世界一周」カテゴリーアーカイブ

日々雑思 雨季になる

暗くなるとポツリポツリと降り出し、遠くの方からトタンを強く叩く音があっというまに近づいて水浸しとなった。雨季に入る。ようやく庭の水やり作業から解放されホッとする。一気に草木が伸び始め、庭の緑は収拾がつかないほどに伸びてきた。季節の変わり目に庭木の剪定をする事を決めている。今週の初めからコツコツと片付けてきて、大きな袋に3個分のゴミが出た。菜園に新しいタネを蒔く。以前から何度も蒔いてはダメなシソを今回も蒔いた。ニラはふた畝分になるように株分けした。これでいつでも食べることができるようになりそうだ。メキシコから持ってきた一本の苗から随分と増えたものだと関心した。ほかにはオクラ、ごほう、メキシコのヒカマと言うナシのような食感の野菜も蒔く。コンポストで作った堆肥も随分とこなれてきたので拡張した畑に入れていく。土が足りないのであと一年くらいはかかるかもしれないが、ここではこうした時間の過ごし方がいい。ミミズがたくさんいる柔らかな土の匂いが鼻の奥をくすぐった。土をいじっているとなぜか心が落ち着いて、なにも考えることがない。良いことも嫌なこともなく、自分の手から伝わるモコモコとした感触と湿り気がただただ心地良い。少し休憩と思い立ち上がるとクラクラと立ちくらみがした。額ににじんだ汗を拭き、テラスで休む。掘り返した土はひんやりとして心地よいのか犬のカフェが早速陣取ってお腹をペタリとつけている。
玄関先の排水路を整備する。雨季の始まりと終わりに大雨が来るので水捌けを良くしておかないと庭が水浸しとなってしまう。雨どいを掃除してから水路に溜まった土を除ける。今年はレイアウトを変えて上手く水を誘導できるようにした。
仕事に来たセシーが庭草と低木を分けてくれというので株分けしてやった。

このふたつきほど予約もなく客もほとんど来ない。女中のセシーに心配されるほど客が少ない。去年の宿帳を見ると20人程は来ていたが今年はいよいよもっていけない。コレはダメだと早々に見切りをつけてスペイン語の勉強をひたすらやっているのだけれど、こちらもまたいけない。さすがに歳なのかと思いたくもなる。本を読むと辞書を片手にではあるけれどなんとなく読めている。言いたいこともだいぶ言えている。それでも、なにかが心に引っかかってしまって納得がいかない。一言で言い表せば、上達が見えない。文法は頭では理解できているようで、考えればなんとかなる。練習が足りない事も承知。なにせ1日中家に閉じこもっているのだから。朝のいっとき、女中のセシーとの会話が1日の唯一の会話。あとはひたすら黙りこくるしかない。1人で居ることがまったく苦痛にならない事もいけない。口を開くとロクなことにならないことがわかっているだけに厄介なのだ。本を書き写し読む。わからない単語を書き出して調べる。調べたところで使う機会がないので覚えることもままならない。モヤモヤが溜まり余計に話したくなくなる。人の話を聞こうとネットで片端から見ていく。意味を忘れてはいても聞き覚えのある単語がずいぶんとあって、ほーとかうーとか言っているうちに夕方になってしまった。

ZUMBAを踊り始めて半年程になった。こちらは上達著しく、この歳になって踊れるようになるとは思わなかっただけに楽しくて仕方がない。先日、踊っている時に左肩を痛めてしまい、しつこい痛みがなかなか取れない。はて、コレはもしや50肩というやつかと憂鬱な気持ちになる。メキシコで買ってきてもらった薬を塗りつつ踊りは欠かさずに通っている。雨季になり湿気が増し、気温が上がったせいで最近は疲れが早く出てしまう。見渡しても誰一人疲れていない。

ここでも歳のことが頭によぎる。考えてみれば諸先輩方がボヤいていたことがことごとく当てはまり出していることに気がついた。となるとこの先は終点に向かってラストスパートになるのだけれど、もう少し争ってみたい気もする。先日見た日本のニュースで中高年の引きこもりが実は大変な数となっていて孤独死の大半がこうした人達であるように書いてあった。誰も来ない宿であっても掃除は欠かさず、庭の手入れもきちんとしている。生活も規則正しく、荒れ果てるに任せる事もない。ゴミも捨てている。三度の食事もキチンと作る。客が居ないので気持ちも穏やかで、ささくれ立つ事もない。自分の好きなことに打ち込める環境があり、犬も良く懐いている。大丈夫だと1人呟いたところでブルッときた。得体の知れない悪寒が首筋を舐めた。急き立てられるように部屋の片づけをして気持ちを紛らわす。まだ遠くにあるけれどヒタヒタと近づいてくるお迎えの足音が聞こえた気がした。それは旅立ちへの怖さではなく生きている痕跡を残してしまうことへの恐れ。たいして所持品はないが粗相のないように、いつでもいいよう決まって整えておかねばならない。人々の記憶に残らないように、常に忘れ去られた存在であるように、人様に心配をかけぬように心がけねばと戒めた。別に変な願望があるわけでもないが、若い時からこのように考えてきた。それが現実味を帯びる齢となっただけのこと。それは楽しみでもあり、きちんと向き合えるようになりたいとの願望でもある。

日々雑思 明日を見ない者達

隣の婆さんが金をくれと言ってきた。薪を売ってもいいと言う。いくらだと聞くと400円欲しいと言う。「400円分の薪は沢山だぞ、お前そんなに持っていないだろ、以前の様には騙されないことはお前も知っているであろう。一体なにに使うのだ」「物を買う、あと食べ物も」「前に言ったであろうが、大切に使え、くだらないものなど買うからそうなるのだ、アホか、教会へ行け」それでも居座り懇願する。「以前貸した金が先だ、早く返せ」「ヒデキ頼む薪を買ってくれ」「まだ沢山ある、いらぬ、帰れ」「…」「だからお前らはダメなんだ、男に逃げられ、いいように使われ、他人に泣きつく、仕事をしろ、金を貯めておけ、何度言えばわかるのか、待っていろ」仕方なく400円を渡す。「薪を持って来い、山ほどだ」婆さんは庭へ引き返し薪を集めている。仕方ないので取りに行ってやる。50円分ほどの量を積んだところで「もう、十分だ、これでいい、これで400円分だ」日本語に切り替えて「お前ら貧乏人のその腐った根性は神でも治せないのだよ、ダメな奴だなぁ、そんな奴ばかりだココは、こっちが働いているのを見ているだろう、人に頼るな、コジキになったら終いだからな」
隣人たちの馬鹿さ加減にはもはや驚きもしないけど、言われれば腹を立てて露骨な嫌がらせをし始める。今年はガツンといってやろうと決めているので、此の所近所付き合いは随分と楽になった。意地を張っているのもせいぜい半年、すぐにまた金をくれ、仕事をくれと泣きついてくるのだ。人並みの事も出来ないくせにくだらないプライドばかりが高い。安物のプライドはすぐに剥がれ落ち益々情けないものとなるのに何故彼らはわからないのだろう。何故彼らは未来を見る目を持とうとしないのだろう。今を生きる者達は明日を見ることなく終わるのであろうか。ジレンマだけがつのっていく。

「ヒデキ、アボカドを買わないか」「いらん、必要ない」「頼む買ってくれ、一個15円でいい、金がない」「今の客はアボカドは嫌いだ、食わない、だから買わない、必要ない」「どうしてもダメか」「どうしてもダメだ」「アディオスヒデキ、あっ!この缶もらっていいか」「持っていけアディオス」隣の薪を買ってやったのを見ていたのだ。女中で働いていた娘をクビにしたのでこの前まで口も聞いてこなかったのに金がなくなった途端にこのようになる。こうした情けない姿を見るのが嫌いだ、恥も外聞もない。意地もない。プライドのカケラもない。愚か者。午後、隣村まで娘は歩いて学校に向かった。真面目に働いていれば毎日トゥクトゥクに乗って学校へ行けたものを。

これまで物の価格はその物が持つ価値と等価だと考えてきた。ところがこうした国では物の価値は時と場合で変わってくる。
例えば外人価格。相手が金持ちの国から来たと思えば価格が上がる。地元の人とは違った金額を払わされる。
例えば売り手と買い手の合意。はじめから定価と概念ではなく。売り手の希望価格と買い手の希望価格が折り合う所を見つける。相手の腹を探り合う。交渉の行方によって価格が変わる。

