メキシコ」カテゴリーアーカイブ

日々雑思 たまには旅の話を

ごく稀にメキシコへ行く。パスポートのためでもあるけれど最近は休暇の意味が大きい。ほんの23日のことなので持ち物も少ない。今回僕の持ち物は歯ブラシ、パンツ一枚、充電器と携帯それと小さなテルモスだけ。

いつものチキンバス、すでに釣り銭のないように小銭を用意しなくてもボッタクリもない。乗り換えて車掌と話し、降りる場所をその場で決める。直通バスではあったけど途中、長い停車時間があったため乗り換えを選んだ。バスを待っているとピックアップトラックが止まってどこまでだと言う。国境だと言うと行くとこたえた。いくらだと聞くとバスと同じなので今回はピックアップに乗ってみることにした。ピックアップは自家用貨物のトラックのこと、4WDのトラックの荷台乗るだけ。すでに女衆が乗っていて挨拶を交わす。すぐに質問ぜめにあう。自己紹介などを済ます。矢継ぎ早の質問にもキチンと応えているし、わからないところは聞き直せる。持ってきたパンをあげると喜んでいる。彼らは日本人とみると必ずカラテのことを質問するので毎回同じ話にしかならないのだけど、考えてみればグアテマラと聞いてコーヒー以外の話をはじめてあったグアテマラ人と出来るはずもないのと同じなのだ。そしてたいていの場合、ジャッキーチェンかブルースリーの話になって益々ややこしくなりめんどくさい。しかし今回はカラテキッドのミヤギの話になる。オヤっと思い聞いているとミヤギが少年にカラテは身を守るために使うのだ、争いのためではないの言うシーンが好きだと言う。純粋に日本の話しではないけれど、ほーと感心した。

ピックアップは途中人々を乗せたり下ろしたりしながらのんびりと走る。風が気持ち良い。景色がゆっくりと流れ、路傍の犬、しゃがむ女、外人の僕をジッと見つめる子供、屋内でハタを織る女、肉屋の匂い、薪をたく匂い、洗濯物をはたいたしぶき、笑い声、鳴き声、がなり声全てが僕にあいた穴から飛び込んでくる。混んできたので立ち乗りになる。胸から上1つ飛び抜けた僕を見て、少し怖がっているのか気の毒になるけど、こちらがスペイン語ができると知ると、この荷物を運転席の天井に載せろ、降りるから運転手に言ってくれ、荷物を取ってくれといいように使ってくる。子供は手すりにつかまる僕の手を恐る恐る触っておんなじだーと言っている。一緒にいるお母さんもそっと触ってくる。ゴツゴツとしたその手はとても歳ににつかわないものであったけれども、働き者の手であった。

国境に着いたのはいつもより少しだけ遅かったけど、そんなことよりこの新しい乗り物でした旅のことがなんだか嬉しくてしかたがなかった。

おそらく僕はこういう旅をしたいのだ。旅に出て5年、ようやく僕は自分が何をしたかったのかを知った。少しまた旅人に近づく事が出来た気がした。

メキシコではいつものスペイン語では少しばかり不便なことになる。別に困りはしないのだけれど、いつもと違うフレーズに戸惑う。言葉というのは待ち構えているのと違うフレーズで言われるとあれっ?となるものだ。慣れるまでに23日かかるものだけれど国境から2時間ほどしかないこの町でも勝手が異なるのが面白い。住んでいるのが田舎すぎることも1つ。コーヒーの淹れ方に使うフレーズが違う。信号機という単語が言えない。テレビのリモコンが言えない。レストランで注文の際、料理がなんなのかわからない。コレがまた楽しくていい。今なんて言ったの?どういう風に言うのと質問しまくってなんだこいつと思われるのが楽しくて仕方ない。これこそ旅の発見、新体験、醍醐味、喜びであった。田舎暮らしにはない都会の人の暮らしが楽しい。東京に出てきた人達の気持ちがわかると言ったら言い過ぎか。町は看板に溢れ、市場は巨大で、皆が悪人に見える。どこに行くにも5分と待たずに乗合がやってきて安い。娯楽に溢れ若者は楽しそうだ。女中のセシリアを連れてきたらどう反応するのだろうとふと考えてしまった。

夜、ホステルの若者と少し話す。若い子だなと思っていた。歳を聞くと17だと言う。この街から40キロ程離れた村に住んでいたが学校を辞め今週から働き始めたと言う。仕事は楽しく満足している、週6日働き村に戻る。6人兄弟の末っ子。まだ幼さが残る顔立ちに自分の倅たちの事が浮かんだ。こうして話が出来る事が嬉しい。国が違っても若者はいいものだ。女中のセシリアも粋がってはいるけれど心根の良さがある。彼女が作った僕のスペイン語はもうどこでも通用する程になった。それを彼女はどう感じているのであろうか。まったく話の出来ない外国人に言語を教える苦労は並大抵ではないのに小娘1人で立派にやりきってしまった。僕がいない間もキチンと宿を仕切っている。こうした国にいると若者のたくましさを感じてしまう。と同時に日本で暮らす倅たちはどうであろうかと思いを馳せてしまう。

毎回思う事だけれども、こうして小さな旅をするとき、僕はまだ旅の途中にあるのだと実感する事が出来る。旅を始めた時とは何もかにもが違って見えるし、感じ方も物の考え方も変わってしまった。それでも旅をする事は楽しい。

日々雑思 小さな旅と旅する力

早朝に出る。チキンバスに乗って山道を揺られる。慣れたものでなんのトラブルもなく国境を越える。最後の乗り換えで5ケツ程ぼられる。隣の客も同様にぼられ、文句を言って後からこっそり返してもらっている。ちょっと微笑ましくなった。車掌の気持ちもわかるし、客の気持ちもわかったから。知らないふりをしてあげる。イミグレでスペイン語のわからない外人が滞在地のホテル名がわからないと騒いでる。英語でそこは重要ではない行く場所だけ書いておけと言ってやる。ちょっと驚いた風に英語できるのかと言うので、出来ないように見えたかと聞き直してやる。

イミグレの係も顔を覚えていて、今回はどこで何日だと聞くので隣町で23日だと答える。それなのに180日のスタンプを押してよこした。何するんだと聞くのでスーパーで買い物と映画を見る。あとはのんびりするだけだと答えた。

先ほどの外人がトイレに行きたいと言う。場所を教えてやる。一緒に行かないかと言うので途中までなら行ってやる。でもその先はお前一人だけど大丈夫かと聞くと少し悲しそうな顔をしているのでアレで行けと旅行者用のバスを指して別れた。外人もおんなじなんだと変なことに感心している自分がおかしかった。

地元のバスで目的地へ向かう。途中カンバンを眺めながら随分とわかるようになっていることに気がついた。少しずつスペイン語もまともになっているのだ。ホステルにチェックインしてスーパーに行く。久しぶりの大型スーパーにテンションは上がる。ところが歩いても歩いても欲しいものがない。いいなぁとは思うのだけど買うところまでいかない。宿に居るとアレもコレもと思うのだけど、どれも事足りてしまっているからわざわざ買う必要がないことに気がついた。随分と変わったものだと思う。物欲がなくなってしまった。ミニマムな暮らしに憧れていた日本での生活は実は贅沢三昧だった。やっとグアテマラで貧困に近い生活を通してそれがなんであるかということに気がついた。

スーパーを出てセシリアに頼まれたサンダルを物色しに行く。写真を撮ってどれがいいか聞いてやる。バカな女中ではあるけれど、今では留守を頼めるほどに信頼を寄せている。彼女もまたそれがわかっていて随分と遅くまで宿に居るようだ。寄ると触ると喧嘩になるがそれもいいのだと思った。夕方、ちゃんとやっているから心配するなというメッセージに苦笑いしてしまった。今のままでは彼女を大学に復学させることは難しい。それでもなんとか卒業だけはさせてやりたいと思った。メキシコからサンダルを密輸入して稼いでやろうか、もう少し商才があればと悔やむ。

