日々雑思 雨のち晴れ、そして雨、でも雨季だから

夜遅くになり雨が降る。テラスで勉強していると、遠くから雨音が聞こえて来て、あっという間に辺りが真っ白になった。夜なのに白く見えるのが不思議だ。慌てて片付けて部屋に入る。バラバラと雨がトタンを叩く。この雨音が好きだ。何も聞こえない程の大きな音なのに何故か安心してすぐに寝てしまう。翌朝、庭はシットリと湿り気を帯びて野菜は葉の先までピンと張っている。葉に付いたガラス玉の様な水滴がコロンと転がって落ちると跡形もなく砕け、小さなシミとなった。

珍しく客が来た。旅する者が来たのは数ヶ月ぶりか。ここがいいと聞いてきたと言う。バスに帽子を忘れてしまったと嘆いているので、知り合いに頼み、バスの運転手に聞いてもらう。掃除夫に聞いてみると運転手から返事があった。客に伝えると驚いている。小さな村で地元の者と付き合いがあれば造作もない事。そんな事に驚き、感謝されるとは思いもしなかった。客はなくても構わない、納得ができたと嬉々としている。また問い合わせの際、バスの案内をしてやったことに助かったと言っている。現地で聞いたらないと言われたと言う。こんな小さな村であっても人は住んでいるのだからバスくらいはあるのだ。

この事がどうにも気になった。ネットにはない情報確かにコレはないなと思い笑ってしまう。コレは親切というものであって情報ではない。困っている者が居て、自分が出来ること、知っていることをやっただけ。運転手を知っている者を知らなければ出来ないし、バス時刻も変わる。こんな事はウェブサイトに載せる様な事ではない。そのとき、その刹那にのみ提供出来る事に過ぎない。先日泊まっていった客もそうであった。ちょうどタイムリーな情報があったので教えてあげるといたく喜んでいた。運が良かったということだけ。そんな事を情報で書いても数日もすればそれは役に立たなくなってしまう。いわばナマモノ。人に尋ねた者だけが得られる情報でしかなく、当然、こちらも聞かれなければ答えることもない。人様の旅に余計な口を挟む野暮をするほど愚かでもないつもりだけど。ネットにはない情報、何を求められているのかが形になったように思えた。果たして、コロンと転がり落ちた水滴のように心に小さなシミが出来た。

昨夜から続いていた雨もあがった3時半、朝早く客が発つ。出発間際に手紙をいただいた。こうして手紙をもらうのは久しぶり。道中の無事を祈るのみ。持たせた弁当は喜んでもらえるであろうか。片付けを終え部屋に戻り手紙を開く。

宿を始めて以来変わらぬ姿勢を通してきたつもり。喜ぶ客、喜ばない客がいた。それは仕方のないこと。それでも喜んでもらえた事をこうして文字で残してもらえる事が嬉しい。

やってきた事はおそらく間違えてはいないのであろう。ネガティブな声に足を取られ粘りつくような泥沼から抜け出せずにもがいていたが、やっと抜け出せた気がした。ベッドに横たわるがそれ以上寝ることも出来ず、何度か手紙を読み返した。

明るくなり、庭に出る。先日蒔いた芽を出さなかった場所に再び種を蒔いた。雨に濡れた土はねっとりとしていて柔らかった。今度は芽を出してくれるであろうか。たかが野菜の種ではあるけど、明日に向かって希望の種を蒔いている気になった。

雨はあがった。

とは書いたけれど今日来る予定の客は2人ともドタキャンされてしまった。うまくいくかと思うと必ず新たな試練が待ち構えている。それがまたいい。セシーにまたなにかしたのだろうと怒られてしまうだろう。迎える準備で食材を買い、足りなくなった調味料を頼んだ。たまに見かける予約して来ない客の善し悪しについてニュースがあるが、そうしたことが今の日本では当然のことなのだろう。そうしたことに順応していくよりない。K國とのニュースと同じ。ただ、ここではその相手が日本人であるというだけ。粛々とやるしかない。信頼のない相手であってもやるべきことをするのみ。

また女中とあーでもないこーでもないと試行錯誤を重ねよう。出来ることはやっている。今月もコーヒーを独り占めできるのが救いだ。

夕方になり雨が降りだす。

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