日々雑思 ある1日

スセリーからもらった猫を去勢手術に連れて行く。これですぐにおとなしくなると思っていたが麻酔から覚めると夜中にどこかへ逃げてしまった。もううちの猫ではない。朝、ひょっこりと戻って来たので情に流され餌をくれてやる。ところがこれまで猫を気づかっていた犬はあっさりと猫の餌を食べてしまった。猫が欲しいとねだると、威嚇して絶対に譲らない。客がたしなめるがすっかりと全部平らげてしまった。犬も猫がもううちの一員ではないとわかっているのだ。セシリアが「かわいそうだなんとかしてやれ」という。「あの猫は自由を選んだのだ。あの猫の選択なのだ。以前お前がしたようにあの猫もバカな選択をしたのだ。去る者は追わん」と突き放す。「私は戻って来た」というので「バカな女だ。女は皆そうだ。だから女を信用しないのだ。早く仕事にかかれ」というと膨れて3階に行ってしまった。

宿の毛布を一斉洗濯。所狭しと干した毛布は気持ちがいい。水をたくさん使い普段の節約のうっぷんを晴らすように洗いまくった。風が水気をあっという間に運び去り、洗剤の匂いがほんのりと残った。陽の温もりがこもった毛布を一枚一枚丁寧にたたみ端を揃えて積み上げた。朝きたセシリアが全部洗ったのかというのでそうだと答える。お前が洗えと言ったのであろうがと思ったが口にはしない。彼女が来てから宿がみるみる蘇るように綺麗になっていく。客の満足度も上がっている。文句を言わず黙々と働いている。きっと仕事を失う怖さを覚えたのであろう。

庭のビワの実がたくさんなったのでセシリアにくれてやる。仕事の合間によく捥いで口にしているので好きなのであろう。一緒に木の枝を引っ張り好きなだけもがせる。ついでに庭のアボガドもいくつかもいでやった。カゴにいっぱいになった実を見て満足そうに笑っている。「市場で売るなよ」「あははどうしてわかった」「お前の目はいつもドルマークが付いているのですぐにわかるのだ」「マジか」「ああマジだ、早く帰れ。お袋に持って行くのだぞ、お前のではない」「ありがと。私のではないのだな。また明日来る」「明日はいらない月曜日にくればいい」「もし気が変わったらいつでも電話してくれ」「ああそうする。でもしないよ」

「どうした。ピーマンは嫌いか」「細かく切ってあるのは好きだ」「ではなぜ食わぬ」「これは大きい、いつもはもっと細かく切ってくれているのでそれは好きだ」「肉はどうだ」「肉も同じだ。細かく切ってあるのがいい」「海鮮はどうだ」「カニは好きだ。食べたことがあるか」「ある。でもあれは虫がいるので客には出さん」「あーあれか小さい」「そうだ、だから料理が面倒なのだ。日本にも同じカニがいるが手間がかかる。でもそれで作ったスープはうまい」「作れるのか」「お前にできて、俺にできぬ料理などない」「あはは、そうかセニョール」「そうだセニョリータ」

「風呂のカーテンが汚い。洗っていいか」「洗え」「もう庭の掃除は終わったのか、廊下はまだやっていないだろ」「やった。お前より綺麗にやった」「あははそうかセニョール」「そうだセニョリータ、見てこい」「それでは階段だけだな」「あぁ階段だけだ」「そうだぁ、明日は来れない。なぜなら友達が結婚するのだ、祝ってやりたい」「行ってやれ、同い年か」「一つ下の23だ」お前はまだかと聞きそうになり慌てて口を閉じる。まだやりたいことがあるのであろう、余計なことは聞くものではない。こちらには知らない権利があるのだ。「なんだ」「なんでもない」「なにか言いかけただろう」「何も言いかけていない」「…」「…」

早くに結婚してしまえばいいのだ。好いた男もいて年頃なのだ。この国では女に学はいらない。若くして子を産み、ろくに稼ぎのない旦那に従い、小商いをして家計を支えるのがこの国の大半の女の生き方。それを受け入れることが出来ず頑張る者は要らぬ苦労をすることになる。それができる者はごくわずかでしかない。神にすがり生きる糧とした方が楽なのだ、大学に通うための金をへそくりにしておけば、いくばくかの助けになるであろうに。その昔、大学に通う者が半数にも満たなかった頃。娘が大学に通いたいと言い出すと「悪いことは言わないから、せめて短大にしておきなさい、そこで少し遊んでから働いて2、3年で良い人を見つけて結婚するのが一番の幸せだから。お茶のくみかたがうまい人は良い人を見つけられるのよ」と親戚のおばさんから諭され、最近の若い娘はと色眼鏡で見られた女性がどれだけいただろう。大学に進み総合職を目指した女性がした苦労を思うと皆の様に暮らせと言いたくなる。この宿で稼ぐ小銭に満足するようではダメなのだ。”分相応”この言葉が最近重くのしかかっていけない。

宿で働くスセリーを見ていて思ったことがある。はじめのうちはいろいろと知らない世界を見せてやりたい。世界を広げてやりたいとずいぶんと身勝手なことを考えていた。ある日ふと考えていてゾッとした。この村の若者の世界観は狭く、教養もない。それでも彼らは彼らなりの世界観を持ち、暮らしている。もしスセリー1人だけが日本人と同じような教養を持ち、視野を広げてしまったらおそらく彼女はここの暮らしに耐えられないのではないか。自分の身勝手なおこないが彼女の不幸を作っているのではないかと思うに至ってしまった。この村から出て行けるチャンスを与えることなく一方的な思いで自分の道徳観や倫理観を押し付けるのは傲慢でいやらしいおこないでしかないのだ。姉のセシリアが戻り、以前にもましてよく働き、生き生きしている姿にいたたまれなくなる時がある。どう接していいのかわからなくなる。以前のようにコラソンネグロ(黒い心)でいた方がいいのかもしれない。

「ヒデキ、日本人がアメリカに行くのは簡単か」「簡単だ、働くことも出来る」「ずっとか」「ずっとの者もいれば、少しの者もいる」「私もいつかアメリカに行って働きたい」「モハード(不法就労の隠語)でか、コヨーテ(不法入国を手助けするマフィア)に知り合いでもいるのか」「親戚が使った。私もやりたい」「無事に入国できる者ばかりではないぞ、仕事も見つからないだろう、特に女は危険だ」「知ってる」「お前も身体を売ることなるのだぞ、それでもいいのか」「…」「真っ当な生きる道を探せ、ここにはお前の神がいる。それにすがって生きるのが一番良い、金持ちの男を見つけろ。馬鹿な男はダメだ。働かない男もダメだ。優しい男はもっといけない。覚えておけ。今日はもう仕事はない帰れ。また明日遅刻せずにこい」「今日は帰る、また明日、良い一日をヒデキ」「お前もな」。

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