜葬式の準備について棺桶屋のセバスチャンの話をきく。セバスチャンは棺桶屋の見地から、短時間で済ませなければならないーこれが根本である、と言う。何と言っても屍体が主役なのだから、 時々刻々腐っていくのだから。なるほどと感心した。棺桶の中でとろけてしまっては汁も出てくるし何より臭い。生きている者達は死んだ者をよってたかって大急ぎであの世に送る。この世は生きている者しかいてはいけないのだ。
「おらの作る棺桶はしっかり作ってあるから滅多なことでは汁は漏れないけどここでは氷が少ないから余計にワタを敷いてある。棺を担いで村を回っている間は大丈夫だ」と自慢げに言って去って行った。

 

庭にある3本のアボガドの木が陽をさえぎるのでそのうちの1本を根元から1mほどのところからバッサリと切った。数日後、切り口から少し下の幹から芽が出てきてアレヨアレヨというまに枝になっている。南国の植物はつくづく強いものだと感心する。次回はもっと下の方を切ってやろうと決める。うちのアボガドの木はそろそろ実をつけてもいい頃合いなのにまったくその気配がない。毛虫がやってくるので役に立たないのであれば切ってしまいたいのだけれど別に植えたコーヒーの苗に必要なのでとってある。実が成れば女の客が喜ぶのに。きっとあの木もメスなのだ。だから女に食われるくらいなら実をつけない方がマシだと思っているのかもしれない。それにしてもなんで日本人の女はアボガドがあんなに好きなのだろ。ヌメヌメしたものがどうして好きなのだろう。

おわり

日々雑思 屋台で食べる

ある日
1日、晴れわたっていた日の夕方。いつもより少し遅く犬の散歩に出る。焼肉の屋台へ寄るため。まだ少し早かったので聞くと大丈夫だという。客がいないので夕食を作る気にもならず、久しぶりに人様の飯が食べたくなった。

焼肉を食べたい気持ちになるとき。
カラリと晴れた日。雨の日などはならない。
体力のある日。そうはいっても、こんにゃくを食べたくなるほどの体力まではない日。
強気の日。
反省していない日。
気分のいい日。
気分のふさぐ日にも。気分がふさいでいてもお腹はへる。これを食べて元気を出しましょうと食べる。このての食べ物は、焼肉のほかにもう一つある。うな重。
牛肉、キャベツとアボガド、つけあわせにトルティーヤの一皿。
包丁を入れた切れ目のひだひだが、屋台のイカの姿焼のようにふくれ上そり返っている炙り牛肉、ぐしゃぐしゃしていないで、しかも香ばしい汁をたっぷり含んだ朱色の炙り肉を指でむしって一口。投げ出したように無造作に皿から半分もはみ出てのっているトウモロコシの匂いのする少しだけ焦げたトルティーヤは、焼き立てでまだ煙が上がっている。メンコみたいに丸い、このグアテマラパンが好きだ。ふわふわした西洋白パンは、空気も一緒に相当量飲み込む感じだけれど、トルティーヤはそのものだけを、ごっくりとのみ下す。いかにも穀物を頂いている感じだ。

 

焼肉が食べられなくなったときは、もうおしまいだ、きっと。このところ暫く、食べ物や水物をのみ下すさいに、喉がごっくんと鳴って通りがわるく、やたらと咳払いをする、だるい、眠い、すぐにげえげえと吐きそう、もうじき死ぬのではないかと密かに心細く思っていたのだけれど、昨日の朝ごはんの時から、突然、元どおりになった。

 

3人の男が炙り腿肉を注文している。きっと貧乏人だ。若い一人は僕の炙り牛肉を見てちょっと物欲しそうな顔つきになっていたが、他の年寄りに遠慮して渋々同じものを注文している。