こうした事が起こるのは大抵第三世界である事が多い。東南アジア、中南米では当たり前のこと。物の価値を知らないと大損をすることになる。知っていたとしても、損をしいられる事もある。交通機関や電話のSIMでさえ油断ならない。こうした国では価格自体が安いので損をしたとしてもたいした金額ではないのだけれど、そうした根性に腹を立ててしまう。地元価格の5倍ひどい時には10倍もの差があることを知ってしまったら墨を飲んだような気になってしまう。今はSNS全盛の時代、こうした情報はすぐに拡散されて皆の知るところになる。当然こんな国であっても携帯は皆が持つのでそんな事は地元の人間も知っていてしかるべきだとは思うのだけれど一向に改善の兆しがない。困ったものだ。ところが、観光客の来ない閑散期になると状況が変わる。ホテルに客はいなくなり、さびれ始めるとこれまでの強気は鳴りを潜め値引きが始まる。ひどい時には5分の1まで価格が落ちてしまう。そのかわり前金でまとめて払うことになる。そんな価格でどうするのだと思うのだけれど、目先の金のことしか考えられない彼らには損得勘定もうまく出来ない。そんなことばかりしていては次に来る客に値切り倒されてしまうのにと心配になってしまうほど。ここにも明日を見ない者の悲しさがあった。

ここで暮らしはじめた頃、グアテマラ人は金になんでも換算して考えていると感じた事があった。何かしてやるとすぐにいくらだと聞かれた。何かを貸してやるといくらだと聞かれた。コレはいくらしたのだと持っているものの値段を聞かれた。動物が食べ物の匂いに誘われるように彼らは金の匂いに誘われる。とても自然なことなのだけれどあまりにも露骨なので時々戸惑ってしまう。ところが最近は少し考え方が変わってきた。ホテル1泊の値段がカフェで朝食を食べるより安いとはどういうことなのか。物の価格があまりにも違い過ぎて訳がわからない。今を生きる事に精一杯なのか、目先の事しか目に入らないかのように暮らすマヤの人々。人生を楽しんでいるのか、苦しんでいるのか。あるデータではここの国は日本より幸福だという。ケモノのように暮らすのが幸せとはどうしても思えない。貧困率が60%にもなるこの国で自分をどこに位置づけていいのかわからぬ。逆らいようのない世界経済という流れにもまれるドングリのような気分。果たして浮かぶ瀬はあるのか。もう少し流れに身を任せてみるのも悪くない。

日々雑思 壮絶

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」聖書の一節、僕はカトリックではないし神をも信じぬ不届者を自負している。言がなんであったかなど僕には関係ないのだけど、語学について思う時、この言葉がふとよぎる。
言語習得にあたっても、はじめに言があるのではないか、知恵や知識ではなく心の声を口から出すことが肝心。口から出た音が表現だから。音に意味があろうがなかろうが、自分の身体の内から絞り出したこと意味があって、それが自分の言葉なのではないかと思ってやまない。
「勉強しているのに話せない」はよく聞く話。僕は勉強を否定しない。それは自分の知識となり知恵となるから。読むことができるようになり、書くことができるようになる。意味を理解できる事こそ知識の恩恵を受けている証。

言語習得にあたりよく聞く「@#が足りないから話せない」これは言い得て妙な言い訳ではないか。たしかに正しいと思う。でも、文法が出来ないことが話せないことの理由であるなら、文法を習うまで僕らは話すことが出来ないはず。おのずと学校にあがる前の子供は話すことができないことになる。しかし、小学校にあがるまでにはすでに言葉を流暢に使いこなしている。それは正しいとは言い切れない言葉ではあるけれど、もし文法がわからなければ話せないとなると子供が話ができることを説明できない。ボキャブラリーも少なく意味すら知らない言葉を使い、間違いだらけでも子供は心の声を伝えることが出来る。知っている単語で伝えることの方が大切なのではないかと最近とみに思う。単語が分からなければ説明すればいい。知っている単語を並べて相手に伝える力こそが喋るということではないか。そこに勉強はない。耳で聞いた音を口から出すことがはじめにある。それは”真似る”と言う行為だから。”学ぶ”と言う言葉は真似るが訛り”真似ぶ””まなぶ”となったと以前聞いたことがある。音を真似る事が学ぶ事ではないのか。しいては話す事につながる近道なのだと思うのだけど。

年齢も関係ない。若い人のようにやろうとする必要もない。歳をとることで学び方を知っている者は自分に合った学習をすることが出来る。自身をマネージメント出来ることは年齢を重ねてきた者の優位になる。若くないから、物覚えが悪くて、やっているけどと出来ない言い訳ばかりがうまい輩は、はじめから話せない理由しか探さないのだ。馬鹿な言い訳を考える前に出来る方法を考える方がよほど役に立つのに。プライドが邪魔をする。恥ずかしさが学ぶことを妨げる。話すことが出来ないとバカに見られてしまうことはどの言語を学ぶ上でも同じこと。知識があることと話すことは違うのだ。それでも少しでも知恵をつけようとウンチクやなぜなにばかりを追い求めはじめたら益々口は重くなる。下ばかり向いていたら口はいつまで開くことはない。いや、開く必要すらない。ウンチクを語る時は自国の言葉を使うのだから。

最近、マヤの言葉を使い始めた。なにも知らない勉強もしない。ただひたすらに音を聞いて真似をする。意味など分からない。人が使っている状況を見て、同じような時に使ってみる。「なんでそんな言葉知ってるんだ」と驚かれる時もあれば、キョトンされる時もある。間違いを繰り返して使い方を覚える。意味など分からない。でも使える。使えるようになれば意味もわかってくる。けど多言語に訳せない。それでいい。40を過ぎるまで僕は日本語を多言語に置き換えて意味を探ることなどしなかった。恥ずかしながら尊敬語と謙譲語をキチンと使い分けられるかどうかも怪しい。読めない漢字もある。国語のテストで100点をとった記憶もない。それでも社会で生活することは十分に出来たし、人と会話をすることが出来ていた。
勉強などしなくても話せるようになる。勉強なんかしていたら言は益々遠ざかってしまう気がしてならない。

ひとりの男性がスペイン語留学を終えて帰国した。果たして彼のスペイン語は中級の上まで伸びた。彼からの連絡を受けたのは昨年のこと。客がここを紹介した。しかし僕は即座に断った。なぜなら面倒くさいから。歳のいった者はダメだ。これまでも酷い目にあわされたのはこうした人達。他の場所で2ヶ月すでにスペイン語を勉強していた。しかし、話せないと言う。場所を変えてみたいという。場所を変えたら話せるなどと考えている者は話せる様にはならないから。彼は諦め、留学を打ち切った。メキシコへ旅行に行った帰りにうちに泊まりにきた。聞くと支援団体で働きたいと言う。もう一度ここで勉強したいと言う。彼ほどの思いの強さがあれば大丈夫かもしれないと思った。仕方なく引き受けた。

数ヶ月後、この宿での留学が始まった。以前の話を聞いていたので学校ではなく家庭教師を使ってのおさらいから始めたがまったくレッスンが分からず、怒り出してしまう。やはりダメかと思ったが一度引き受けてしまった以上放り出すわけにはいかない。僕は知り合いの紹介以外の客をすべて断って彼の留学に付ききりとなる。

毎日のようにネガティブな言い訳ばかりをしながらも”勉強”だけは欠かさない。先の見えない事に対する努力がいかにたいへんかはフィリピン留学で僕も経験しているので気持ちはよくわかった。2ヶ月を過ぎた辺りから少しずつ変化が出てきた。レッスンの内容がよく理解できるようになってきた。それでもまだ話すには程遠い状態。先生の方が逆に日本語を覚え出している。言語習得にあたっては最初のハードルが一番高い。そこを越えるまでは我慢しかない。暗記しようとする彼にそんな事は必要ない、音に慣れろと繰り返してアドバイスしたが、理解されるはずもない。3ヶ月が経ち、既に知識は相当あるのだけれど口の重さは変わらず。長年染み込んだ勉強のスタイルは容易には変わらないのだ。