明日、指定されたものを買ってやろう。

楽しみにしていたのは映画。ところがどれもこれもつまらなそうなものばかりで惹かれるものがない。どっかりと椅子に座ってポップコーンでも食べながらと思っていたがやめた。

バスに乗り、セントロへと向かう。一番安いバスはそこら中に寄り道するのでなかなか進まないのだけれどそれがとてもいい。オッこんなところにとかアレなんだといった気づきがたくさんあってワクワクする。そういえばこんな風にバスで観光するなんてとんとなかった。セントロで降りてブラブラと歩く。夕暮れのセントロでは民族衣装を着た男女が踊っている。カフェでくつろぐもの、ベンチで愛を囁くものがいて楽しい。

すでに外国にいるという感覚もなく。日本で休みにフラリと知らない街に出てきたような感覚。肩に力も入らない。当たり前のように出来る用心。いつのまにかこちらの生活がすっかり身についてしまったのだ。少し嬉しくもあり少しさびしくもある。今回の更新でパスポートが期限切れとなる。ふとこのまま不法滞在のままずっと過ごしてやるかと無精癖が頭をもたげる。パスポートがなくたって近隣の国々に入る方法やルートはしっかりわかっている。そうであっても心の底に残った日本人の感覚が、それはいかん、ちゃんとしておけと歯止めをかけてくれるので今回はグアテマラで更新することにした。本当の事を言えば日本に帰ることが怖くなってしまった。日本の方が絶対にいいに決まっていて。仮に生活保護を受けたとしてもグアテマラの生活より数段上の暮らしができるのだから。そうであってもグアテマラの暮らしには余裕がある。心のゆとりや人としての暮らしがある。明日のゴハンの心配は絶えなくてもどうにかなる事を僕は既に知ってしまった。毎日規則正しい暮らし、衣食住を大切にしながら勉強が出来る環境にあって、喜怒哀楽を素直に出して生きることをもう少し楽しんでみたくなった。

このホステルにはメキシコ人しか居ない。彼等と話し、笑い、遠くに聞こえる花火の音を聞いている。小さな旅は、僕がまだ旅人である事を思い出させてくれた。僕は旅する力を手に入れたことがわかった。

日々雑思 オジさん達の小旅行

セシーに宿の鍵を渡し「来週は出かける。宿のことを頼む」心配そうな顔をして「いつ帰ってくるのだ、どこに行くのだ」と聞く。「帰る日がわかったら連絡する、心配するなちゃんと帰る」と告げた。カフェを亡くしてから来てくれているのはここを去ってしまうのではないかと心配しているのかもしれない。

早朝バスに乗りメキシコへ。今回は急に決まった。カンクンにある宿の奥谷さんから連絡があり、宿のホームページがなくなった。まったくお客が来なくなってしまった。ホームページを作ってくれと言う。奥谷さんは僕の宿の師匠、良き先輩、兄貴分でもあって、とても気の合う親友だと一方的に思っている。その宿のホームページは以前僕が作ったものだったこともあり、即引き受けた。当初は奥谷さんがこの宿に来てくれるということだった。僕にはどうしても行きたい場所があって、そこで落ち合うことにした。どうしてもというのは犬のカフェの前の家族に会って一言詫びたかった。天寿をまっとうさせてあげることができなかった事を会って謝りたかった。そしてカフェの魂を彼等の所に連れて行ってやりたかった。

久しぶりに会ったにもかかわらず僕らは昨日の今日の再会の様に普通だった。ひとしきり近況などを話し合った後、すぐにホームページについて話した。僕らはうすうす気づいていた。世代格差と言えばいいのだろうか、でもそれがどの様に異なっているのかがわからなかった。そこで知り合いの宿を訪ねてお話を伺うことにした。話を聞くと思い当たることばかり。そうだったのかといちいち納得してしまう僕ら。それは日本を離れてしまった僕らには大きな衝撃でもあった。お暇した後、2人でしみじみと時代が変わったのだなぁ、どうするかぁと途方に暮れてしまった。なぜなら今の宿は宿泊施設としてやっていたのではやっていけなくなっていると言うのだ。宿のあり方が変わった事を知った。以前は危険だと言われた中南米で安全で一息つける、情報を得るためのオアシス的な存在であった宿も近年ではネットの発達によってそうした役割は既に必要とされなくなって来ている。言葉にも不自由することなく、若い世代は英語も話せる。お話を伺った宿は宿泊施設ではあるけれど特徴的で僕らの宿とは全く雰囲気が違う。とても感じの良い宿であった。

お邪魔した宿はいずれもよく手入れが行き届き、よく気がつき、心使いにも長けていた。こうした雰囲気が若者には好まれるという事だと実感できた。オジさん2人は3日間いろいろと話し合って出た結論は、とてもワシらにはアレは出来んよーとなり万事休す。でもオジさんは強くへこたれないので、出来ることをやりましょうととりあえずホームページを作り、Instagramなどを始め、忠告に従って今風のやり方を立ち上げた。2人してほーとかふーとか言いながらパソコンと携帯とにらめっこしながらなんとか体裁だけを整えた。

僕らの世代とはまるで価値観の違う若者は僕らオジさん世代を受け入れることは出来ないそうだ。怖さ、めんどくささ、価値観の隔たりがあると言う。それはもっともな話で、時代背景や環境の変化は僕らの世代にもあった。避けられるものではないのだから仕方がない。こうした方がいいんですと言われることは何一つやらず。こういう接し方はいけませんと言われる事をすべてやってしまっていた。なるほどと苦笑いする他ない。わかってはいても僕らもまた同じことをしでかしてしまうものなのだとうなだれる。

ただそうしたことがわかったことは大切なことで、いけないことはやらなくなりそうだ。このブログも言葉使いがいかんと言われ、そうなのかとまたしてもうなだれた。手足をもがれダルマとなる他ない。世の中は常に変わっていくものだから、受け入れることが肝要なのだと肝に命じた。

何はともあれ、とても楽しく、ためになった。オジさん2人にはとてもいい小旅行となった。再会を約束して帰路につく。

そしてもう一つ、カフェは以前からこの宿で飼われていた。どうしても僕は彼らに会って謝りたかった。彼らも同様に深く悲しんでいた。そうすることがケジメだと思った。彼らに会い、事の顛末をキチンと話した。庭でロウソクを灯してカフェの冥福を祈った。カフェの魂を彼らに届けることが出来たであろうか。そうであると信じたい。カフェが存在した理由が確かにあったのだという思いを共有出来たであろうか。宿へと帰る道中、カフェがいつものように後をついてきているように感じて何回も後ろを振り返った。来たことのない場所を歩くのが好きだったカフェ。ここでの散歩を楽しんでくれるといいのだけれど。

あっという間に帰る日となり僕は早朝に宿を出た。朝、テーブルの上にお弁当が用意されていた。メモ書きが添えられてお土産まで用意して頂いていた。挨拶は昨夜のうちに済ませてあったので、宿の表でお辞儀をして帰途に着いた。途中バスの中で弁当を食べた。とても美味しくありがたい気持ちが湧いてきて、いいものだなぁとしみじみと感じた。いつもは用意する側であったけれど、うちに泊まってくれた旅人もこのように感じてくれたのだろうか。

 

宿を営むことは難しいものだ。おそらく若い旅人がどの様に感じているのかは理解出来たと思っている。でも根本的なことは何もわかっていないのだということも知っていて、それが出来るかどうかもわからないまま。さてこの誰もいなくなった宿をどうするか、いっそセシーに相談でもしてみるか。明日は月曜日。いつものようにやって来るだろう。まずは礼を言わなくては。留守の間、よく掃除をしてくれていた。ゴミひとつなく、戸締りもしっかりとしてくれていた。急な来客に対応出来るように一部屋用意してあった。最近、セシーは変わった。セシーはkamomosi にとって必要とされる存在となったのだろう。受け入れられることのないオジさんより彼女に任せるのも一つの手かもしれないなどと考え始めている自分もまた今回の小旅行で変わったのかもしれない。