皿に残ったキャベツとアボガドを汁と混ぜてパンに包んで飲み込んで、終わり。

再び、湖の方へ坂を下る。サルサピカンテという香辛料はヒトの体のどこかに何かいいのだ。のんきな気分。日光を十分体内にとり入れた犬が道端で寝ている気分。

湖沿いのバスケットボール場の階段に腰を下ろす。後ろで男が立ち小便をしている音がする。ちらりと見るとあちらもバツの悪そうな顔をしてこちらをちらりと見てからそそくさと立ち去っていった。
若い男女が少し向こうで並んで座っている。バンドでバトンを振りながら踊っていた娘と太鼓を叩いていた男の子。二人は互いに寄りかかりながらたまに接吻をしている。練習の時にはそんなそぶりもなかったのに他のメンバーは知っているのであろうか。こんな小さな村なのですぐに知れてしまうことも承知しているのか。後になって顔が赤くなるような思いをするであろうに。
ポツポツと降ってきたので帰る。家に着いた途端、バケツを返したような土砂降りとなった。

おわり

日々雑思 客のいない日

時間を気にしなくてもいいはずなのになぜか決まった時間に目を覚ます。いつものようにコーヒーを入れゆっくりとすする。スズメたちがやって来て飯をくれとせがむので花壇に撒いてやる。嬉々として餌をついばみパチパチと殻をわる音がする。死んだピピの葬いのためにはじめたが今ではすっかり日課になってしまった。スズメもなれて来たのか近づいても逃げない。今は雨季ではあるけれどこの時期ぽっかりと雨がふることがない期間があって過ごしやすくなる。村は観光客が絶え、静かな雰囲気がやってくるこの季節、なぜ今時期にここへやってこないのであろうと思ったりもするが旅人には旅人の都合があるのだと考え直す。年末にかけてとても忙しくなるのだけれど、この時期にやってきて、ゆっくり勉強する時間を設ければ南米にいった時に言葉も困らず、ゆとりを持ってウユニへ向かうことができると思うのだけれど・・・

 

セシリアが随分と頑張ってくれるので掃除に庭の手入れも全て終わってしまった。2階の倉庫からガラクタを運び出し、以前川だったところもキレイに整地する。コンポストで作った堆肥も随分と庭に入れたので残りわずかとなり見違えるようにキレイになった。今は庭から出る枯葉と堆肥を混ぜて腐葉土を作る準備中。やることがないので庭の石をくりぬいてつくばいと筧をこしらえた。予想外のできに満足して次回は灯篭を作ってやろうと決めた。

セシリアは今日も客はいないのかと聞いている。いないと答えると今日は何をするのだ、仕事がなくなるのかと聞いてくる。僕は仕事はない、でも作るから安心して良い。仕事がなければスペイン語の先生として雇うから毎日来てもよろしいと言うとニッコリと笑って喜んでいる。買い物に行かないので食べるものがなくなってきて、セシリアに食べさせる朝ごはんがない。そこでカフェに行こうと誘うと今日は変なサンダルだからダメだと言う。何が変なのかとんとわからないが若い子が気にするのだからそれでよしとした。

 

汚水槽に問題があって溢れそうだったのでミゲルを呼び、古い汚水槽を再び使えるようにしてくれと頼む。ミゲルは汚水槽を掘り直し、再び使えるようにしてくれる。隣のドーラが「水が逃げないのは通り道を見つけていないからだ。よく探さないと水が逃げずに使えなくなる。うちは2メートルもないが水の通り道があるのでいっぱいになったことがない。こんなやり方をしているのはサンペドロだけで他ではドレンに流れていってしまうのだ」と言う。ともあれ古い方は3年も使ったのだから今度はおそらく大丈夫だろう。新しい方も水が抜けた後にもう一度彫り直して今度はきちんと働くようにしておけば何かの役に立つであろうと考えることにした。

工事の時、排水パイプを移動しようとしたのだけれどミゲルが言うにはお金がかかりすぎるからもう少し後にしたらどうだと言う。僕は早いところ済ませてウッドデッキ作りに取り掛かりたいのだけれど汚水槽の様子がわかるまで待ったほうがいいとミゲルが言うのでそれもそうだと今回は持ち越しとなった。

 