ビザクリでメキシコに行く事になる。メキシコから戻ればあと2ヶ月しかない。戻ってきた彼に1日6時間のレッスンを勧めた。彼の留守中先生達と何回も話し合いを重ね、かなり厳しく注文をつける。彼女達はそれを理解し、頑張った。それでも口の重い彼。1人は「もう教えられない、懸命に努力したが、なかなか話せるようにならない。心が痛む」と言う。逃げ出しそうな彼女に僕は檄を飛ばして叱咤した。彼女達もまた懸命であった。女中も使い、なんとか話すように仕向けるが、女中はあまりに僕が厳しく言うので、根をあげてしまう。僕は出来ないなら今月はもう来なくてもいいと言い渡した。このままではダメだと僕は彼を追い込む事に決めた。「人を助けたいという思いの強さを感じて引き受けたのに、助けるどころか彼女達すらダメにしかねない。話せもしない人間がどうやってコミュニケーションをとるのだ。どうして現地の人間がそんな者を頼るのだ。人助けどころかダメにしているだけだ、言い訳などしている間があったら口を開け、文法など必要ない。心の声を出さなければ本を朗読しているのと同じだ。引き受けた仕事は必ずやり遂げる。彼女達をダメにしても構わない。それがあなたの本意なのか」彼は黙って座ったまましばらくして部屋に戻った。

残りひと月。彼のレッスンに変化が出た。よく話している。先生達に聞くとよく話し、よく理解出来てると言う。ようやくハードルを越えた。みるみる良くなり。自分でも話せるようになったと感じていた。先生達に彼のレベルを聞く。「上級ではない。でも全然変わった。今では中級以上だと口を揃えて言う。テストも大丈夫だ。知識も十分にある」と太鼓判を押した。

もう少し勉強したかったと言いながら帰る日が来た。ここへ来た時とはまるで別人のように自然に話す彼。泊まったメキシコ人もフランス人もカナダ人も彼は話せると言っていた。もう大丈夫。彼は言を手に入れた。おそらく彼のスペイン語は同年齢の人の中ではずば抜けているであろう。支援団体の研修などなんてことなくこなせる事は確実だけれど、まだ彼はそれがわかっていない。願わくばどこかの国で活躍する姿を見たいと思う。この宿でスペイン語を勉強した者達の中でも1番大変だった彼。それでも彼はやり遂げた。彼の年齢でここまでやり遂げた者を僕は知らない。”壮絶”とも言える彼の留学は僕にとっても励みとなった。尊敬に値する努力であった。だから僕は彼の活躍を信じて疑わない。

「また来てもいいですか」と聞かれ、僕はすぐに答えることが出来なかった。「考えておきます」と言うと彼は苦笑いをしていた。もう一度同じ事を引き受けるかと聞かれたらもう2度とゴメンだと言うだろう。自分でも呆れてしまうほど入れ込んでしまうから。僕には学校経営やエージェントは向かないのだ。チャンスではあるけれどあまりにも割に合わないから。やはり僕は偏屈な安宿のおっさんが性に合っている。彼を見送る時、「旅人が行く先で幸せに出会う事を。試練に会う事なく、旅の目的を達して、無事岸に戻りつき喜びの家に家族と再会できる事を」と僕は祈った。彼が去った後、セシリアに「最後に彼になんと言ったのだ、祈ったのか、お前が祈るのをはじめてみた」と言われ「あーそうか、祈ったんだよ。彼はそれに値する努力をしたからな」「さみしいのか」「ここは宿だ、客はいつかは去る」「彼はまた戻って来るのか」「ここへ戻る必要がないであろう。そうなってもらわないと困る」「ウソつき」「お前ほどではない、さっさと帰れ」セシリアはニヤリと笑って帰った。1人になり静かになった宿を眺めた。客を断り過ぎたのでしばらくは来ないだろう。少しの間休んでのんびり過ごそう。

最後に、僕のサポートを信じてこの宿に滞在し、勉強を続けてくれた彼、そしてこれまでとはまったく違うスタイルで教えることに果敢に挑戦して成し、遂げてくれた3人の先生に心から感謝します。以前から考えていた留学のスタイルを具現化出来たことは僕にとっても素晴らしい経験となりました。多言語を学ぶ、それをサポートする事ということが少しわかったような気がしています。そして、また1人の日本人がこの宿でスペイン語のレッスンを始めました。勉強したいのなら他に行けと言っているのに。

日々雑思 密入国と小さな密輸

「メキシコに行くのか?」「そうだ」「今度メルカドの女衆がメキシコに買い物に行く、お前も一緒に来ればいい」「それはいいな、行く」普段メキシコに行く料金の半額以下で行く事になったのは知らない村。そこは川が流れている国境で渡し船があると言う。パスポートを持たない者も渡れると言う。対岸には市が立ちケツアルも使えると言う。聞いているだけでワクワクとしてきた。
夜中にバスに乗り村を出る。明け方現地に到着する。川の砂を盛り上げて橋のようになっている。川幅は20メートルもあるかどうか。タイヤのチューブの上に板切れを載せただけの簡単なイカダで渡しがあった。沢山のグアテマラ人が向こう岸へと後から後から渡っていく。皆、金を握りしめて真顔で渡って行く。

向こう岸には大きな市があってなんでも安い。言われた通りケツアルも使える。メルカドで見かける製品が沢山あって、仕入れ価格が全部わかってしまう。なるほど道理でまけるはずだと納得してしまった。市場を眺めてから大型スーパーに行く。冷房が効いていてホッとする。家電を見る。安い。自分だけのためにコーヒーを淹れたい客用に小さなコーヒーメーカーを買う。半額。
好きなインスタントコーヒーを買う3つで2つ分の値段。街中でカフェを探したがそんなものはない。コンビニに飛び込んで大好きなシェイクをと思ったが、それもない。やはり田舎なのだ。

グアテマラ側で女衆がトルティーヤを山の様に買っていて、そばからもしゃもしゃと食べていた。ここのトルティーヤはメキシコの物の様に薄い。勢いよく口に入れるので二口でなくなってしまう。左手でトルティーヤを掴み、右手で具材を掴む。両の手が合わさったかと思った途端、具材は包まれ口元へ、頑丈そうなアゴが2回動くとトルティーヤはなくなっている。各自が中に挟む具材を用意してきていて互いに分け合っている。4枚も食べれば十分なのだけど彼女達は10枚も一度に食べる。一緒に店に入り昼メシを食べる時も持ち込んだトルティーヤをドサリと出して堂々と食べる。トルティーヤが足りなくなった女はコジキの子供を呼びつけて10ペソを渡しトルティーヤを買ってこいと命じている。子供が戻り無かったと言うと舌打ちをして、もう一度探せと強面に命じていたのを見ておののいてしまった。女衆はなぜかマヤ語だけで話すので、周りのメキシコ人はキョトンとした顔をしている。少しだけわかるので聞いていると結婚辛辣なことを言っていて、迫力に負けてしまった。
ここは暑いので女衆は汗だくとなり、顔中びしょ濡れだ。フーフー言いながらもあの店この店をめぐり、物怖じせずにガンガン交渉している。イミグレに行くので先に行くと言い残して、国境へと戻る。日帰りなのでどうかと思ったが難なくスタンプをもらい待ち合わせ場所に戻ると婆さんだけが戻っていた。他の女衆はまだだった。婆さんは毛布を買っていた。値を聞くと驚くほど安い。婆さんはとても喜んでいた。時間があったので村を散歩する。やはりこちら側は向こう岸とは全然違う。川を隔てただけなのに道路は未舗装、店も汚いけれどこちらの方が性に合っている気がする。

オバハンに声をかけられる。「中国人か?私は大好きなんだよ」「残念ながら日本人だ」「中国と日本は違うのか」「全然違う」「韓国とも違うのか」「全然違う」「これから私の家に来い、色々な事がしたいだろ」手を握り、こちらの手のひらを指でくすぐっている「悪いが今日は帰る」「そう言わずにおいでよ、沢山してあげるから」「そうかそれはありがたいな、考えておく」手を振り切って別れた。なんだかおかしくて笑いがこみ上げてしまう。来てよかった、旅をしている様だ、知らない場所はやはり楽しい。小腹がすいたので屋台に入る。鳥の炭火焼とトルティーヤを食べた。やはり4枚で十分だった。トライシクルに乗ってガタゴトときた道を戻った。

