日々雑思 雨季になる

暗くなるとポツリポツリと降り出し、遠くの方からトタンを強く叩く音があっというまに近づいて水浸しとなった。雨季に入る。ようやく庭の水やり作業から解放されホッとする。一気に草木が伸び始め、庭の緑は収拾がつかないほどに伸びてきた。季節の変わり目に庭木の剪定をする事を決めている。今週の初めからコツコツと片付けてきて、大きな袋に3個分のゴミが出た。菜園に新しいタネを蒔く。以前から何度も蒔いてはダメなシソを今回も蒔いた。ニラはふた畝分になるように株分けした。これでいつでも食べることができるようになりそうだ。メキシコから持ってきた一本の苗から随分と増えたものだと関心した。ほかにはオクラ、ごほう、メキシコのヒカマと言うナシのような食感の野菜も蒔く。コンポストで作った堆肥も随分とこなれてきたので拡張した畑に入れていく。土が足りないのであと一年くらいはかかるかもしれないが、ここではこうした時間の過ごし方がいい。ミミズがたくさんいる柔らかな土の匂いが鼻の奥をくすぐった。土をいじっているとなぜか心が落ち着いて、なにも考えることがない。良いことも嫌なこともなく、自分の手から伝わるモコモコとした感触と湿り気がただただ心地良い。少し休憩と思い立ち上がるとクラクラと立ちくらみがした。額ににじんだ汗を拭き、テラスで休む。掘り返した土はひんやりとして心地よいのか犬のカフェが早速陣取ってお腹をペタリとつけている。
玄関先の排水路を整備する。雨季の始まりと終わりに大雨が来るので水捌けを良くしておかないと庭が水浸しとなってしまう。雨どいを掃除してから水路に溜まった土を除ける。今年はレイアウトを変えて上手く水を誘導できるようにした。
仕事に来たセシーが庭草と低木を分けてくれというので株分けしてやった。

このふたつきほど予約もなく客もほとんど来ない。女中のセシーに心配されるほど客が少ない。去年の宿帳を見ると20人程は来ていたが今年はいよいよもっていけない。コレはダメだと早々に見切りをつけてスペイン語の勉強をひたすらやっているのだけれど、こちらもまたいけない。さすがに歳なのかと思いたくもなる。本を読むと辞書を片手にではあるけれどなんとなく読めている。言いたいこともだいぶ言えている。それでも、なにかが心に引っかかってしまって納得がいかない。一言で言い表せば、上達が見えない。文法は頭では理解できているようで、考えればなんとかなる。練習が足りない事も承知。なにせ1日中家に閉じこもっているのだから。朝のいっとき、女中のセシーとの会話が1日の唯一の会話。あとはひたすら黙りこくるしかない。1人で居ることがまったく苦痛にならない事もいけない。口を開くとロクなことにならないことがわかっているだけに厄介なのだ。本を書き写し読む。わからない単語を書き出して調べる。調べたところで使う機会がないので覚えることもままならない。モヤモヤが溜まり余計に話したくなくなる。人の話を聞こうとネットで片端から見ていく。意味を忘れてはいても聞き覚えのある単語がずいぶんとあって、ほーとかうーとか言っているうちに夕方になってしまった。

ZUMBAを踊り始めて半年程になった。こちらは上達著しく、この歳になって踊れるようになるとは思わなかっただけに楽しくて仕方がない。先日、踊っている時に左肩を痛めてしまい、しつこい痛みがなかなか取れない。はて、コレはもしや50肩というやつかと憂鬱な気持ちになる。メキシコで買ってきてもらった薬を塗りつつ踊りは欠かさずに通っている。雨季になり湿気が増し、気温が上がったせいで最近は疲れが早く出てしまう。見渡しても誰一人疲れていない。

ここでも歳のことが頭によぎる。考えてみれば諸先輩方がボヤいていたことがことごとく当てはまり出していることに気がついた。となるとこの先は終点に向かってラストスパートになるのだけれど、もう少し争ってみたい気もする。先日見た日本のニュースで中高年の引きこもりが実は大変な数となっていて孤独死の大半がこうした人達であるように書いてあった。誰も来ない宿であっても掃除は欠かさず、庭の手入れもきちんとしている。生活も規則正しく、荒れ果てるに任せる事もない。ゴミも捨てている。三度の食事もキチンと作る。客が居ないので気持ちも穏やかで、ささくれ立つ事もない。自分の好きなことに打ち込める環境があり、犬も良く懐いている。大丈夫だと1人呟いたところでブルッときた。得体の知れない悪寒が首筋を舐めた。急き立てられるように部屋の片づけをして気持ちを紛らわす。まだ遠くにあるけれどヒタヒタと近づいてくるお迎えの足音が聞こえた気がした。それは旅立ちへの怖さではなく生きている痕跡を残してしまうことへの恐れ。たいして所持品はないが粗相のないように、いつでもいいよう決まって整えておかねばならない。人々の記憶に残らないように、常に忘れ去られた存在であるように、人様に心配をかけぬように心がけねばと戒めた。別に変な願望があるわけでもないが、若い時からこのように考えてきた。それが現実味を帯びる齢となっただけのこと。それは楽しみでもあり、きちんと向き合えるようになりたいとの願望でもある。

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