犬の散歩のついでにカバさんのところによて親子丼をご馳走になる。後日、客がいないと告げてあったので心配してか様子を見にきてくれる。カバさんはウクレレに似たなんとかと言う楽器を弾くのが上手くて、バンドをやっている。月曜日の昼はカフェで定期演奏をしていてなかなかの人気だ。奥さんも一緒にやっている。奥さんのヒロさんとはスペイン語学校の同級生でもあるので仲良くやっている。ヒロさんは鍼灸師で一度肘を痛めた時に針を打ってもらったけれど1度ではなかなか効かないものらしい。見かねたメイさんがメキシコで薬を買ってきてくれ、それを塗ったらアレヨアレヨというまに治ってしまったので、ヒロさんにはそれ以来頼むことがなくなってしまった。

 

バカ犬の幸代はメイさんたちがいなくなって、頼る人が僕しかいなくなってしまったのでずる賢くすり寄ってきては僕の手を舐めたりする。まったく気持ち悪いったらありゃしない。逃げることは諦めてはいないはずだけれどもなんとなく居座っているので仕方なく散歩も連れていっている。たまに調子に乗って悪さをしでかすけれど、綱を伝わる僕の気持ちがわかるのか時折ハッとしてビクついているのでよしとする。カフェは夜になるとやってくる小さなネズミが気になって仕方ない。先日、罠を仕掛けたけれどずっと餌だけ取られてしまい困っていた。ところが夕方、ノコノコとやってきたネズミをカフェが捕まえた。カフェもご満悦で尻尾を振って喜んでいる。冷蔵庫にあったハムをご褒美にあげる。

 

夜、映画を見るかもらった漫画を読んでいる。映画はすでに何回も見たものだけれど、やはり楽しい。漫画は一気に読みたくなるようなものはすでに読んでしまったので見たことがないものを片端から読んでいるけれど、なかなかこれはといった名作に出会えない。北斗の拳は男のバイブルだと以前言っていた旅人がいたがその通りだと思う。死ぬときは「我が生涯に一片の悔いなし」と叫んでやろうと心に決めて寝る。

 

 

日々雑思 メキシコへの旅3

旅の速度

旅にはスタイルがあって、それぞれの旅に違った速度がある。バイク旅、バス旅、飛行機、列車、徒歩と眼に映る景色は同じもののはずなのに受け取り方は全然違ったものになって、まったく違った旅をしているような錯覚に陥る。バスの旅は見慣れた風景であるはずなのに新鮮な景色として僕の眼に映った。すでに何回か通った国境に近い街、何の変哲もなく、ありきたりなメキシコの風景。

サンクリからシャトルバスでグアテマラに向かう途中の休憩時間、車は提携のレストランへ。たいしておいしくもないレストランの高い食事をする気になれず、バスから見えた少し離れた屋台へ向かう。道路沿いの掘建小屋にはまだ客はいない。おばちゃんが一人で準備している。

「何か作れる?」
「ケサディーヤならできるわよ」
「うん、それで」
「ここで食べる?」
「そうしようかな」

僕は携帯の時間をちらりと見た。バスの出発時間まであと10分。ちょっと心配になって

「やっぱり時間が無いから持って帰るよ。バスが出ちゃうから」

彼女は用意しかけた皿を元に戻し、トレーをビニール袋から1枚出して銀紙をその上に引いた。僕はカウンターに座ってそれを眺めながらぬるくなったコーラを一口飲んだ。

「どこに行くの」
「グアテマラ、住んでいるんだ」
「へー、何か仕事はしているの?」
「うん、サンペドロで小さなホテルをやっているんだ」
「あなたたち外国人はビジネスが好きだからね、沢山稼いでるんでしょ?」
「そこそこさ、あまり大きくないし、僕一人でやっているからね、そんなに沢山は稼げないよ」
「そう、仕事はゆっくりやるのがいいわね、この店もそんなに稼げないけど、私だけなら食べていけるからここがいいわ」

僕は話題を変えてこの街のことを聞いてみる。
「前来た時はデモを見たけど、今日は穏やかだね、マラソン大会なんだ、街が静かだ」
「そう、いつもじゃないわ。たまにね。普段はとても穏やかな街なの」
「この街が好き?」
「えー、好きよ、ちょっと暑いけどね」