女衆はまだ帰って来ていない。グアテマラにはオラ チャピィナと言う言葉がある。時間を守らない彼等に向けた言葉。1時間は遅れても何も言わない。彼らはホントに時間にルーズ。案の定3時間も遅れて帰って来た。待っていた者が文句を言っても絶対に謝らない、言い訳にもならない言い訳を堂々と言ってはばからない。それにしてもたいした根性だと感心してしまった。
待っている時間、メキシコ側から続々と荷物を満載したイカダが戻ってくる。あまりに重いのでイカダが傾いている。竹竿をついた拍子にバランスが崩れて2人ほど川に落ちてしまった。それでも彼女達は皆、満足そうな笑顔だ。岸には荷運びの子供がいて、彼女達の荷物を車へとせっせと運んでいた。荷台に積まれた荷物の隙間にもぐりこむ様に座って去って行く彼女達を見ていて、これもありなんだと思った。国境という見えない線はココにはなかった。経済という得体の知れない怪物はなりを潜め、小商いだけがここでは盛っていた。人々は幸せであった。両の手に持てる分だけの荷を運び、小さなトラックに満載して帰路につく。これでいいのだと思った。次回は彼らの様にイカダに乗って川を渡ってみよう。それはちょっぴりスリリングな旅になるに違いないから。

日々雑思 なんだかなぁ

夜、いつものように踊りに行くと女が一人で待っている。まだ来ていないのかと挨拶をするとズンバの先生の旦那さんがバイクで事故に遭ったと言う。「いま病院にいるが良くない、今日はズンバはない」この村ではよく事故が起きる。免許などない。だからルールなどない。子供も乗る。3人で乗る。4人で乗る。事故を起こし皆死んでしまうか、カタワになってしまう。
先生は旦那は頭に血が溜まり専門家が必要だと言う。目の下にクマができ、憔悴して気の毒であった。ことの詳細を聞いた一同はうなだれた。しばらくはズンバは休みとなった。

アボカドの木に実がなり喜んでいたが隣家の旦那から葉っぱが庭に落ちて掃除してもすぐに汚れて嫌だ木を切れと言われる。毎年の事なのに今年に限って言ってくる。よく物を貸してやり、冷蔵庫も貸してやった、電話も貸してやったのに。このところいろいろと要求ばかりされるので、思い切って怒ってやった。木を切り倒した後、「お前らには随分とよくしてやったのになぜだ、こちらも気分が悪い、木は望み通り切ってやったぞ、今後は助けてやるのはやめる」旦那はわかったと一言言って引き下がった。女房は口をきかなくなった。

切り倒したはいいが、切り株を取り除くのに一苦労している。根元を掘り返すと建築資材がガラガラと出てきてげんなりしてしまう。篩にかけ毎日仕分けしているが、進捗の見えない作業は気が滅入っていけない。それでも日が良く当たるようになったので畑にして野菜を植えようと気持ちを切り替えた。後日、切り株をチェーンソーで切ってもらおうと電話で頼む。「月曜日の午後に行く。セグーロだ(確かだ)」と聞いた僕はうなだれた。セグーロ、ノーテンガペーナとペドラーノが言うときは大抵来ない。案の定月曜日には来なかった。やはりこの村では知り合いの伝手で頼むのが一番いいらしい。

村の犬がたくさん死んだ。毒を食わされて、口から泡を吹いて死んだ。まだ生きているものも腰が抜けて大小便を漏らして苦しんでいる。増えすぎた犬を駆除することはこれまでもあったけれど毎晩のように毒を撒かれているのは初めて、少し怖い。注射をした印の赤い首をした犬も死んでいる。飼い犬も死んでいる。外人が警官に食ってかかっている。話によれば犬を好かないグループがいて、毒を撒いているそうだ。おそらく村の者は誰がやっているのかを知っているのだと思った。
この村はたくさん野良犬がいる。貧乏人が飼いきれなくなって捨ててしまう。いたずらに子を作り、大きくなると捨てる。犬はどんどん増えていく。去勢手術などしないので、好き放題増える。一方で狂犬病の恐れがあるので増えすぎると道端に毒を撒いて殺してしまう。
アニマルフレンドリーの外人はそのことに怒って大騒ぎをして役所を困らせる。役人はのらりくらりとごまかして、うやむやにしてしまおうとするので益々外人が怒る。死んだ犬の写真をSNSに投稿してニュースとなった。村は少し異様な雰囲気となった。以前飼っていて逃げてしまったウスイサチヨも道端で死んで異臭を放っていた。顔なじみの野良犬も死んでいた。知らない犬も死んでいた。メルカドに向かう道にいつも居た犬は全ていなくなっていた。犬を殺す者、助ける者どちらにも言い分があってどちらにも一理ある。でも一部の理もないのが貧乏人だ。犬のように暮らす者は犬を飼ってはいけないのだ。

好いた男に振られた女が首を吊った。家が貧乏なのでシェラで働いていたそうだが、家は3階建で立派だと聞いた。きっと死ぬ程好いていたのであろう。恋が成就したところで男は他の女になびく事に気がつかなかったのであろうか、都会で暮らすと人並みの幸せを夢見てしまうのであろうか、わからぬ。

このところギスギスした雰囲気を感じる事がままある。村全体が疲弊しているような感じ。100ケツアル札を出すとつり銭がないと断られる。やたらと物売りがやってくる。昨年はここ10年で最悪の景気だったそうでその影響がジワリと村を苦しめているのであろうか。女中のセシリアにも他に仕事を探せと言っても、働きたいと食い下がる。他の者を雇うのかと疑ってかかる。山で人が殺される。身包み剥がれて裸で見つかった。どうにも物騒だけれども誰も騒がない。誰がやったのか皆が知っているのだきっと。入山料を払わなかった外人への制裁、ガイドを雇いたくないケチな旅行者への見せしめ的な気がする。皆が皆自らの首を真綿でゆっくりとしめているように思えてならない。いやだねぇ。

日々雑思 チョナ 顔から火が出た

グアテマラという沼にはまってしまいもがいているのだけれど、なかなか抜け出すことが出来ずに3年も経ってしまった。どっぷりと生暖かい沼の泥は体にまとわりつき、剥がしても剥がしても執拗に僕の歩みを止めに来る。頭にくることもあるけれど、心地よく自我を削り取られているような、井戸の底から見上げる空が全てであるかのように耳元でささやかれている気持ちになってくる。それでも少しずつ井戸の壁を登っていて、指の爪は剥がれ、掴まった岩が抜けて落ちそうになるのを必死で堪えるような日々が続く。
シャワーが壊れ、排水パイプから漏水し、水がめが割れ、ベッドの脚が取れ、ガスコンロの火がつかなくなる。皿が割れ、鍋が壊れる。全てがまるで仕組まれたように思えてうなだれるしかない。こうした事に抗うように暮らしているうちに驚くほどの生きる力が付いていたことに気がついた。諦める事なく丁寧に暮らす事が身についた。身を粉にして働くということはこのような事であったのかと今更ながらに思うにいたった。
いっときの忙しさが去り、静かな宿に戻った。壊れた物が早く直してくれと亡者のごとく言い寄ってくる。直して直して使い倒す。そうしているうちに静物に命が宿った。自我を宿した静物は最後まで使い倒してくれ、使い物にならなくなるまで働きたいのだと言っているかの様。神が去った地の暗い井戸の底にあっても宿は少しずつ明るさを増してきている。庭に小さな灯が灯り、客がやっと庭に向く様になった。脆弱であったポンプとシャワーの電源を独立させて安定性が増した。壊れかけていたコンロのすべてに火がつく様になった。まともな皿が手に入り、鍋を直した。こんな当たり前の事に2年も費やしてしまったのかと思おうか、2年で出来たと思おうか。宿に命が宿り始めたことは確かで、ある種凄味がではじめた静物達。そして僕もまた宿の一部となっていくのを知っている。

