日々雑思 倫理観の入り口に立つ

対岸の村で悪者が捕まった。恐喝。いずれもまだ若い五人組。悪事の運びは良かったが、そのあとがいけなかった。村人に捕まり、長老達が裁きを下した。広場に連れていかれる。警察は入れない。五人組は上半身裸にされ膝立ちで歩かされる。長老が何をしたのだ、反省しているのかと問いただす。他の長老がムチで罰をくだす。棒で罰をくだす。周りの者達はやんやと囃し立てる。

マヤ独自の制裁が今でも各村に残り、治外法権がまかり通る。時に殴り殺され、時に火をつけられて殺される。運良く生き残った者だけが警察に引き渡され刑務所で神に感謝する。近代的な自治機能が脆弱なこうした村でもこうした行いに対する術はキッチリとしていて万事がうまくいく運びとなっている。という言葉がしっくりくる。村の秩序を維持するためのルール。見せしめ的なこうした行為は野蛮ではあるけれどシンプルでいい。

湖に若者が手を縛られて浮かんでいるのが見つかる。男と女。それぞれ違う場所。違う日。路地裏で殴り殺された若者もいた。ニュースにもならないので観光客はまったく知らない。なぜか村人は知っていても何も言わない。御多分に洩れず麻薬にはまってしまった者の末路は悲しい。お金がないけど薬は欲しい。ツケで回してもらっているうちに取り返しがつかなくなる。盗みを働けと強要される。監視カメラに捕らえられ刑務所に行けた者は幸せだ。警察に捕まる前に殺されてしまうから。話されては困る事もあるのだろう。若い時には許される悪事も度を超えてしまうと救えない。警察も動かない。貧困の現実は神や良心を凌駕してしまう。売らなければ暮らせない。主婦も家族を養わなければならない。扉をそっと開け、自分の子供と同じくらいの者が1日かけて稼いだカネを小さなパッケージにしてしまう。娘や息子もそれを承知している。現実は時に少し悲しく残酷なのだ。

村のトゥクトゥクは一回70円。決まっている。ところが何も知らないと見るや否や420円から時には1400円となる。特に桟橋付近にたむろするトゥクトゥクはタチが悪い。地元民であれば140円で事足りる移動に10倍も払わされた客がいた。ところが客はとっても安くて楽しかった、運転手が優しかった、親切だったと嬉々として話している。良き思い出を壊す事は野暮というものだ。良かったですねぇと慣れない大きな笑顔で一緒に喜んでやることしか出来ない。かわいらしいポーチを子供がオモチャを買ってもらった時のように見せてくれる。値段を聞いてやっぱりなとなる。聞くと、値切るのはかわいそうで出来ない。この仕事だって大変だからと言う。人の優しき心に漬け込む性根が腐った者がいる。「良かったですね、気に入った物はなかなか見つからないものなんですよ」と穏やかに喜びを共にしてあげる。観光と言う言葉は、その国の光を観ることなのだ。闇を見せてはいけない。善き一面でもてなしてこそなのだ。豊かな国に暮らす者が持てない物差しでしか図れない事もある。知らない権利を観光客もまた持っているのだ。

新メニューについて女中と相談する。これでよしとなった後、値段について話す。原価や手間他のメニューとの比較をして互いに価格を言い合う。思ったより安い。少し意地悪な質問をする。「レストランやカフェならいくらだ?」価格はたちまち跳ね上がり「ほっ」とこちらが驚いてしまう。「それではその値段にしよう」と言うと「ヒデキ、それはいけないもう少し安くしてあげないとかわいそうだ」と言う。「なんでうちだけなんだ?」「ヒデキ、いつも真っ当な商売がしたいと言ってるではないか」とこちらがたしなめられてしまった。アハハと笑いながら心で膝を打つ。予想していた価格となる。この村には地元の価格と観光客の価格そして真っ当な価格がある。その三つをうまく使いこなしてこそなのだ。たまに地元の人間が食べに来る事がある。翌日「いくらとったのだ」と聞き、真っ当な価格もしくは地元価格だった時は満足そうに頷き、安すぎた時はびっくりして呆れている。こうした感覚でしかわからないことを彼女を通じて確かめられるのはいいことだ。彼女に言わせればこの宿で出す食事はそこそこ妥当だと言うことらしい。グアテマラ人の感覚で設定するという事が吉と出るか凶と出るか、たまに来る客も満足しているようなので彼女の方が経営感覚は持っていることとなった。

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