彼女は出来上がったケサディーヤをトレーの中に入れてサルサを少し多めに入れてくれた。少しチーズが足りないと思ったのかタッパからチーズをさらに少し出して挟んでくれた。

「はい、ありがとう、できたわよ」
「うん、ありがとう、美味しそうだね」
「私はここでこの小さな店でのんびりやるわ、その方が私は好き」
「うん、僕もそうすることにするよ、ありがとう、またね」

僕は30ペソを払って袋を受け取り、元来た道を引き返した。今日はデモ隊の代わりにマラソン大会の参加者の列が途切れ途切れに流れていた。以前見たデモはだらだらと切れ目なくありの行列のように移動していたけれど、今日の列は風のようだ。警備の警官も参加者も穏やかな顔をしている。
国境に近いこの街はいつも通り過ぎるだけでとどまったことはないけれどいつか来た時は泊まって見ようと思った。

旅の途中にあるちょっとした会話がきっかけで急に好きになる街や村があるのです。何も観るべきものはないけれど、立ち止まって見たくなる場所。メキシコにはそんな街がいくつかありました。バスの旅は車窓を楽しむことができるので尚更そんな気持ちになるのでしょうか。旅の速度が変わることでいつもとは違った景色を見ることができました。新しく始めた仕事、のんびりやっていると思っていたのにいつのまにか日本にいた時より働いていることに気がつき、ちょっとニヤリとしてしまった屋台のおばちゃんとの会話。旅と同じように暮らしにも速度があるのだと改めて知りました。もう少しゆっくりとした暮らしもいいのかもしれません。

日々雑思 メキシコへの旅2

心の声は聞こえるか

サンクリにはこれで5度目か。勝手知ったるこの町でも知らないことは多いけど、大概の場所は知っている。一緒に来てくれたアンリとモモコを連れて街を案内する。二人とも年頃の女の子、見る物すべてが可愛くて、すべてが食べたくて、とにかく何かを触りたい。買いたいのではなく、一緒に観て回るその行為が楽しくて仕方がない。
わかってはいるのです、その気持ち。こちらは言ってみれば観光ガイドのようなもの、二人の歩みに気を使い、会話を邪魔しない程度に説明をする。様子を伺い、適時休憩がはさめるような案内をしなければ、途端、非難轟々となり八つ当たりの嵐に巻き込まれるのは明白です。でも時々心の声が漏れ出てしまうのです。決して言葉にするような愚行はいたしません。だたそっと「ちっ」と聞こえないように、気がつかれないようにそっと漏らすのです。店の外で、会話に夢中になっている二人に背を向けて。
二人とは大の仲良し。そこで二人に「僕の心の声を聞いてみたいかい」とたずねます。二人は声を揃えて「もう、私たちわかってますからいいです」と笑顔で答えてくれましたが、目はけっして笑っていないのです。僕には観光ガイドは勤まらないなぁと思いつつ「それじゃ、美味しいタコス屋さんに行こう」と何事もなかったように話をそらしました。二人も何事もなかったかのようになんのタコスを食べようかしらと言いながら先に歩き出しました。

 
宿を見る目
僕の宿を見る目が明らかに変わっていて、以前には気にもしなかったところに目がいくようになっている。外観の色使い、看板の文字のフォント、フロントの料金案内の書き方から始まり、壁に飾ってある絵や部屋の小物など。もちろん掃除をどこまでしているかとかとにかく細かくなって微に入り細に入り気になるのです。別に汚れていても気にはならないけれど、ちょっとした工夫や気遣いに「ほ〜」「ふ〜ん」といちいち感心しては自分の宿に取り入れられるものはないか、反省すべき点はないかと思うのです。宿の人の応対の仕方、所作、着ているものなどすべてが気になり出して仕方ありません。あちらの宿こちらの宿をちょこっと覗き見てはその宿のちょっとしたエッセンスをいただいてしまおうと企んでいるのです。
そうはいっても一人でやるには限界があって、果たして自分の宿はどうかというと現状維持が精一杯。毎日の掃除は欠かさないけれど、無情に吹く風が運んでくるあれやこれ、容赦なくやってくる虫、伸びる草木には到底かなわないのです。一流どころのホテルの料金が高いのはこうしたことに人と時間の多くを割いているのだとつくづく思うのです。