チョナ

チョナはこの村の友人の1人。家庭教師、料理を教えてやっている女、メルカドの洗剤売り、2娘の母。朝7時、メルカドに近い道端に自分の露店を開く。小さな卓とさらに小さな棚を並べて石鹸、洗剤、スポンジなどを広げる。どかりと腰を下ろしていつも何かを食べている。威風堂々した風貌。買い物に行く時は軽く挨拶をする程度だけれど、たまに隣に腰を下ろして世間話をする。
「さっき日本人がお前の家の方に歩いて行ったぞ」
「あぁ、さっきすれ違った。すれちがう女が客になるとは思っていないよ」
「スレチガッタオンナガ、キャクニナルトハオモッテイナカッタだヒデキ、相変わらずだあなぁ」
「ではこれではどうだ、さっきすれ違ったのは客だったのであろうか」
「アレー、ヒデキ、ちゃんと言えてるよ」
「そうか、それは良かった。最近はこんがらがっていて自分が何を言ってるかわからなくなる」
「それならここに来て話せば良い。喋れば覚える」

客が来て石鹸を選び始める。何人もやって来る。みんながチョナの名を呼ぶ。以前、メルカドで物売りをするのはみんなと話せるから楽しいと言っていた。見ていると全部の客が石鹸の匂いを嗅いでいる。聞くと石鹸や洗剤の匂いはとても大切なのだそうだ「黄色は人気だ、青は匂いが少ないから人気がない、黄色がない時は緑がいい」「ならば全部黄色を買えばよかろう。簡単に稼げる」「あはは、そうだな」「このトイレットペーパーは別のか?」「そうだヒデキ、新しいのにした。全部一緒だが値段だけ違う。安い。あっちは14.5でこっちは13.5だ」「それはいいな、でも確かか」「あーぁたしかだよ、メーカーだけだ」「そうか、それならば次回はこれにする。今はゲリの女が泊まっているから、硬いと尻がかぶれて痛かろう、だから悪いのはダメだ」「どうした」「腐ったバナナパンを食ったのだ」「あぁーれー、お前が食わせたのか」「バカを言うな、ひらって食ったのだきっと」「拾ってだ」「拾うだろ」「拾っただ」「もう少しちゃんと覚えろヒデキ」「あははは、そうだな、最近は妄想の話と未来の話を練習しているので益々こんがらがって自分がいったいなにを喋っているのかわからなくなる」「さっき聞いた」「そうか」「そうだ、あははは」「でなんだっけ」「忘れてしまった」「それじゃあとで」「あーヒデキ、あとで」

チョナは優しい。根気よく客のレッスンをやっている。客が喋れないと心が痛むと言う。娘に英語を教え、都会の学校へ行かせるために朝から晩までよく働く。家事もして旦那の面倒もよく見る。ちいさな方の娘がばぁちゃんの家にいくのを嫌がるので自分の時間を削ってあやしてやる。ホームステイを受け入れたいと料理を勉強している。こういう者が報われるようになれば良いのに。

顔から火が出た

世の中には同姓同名の者がいて、時に混乱を招く。それは日本でのことであると高を括っていたのが間違いであった。ひと月ほど前、好青年が宿を訪れ、楽しい話を聞くことが出来た。コーヒーの勉強のためにグアテマラにやってきた彼。熱心にカフェに通い、夢を追いかけていた。僕はとっておきのカフェを教えてあげ、彼も気に入ってくれたと思う。そこは客席が2テーブルしかない小さなカフェで、とても居心地の良い、人には教えたくないお気に入り。そこの豆は特別な製法で作ったものでコーヒーなのにフルーツの香りがして、飲み口がまるでワインのようなアイスコーヒーが飲める。一度、豆を買って自分で淹れてみたがどうにも同じ味にならず諦めていた。彼もまたそれが気に入ったみたいだ。色々と話を聞いているうちにもう一度やってみようとあれこれと試していたところで、もう少しのとこまで近づける事が出来てきた。一度彼に味わってもらいたいと思っていたところだった。

最近来た客は、倅と同い年。なんだか子供を見ているようでじれったい。ついつい親のように接してしまうと彼はプンプン怒っているのだけれど、それもまた懐かしい気分にさせてくれる。なんだかんだと自信を持って言うところが可愛らしくて久しぶりに穏やかな気持ちになった。彼はメキシコに向かい、日本に帰国する予定だと言って発っていった。

数日後、メールが届いた。そこには男の子の名前が書いてあり、1週間ほど戻って来たいと書いてある。僕は驚き、何かあったのではなかろうかと老婆心が出てしまった。そこにはアンティグアにいると書いてある。僕は混乱してなぜアンティグアなんだと思ったけれど、すぐにそこにいろとメールを返した。きっとなにかあったのだ、一緒に出ていった兄貴分のような青年となにかトラブったのか、好きな女の子でも出来て急遽流されるようにアンティグアに行ってしまったのだと思い込んでしまった。メールも乱暴な書き方をしてこちらに戻って来るようなことの無いようにしてしまった。

ところが、僕は大きな勘違いをしていた。それは以前泊まっていた好青年からのメールであった。なぜと思い、名前を見ると同姓同名であった。なんという偶然。不覚にも僕は2人を取り違えていたことに気がついたのは彼の最期のメールを見たあとだった。慌てて詫びのメールを書いたのだけれど後の祭り。その日は思い出すたびに顔から火をふく思いをした。まさか、こんな異国にあって同姓同名の人が泊まるとは。そういえば以前、この宿で会った旅人が偶然にも小学校の同級生であった。そんな事もまた旅の驚きであるのかもしれない。それにしても客商売をしているというのにとんだ失態をしてしまった。少し油断があるのだ。このような宿に来てくれる客であるのだからもっと大切にしなければならないと深く反省した。

日々雑思 ある1日

スセリーからもらった猫を去勢手術に連れて行く。これですぐにおとなしくなると思っていたが麻酔から覚めると夜中にどこかへ逃げてしまった。もううちの猫ではない。朝、ひょっこりと戻って来たので情に流され餌をくれてやる。ところがこれまで猫を気づかっていた犬はあっさりと猫の餌を食べてしまった。猫が欲しいとねだると、威嚇して絶対に譲らない。客がたしなめるがすっかりと全部平らげてしまった。犬も猫がもううちの一員ではないとわかっているのだ。セシリアが「かわいそうだなんとかしてやれ」という。「あの猫は自由を選んだのだ。あの猫の選択なのだ。以前お前がしたようにあの猫もバカな選択をしたのだ。去る者は追わん」と突き放す。「私は戻って来た」というので「バカな女だ。女は皆そうだ。だから女を信用しないのだ。早く仕事にかかれ」というと膨れて3階に行ってしまった。

宿の毛布を一斉洗濯。所狭しと干した毛布は気持ちがいい。水をたくさん使い普段の節約のうっぷんを晴らすように洗いまくった。風が水気をあっという間に運び去り、洗剤の匂いがほんのりと残った。陽の温もりがこもった毛布を一枚一枚丁寧にたたみ端を揃えて積み上げた。朝きたセシリアが全部洗ったのかというのでそうだと答える。お前が洗えと言ったのであろうがと思ったが口にはしない。彼女が来てから宿がみるみる蘇るように綺麗になっていく。客の満足度も上がっている。文句を言わず黙々と働いている。きっと仕事を失う怖さを覚えたのであろう。

庭のビワの実がたくさんなったのでセシリアにくれてやる。仕事の合間によく捥いで口にしているので好きなのであろう。一緒に木の枝を引っ張り好きなだけもがせる。ついでに庭のアボガドもいくつかもいでやった。カゴにいっぱいになった実を見て満足そうに笑っている。「市場で売るなよ」「あははどうしてわかった」「お前の目はいつもドルマークが付いているのですぐにわかるのだ」「マジか」「ああマジだ、早く帰れ。お袋に持って行くのだぞ、お前のではない」「ありがと。私のではないのだな。また明日来る」「明日はいらない月曜日にくればいい」「もし気が変わったらいつでも電話してくれ」「ああそうする。でもしないよ」

「どうした。ピーマンは嫌いか」「細かく切ってあるのは好きだ」「ではなぜ食わぬ」「これは大きい、いつもはもっと細かく切ってくれているのでそれは好きだ」「肉はどうだ」「肉も同じだ。細かく切ってあるのがいい」「海鮮はどうだ」「カニは好きだ。食べたことがあるか」「ある。でもあれは虫がいるので客には出さん」「あーあれか小さい」「そうだ、だから料理が面倒なのだ。日本にも同じカニがいるが手間がかかる。でもそれで作ったスープはうまい」「作れるのか」「お前にできて、俺にできぬ料理などない」「あはは、そうかセニョール」「そうだセニョリータ」