小さな旅を

せっかくの海外旅行なので少し贅沢な宿に泊まり、ちょっとした自分へのご褒美とする。ホテルには異なる匂いがあっていい。少し古臭い、旧家の納戸に似た感じのところもあれば、清潔なシーツから立ち上る匂いのところもあって楽しみの一つ。匂いは旅の重要な記憶の一つで、いつかその匂いを嗅いだだけで遠い記憶が鮮明に蘇ってくる。

市場の匂い。道売りの生地の匂い。屋台の匂い。道ゆく人の発する匂い。夜の人気のない道の匂いは僕の記憶に鮮明に刻まれていく。朝のカフェで向かいの人が飲んでいるオレンジジュースの香りと陽だまりに置かれた朝食の風景がこの町の記憶として残った。

友人に会いにいく。一人は新しく宿を始めた友人で、夫婦で1月前からやっている。新しい宿はまだ未完成な部分が多くあってこれから彼らの宿の匂いが染み付いていくのであろう。もう一人は古くから宿をやっている友人で、こちらはすでに確固とした匂いがあって、力強い。僕とはまったくタイプが異なる人柄でけれど、僕は好きだ。

翌朝、市場に行きスパイスを大量に買う
chile mulato
chile chipotle
chile pasilla
gusanillo
chile ancho
tomillo
oregano
clavo
comino
aniz
carne de soya

大量に買い付け、いちいち匂いや質をチェックして「これはどう使うのだ」「辛いのか」「なんの料理に使うのだ」「これを試してみたい、あれはなんだ、英語ではなんと言うか知っているか」「あれを持っているか、これはあれとは違うのか」あまりにも質問ぜめにするものだから店主がレストランのシェフだと勘違いして、どこの店だと聞いてくる。グアテマラに住んでいることを伝えると、レストランをやっているのかと言うので、宿で食事を出していると答える。
よく料理人かと聞かれるが、果たして僕は料理人なのだろうか。料理人とは一体どんな人のことを言うのだろう。僕はそれを語っていいものかどうか未だに疑心暗鬼でいる。

国境に近い街に移動する。ローカルバスを使うと、これまで通い慣れた道もちょっと違って見える。安く、フレキシブルに移動できると旅の幅が広がっていい。町外れのバス停で降りる。安宿を聞いてそこへ飛び込む。最近はすっかりこうした宿とのやり取りは慣れたもので、部屋、シャワー、ワイファイをチェックして2晩泊まると伝える。
いつもと違い、客としてこうしたことを聞いていると随分と違った
気持ちになる。予備のタオルと毛布を頼み、町のことを聞く。明日の買い物の下見にアメリカで有名なマーケットに行く。時間がたっぷりあるのでじっくりと眺めていたら3時間も経っていて驚く。欲しいものはたくさんあるけれど、少しずつ。

翌朝、ホテルで時間を潰していると従業員が声をかけてくれる。この辺りはカフェとかあるのかと聞くとセントロへ行けと言う。数ブロック歩きセントロへ。賑やかすぎなくていい。セントロに面した数件のカフェをよくよく吟味してちょっと高級そうなカフェに決める。ビシッと黒のチョッキに太めの身を包みんだギャルソン風なのが気に入ったから。ここのコーヒーは残念ながらあまり美味しいとは言えなかったし、立ち振る舞いはラテン丸出しだけれどヨーロッパのカフェにいるような気分になる。

映画館に行く。スターウォーズを観る。3Dのメガネをかけ、飛び出すスクリーンに感激する。久しぶりに見た映画は文化的な気持ちにしてくれた。外国で映画を観るなんてちょっとしゃれた気持ちにもなる。なおさら気分がよろし。

再びセントロへ戻り、違うカフェに入る。なぜスペイン語を話せるのかと聞かれる。グアテマラで習った。今はそこに住んでいる。だから話せるのだと答える。英語はできるのかという。少し話せるが、今はだいぶ忘れてしまって、スペイン語の方がいいと言うと。ちょっと驚いて英語も習ったのかと聞くのでそうだと答える。こんなおっさんが話すことに驚いているのか、度々話しかけてきてチョットうるさい。
靴磨きの男の子がやってきて僕のサンダルを見て諦めた。次々とやってくる物乞い。饐えた臭いはいつか嗅いだものだった。ポケットか小銭を出す。以前とは違い嫌悪感に似た気持ちは不思議と湧かなかった。僕は老女の手に包み込むように小銭を入れた。

とんだビザクリではあったけれど

朝、雨は上がって澄んだ空気。ボート乗り場へ向かう。人通りなし。パナハチェルで船を降りシャトルバスを待つ。乗り込んだシャトルバスが満員になってしまったため1人の僕が別のシャトルバスへと移らされる。広々としていて快適。
国境へ向かう。途中、床下からキーキーと音がし出して路肩に止った。運転手がタイヤを外しているのでパンクかと思ったらブレーキに石が挟まったらしい。ホイールが熱くなってしまい、うっかり手で触ってしまった運転手はビックリしてブルブルと手を振って冷ましている。小石を取り除き、国境に着くと、随分と遅かったじゃないかと朝のシャトルバスのおばさんに文句を言われる。僕の所為ではないのに何が言いたいのだろう。
メキシコ側でバスを乗り換える。バスは大きくて快適でこんなバスなら旅も楽だとつくづく思う。隣に座ったドイツ人が声をかけてきた。スペイン語が話せるのかと聞きながら自分は習ったけど話せない、英語は話せるのかと聞いてくる。話せると答えると以降は英語で話し始める。なんとなく気が合い、お互いの事を話す。なぜかヨーロピアンとは英語で話していてもスペイン語が邪魔をしない。このところすっかり英語を使わないのでごちゃっとしてしまって、ついスペイン語が出てしまうのだけれどどうしてかはわからない。おそらく頭が悪く、切り替えができないのであろう。話一つ満足にできない大人になった気分だ。

 

ドイツ人はサンクリでの宿がない、どこかいいところはないかと言うので、いつもは日本人宿に泊まっているが今回はわからないと答えると一緒にホテルを探してくれと言う。サンクリに着きホテルを何件かあたる。ドミのある安宿を探そうとするとホテルがいいと言う。この町は物価が安いからたまにはいいかとホテルにあたり直す。うまい具合のホテルを見つけ、部屋を二つと言うと一つの方が安い、私は気にしないから一緒に泊まろうと言うので渋々了解する。
部屋に落ち着くや否やここには日本食のレストランがあるかと聞くので、「ない、コリアンレストランならあるがどうだ」と言うとそれでいいと言うので連れて行く。ビビンバを頼む。食事を始めると僕のビビンバを指してヒデキはそれを食べた事があるのか、なぜ知っていると質問する。それがめんどくさくてお前はフランス人にソーセージを食べた事があるか、なぜ知っているのか聞くのかと質問すると少し不貞腐れて黙ったのでスペイン語でムイビエンと褒めてやった。

 

ホテルに帰ると向かいの部屋から女の声が漏れてくる。どうやらお楽しみらしいが、僕はバイクで旅している時にも随分と町外れのラブホに泊まっていたのでもはや気にもならない。早々にぬるいシャワーを浴びてベットに横になった。
ドイツ人はあーだこーだと何やら言っているが相手にせず寝てしまう。

 