 

荷物を盗まれることは旅する心を折られること

このところのメキシコはやや物騒であっていつ被害にあっても不思議ではない。先日に泊まった宿のお客さんはタクシーに荷物を置いたまま用を足しに外へ出た途端にタクシーに走り去られてしまい、すべてを失ってしまった。日本に連絡してお金を送金してもらったが、すっかり旅行する気分を失ってしまい帰国する飛行機のチケットを買っていた。

旅先でものを取られるとガッカリするだけでなく、旅する心まで盗まれてしまったように感じてしまう。吟味に吟味を重ね、カバンに詰めたりやっぱりいらないと取り出したりと、旅先で起こる様々なことに思いを巡らせて選び抜いた旅のお供は自分の一部であって、それ自体が旅を演出する大切な道具だから。それがちょっとした隙になくなってしまった時の喪失感といったらちょっと言葉では言えないくらい。

久しぶりの移動の最中、僕は何度か「あっ」と思った。ついつい油断して大切なものが入ったサブバックを視界の外に置いてしまったり、歩いている途中、不用意にカバンを開けて中身をぶちまけたりと自分の不甲斐なさにありゃありゃとなってしまった。運よく何事もなかったけれどこうしたことに気がつかなくなった時にやられてしまうんだなと反省させられた。

以前、バイクの後ろにかけて荷物を抑えるネットに挟んでいたサンダルを片方落としてしまった時も悲しくなってしまった。クロックスのサンダルは底が厚くて砂利を踏んでも平気だったけれど、現地で買ったサンダルは小石を踏んでも痛っとなって無くしたことをその度に後悔する羽目になった。

荷物を失うことは自分のスタイルを失うことも同然で、ひいては旅する心が折れてしまうのも頷ける。予期せぬトラブルの大半は自分の注意力次第で防ぐことができるのだからくれぐれも怠りの無いようにしたいものだ。

日々雑思 メキシコへの旅

今回、ビザクリのためにメキシコへ行って来ました。宿をはじめて以来のちょっとしたお休みです。これまでとはちょっと違ったスタイルの旅は新鮮で気がつくことが多くありました。旅行記ではなく旅の合間にあるちょっとした話や感じたことを数回に分けて書いてみようと思います。

なんちゃってバックパッカー誕生
借り物のバックパックにもらったサブパックを背負い朝ぼらけの村を行く。まだ中身のないパックはブカブカとして落ち着かない。帰りは買い出した荷でずっしりとなることに思いを馳せながらアンリとモモコの大きなバックパックがちょっと羨ましくなる。

旅に出てから初めてのバックパッカースタイル、なんちゃってバックパッカーデビューとなったのにはわけがあって、カンクン、サンクリで日本食材とスパイスを大量購入したくて、管理人のサナエさんのバックパックを借りたのだ。少し小さめにできた女性用のバックパックが背負えるほどに痩せていることに気がつく。それはそれで嬉しい。

メキシコで食材を買い集めパッキング。持ち上げるとずっしりと重く軽く30キロ近くあった。旅人であれば20キロあたりが上限だけれど今回は買えるだけ買ったのと砥石が重たい。それでもバス旅なので荷物制限がないのが嬉しい。

バスの旅は予想以上に辛かった。とにかく寒い。話には聞いていたけれど予想以上の冷えに途中で降りてしまおうかしらと思ったほど。普段エアコンなど使わないので余計にこたえた。なぜあれほど冷やす必要があるのか聞いてみたくなった。20時間ほどで到着するはずが24時間以上かかってやっとカンクンに着いた。降りた時は「またこのバスに乗るのか」とがっくりしてしまった。

rosas7でいらなくなったブランケットを貰い帰路のバス旅に備える。帰りのバスのチケット買いに行き、17時間ほどで到着するバスのチケット買う。これならいいであろうと思ったが案の定遅れに遅れて結局22時間ほどのバス旅となってしまった。ブランケットのおかげで随分と快適に過ごすことはできたけれど、それでもバスの中は冷え切っていた。