「風呂のカーテンが汚い。洗っていいか」「洗え」「もう庭の掃除は終わったのか、廊下はまだやっていないだろ」「やった。お前より綺麗にやった」「あははそうかセニョール」「そうだセニョリータ、見てこい」「それでは階段だけだな」「あぁ階段だけだ」「そうだぁ、明日は来れない。なぜなら友達が結婚するのだ、祝ってやりたい」「行ってやれ、同い年か」「一つ下の23だ」お前はまだかと聞きそうになり慌てて口を閉じる。まだやりたいことがあるのであろう、余計なことは聞くものではない。こちらには知らない権利があるのだ。「なんだ」「なんでもない」「なにか言いかけただろう」「何も言いかけていない」「…」「…」

早くに結婚してしまえばいいのだ。好いた男もいて年頃なのだ。この国では女に学はいらない。若くして子を産み、ろくに稼ぎのない旦那に従い、小商いをして家計を支えるのがこの国の大半の女の生き方。それを受け入れることが出来ず頑張る者は要らぬ苦労をすることになる。それができる者はごくわずかでしかない。神にすがり生きる糧とした方が楽なのだ、大学に通うための金をへそくりにしておけば、いくばくかの助けになるであろうに。その昔、大学に通う者が半数にも満たなかった頃。娘が大学に通いたいと言い出すと「悪いことは言わないから、せめて短大にしておきなさい、そこで少し遊んでから働いて2、3年で良い人を見つけて結婚するのが一番の幸せだから。お茶のくみかたがうまい人は良い人を見つけられるのよ」と親戚のおばさんから諭され、最近の若い娘はと色眼鏡で見られた女性がどれだけいただろう。大学に進み総合職を目指した女性がした苦労を思うと皆の様に暮らせと言いたくなる。この宿で稼ぐ小銭に満足するようではダメなのだ。”分相応”この言葉が最近重くのしかかっていけない。

宿で働くスセリーを見ていて思ったことがある。はじめのうちはいろいろと知らない世界を見せてやりたい。世界を広げてやりたいとずいぶんと身勝手なことを考えていた。ある日ふと考えていてゾッとした。この村の若者の世界観は狭く、教養もない。それでも彼らは彼らなりの世界観を持ち、暮らしている。もしスセリー1人だけが日本人と同じような教養を持ち、視野を広げてしまったらおそらく彼女はここの暮らしに耐えられないのではないか。自分の身勝手なおこないが彼女の不幸を作っているのではないかと思うに至ってしまった。この村から出て行けるチャンスを与えることなく一方的な思いで自分の道徳観や倫理観を押し付けるのは傲慢でいやらしいおこないでしかないのだ。姉のセシリアが戻り、以前にもましてよく働き、生き生きしている姿にいたたまれなくなる時がある。どう接していいのかわからなくなる。以前のようにコラソンネグロ(黒い心)でいた方がいいのかもしれない。

「ヒデキ、日本人がアメリカに行くのは簡単か」「簡単だ、働くことも出来る」「ずっとか」「ずっとの者もいれば、少しの者もいる」「私もいつかアメリカに行って働きたい」「モハード(不法就労の隠語)でか、コヨーテ(不法入国を手助けするマフィア)に知り合いでもいるのか」「親戚が使った。私もやりたい」「無事に入国できる者ばかりではないぞ、仕事も見つからないだろう、特に女は危険だ」「知ってる」「お前も身体を売ることなるのだぞ、それでもいいのか」「…」「真っ当な生きる道を探せ、ここにはお前の神がいる。それにすがって生きるのが一番良い、金持ちの男を見つけろ。馬鹿な男はダメだ。働かない男もダメだ。優しい男はもっといけない。覚えておけ。今日はもう仕事はない帰れ。また明日遅刻せずにこい」「今日は帰る、また明日、良い一日をヒデキ」「お前もな」。

日々雑思 セシリア

セシリア戻る

ペドラーナ(サンペドロの女)はしたたかで油断がならない。一旦気を許すとどこまでもずけずけと踏み込んできて散々な目にあわされる。
以前辞めたセシリアが再び働き出した。別れた女房とよりを戻したような気まずさが漂いぐんなりとした気持ちになる。女という生き物は何事もなかったかのように振る舞うことが出来るからタチが悪い。笑顔で挨拶をするセシリアに「お前はまだ試用期間だ、働けると決まったわけではない」とピシャリと言ってやる。しかしそんなことはどこ吹く風で自分のやり方でせっせと掃除を始めてしまう。「そうではない、このようにやれ」と言うとニヤリと笑って「ヒデキ、こっちの方がいいのに」と馴れ馴れしく口ごたえをする。「お前は友達でもないし、信頼関係もまだないのだ」と言うと「じゃあなんなのだ」と言うので「隣人だ」と答えるとケラケラと笑ってさっさと掃除を再開してしまった。

彼女の仕事は丁寧で、文句のつけようもない。良く目が届き、整理整頓もされている。食事も、なにも指図しなくともテキパキとこなし、片付けも良い。一見万事がうまく運んでいるように客にも見えるらしいが、彼女が帰った後はどっと疲れが出て、どっかりと腰を下ろしたくなる。目には見えないが互いに軽い平手打ちの応酬で距離を測ってる。やがて殴り合い、取っ組み合いになりマウントを取り合うことになるのであろう。彼女は生粋のペドラーナだから。以前は何度言っても止まなかった遅刻グセは今のところ出ていない。3回遅刻したらクビだと言ってあるので、こちらの様子を伺っているのであろう。初日からやって来る時間を毎日1分づつ縮めているので後3日ほどで丁度に来るようになるのではないかと思っていて、いつでも暇を言い渡してやろうとウズウズしているが向こうもそれは感じているようで、互いに一進一退の様子見が続いている。

こちらの歳の半分もいっていない小娘のくせに対等に渡り合っているつもりなのが気に入らない。なにかと難癖をつけ、自分を有利にしようとするところが生意気。こちらのやることにいちいち口を出すところも頭にくる。もっと働かせろと要求する図々しさが癪に触る。だけれどこれほど言い合える女中はほかにない。居て困ることもないのでしばらくは使ってやることにする。

セシリアのいない朝、暗いうちから掃除を始める。風のない夜明け前は底冷えがするけれど気持ちがいい。鏡の様な湖面、対岸の山にかかる細く糸の様にのびた雲が山の中腹に見える家にかかる。やがて湖面は赤く染まりあれよと言う間に明るくなってゆく。
3階のトイレを洗い終え、フリースペースの床を掃く。新しく買った箒は柔らかく音もなく床のホコリを集めてゆく。犬のカフェがやってきてひとしきり挨拶をすると陽の当たり出した場所へ行き腹ばいになって外を眺めている。モップがけをしてからテーブル椅子を雑巾で拭いてゆく。昨夜の風に運ばれたホコリが布に線の様にたまる。洗い場で水をかけ擦り洗う。
2階のタイルには目地がうってないので隙間にホコリがたまる。箒を古いものに変え一目ごとに掃いてゆく。手すりにかかるクモの巣を払いながら端へ端へとホコリを寄せてからチリトリに集めた。モップをかけ、拭き掃除を終える頃にはすっかり身体もあたたまり、寒さを感じなくなっている。1階に降りて扉の鍵を開けてからコーヒーを準備する。挽きたての豆から香りがのぼる。昨夜洗った食器を元の場所へ戻してからコーヒーを少しだけ飲む。毎日同じように淹れているのに日によって味が少しだけ変わるのが面白い。台所を掃き終える頃、客が起きてきた。

毎日、同じことの繰り返しであるはずなのに1日として同じことがない。誰にも邪魔されず自分の気持ちと向き合いながら黙々と作業をすすめていると様々なことが脳裏をよぎり消えてく。1日が始まった。