朝、いつもと同じ時間に目がさめる。シャワーを浴びて部屋に戻ると向かいの部屋からまたしても声が漏れている。お盛んな事だとせせら嗤い、部屋に入るとあの2人はまたやってると言っていてうるさい。
しばらくして向かいの部屋から出てきた女はホテルのムチャチャだった。不細工ではないが特段でもない。ホッコリした顔をしながらもブエノスディアスとしゃーしゃーと言ってのけることに感心したが後から出てきたのはホテルの倅。まだ15くらいだと思ったけれどしっかりしたものだとこれまた感心した。ドイツ人は何やら言いたげでモジモジしているが相手にすると面倒なことになるので知らないふりをする。

 

今回はのんびりとスペイン語のおさらいでもしようと思っていたが、なんだかんだと忙しくてバタバタとしてしまい、結局何も出来ずじまいだった。それでも知り合いを訪ね、近況を語ることはなによりでモヤモヤが晴れた。
どうやらcasa de kamomosiは自分が思っていたよりもいい宿であることは確かなようだし、旅人にも好評である事がわかった。コレまで自分の宿のコトをネットでどう書かれているのか見たこともなかったのは振り回されたくなかったのと、ちょっと怖い気持ちもあったから。そろそろのぞいて見てもいい頃合いか。

 

帰り
朝は珍しく時間通りに迎えのバスが来る。途中コミタンで休憩。45分あると言うので急ぎ近くのウォールマートへ。ドルが使えることを確認して宿に必要な物をかき集めてレジへ、50ドル出すとコレは使えないと言う。なぜと聞くと汚れているからだと言う。小さなシミがあるだけだけれど、ほぼ新札に難癖をつけられた。僕は持っていたペソを出してどっちが汚れているのだと聞いてやる。レジの女は申し訳なさそうだったが、どうにもならないので諦めた。

 

自国通貨に自信がなく、ドルにも頼るメキシコ。そのいずれも偽札が出回りすぎて信用もないのでは困ってしまうだろう。グアテマラでもよくある話でこれは偽札だと因縁をつけられたり、あとからこれは偽札だったから取り変えろと明らかに違う札を渡されそうになったりとやりにくいことこのうえない。慣れてしまうしかない。

 

バスに戻ると運転手が問題があると言う。崖崩れでグアテマラ側のバスが遅れている、3時間ほど待たないといけない。それは俺のせいではないし、俺の仕事は国境まで連れて行くことだと言い放っている。それを聞いた外人はいきり立ち、問答となった。ともかく国境へ向かう。国境は珍しく空いていて人の行き来がないことを物語っている。これはマズイなと思ったけどどうにもならないので、待つことにした。3時間経っても4時間経ってもバスは来ない。外人も詰め寄ったりう、なだれたりと忙しいが最後には諦めて大人しくなった。前からブラリとしてみたかった国境の町。あちこちをのぞいて歩く。すると前から欲しかったフライパンを見つける。しかも安いので買うことにした。店の女の子がアレコレと質問して来る。旅行者であればフライパンなど買わないので興味が湧いたのだろう。やはりグアテマラ人は話しやすい。買い物を済ませ、小腹が減っていたのでコーラと唐揚げを食べてどうするか考えていると。コミタンから来た二人組が困っている。聞くとウエウエテナンゴまでと言うのでチキンバスで行けると教えてあげる。本当かと言うので近くのおっさんに確認すると行けると言う。2人は喜んで先に行った。それを聞いていた外人はお前は英語ができるのかと言い出す。黙っておこうと思ったがバレたので仕方がない。運転手にアレを聞けコレを聞けと言い出す。彼は何も知らないと思うし、グアテマラの運転手に聞いてもムダだと思うと答えた。

 

僕はこの町に泊まるかどこか途中に泊まるか、それとも最後まで付き合うかを考えているとバスが来た。新しい運転手は道路が洪水と土砂崩れで通れるかわからない。もし通れなければどこかに泊まって明日もう一度行くようになると言う。それを聞いた外人たちはまた元気を吹き返し運転手に詰め寄っている。なぜこうも彼らは主張が強いのかわからないけれどここがサードワールドだと言うことを知らないのであろうか。ともかくバスに乗りパナハッチェルへ向かう。洪水の箇所はなんとか通れたのだけれど、道路のそこかしこに転がり落ちてきた岩や、家を流されて呆然としている女が立っているのを見ると墨を飲み込んだような気持ちになる。

 

すったもんだの末、パナハチェルについたのは夜の11時半。運転手は帰りたくてうずうずしていて道中、ホテルは俺が教えてやると約束したことをすっかり忘れてしまい。客が何を言おうがもう疲れたから帰ると泣きそうな顔で言っていた。僕はもう彼らを相手にしたくなかったので早々に車を降りて手近なホテルに飛び込みさっさとシャワーを浴びて寝てしまった。翌朝、大きな揺れで目をさます。またしても地震。しばらく揺れていたが何事もなく収まった。

 

バタバタとしたビザクリではあったけれど盛りだくさんで楽しめる小旅行だった。こうしたトラブルやハプニングは確かに旅の醍醐味でもあるし、印象に残るものだから。ともあれ宿の方も滞りなく4日間を乗り切ったのだからヨシ。小島夫妻とセシリアに感謝。こうして人のお情けに縋れるのもこうした暮らしの楽しさの一つか。

 

 

日々雑思 メキシコへの旅3

旅の速度

旅にはスタイルがあって、それぞれの旅に違った速度がある。バイク旅、バス旅、飛行機、列車、徒歩と眼に映る景色は同じもののはずなのに受け取り方は全然違ったものになって、まったく違った旅をしているような錯覚に陥る。バスの旅は見慣れた風景であるはずなのに新鮮な景色として僕の眼に映った。すでに何回か通った国境に近い街、何の変哲もなく、ありきたりなメキシコの風景。

サンクリからシャトルバスでグアテマラに向かう途中の休憩時間、車は提携のレストランへ。たいしておいしくもないレストランの高い食事をする気になれず、バスから見えた少し離れた屋台へ向かう。道路沿いの掘建小屋にはまだ客はいない。おばちゃんが一人で準備している。

「何か作れる?」
「ケサディーヤならできるわよ」
「うん、それで」
「ここで食べる?」
「そうしようかな」

僕は携帯の時間をちらりと見た。バスの出発時間まであと10分。ちょっと心配になって

「やっぱり時間が無いから持って帰るよ。バスが出ちゃうから」

彼女は用意しかけた皿を元に戻し、トレーをビニール袋から1枚出して銀紙をその上に引いた。僕はカウンターに座ってそれを眺めながらぬるくなったコーラを一口飲んだ。

「どこに行くの」
「グアテマラ、住んでいるんだ」
「へー、何か仕事はしているの?」
「うん、サンペドロで小さなホテルをやっているんだ」
「あなたたち外国人はビジネスが好きだからね、沢山稼いでるんでしょ?」
「そこそこさ、あまり大きくないし、僕一人でやっているからね、そんなに沢山は稼げないよ」
「そう、仕事はゆっくりやるのがいいわね、この店もそんなに稼げないけど、私だけなら食べていけるからここがいいわ」

僕は話題を変えてこの街のことを聞いてみる。
「前来た時はデモを見たけど、今日は穏やかだね、マラソン大会なんだ、街が静かだ」
「そう、いつもじゃないわ。たまにね。普段はとても穏やかな街なの」
「この街が好き?」
「えー、好きよ、ちょっと暑いけどね」

彼女は出来上がったケサディーヤをトレーの中に入れてサルサを少し多めに入れてくれた。少しチーズが足りないと思ったのかタッパからチーズをさらに少し出して挟んでくれた。

「はい、ありがとう、できたわよ」
「うん、ありがとう、美味しそうだね」
「私はここでこの小さな店でのんびりやるわ、その方が私は好き」
「うん、僕もそうすることにするよ、ありがとう、またね」