バックパッカーの移動は意外にも荷物を背負う時間が短くて、これなら重くてもさほど苦にならないと感じる。メキシコという地の利もあるけれどはじめてのバックパッカースタイルの旅はなかなかいいものではあった。

 

 

ちょっとした海外旅行
海外旅行という言い方はつくづく日本らしい言い方なのだと思う。海に囲まれた日本ならではの言い方じゃないかしら。海の外へ旅に行くとはわかりやすいし、まさしくその通りだと思う。メキシコとグアテマラの間は随分と行き来してきたけれど、今回バスの中でこれって海外旅行なのだと気がつき驚く。グアテマラに住むようになってはじめての国外へのビザクリ。簡単な気持ちで出てきたけれど、まさしく海外旅行。使われている言語は同じだけれども、通貨や文化は違っていて経済的にも名実ともに外国であるメキシコ。ちょっと行ってきますと言えた自分がちょっと得意な気持ちになった。

大陸に住むということは海の外に出て行かなくてもいいのがいい。東京から熱海あたりに出かける気持ちでヒョイと行けるのがいい。国境でスタンプをついてもらったらスタスタと歩いてゲートをくぐれば、そこはすでに他国なのであって、地図に書かれている線をまたぐことの容易さは日本では味わうことができない感覚だ。日本では外国に行くとなると大事であるけれど、グアテマラではそれが日常の一部としているのだと思うことを知った。

有朋自遠方来 不亦楽

「友人が遠方から訪ねてきてくれるのは、こんなうれしいことはない」忘れていたフレーズがふと蘇ってちょっと驚く。昼過ぎアンリとモモコが宿に到着した。2ヶ月ぶりの再会。南米を旅して帰国を前に再び来てくれたのできっと脳が嬉しくて活性化したのではないかしら。久しぶりにあう彼女たちは少し旅人らしさが増して、無駄がなくなったような感じがする。宿の雰囲気が変わって旅人の宿らしさも増した。
薄井幸代も覚えていて成長ぶりを自慢するように得意な顔になっているが、今朝もウンコを漏らしたことはすっかり忘れてしまっている。それでもももちゃんは「いい子になったね〜」と褒めてくれるので毎日見ている僕にはわからないところが良くなっているのだろう。この犬の顔は愛嬌があって、ちょっと頼りないところが女性客の心を掴んでいる。人間であればそうした女性は同性からわざとらしいとか私はあんな風には出来ないなどと言われ疎ましがられのに、どうして犬には言わないのであろうかとぼんやり考えていると、幸代を擬人化している自分に気がついて、しおれた気分になった。

サナエさんは彼女たちが食事の準備の手伝いをしたり、皿を洗っているのを見てちょっと驚いている。僕はお客さんには皿を洗わせないのだけれど、それをまるで一番長く泊まっている客のように淀みなく動いているのを不思議そうに見ている。アンリとモモコは僕が1を言えば10をわかっていて夕食はほぼ彼女たちだけで作ってしまった。あれ、そんなにあなたたち出来たかしらと思っていると、旅の間、随分と自分たちで作っていたのだという。2ヶ月でこんなにも女子力が上がるものなのだと嬉しくなってしまった。

サナエさんは来週から管理人をやってもらうことになった女性で、野口さん(仮称)とはタイプの違うおとなしい人。彼女を管理人に選んだのはカフェが彼女となら散歩に行くから。このところカフェはお客さんとはとんと散歩に出かけなくなってしまって、出かけても途中で引き返してきて、いつのまにか僕の後ろでちょこんと座っている。どこに行くにもついてきて必ず僕が見えるところにいることが多い。メルカドに散歩に行った時に僕を見失うことがあって、そんな時のカフェのあたふたと慌てる様子はとても可愛らしいが、カフェの気持ちを考えるとちょっとかわいそうなほど焦って見える。そんなカフェがサナエさんとは一緒に散歩に行くので、きっと信頼できる女性に違いない。僕がメキシコにビザクリ行っている間カフェと幸代を任せられる人が見つかってよかった。

