日々雑思 手を使う 

食堂にかかっていた仕切り用のカーテンを取り替えた。女中のセシーがもう使わないグアテマラの民族衣装のスカートをくれた。糸をほどき、縫い直して針金を使い吊るす。思っていたより見栄えがして、とても良くなった。

ピザ窯とバーベキュー台の灰を掃除して、コンポストで作った土に混ぜる。土に混ぜるとスコップを入れる感触が軽くなってこちらの心も軽くなる。キレイになるのも気持ちがいいが、木や炭を最後まで使い切ることが出来るのがいい。

生ゴミはすべてコンポストへ入れる。すべて堆肥となり庭の土となった。黒々とした土は水を蓄え、虫を呼び、ミミズが来る。彼らが土に命を守る与える。野菜クズまで使いきる。決して少なくない量ではあるのにキチンと循環して、再び収穫出来た野菜が食卓に並ぶ。香りが立っている。トマトはトマトの味がする。ニラ、大根、豆、香菜すべての味が記憶として残った。

火山の麓にあるので、庭には石がゴロゴロと埋まっている。庭を作った時に途方にくれるほどの石が出た。それらを組み上げ石垣にした。砂利の上に並べ飛び石にした。すべて使いきった。砂利と土はふるいにかけ、砂利は水捌けの必要な場所へ入れた。土は菜園へと使った。

客が置いていった服で貰い手のないものは窓拭きのウエスとなった。文具は自分が使い、食材や薬もまた困った者への助けとなった。湖で拾った軽石でナベやコンロのコゲを落とし、道端で売られているガラクタからアレやコレやを見つけてきてはケーキやオーブン料理に使い客の喜ぶ顔をみる。

出来ないことを言い訳にしない。ないことを嘆かない。無ければ作ればいい。工夫すればいい。既存の概念にとらわれない。いつも目を見開いて目の前にある現実からエキスを抽出して結晶化するだけ。以前、バルサミコ酢をどうしても使いたい料理があった。それが手に入ると思っていなかったので酢、赤ワイン、ウスターソースを混ぜた。それはバルサミコ酢だった。客がバルサミコだと呟いた。騙してしまったような罪悪感、してやったりと思う高揚感がまぜこぜになった。

ここでは、日本とは同じようにはいかない。でも物がないことを楽しめるようになった。辛くはない。金をかけずに手間さえかければいい。こうした知識はすべて日本で手に入れた。小田原の百姓、釣りの師匠、近所のオババが知恵をくれた。畑の土の作り方、ケモノのさばき方、家の修理、薪割り、ここでの生活に必要な知恵はすべて持っている。

ポンプが壊れた時、グアテマラという国を語る時、勉強の仕方、社会との関わり方、教養や知識は学校教育の成果となって現れた。なんのために学んだのか答えはここにあった。

人生の中で得た知識を総動員してここで暮らしている。毎日、あーあの時のことはこの時のためだったんだと合点がいって、すべてが腑に落ちていき、ストンと音がした。先日、不便を楽しまれているようですねとお褒めの言葉をいただいた。僕はそれを不便とは感じていないのかもしれない。手を使うことは楽しい。「手間をかける」「手仕事」「人手をかける」こうした言葉がとても人を惹きつけるのは「手」が入っているからだと思う。コーヒーとオニギリは人が作ってくれたものが圧倒的に美味しい。手の温もりが伝わるから。職人の手により仕上がった物は愛着が湧き、使うほどに凄みを増し、命が宿っているように働いてくれる。人の手はすごい。すべて手がやってくれる。「手を使う」とても大切なことだとこんな国に来て初めて気がついた。

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