僕は30ペソを払って袋を受け取り、元来た道を引き返した。今日はデモ隊の代わりにマラソン大会の参加者の列が途切れ途切れに流れていた。以前見たデモはだらだらと切れ目なくありの行列のように移動していたけれど、今日の列は風のようだ。警備の警官も参加者も穏やかな顔をしている。
国境に近いこの街はいつも通り過ぎるだけでとどまったことはないけれどいつか来た時は泊まって見ようと思った。

旅の途中にあるちょっとした会話がきっかけで急に好きになる街や村があるのです。何も観るべきものはないけれど、立ち止まって見たくなる場所。メキシコにはそんな街がいくつかありました。バスの旅は車窓を楽しむことができるので尚更そんな気持ちになるのでしょうか。旅の速度が変わることでいつもとは違った景色を見ることができました。新しく始めた仕事、のんびりやっていると思っていたのにいつのまにか日本にいた時より働いていることに気がつき、ちょっとニヤリとしてしまった屋台のおばちゃんとの会話。旅と同じように暮らしにも速度があるのだと改めて知りました。もう少しゆっくりとした暮らしもいいのかもしれません。

日々雑思 メキシコへの旅2

心の声は聞こえるか

サンクリにはこれで5度目か。勝手知ったるこの町でも知らないことは多いけど、大概の場所は知っている。一緒に来てくれたアンリとモモコを連れて街を案内する。二人とも年頃の女の子、見る物すべてが可愛くて、すべてが食べたくて、とにかく何かを触りたい。買いたいのではなく、一緒に観て回るその行為が楽しくて仕方がない。
わかってはいるのです、その気持ち。こちらは言ってみれば観光ガイドのようなもの、二人の歩みに気を使い、会話を邪魔しない程度に説明をする。様子を伺い、適時休憩がはさめるような案内をしなければ、途端、非難轟々となり八つ当たりの嵐に巻き込まれるのは明白です。でも時々心の声が漏れ出てしまうのです。決して言葉にするような愚行はいたしません。だたそっと「ちっ」と聞こえないように、気がつかれないようにそっと漏らすのです。店の外で、会話に夢中になっている二人に背を向けて。
二人とは大の仲良し。そこで二人に「僕の心の声を聞いてみたいかい」とたずねます。二人は声を揃えて「もう、私たちわかってますからいいです」と笑顔で答えてくれましたが、目はけっして笑っていないのです。僕には観光ガイドは勤まらないなぁと思いつつ「それじゃ、美味しいタコス屋さんに行こう」と何事もなかったように話をそらしました。二人も何事もなかったかのようになんのタコスを食べようかしらと言いながら先に歩き出しました。

 
宿を見る目
僕の宿を見る目が明らかに変わっていて、以前には気にもしなかったところに目がいくようになっている。外観の色使い、看板の文字のフォント、フロントの料金案内の書き方から始まり、壁に飾ってある絵や部屋の小物など。もちろん掃除をどこまでしているかとかとにかく細かくなって微に入り細に入り気になるのです。別に汚れていても気にはならないけれど、ちょっとした工夫や気遣いに「ほ〜」「ふ〜ん」といちいち感心しては自分の宿に取り入れられるものはないか、反省すべき点はないかと思うのです。宿の人の応対の仕方、所作、着ているものなどすべてが気になり出して仕方ありません。あちらの宿こちらの宿をちょこっと覗き見てはその宿のちょっとしたエッセンスをいただいてしまおうと企んでいるのです。
そうはいっても一人でやるには限界があって、果たして自分の宿はどうかというと現状維持が精一杯。毎日の掃除は欠かさないけれど、無情に吹く風が運んでくるあれやこれ、容赦なくやってくる虫、伸びる草木には到底かなわないのです。一流どころのホテルの料金が高いのはこうしたことに人と時間の多くを割いているのだとつくづく思うのです。

 

荷物を盗まれることは旅する心を折られること

このところのメキシコはやや物騒であっていつ被害にあっても不思議ではない。先日に泊まった宿のお客さんはタクシーに荷物を置いたまま用を足しに外へ出た途端にタクシーに走り去られてしまい、すべてを失ってしまった。日本に連絡してお金を送金してもらったが、すっかり旅行する気分を失ってしまい帰国する飛行機のチケットを買っていた。

旅先でものを取られるとガッカリするだけでなく、旅する心まで盗まれてしまったように感じてしまう。吟味に吟味を重ね、カバンに詰めたりやっぱりいらないと取り出したりと、旅先で起こる様々なことに思いを巡らせて選び抜いた旅のお供は自分の一部であって、それ自体が旅を演出する大切な道具だから。それがちょっとした隙になくなってしまった時の喪失感といったらちょっと言葉では言えないくらい。

久しぶりの移動の最中、僕は何度か「あっ」と思った。ついつい油断して大切なものが入ったサブバックを視界の外に置いてしまったり、歩いている途中、不用意にカバンを開けて中身をぶちまけたりと自分の不甲斐なさにありゃありゃとなってしまった。運よく何事もなかったけれどこうしたことに気がつかなくなった時にやられてしまうんだなと反省させられた。

以前、バイクの後ろにかけて荷物を抑えるネットに挟んでいたサンダルを片方落としてしまった時も悲しくなってしまった。クロックスのサンダルは底が厚くて砂利を踏んでも平気だったけれど、現地で買ったサンダルは小石を踏んでも痛っとなって無くしたことをその度に後悔する羽目になった。

荷物を失うことは自分のスタイルを失うことも同然で、ひいては旅する心が折れてしまうのも頷ける。予期せぬトラブルの大半は自分の注意力次第で防ぐことができるのだからくれぐれも怠りの無いようにしたいものだ。

日々雑思 メキシコへの旅

今回、ビザクリのためにメキシコへ行って来ました。宿をはじめて以来のちょっとしたお休みです。これまでとはちょっと違ったスタイルの旅は新鮮で気がつくことが多くありました。旅行記ではなく旅の合間にあるちょっとした話や感じたことを数回に分けて書いてみようと思います。

なんちゃってバックパッカー誕生
借り物のバックパックにもらったサブパックを背負い朝ぼらけの村を行く。まだ中身のないパックはブカブカとして落ち着かない。帰りは買い出した荷でずっしりとなることに思いを馳せながらアンリとモモコの大きなバックパックがちょっと羨ましくなる。

旅に出てから初めてのバックパッカースタイル、なんちゃってバックパッカーデビューとなったのにはわけがあって、カンクン、サンクリで日本食材とスパイスを大量購入したくて、管理人のサナエさんのバックパックを借りたのだ。少し小さめにできた女性用のバックパックが背負えるほどに痩せていることに気がつく。それはそれで嬉しい。

メキシコで食材を買い集めパッキング。持ち上げるとずっしりと重く軽く30キロ近くあった。旅人であれば20キロあたりが上限だけれど今回は買えるだけ買ったのと砥石が重たい。それでもバス旅なので荷物制限がないのが嬉しい。

バスの旅は予想以上に辛かった。とにかく寒い。話には聞いていたけれど予想以上の冷えに途中で降りてしまおうかしらと思ったほど。普段エアコンなど使わないので余計にこたえた。なぜあれほど冷やす必要があるのか聞いてみたくなった。20時間ほどで到着するはずが24時間以上かかってやっとカンクンに着いた。降りた時は「またこのバスに乗るのか」とがっくりしてしまった。

rosas7でいらなくなったブランケットを貰い帰路のバス旅に備える。帰りのバスのチケット買いに行き、17時間ほどで到着するバスのチケット買う。これならいいであろうと思ったが案の定遅れに遅れて結局22時間ほどのバス旅となってしまった。ブランケットのおかげで随分と快適に過ごすことはできたけれど、それでもバスの中は冷え切っていた。

バックパッカーの移動は意外にも荷物を背負う時間が短くて、これなら重くてもさほど苦にならないと感じる。メキシコという地の利もあるけれどはじめてのバックパッカースタイルの旅はなかなかいいものではあった。