 
メキシコに住む書道の巨匠がやって来て泊まられた。やはり芸術家は少し風変わりなところがあって面白い。この巨匠はナガレの時からのお得意様であるらしい。僕は知らなかったけれど、隣のネグラは彼のお気に入りらしい。すでに僕はネグラを追い出してしまったので、巨匠は隣の家までネグラに会いに行かれている。臭さとノミで追い出したネグラだけれど、こうして遠方より友人が来るのはやはり嬉しいのであろう。巨匠も目をキラキラとさせて覚えていてくれたと喜ばれている。なにより。

来て早々に朝ごはんは食べることができない、でもナガレの時は昼ごはんにすることができた。そうしてくれと言われる。でも宿が変わってからはコンチネンタルスタイルの朝食としているので作り置きはできないのでとやんわりお断りしたが、再びナガレの時はできたと言われるので作ることとなってしまった。
後から作る時間は12時から12時半の間にと言われこれまた指定されたので僕はそれまでにメルカドやらその他の買い出しを済ませなければならなくなった。

巨匠はお腹が弱く、下痢が止まらないという。水が悪いのではないか、食が合わないのではないかと聞かれるので困ってしまったが、「水はナガレの時から同じ業者でございます、もし心配であれば一度ペットボトルの水を購入なさってはいかがでしょうか」「お食事も最大限気を使っておりますが、もしお口に合わないようでしたらご注文をひかていただいても問題ありません。自炊も外食もできるようになっております」と返答する。すると水は煮沸するから大丈夫だという。ヤカンで水を沸かしてペットボトルに移し替えているが、それを見ていた娘があのペットボトルを洗った方がいいのではないかとそっと僕に耳打ちをする。確かにそうだと思ったが、僕はお客様の望まれるままにとそっとたしなめた。そして今日の食事はいらないと言われる。ちょっとホッとした気持ちになる。たたみかけるように薬があれば治る。普段飲まないので飲めば必ず効くのだと言われる。ちょうど先ほどの娘がいらない薬があるので置いて行くと宿にくれた薬を見ながら言われる。欲しいのだと思い、どうぞと勧めると「4回飲めば効く」と言って6回分を持って行かれた。

夕食時、すっかり準備を終えた頃、巨匠はひょっこり現れてあの薬は効いた、すぐに治ったと喜んでいる。そしてそそくさとテーブルについた。今日の食事はいらないのではないかしらと思っていたのだが、どうやら薬の効き目が良くて、食べることに決まったらしい。僕の分をそっと出し、ことなきを得た。先ほどの娘がまたそっと僕に目を配らせるが、僕もまたそっと目でたしなめておいた。

 
夕食後、雑談の中でブログのことや写真のことが話題になった。巨匠も以前はブログを書かれ、写真をあげておられたけれど人の目線をきにするようになって自分を失ってしまわれたのでやめたと言われる。僕は心の中で、僕のブログは人に読まれることを前提としているけれど僕の見たまま、感じたことを書いています。人様のことなど気にしたことがございませんし、とうの昔に自分を見失ってからは自分のことすら気にしなくなっておりますと思いながらこの記事を書こうと決めた。
宿に来るお客様たちはとても楽しい方ばかり、自分の了見の狭さをひしひしと感じています。これまで気に合わない人とは向き合うことなく暮らしてくることができたけれども、こうした商売を始めてからはきちんと向き合うことにしています。それは僕にとってもとてもいいことで、今更ながらに気がつくことが多々あって、とても刺激的でもあるのです。間違いなくこうした旅人やお客様が僕の人生に影響を与えています。もし僕がここで一人で暮らしていたとしたら、何か新しいことをしようなどと考えもしないでしょう。自分の人生は自分のものではあるけれど、確かに人様によって作られているのだと思います。