夜、部屋の前のハンモックに腰掛けてコーヒーを飲む。夕食の片付けを終え、台所の火を落とすと客は各々の部屋に戻りくつろいでいる。
庭から聞こえる虫の鳴き声、隣の子供の泣き声が聞こえる。暗めの黄色い電球は節電もあるけれど雰囲気がいい。ぼんやりと宿の輪郭を浮かび上がらせる。少し風が強い。遠くで湖の波立つ音が聞こえる。最後の客が風呂を終えて階下へと降りて行ったのを見てシャワーを浴びる。シャワーの出を確認し、汚れた床をタワシでこする。今日からは2階の浴室で浴びることにしたので少し風が入り寒さを感じた。コックを少しだけ絞り湯の温度を上げるとすぐに熱い湯になり冷えた身体が温まる。窓の向こう側に蜘蛛がいて虫を狙っている。ジリジリとにじり寄り、ほいと捕まえてしまった。捕まえられた虫はノロくもがいていたがやがて動かなくなった。いたずらに手のひらに溜めた湯を窓にぶつけるが蜘蛛はなにも驚くことなくそこに留まったままだったので、つまらなくなりさっさと身体を洗って風呂を出た。飼っているケモノたちも各々の寝床に入り丸まっている。こちらが風呂から戻ったのを目だけを開けてチラリと見てそのまま寝てしまった。ハンモックに腰掛けて冷めたコーヒーを飲み干した。今月のスシパーティーにはやはり手伝いに行くことが出来ない。3階の水槽が再び水漏れを起こしてしまい修理が必要だし、水が来る日だから。電気を消すと高いところで星が流れた。

1日の終わりに客との会話、去って行った客のこと、あった出来事、これからの事に思いを馳せる。自分に正直であったであろうか、丁寧に暮らせたであろうか、今日の仕舞はどうであったか、明日のことは滞りなく済んだか。1日が終わり円は閉じた。

日々雑思 宿を営む

水が来る日。いつも通りに少し早めに起きてタンクに水を上げようとポンプを動かすと水が上がらない。どうしたことかと確かめる。どうやら空気を噛んでしまっているようで呼び水を差してやらなければならないのだけれど、どこにもさす場所がない。仕方なく給水パイプを切りそこから水を差してやる。果たして水は登ってきたが、時遅く給水は止まってしまう。運悪くインターネットも通信障害を起こして繋がらない。これから来る客に断りの連絡も取れず。年末に向けて多少の問合せがあったところなので迷惑をかけるわけにもいかない。客に節約をおねがいした。
うちの宿は一旦なにかが起きると連鎖的にトラブルが続いてしまう。時間に追われてすべてが後手後手に回り、追いつかなくなってしまう。飼っているケモノたちも散歩にも行けず、じっと我慢している。少しうまくいきだすとふりだしに戻らせれてばかりで、前に進むことができない。何回そんなことが起きたのだろう。最近はそれに慣れてしまって凹むこともなくなったのだけれど、ずいぶんとひどい1年であった。諦めの悪い自分に呆れてしまう。

宿をやっていると日本人の動向がわかるようになった。旅人の移動が皆申し合わせたように同時期となる。グアテマラに限ったことでなくメキシコや南米も同じようにせーのとでも声がかかったように移動を始める。必然的に宿への問合せが増えてくる。器の小さいうちの宿はすぐにいっぱいになってしまい、断ってばかりとなる。ところが掃除のために空けた部屋の事が泊客から漏れてしまう。問合せがくる。うっかり断ると突然客から友達が問合せだのだけど断られたと言っていると言われる。果たして、しばし公平性を保つためにすべての問合せを断ることとなる。気持ちはわかるのだけれど、どうにもやりきれない悪循環となる。

宿の清潔にこだわるのはこれ以上こだわりを捨ててしまったら宿の利点がなくなってしまうから。すでに捨てた食事へのこだわりは自分が間違えていた。外国にあって日本人に日本食を提供することが喜ばれると勘違いしていたことに気がついて赤っ恥をかいてしまった。それはこの宿のこだわりの一つでもあった。長い旅の中にあってホッと一息つけるのではとやってきたのだけど、日本から直接来た客に出し、箸もつけてももらえなかった。深く反省し、以後日本人には素性がわかるまで和食を出すことはなくなった。そもそもうちに泊りに来ること自体が間違っているような気がしてならない。ホテルもあるのに何故と聞きたくなる。分相応という言葉はなにも高望みにだけ使う言葉でもなかろうに。やはり日本人旅行者にはそれなりのホテルがいいのであって、食事もグアテマラ料理を満喫した方が満足感が違うと思うのだけれど。グアテマラにあって和食を出すことは日本の様にはいかない。日本と比較されては太刀打ちもできないのだ。うちにある日本食材は以前泊まってくれた客からの善意の差し入れ。彼らの思いは長く旅をする者達のためにだけに使いたい。
ともあれ残っているのは清潔感だけ。それは捨てることは出来ない。安宿ではあってもキチンとしたもてなしをするべきだと思っているから。

夜、泊めてくれと客が来る。部屋はないと断るのだけれど、どうしてもと言われれば泊めてやりたくなるのは人情。自分の部屋を明け渡す。自分の部屋は客室ではないので金は取れない。タダで泊めてやることなる。金を払っている客がいる手前、同じようには出来ない。ところがwifeを貸せ。水が飲みたい。食事は出来るか。と聞かれる。出来ないと断っても金は払うと言われてしまう。もし、商いとして金を取るのであれば宿泊料より高くなってしまうのだ。客ではないのだから突き放せばいいのだけれど、それもやりきれない。客からは金を取れと言われる。何故取らぬのだと聞かれ、もてなすことなく金は取れんとしか言いようがない。屋上に毛布を敷いて寝る準備をしていると、ここで寝るのかと聞かれる。どこで寝ようが構わぬだろうと思うのだけれど、まるでこんなところに寝られては迷惑だとばかりに言われているようで、うなだれるしかない。そんなことが何回かあり客も呆れている。どうにも不器用でいけない。

親切は仇になって自分に返ってくる。くだらないこだわりを持ったばかりに誰からも理解されなくなってゆく。この一年は苦しい年となったけれども自分の物差しを手に入れた。それは他人と比べることが出来ない。自分だけをはかるための物差し。安宿ながらプライドを持ちたいと願ってやまない。価値観の異なる人が来るのは宿の常ではあるけれど、自分なりの信念を持って宿と向き合ってこれたのはいい事であった。客が宿を選ぶように宿もまた客を選ぶことを知った。来てくれる旅人に嫌な思いをさせないために、ミスマッチを防ぐためにネガティブな情報を包み隠さず流した。果たして策は功を奏して空港からほど近い都市にある宿では評判が落ち、パタリと客が来なくなったが、以前ここに泊まった外国人達の口コミが広がり、ポツリポツリと来てくれるようになってきた。宿の案内を英語に変えたことで泊まり客の言語の壁がなくなり、夕食が楽しい時間に変わり、会話が弾むようになった。英語はできないがスペイン語ができる者はスペイン語でまくしたて、英語が得意な者が間を取り持つ。笑い声がこだまして性別、肌の色、年齢関係なく楽しめる。誰も苦情を言うことなく、各々が節度をもって過ごしてくれた。僕はただ掃除をして、食事を提供するだけで良くなった。それは僕の理想とする宿にほんのちょっとだけ近づけたと感じさせてくれた。

3年目を迎えたこの宿。まだまだ至らない点は多けれどずいぶんと良くなったと思っている。やりたいことはいずれもちょっとハードルが高いものばかりでなんとか着手してみたいと願っている。それは妄想の域から出て少し現実味がではじめた。
そして僕のスペイン語、目標には少し届かずだったけれど、それは自分でも驚くほどの変化を遂げた。この歳になって多言語を話すということがわかった気がする。僕のは今、以前羨ましいと感じていた人達と同じ場所に立てた。ずいぶんと痛い目にはあったけれどもう大丈夫、すべてのことに糸口を見つけた。宿もスペイン語も次のステップにあがれたのかもしれない。

年が明けてしまったけれど、いい意味でも悪い意味でも苦難の年は自分を成長させてくれた。果たして今年はどの様な展開になるのか。明日が見えない暮らし、予定調和のない暮らしは僕を楽しませてやまない。