 

 

ちょっとした海外旅行
海外旅行という言い方はつくづく日本らしい言い方なのだと思う。海に囲まれた日本ならではの言い方じゃないかしら。海の外へ旅に行くとはわかりやすいし、まさしくその通りだと思う。メキシコとグアテマラの間は随分と行き来してきたけれど、今回バスの中でこれって海外旅行なのだと気がつき驚く。グアテマラに住むようになってはじめての国外へのビザクリ。簡単な気持ちで出てきたけれど、まさしく海外旅行。使われている言語は同じだけれども、通貨や文化は違っていて経済的にも名実ともに外国であるメキシコ。ちょっと行ってきますと言えた自分がちょっと得意な気持ちになった。

大陸に住むということは海の外に出て行かなくてもいいのがいい。東京から熱海あたりに出かける気持ちでヒョイと行けるのがいい。国境でスタンプをついてもらったらスタスタと歩いてゲートをくぐれば、そこはすでに他国なのであって、地図に書かれている線をまたぐことの容易さは日本では味わうことができない感覚だ。日本では外国に行くとなると大事であるけれど、グアテマラではそれが日常の一部としているのだと思うことを知った。

カンクンからサンペドロへ

1日目

通いなれたと思っていた道を間違える。地図を確かめるとすでに200キロも走ってしまった。きた道を引き返し、地図を見なかったお前が悪いと、走りながら自分を叱る。向かっていたのはカンペチェという町なのに途中からなぜがチュトマルだと思い込み、逆方向に向かってしまっていた。出かける前までチュトマルからサンクリへ向かうかカンペチェから向かうかを悩んでいたせいだきっと。こういうバカなことをしてしまうのは久しぶりにバイクに乗ったから。こうして、どうでもいいことに慎重さを欠くのでいつも問題を起こしてしまう癖がある。今度は間違えないように慎重にきた道を戻り正しい道へと向かった。

気が焦っていたせいか給油を先延ばしにしているうちに高速道路に入ってしまった。ガソリンのことが心配になって道沿いの売店でガソリンがないかと聞くと10キロちょっと先にスタンドがあるという。走り出してすぐエンジンが止まってしまった。真っ黒な雲が後ろから追いかけてきてあっという間に雨に飲み込まれてしまった。土砂降りの中を300キロもあるバイクを押していく。積載量が多かったので燃費計算を間違えてしまった。ヘルメットを脱ぐことができないので蒸し風呂のようになって汗が滝のように流れて目に入りしみて仕方がない。シールドも曇って前も見えないが、どちらにしても雨なので水滴に映る小さな景色を見ながら進む。少し押しては息を整え、また少し押してはバイクを支える手の震えを収めるために腕をさする。3キロほど言ったところで1台の車が止まって、バックしてきた。車にはメキシコ人の男と女、その子供が乗っていてどうしたのだと訳を聞いてきた。僕はガス欠だと答えると、この先のガソリンスタンドでガソリンを買って持ってきてやると言ってくれた。20分ほど待って戻って来た男からガソリンをもらい、息をつく。車を満タンにできる金額をお礼に渡す。男に頼んで一緒に写真を撮った。雨は上がり気分も晴れた。ガソリンスタンドまで行くと先ほどの家族連れがスタンドの手前で僕が着くのを待っていた。彼らは大きく手を振って走り去っていった。

2日目

山の中を走る道。前にトラックが走っている。中型のトラックに鉄棒の枠が檻のように渡してあって、その中に豚が重なり合って目一杯詰め込まれている。枠に荒い金網を張ってあるトラックもある。豚はピンク色でちっとも汚れていない。鼻先がきゅうと金網に押し付けられてしまっているものや、下積みになって、全然動けないものもある。上の方に積まれていつものも楽ではない。足が踏ん張れないので動けない。車がブレーキをかけて止まると、豚同士少し体の位置がずれるが、やっぱり動きは取れない。豚は1匹も鳴かない。殺されに行くに決まっている。トラックはノロノロと走り、ノロノロと止まる。行き来の車が多い時は、なかなか追い越しもできず、トラックの後ろについて走ることになる。薄ピンクの豚の、小さな光る眼を嫌でも見続けながら走っている。豚のトラックのほかに、鶏のトラックにも合う。鶏が檻から1羽出てしまったが、肢先だけ引っかかって抜けず、逆さまになってバサバサしていたのも見た。その鶏は嘴を開けたまま声を出さない。

首筋に猛烈な痛みを感じて、慌てて手でそこを触ると塊のような感触があって、もぞもぞと動いている。捕まえてみると蜂だ。刺された。アナフィラキシーショックになるのではと恐る恐る運転するが息も苦しくならないしかゆみも来ない。以前蜂に刺されたことがあるので心配したが種類が違うので抗体がなかったのだ。何も起きないのでホッとする。それでも首筋はじんじんと熱い菜箸を押し付けられたような痛みがあって少し腫れている。薬はサンペドロに置いてあるので我慢する。ゲロを吐きそうな不安に駆られてしまう。なんで走っているのに蜂に刺されてしまったのだろう。

町についてコンビニによる。コーヒーとホットドックを買って食べる。ホットドックはスペイン語でペロカリエンテ。熱い犬という。変だ。荷を見るとサンダルが片方ない。落としたのだ。きっとでこぼこ道を走っているうちに振動で落ちてしまったのだと思い悲しくなった。旅を長くしていると物が少しずつ無くなっていく。でも出発前に吟味して揃えた旅の相棒達が消え去っていくのは嫌なこと。不注意からこうしたことになるとなおさらだ。翌日市場に行って安いサンダルをかう。派手で品がない。こういう色の組み合わせをなんで作ってしまうのか。バカに見えてしまうだろうに。それでもここでは仕方無がないし裸足でいるわけにもいかないのでそれを買った。はき心地も悪い。

3日目

ガス欠のこともあったのでもう一度燃費計算をする。一定の回転数で走って距離を燃料の量で割る。やはり思ったより悪くかった。荷が重すぎるからだ。でも今日はほとんど下り坂なのでガソリンはあまり使わない。グアテマラ国境ではバイクの入国に手間取ったのは、どうやら税関が厳しくなったから、モタモタとしているので何故だと聞くと、あの書類がない、この書類が必要だと駄々をこねている。前回と違うじゃないかい。一体どうしちまったんだい。と聞くと僕の顔を覚えていた一人の男が出てきてすぐにやってくれた。一緒にいたメキシコ人とこいつは仕事ができないやつだ。遅いったらありゃしないと文句を言って時間を潰す。ようやく書類ができたので長居は無用とすぐに出発した。

4日目

サンペドロへの下りはなおさらのように道がひどくなっていた。途中家ほどもある大きな岩が2つ、道に転がっているのを見てゾッとする。崩れた崖の上には倒れた樹がそのままになっていて、その上に一人の男が乗ってなた一丁で格闘していた。あんなに大規模な崖崩れなのにたった一人直すとは思えないので樹欲しさに登っているのだろう。さらに下ると道は凸凹さを増している。車もバイクも難儀する。きっと雨季の終わりの大雨でひどいことになったんだ。後に聞いたところによると2、3日前に車が落ちて人が死んだそうだ。夜に酔っ払って運転していて崖から落ちてしまったという。死んだのは二人。

色々とアクシデントに見舞われたけれど、なぜか嫌な気持ちにはならなかった。それはバイクでの旅が楽しいから。きっとバイクでの旅が好きなのだ。バイクを押している時もちっとも嫌な気持ちにならなかったし、道を間違えた時だって不安な気持ちにもならなかった。僕は旅の相棒を信じていたし、うまくいくとわかっていたから。これまでの経験がたくましくさせてくれたのだと思う。それは実体験だけでなく、人から聞いた経験談からわかっていたから。うまくいかなかった旅人はそれを語ることができない。なぜなら彼らは野で果て、骨となってしまったのだから。だから人から聞く話はすべてうまくいったことしか聞かないので、それを覚えておけばいいのだ。今回はそこまでひどい失敗ではなかったし、生きていてこれを書いているのだから旅人は参考にすればよろし。万事うまくいくのです。

