日々雑思 目の前で起きていることについて考えた

所用で出かけています。様々な思いがあって前向きに生きるためにもがいているところです。今日も書き置いてある記事を掲載します。

いきなりで恐縮な話だけど、下痢をした。しかも酷い水下痢となり胃もキリキリと痛む。この村に来て2度目の酷い下痢だ。この村に来たばかりの頃に一度そして今回。お腹は丈夫な方だと思っていてこっぴどい目にあったこともすくない。旅人なら誰でも経験する洗礼のようなもので、漏らしてしまうこともあったりするので笑い話のネタにもなっている。

ベトナムで食べたカットフルーツ、カナダで食べた1週間も常温保存したサラダパック、タイの怪しげな屋台などなど、たいていは思い当たる節があるのだけれど今回はとんと見当がつかない。幸いな事に何事もなかったかのように翌日にはすっかり良くなってしまった。

宿に泊まる客の中には1週間ほど滞在してから突然、下痢になり、ある者は発熱を伴うことがある。はじめは何か悪いものでもあるのかと躍起になって台所の消毒や清掃をしてみたが一向になくならない。友人に相談するとそれは以前からあってどうすることも出来ないと言う。よくよく考えると思い当たるところがあった。そうなる客はスペイン語の勉強のために来た者ばかり、宵っ張りの朝寝坊の生活からいきなり規則正しい学校生活に切り替わり、慣れぬ勉強で緊張し、宿題も出されてしまう。食事も早々に部屋にこもって夜遅くまで勉強に励んでいる。標高のせいもあり、疲れが溜まってくる丁度1週間位、明日は休みだとホッとしたところでお腹を壊す。1週間病と名付けた。客にはあまり根を詰めずにのんびりとスタートした方が良いと忠告をするようになってから少し減った気がする。ダウンしても電解質とビタミンの入ったドリンクを渡し、安静を申付けると、週明けにはケロリと治ってしまう。

症状としては正に1週間病なのだけど、どうにも解せない。思い切って宿を休んでホッとしてしまったのかも。すっかりこの地に適応しているものとばかり思っていた。風邪もひかず自分でも驚くほど健康だし、暇を持て余すほどであるにもかかわらず、不思議なものだ。

庭に生えてはいけない草が生えてきた。けっして種をまいたりしているわけではないのだけれど、たまにひょっこり居るのを草むしりの時に見つけて引っこ抜いてしまう。手のひらを広げたようなギザギザのついた葉っぱは誰が見てもわかるだろう。年に1度か2度は出てくるのでビックリもしなくなった。けれど、どこからやってくるのだろうか。女中のセシーに見せるとホッと言ってニヤリと笑っている。「蒔いたのか?」「馬鹿を言え、なぜか知らんが年に何回か生えてくるのだ」「どうするのだ?乾かすか?」「こんなヒョロではどうにもなるまい、引っこ抜け」「売らないのか私が売る」とケラケラ笑っている。この村もごたぶんに漏れずそうした物の取引があって、かつてこの国の国営テレビでも取り上げられていた。若いうちから身近にあるので誰も何も思わないのであろう。なにせ酔って、なおかつぶっ飛んだオヤジが深夜に帰って来ては大騒ぎするのを常日頃見ているのだから。「売るなら持っていけ」「こんなの持って帰ったらママに叱られる」「アハハ、そりゃそうだ、しばらくはそのままにしておけ、ほっとけばでっかくなってしまうから適当な頃合いをみて切るから、どうせまた生えてくるんだし」「ヒデキは売らないのか」「こんなものダメだ、売ってるやつは品種改良してあるからこんなものとは比べものにもならないよ、地元のガキでもいらないと言うさ」

日本でこんな物が生えてきたらえらいこっちゃとなるところだけど、その辺に生えている草と大差無く普通に出て来るのでなんとも感じない。なぜこんなものにいちいち大騒ぎをしているのだろう。カブトムシを見たことない子供がはじめて見たら捕まえたいと思う気持ちのようなもの、大人になればそんなのはただのムシになってしまうのと同じだ。違うのはカブトムシは食べたり吸ったり出来ないことくらいか。なんであんなものに夢中になるのかがわからん。タバコも草も吸わないに越したことはない物でしかないのに。食べ物でもそうだけど体に悪い物ほど人の気持ちを惹きつけるらしい。

そんなことより、苦労して手に入れたシソの芽がどうしても出ないことの方が切実な問題なのだ。オクラも然り。何回も試みてことごとく失敗している。何がいけないのであろうか、日本ではほったらかしにしていても毎年嫌という程生えてきたのに。所変わればと言うが、不思議なものだ。

小さな村であっても一丁前に選挙がある。選挙期間は2ヶ月にも及び、次第に活況となってきている。皆が選挙の話をまるで夢を見るような顔で話す。あの候補者はあーだこーだと熱心に語る。毎夜、イベントが開かれ皆が浮かれている。どう見てもいかんだろと思う振舞いがされたり、子供達が動員されて旗を振り、練り歩き、踊っている。一方ではどいつもこいつも悪いことばかりしてどうしようもないとわかっているのだ。「昔は屋根のトタンが欲しいと言うとくれたものだけど、今は皆がコンクリの屋根が欲しいと言うので候補者達もたいへんだ」と真顔で言っているので吹き出してしまった。「ヒデキの国では不正などないのであろう。ヨーロッパやアメリカもない。この国はいつまでたっても変わらない。そう思わないかヒデキ」いったい彼等の感覚はどうなってあるのであろう。清廉潔白を求めつつコンクリの屋根で簡単に釣られてしまう。超がつくほどの個人主義でありながら家族単位の結束が固い。候補者の催しに来ている者達の顔ぶれはよく似ていて一族で候補者を出している。身内を押しているのが一目瞭然。利権も絡んでいるのであろうことはすぐに理解できる。かつて日本の小さな島での選挙があまりにも酷いので選挙のたびにニュスになっていたが互いの勢力が拮抗していて盛り上がりが半端ではなく、たいへんに興味を持って見ていた。ただその感覚がわからなかった。この村では五大一族が拮抗している。村を二分する大騒ぎにはならないけれど、かつて日本でわからなかった感覚をこんな国にあって肌で感じることが出来るとは不思議なものだ。

日常にあるちょっとした事に疑問を持って考える。外国にはどうして、どうしてがあふれかえっている。そうしたことを自分なりに考えていくことが僕には楽しくて仕方がない。ガイドブックにはない経験を通して生まれた疑問は多くの気づきをくれるから。それが全てを言い当てていなくても構わない。目の前で起きていることは少なくとも事実であるのだから。それを素直に受け止めて糧とすることは明日につながる気がしてならない。物事の良し悪しを異なる目で見ていると、盲目的に決めつけていた事の何と多いことかと気がつく。考えることにより目的や気をつけなければならないことが明確になることが尚良い。

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