日々雑思 スペイン語

去年詰まった排水管が再び詰まり、水が溢れている。こしらえたウッドデッキが邪魔となるので、一部をバラし、配管を覆ったカバーを取り外す。見ると汚れてベットリとしていた。排水管のパイプ掃除機があればいいのだけれど、望むべくもなく、ガス用の硬めのホースに鉄パイプを刺して掃除する。3時間ほどかかりやっと詰まりが解消したが、汚れ落しのために使ったケミカルが腕についてケロイド状の火傷になってしまった。しばらく腕がひっつれた様になって気になるので薬局で薬を買ひ塗った。子供の頃足にお湯をかけて火傷を負ったのだけれど、どうしたものかその時の記憶はない。腕に出来たケロイドを眺めながらいつかこの記憶もなくなってしまうのであろうかと考えた。

洗濯機が途中で止まってしまい脱水が出来なくなる。掃除をしてみたが動かないのでひっくり返して配管を外して中の水を取り除く。狭いところに手を入れるので指先が切り傷だらけとなった。この洗濯機は宿を始めるときに買った韓国だか中国製のもの。技術を伴わないメーカーが作ったのであろうか、センサーなどの精度が低く、トラブってきたけれどなかなかよく働いてくれている。客の去った後のシーツを手洗いするとなると1日仕事になってしまうところを1時間やそこらでやってくれるのはありがたい。一通りいじくりまわすと機嫌をなおしてくれた。テレビを叩いたり、携帯のアンテナを髪の毛にこすりつけたりすれば立ち所に直った記憶が蘇る。今の日本にもまだこうしたことはあるのであろうか。

トイレのタンクに水が溜まらなくなる。給水パイプの上に付いているパッキンが風邪をひいてしまい硬くなっている。針金を持ってきて、押してやると再び水が溜まる様になった。パッキンを押さえるネジを調整して溢れない様に調整してやり、動作確認済ませた。水を流すレバーが外れかけていた。乱暴に扱った者がいたのであろう。排水のための蓋につながる鎖を付け直した。おそらくコレも長くは保たないであろう。このセットは去年買い直した新しい方なのになぜ。

宿をやっていると色々と壊れていくが、すぐに買い換える事が出来ないのであれこれと修理しているうちに大抵のことは自分で出来るようになった。電気、水回りの配管、コンクリの補修、ペンキ塗り、大工仕事、裁縫、包丁研ぎなどなんでもやらなければならない。こうした知恵は日本では発揮することもないたわいのないことだけれどグアテマラでは必須となる。若い頃、建築で働いた経験や小田原での半自給自足の暮らしがこんな形で未来につながっていたのかとぼんやりと考える。とすれば今のこの暮らしの何かがまだ見ていない未来につながっているのであろうか。「丁寧に生きる」それは僕にとってとても大切な生き方のひとつとなった。

村が家庭教師

はじめからこっちで勉強しておけば良かったと何回か客の口から言われたことがある。最初は自然が豊かで落ち着いた村だからだと思っていた。確かにその通りではあるのだけれど、先日、ある客と話していてハッとさせられた。
彼女によると「@#/&€♪☆で勉強してる人って話せない人が多いですよね」僕もそれは薄々思っていたのだけれどそれは勉強の方法の違いかなぁくらいにしか思っていなかった。彼女は続けて「ここって出かけていけばみんなが話しかけてくれるじゃないですか、都会だと話す機会があんまりないしほぼ先生とだけだからじゃないですか」僕はそれを聞いてそうだったんだと膝を叩いた。

そう、この村は宿を一歩出ると村人みんなが気さくに話しかけてくれる。「どこから来た」「名前はなんだ」「どの位居るんだ」「家族はいるのか」「サンペドロはどうだ」「ヒデキを知ってるぞ」などなどすぐに質問攻めにあう。家庭教師から民族衣装を借りて村を散歩するだけで「ペドラーナ(地元の娘)」「とても可愛いわよ」「それどうしたの」老若男女問わずに親しく話しかけられる。私服に着替えても彼らは覚えていて「今日は着ないのか」「毎日着た方がいいのに」とやっぱり話しかけられる。学校で習ったスペイン語をすぐに使う状況になる。一度村人と話すとどんどん知り合いが増えていき、言いたくても言えなかったことがどんどん増えていく。必然的に勉強するのでどんどんセンテンス、ボキャブラリーが増えていく。学校と違い生の会話では相手は容赦してくれない。普段の話し言葉でガンガン話しかけられているうちにどんどんスペイン語に慣れていく。何よりこの村の人は親切で、こちらがわからないとなると、わかるまで何度でも言い直してくれる。それはスペイン語初心者にとってはとてもいい練習でしかも楽しい。当然2週間もいればこちらがアラッと驚くほど話せるようになっている。

そうこの村は言ってみれば全員が家庭教師みたいなものなのだ。しかもタダ。そう言えばよく出かけていく客は帰ってきて「今日はこんなことを話しかけられたんですよ、こんな時どんなふうに答えたらいいんですか?」「こんなことを言われたんですけどわからなくて、どう言う意味ですか」と質問される。そんな時の客の顔はとても楽しそうだ。ストンと疑問が腹に落ちた音がした。サンペドロで学んでよかったと言う人が何を感じていたのかやっとわかった。ここで学ぶスペイン語は村民が作ってくれていた。それは文法的には間違っていることもあるし、方言が混じることもある。だから”きちんとしたスペイン語”と言われるものを習うには適していないのかもしれない。試験で良い点数を取りたいのであれば大きな町で権威のある学校や試験対策に実績を持っている学校で学ぶ方が確実で、日本人が多く学び、先生たちも日本人の特性をよく知っていて、教え慣れている学校を選ぶことが懸命だと思う。
でも僕は自分の気持ちを運ぶためのツールとしてのスペイン語が好きだ。旅人が経験から学んだスペイン語は聞きやすい。自然で相手の気持ちがすんなりとこちらの心に入ってくる。多少の間違いなど気にもならない。楽しそうにスペイン語を話せる様になった客を見るのは気持ちいい。そうした客ははじめからそうなることが決まっている気がしてならない。そんな彼らのレッスンをするうちの家庭教師達もまた楽しそうで喜んでいる。商売としてはまったく成り立たない、まったくのボランティアではあるけれど、やりがいを感じる事がいい。もし商売にしてしまったら多分やなことがたくさん出ることもわかっているから、それはまだやらない。僕が紹介したい客にだけそっと教えてあげるのだ、フフフ。

僕のスペイン語の先生を見つけた

新しい家庭教師を見つけた。4年ほど経験のある女性で会ってみると人柄は良さそうだ。控えめで大人しい感じを受ける。試しにレッスンを受けてみるとよくわかる。ところが客につけるとどうにもしっくりとしない感じであったので一緒にレッスンを受けて日本語でフォローしているうちに、僕自身があれよあれよと言う間にすっかり理解してしまう。説明が上手なのか、例題がいいのかわからない。あまり喋り上手でもないし、会話が弾むこともない。愛想がないのかと思い、日常会話をすれば、よくコロコロと笑い可愛らしい面も見せる。

彼女がとてもよくわかるレッスンをしてくれるのでノートを見せてくれと頼むと快く応じてくれる。見ると驚いた事に客のためにノートを一冊新調して資料をこのレッスンのために作っていた。レッスン中客の言った事をいちいち書き留め、どう間違えたかをキチンと整理している。それを元に次のレッスンを組み立てていた。どおりでわかりやすいはずだと合点がいった。通常、学校ではひと月またはそれ以上をかけて教えている接続法をたった2週間それも1日2時間ですべて教えてしまった。しかも、それをすぐに使えるように教えてくれたのには驚いた。しかもとても優秀だ。僕は”見つけた!”と思った。

彼女に毎日1時間スペイン語を習う事にした。あまりに僕が褒めるのでそれを聞いていた話せないと悩んで相談しに来ていた者が興味を示す。僕は聞こえないフリで流しておしまい。人の物をなんでも欲しがる奴にろくな奴はいないのだ。そうした輩にこれまでこっぴどい目に合わされてきているのでこちらも随分と知恵をつけさせてもらった。うちの宿は学校ではないし、僕はエージェントでもない、ノホホンと暮らしているオッサンであって相談するべき相手ではないのだ。好き嫌いがはげしい嫌われ者に相談したところで得るものはなにもない。

今年もあとひと月、果たして僕は目標にたどり着けるのであろうか。