無事に宿に着き、二日目の夜。珍しくモヤがかかって方々の家々の灯りが滲んだようにように広がっている。雨になるのかもしれない。寝る時、窓の外にスイッチョみたいな虫が張り付いている。これからしばらくの間、ここで暮らすのだと思うと興奮して、緊張してなかなか寝付くことができなかった。

土日通信  日本人宿について語る

僕は旅の最初はまったく日本人宿というものに泊まったことがなかった。バイクで旅をしているとバックパッカーと通る道が違うことも、1日の移動できる距離も違うからメキシコに入ってからもずっとメキシコには日本人がいないのだ。アメリカ人が危険だと躍起になって言うから、みんなまともにそれを信じて来ないのだと思っていた。メキシコシティーにある日本人宿に到着するとそこには数人の日本人がいた。日本人宿には独特の雰囲気がある。それは宿ごとに違っていて旅人はそれを巧みに嗅ぎ分けて、宿の評判として他の旅人に口述していく。

病院だった建物をメキシコ人の女と結婚した人が宿にしたと言われるこの宿。主人は高血圧のせいですぐに死んでしまったので、残された奥さんと息子が続けている。息子も奥さんもあまり日本語は上手ではないが、ずっと日本人が泊まっているので名前も日本語のままで通してきた。グアテマラから来ているトクさんと言うおじさんがいた。トクさんは技術者であったがとうの昔にやめてグアテマラとメキシコを行ったりきたりしながら暮らしている人だ。鼻が悪くいつも鼻血か青っ洟を垂らしている。きっと蓄膿なのだ。それでもトクさんは旅人に慕われていて、わからないことがあるとトクさんに聞きに行くのだ。特に女の子には優しく、丁寧に教えてあげている。少ししたらグアテマラに帰ってまたしばらく向こうで暮らすという。

メキシコシティーで働いているブラジル日系3世の若者、大道芸で身を立てているがずっと定住しているわけではない。若者は日本に父親と住んでいたが景気が悪くなり父親がブラジルへ帰ると言うのでついて行ったがポルトガル語ができないので馬鹿にされたと言っていた。その後、徴兵が嫌だったので日本に帰ろうとしたが途中のメキシコでビザの申請を忘れてしまい。帰ることが難しくなってしまった。メキシコで弁護士にお金を払い労働ビザを出してもらったのでしばらくここにいると決めた。でも先日、日本人と結婚して子供ができたので日本に帰りたい。今はできないので嫁と子供をこちらに呼びたいと遠い目をして語ってくれた。

中庭の壁には大きな壁画が描かれていて、のちに知ったことだけれどもそれは有名なのだそうだ。3階まである建物は中庭に面して回廊があって吹き抜けから見えるのは灰色の四角い空だけだ。朝食はパンとコーヒーとバナナであった。久しぶりの日本人宿は居心地がよく快適であった。日本語が話せることはとても楽なことなのだと今更に思う。

近隣にもう一つの日本人宿があってそちらの方が綺麗で人気を二分しているのだが、目の前の公園と宿の前の道が夜になると怖くなって、悪い奴らに襲われそうだという話も聞くがここの宿にはプロレスラーたちが住んでいてメキシコで修行しているというから悪人もそうそう悪さをするわけでもないのだと勝手に思っている。

メキシコの山の方にある昔からある町にある日本人宿は芸術家やミュージシャンたちが集まる。昔バリバリの共産主義者であった日本人が建てた宿。キューバに住んでいたり、あちらこちらに住んでいたが、なぜこの土地に住むことになったのかは知らない。無類の酒好きであっていつも赤ら顔で、しまいには肝臓をやられてしまったので他の人に宿を託して死んでしまった。何代かの宿主を経て今は世界中を回りながら口で音を作る仕事をしてきたタケシくんが切り盛りしている。町の外れの、もう少しで先住民が住む地区の境で、川沿いにあるこの宿はとてもエネルギーに満ちている。芸術家というものは兎角変わり者が多いが、ここの壁画は他の宿にはない柄。ゲバラを模したような男女の絵、こいのぼりのようなもの、畑に植えられた野菜、骸骨と変化に富んでいる。どれも見入ってしまうほどの出来。

この宿にはアキラさんというおじさんが住んでいる。アキラさんは世界をあちこち歩いている人で、ヨーロッパで乞食をしたり、ヒッチハイクで旅をしたりしながらメキシコにたどり着いた。でもパスポートを取られてしまい。大使館に行くのがめんどくさくなってそのままにしているのでアメリカに行くことができずにずっとここで暮らしているけれど、お金が必要なので台車付きの自転車とペンキを買って近所の家の壁に絵を描いて生活している。アキラさんの質問は唐突で答えに困ってしまうようなものばかりだけれどそれなりに楽しい。アキラさんはいつも本を読んでいて偉いと思った。

この町にはたくさんの日本人が住んでいてみんな楽器をやっている。せっかくだからと集まってバンドをこしらえてライブをするようになったらそれで食べていけるようになってきたという。それでも皆自分の仕事は辞めずにお豆腐を作ったり、靴を作ったりビデオを作ったりして暮らしている。一人は郊外にでっかい土地を買って村を作るのだと言っている。先日は水道が通った、今度は畑だと着々と村つくりに励んでおられるのは偉いと思った。

ちょうどこの町にいるときに、グアテマラでお世話になっているカバさんもここでライブに加わって楽器を演奏されていたの行ってみたがとてもうまく演奏されるので見ていて羨ましくなってちょっと嫉妬している自分に気がついて、墨を飲んだような気分になった。

グアテマラには幾つかの日本人宿があってそれぞれがいい位置関係にあるので旅人はそれに沿って移動していく。メキシコに一番近い標高の高い町にある宿。自衛隊の隊員であった宿主は犬とメキシコシティーであったトクさんと仲良く暮らしている。管理人にはチエミさんというハキハキとした女性が座っていて宿の切り盛りをやっている。タカさんはいつもチエミさんに怒られながらも決まってハイハイと言いながら楽しそうだ。タカさんはお酒が大好きだけれど飲みすぎて死んでしまいそうになってからはほんのちょっとしか飲ましてもらえなくなってしまった。食事時にチエミさんからコップにちょろりと分けてもらったビールをもったいなさげに飲むのが常。

ここにはバカな犬がいて誰彼見境なく手を出した人に噛み付いてしまう。特に子供が大の嫌いで子連れのお客さんは泊まれない。名前はボビーというがメス犬。まだボビーが小さな頃隣の家で飼われていたが大変いじめられてタカさんの家に逃げてきたらしい。人間不信になってしまったが救ってくれたタカさんのことは大切に思っているらしく、タカさんが病気のときは部屋の前で寝ずの番をしてタカさんを守っていた。チエミさんがご飯を運んでいっても怒ってなかなかタカさんに近寄らせなかったので困ってしまったと言われていた。
逃げてきた当時は誰にも触らせなかったので、お風呂にも入れることができず、雌雄の区別もつかないうちから名前がついてしまった。ある日ボビーをお風呂に入れたらメス犬だったことが発覚したが今更名前を変えるのもできないのでボビーさんなまってボビさん、ボビコと呼ばれるようになった。

トクさんは鼻が悪いのでいびきをめっぽうかくから特別室に入っている。普段は食堂のテレビの前のテーブルに陣取って1日中サッカーを見るかパソコンを見て暮らす。夕方ボビさんの散歩に出かける以外ほとんど外に出ることがないのに、なぜか町の隅々まで知っていてとっても物知りなのだ。でもタカさんと意見がずれると二人して言い合いになり喧嘩しているが、それはチエミさんに言わせると毎日の恒例行事なので気にすることはないと取りつく島もない。

この宿は毎日シェア飯を作る。メニューはタカさんがチエミさんにお伺いを立て了解されると決定するのだが予算と食べたいものが合わずにいつもなかなか決まらない。みんなで食べたあとはじゃんけんで片付け役を二人決め洗う。
この宿のシャワーはガスを使っているので熱いのがいい。でも時たま水の出が悪くなるので、そうなるとお湯が沸かせなくなって誰も浴びることができない。近くには銭湯があって、貸切なのでマッパで湯船に浸かることができる。1時間ほど熱々のお湯に浸かると身も心もとろけ出して、お湯がだし汁ににでもなってしまったのじゃないかしらと思うほど。暗がりの外に出るとひんやりとした空気が火照った体を舐めてくれ、言いようもなく懐かしい気持ちになるのがいい。

グアテマラの田舎の湖のほとり。よくこんな場所に作ったものだという日本人宿がある。日本人の旦那さんとメキシコ人の奥さんと二人の子供。子供の名前を冠したこの宿は日本人に大人気でいつも満室になっている。この宿の不思議なところは泊まる旅人全員がもっと長く居たかったと口を揃えて言うところ。僕は何が皆をそうさせているのかいまだにわからずにいる。確かに他の宿とは違いドミトリーではなく全室個室のこの宿は居心地がいいのはわかるのだけれどどうやらそれだけではなさそうだ。泊まった人に単刀直入に聞いてみるとご主人のススムさんの距離感が絶妙だと言う。僕はますますわからなくなった。ススムさんの気の使い方がとてもいいから長く宿に泊まりたいと言うのが理由であるのかしら。また子供がとても可愛いと言う。娘さんが可愛いから長く泊まりたいと言うのが理由なのかしら。確かにこの宿には不思議な魅力があって一言では言い切れない。村の雰囲気がとても穏やかでここがグアテマラだということを忘れてしまいそうになるほど平和だし人々も優しい。この村に長居したいのであれば他の宿でも良さそうなものだがそうではないらしい。

ススムさんはお客さんが楽しんでいる姿を見るのが好きだと言う。幸せを分かち合えるような暮らしの中に入っていく感覚になるのであろうか。宿を覆うような塀や鉄の扉がなく、他の場所であればちょっと泊まるのを躊躇してしまう旅人がいたっておかしくないようないつも開放的な雰囲気がある。どこか日本の民宿のような懐かしさとご夫婦の人柄がこの宿の雰囲気を作っているのかもしれない。

あるときおばあさんが飛び込んできてアメリカドルを交換してくれと言う。事情を聞くとおばあさんが民芸品を道端で売っていたところにアメリカ人がやってきてそれを買いたいでもドルしか持っていないからこれで払う。これはケツアルにするといくらだと言ってお金をおばあさんに強引に渡して帰ってしまった。おばあさんは両替の仕方を知らなかったので、宿に助けを求めてやってきたのだ。奥さんがちょっと待ってと言ってすぐに交換してあげる。おばあさんは気が気ではなかったようで神様に英語でゴッドブレスとお祈りをしていた。ガビちゃんがやってきてケツアルを渡してあげるとありがとう、ありがとうと言って上機嫌になり帰って行った。おそらくこの異国の二人は正直者として近所に知られているのであろう。こうした普段のおこないがこの宿の安全を守っているではないかしらと思った。

世界有数のリゾートにある日本人宿。ここには二つの日本人宿があってキレイな方と汚い方に大別されている。ところが汚い方の宿と言われている方は居心地がいいとなかなかの評判を聞くようになった。この宿には名物のおっさんがいて一人はホテルで毎晩尺八を吹いてディナーショーに花を添えるミュージシャン。この人なかなか面白く、あちらこちらに書かれている。不動産業を営んでいたが、いきずまりメキシコにやってきて尺八をめちゃくちゃに吹いているうちに日本屈指の尺八演奏者と言うことになってホテルで演奏することになった。最近は広告代理店のようなことを始めたがパソコンも使わずにすべてアウトソーシングで儲けを出そうと半年ほど頑張っているけれど未だ広告を取れずにいる。メキシコの国籍が欲しくて年齢を偽って結婚しようとしたけれど女の金使いが荒すぎて暮らし始めて1週間もしないうちに根をあげてしまった。遺された賃借マンションを人に貸したはいいけれどそこが泥棒に入られてこれまた皮算用と化すなどトラブルが絶えないけれども不思議と悲壮感が漂ってこない。失恋の痛みを趣味のピアノにぶつければ「うるさいよ〜」とオーナーに注意されてしまう。新しいお客さんに持論を展開してしまい翌日からは相手にされなくなっても夢と希望を捨てることがない。彼の偉いところは毎日欠かさずスペイン語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語、英語の中から選んだ言語を音読すること。あの歳でこれだけ努力を欠かさないのは尊敬に値するのだけれどなぁ。

商売に躍起なおじさんはあちらこちらに出かけては独自のツアーを作って泊まり客に紹介してコミッションを稼いでいる。宿を出て家と事務所を借りるのだと豪語してはいるけれど一向にその気配がない。金儲けにはまめまめしいのだけれど体調が良くないと言ってなかなか進まないのだ。食事にも気を使って健康食品を積極的に食べておられる。でも冷蔵庫に入れたものを忘れてしまい、いつも腐っているので時たま僕が全部捨ててしまうから僕がいるときは用心するようになって自ら冷蔵庫を片付けるようになったのは学習効果というのであろうか。健康食品のなんとかと言う資格を持っていてそれの更新のために日本へ帰国するのだけれど、いつも航空券のトラブルにあって航空券の名前を間違えて日本から帰ってこられなくなったり、飛行場を間違えてしまい、メキシコから出られなかったりと災難が多い人でもある。

癇癪持ちのオヤジはここのオーナーの奥谷さん。メキシコ人の女性と結婚したけれど今は別々に暮らしている。たまに息子や娘がやってきて泊まっていくが息子のヤスオは結構なお調子者でなかなか笑える。もっと勉強していたいのだけれど学校を卒業してしまったので仕事を探している。でも大きな町では仕事をしたくないので小さな町で探すのだけれど小さな町にには仕事がない。オヤジは心配しているのだけれどメキシコ人の血を強く引いた息子は天性ののんきさで親父を安心させることができずにいる。オヤジは1日に数回とっても癇癪を起こすのが日課。どこかで導火線に火が着くと誰に対して癇癪を起こしているのかわからないけれどいきり立ってしまうのだ。でもひとしきり悪たれをつくと落ち着くのかまったく普通になってしまうので、あれはストレス発散なのではないかしらと思うことにして以来、何にも気にならなくなった。
ここに来るとオヤジのお三度の世話をすることとなっていていつか美味しいと言わせてやろうと思うのだがなかなか言わないので憎たらしい。僕が出ようとすると「まだ行かなくてもいいだろうに」と懇願するので単純にひねくれてわがままなだけなのだろう。奥さんは別居して正解だと思う。

もう一つの日本人宿はメキシコ人の奥さんが仕切っている。毎日の掃除を欠かさないのでとってもキレイで人気があるが、少しだけ高い。掃除の時間は部屋にいられないので暑い中を出て行くか、家の中を転々と移動することになるのが面倒だと言う。以前、この宿に住んでいた若いダイビングのインストラクターの娘。少しの間メキシコを留守にしていたが、帰ってきて再び泊まろうと行くと。部屋はないと言われた。1晩だけでもと頼むとあなたはビジネスをするからダメだと言われなくなく汚い方の宿に来たのだ。彼女は奥さんは絶対に更年期障害だと
言っていた。