日々雑思 あれこれ

庭の木にクリスマスの飾りをつける。特段の思いをキリストさんに持っているわけではない。季節感のない国に暮らすとどうにもメリハリがないのでこうした事でもしておかないと心の置き場所に困ってしまうから。朝、スセリーがやってきて、すぐに気がつき「かわいい、お前がやったのか」と言う。こうしたことにすぐに気がつくのは彼女の心が繊細だから。普段は減らず口を叩き、強がってばかりいるのだけれど心根は優しい。まるで自分の娘の様に可愛くて仕方がない。わかりやすいほど贔屓にするので客も呆れている。なにを言われても彼女は特別なのだ。彼女が働き出してかれこれ10カ月となる。決して良いとは言えない彼女の働きぶりだけれど、それでも少しずつ良くなっていく姿を見るのは親が自分の娘の成長を感じるのと同じ気持ちなのであろう。来年から隣村の学校へ通うため仕事は今年限りとなる。早くもぽっかりと心に穴があいてしまった。

サンペドロの人を雇入れるのは簡単だけれど使うのはとても難しい。毎日のように頭を悩ますことばかりなので、女中はスセリーで最後にしようと決めていた。いつものように仕事の後、2人で朝食をとっているときにスセリーが「お姉ちゃんがもう一度働きたい。ヒデキに話してくれ」と言っている。と切り出した。「私は働けない。ヒデキどうするのだ、新しい女中を雇うのか、ならお姉ちゃんがいい」と言う。僕は答えに詰まってしまった。勝手にブチ切れて出て行ってしまった彼女を雇うリスクは避けたい。少し考えるとだけ答えて3日ほど後にやんわりと断った。1週間程して、またスセリーが食い下がる「私以外の人がここで働くのは嫌、働くならお姉ちゃんでなければ嫌だ」「もう、断ったであろう。諦めろ」「あの時はお姉ちゃんも間違っていた。お姉ちゃんもヒデキに謝りたいと言っている」いつもならすぐに引き下がるのに帰ろうともしない。”やめておけ”と心が言っている。”また、厄介なことになるぞ”わかっているのだ。ダメだとわかっているのに口から「お前さんがそんなに言うなら一度だけ会ってやろう。ただし話すだけだ。雇うかどうかは決めていない。彼女の話を聞くだけだ。いいか」スセリーは「ヒデキ、コーヒーゼリーを作ろう」とニッコリと笑って席を立ち、さっさとコーヒーを淹れ出した。

果たして、来年からひと月だけ試用期間を設けて受け入れることにした。厳しい条件を出した。スセリーと違うではないかと言われても「彼女は特別だ、お前とは違う。スセリーが頼むから試しに使ってやるのだ。妹に感謝しろ」と突き放した。話しをしても相変わらず心は”やめておけ、どうせダメだ”と警告をやめない。その声は正しいことは承知しているけれど、これはスセリーの頼みなのだ。たとえ間違っていてもスセリーの言うことは正しいのだ。そう決めたのだ。たかが小娘にいいように翻弄される気分は悪くない。

国境にて

ツーリストカードにさっさと記入する。何回も書いているので心得たもの。書き終えて窓口に向かおうと立ち上がったとき、女の子が寄ってきて「コレを書いてくれ」とパスポートとツーリストカードを差し出した。ペンがないのかと思い、貸してやろうとすると「違う、私は字が書けない」と言う。
パナハチェルから乗ってきたグアテマラ人の母と娘3人。バスの中で二言三言会話をしただけだ。一番上の娘の歳は15歳程か。いたって普通の子で身なりも普通だ。パスポートを持っているなんてきっといい家庭なのだと勝手に想像していたので、字が書けないと言われたのには驚いて二度見してしまった。彼女はニッコリと笑ってパスポートを差し出した。真新しく、白いページしかない。IDを見るとパロポの出だ。メキシコの滞在先を聞くと困った顔をしている。大きな荷を持っていたのできっと路上で寝泊まりしながら売りさばくのであろう。いつもはぶっきらぼうの係官がメキシコとだけ書けばいいと言う。奴にもそんな一面があったのかと少し驚いた。サインだけ書けと紙を渡すと。ジッと見つめている。お前の名前を書けと言っても固まったままなので、いいのかなぁと思いつつアナとサンデイとサインも書いてやった。

識字率が低いのは知っていた。でも国外に行くような者までがとは思わなかった。ここでは綴りがわからないときに聞くと、私もわからないと言われることはよくある話。いわゆる文盲だ。普段は困ることがないけれど、そこまで教育が行き届いていない現実は知っていてもショックを受ける。
言葉が出来ないというのはふた通りあって話せないと書けないに分かれる。旅人でも話せない人はいるけれどそれは他言語のことであって母語はもちろんできる。しかし書けないとなると、しかもそれが母語であったり母国語であったとしたら心持ちはいかようとなるのであろうか。以前、海外のホテルでなにかが書けないことがあって非常に恥ずかしかったことを思い出した。
彼女達は特段恥ずかしい感じも見せずに、礼を言うと窓口に向かい入国手続きを済ませた。その姿にたくましさを見た。はじめて行く外国、野宿をしながらの商売、字を書けず、おそらく計算も得意ではないであろう。それでも幼い子供を連れて出かけることに驚きと力強さを感ぜずにはいられない。僕にそのようなことができるであろうか。

まだ捨てたものでもない

間が悪くてバスに乗り遅れてばかり。国境から少し入った大きな町に着いたときにはすでに暗くなってしまっていた。普段ならいさぎよく諦めて一泊するのだけれど今回は帰る途中に連絡が入り、急ぎ戻らなくてはならない。犬のカフェ猫のセンも心配だ。バスが停まっている間にトイレに行く。戻るとすでにバスは消えていた。またかよとガッカリしていると屋台の娘が声をかけてきた「食っていけ、カフェも熱いぞ」「シェラ行きのバスは何時だ」「6時半だ!食って行くか?そこへ座れ」言われるままに座り「何がある、コーヒーはブラックか」「牛がある、コーヒーはすまん砂糖入りだ」僕は彼女が気に入った。チャキチャキとして外国人の僕を見ても怯むそぶりもない。スペイン語を話すこともあるけれど自然な仕草がとてもいい。すぐにテキパキと料理を運んできた。食べはじめた途端にバスが動き出す。「あー」と声を上げると彼女はバスのところに走り寄り戻ってきた「大丈夫だ道の向こうに移動したのだ、送ってやるから安心しろ」と言う。送ってやるとはどういうことなのかはわからなかったが、ダメならここに泊まろうと決めた。食べ終わると男が現れてバイクの後ろに乗れと言う。彼女の方を見るとニッコリと笑って行け行けと言う。僕は訳もわからないままバイクにまたがり彼女に礼を言った。バイクでしばらく行くとバスがあった。男にも礼を言い僕はシェラに向かった。
旅をしているとこうした不思議なことがたまに起きる。普段ならありえないような優しさに触れることがある。何もかもがうまく回らないときにこうしたちょっとしたことに出会うと気持ちのざらつきがスッと引き、旅も悪くないなと感じることができるのだ。すっかり暗くなり、町がざわつき、人々がわらわらとしている。久しぶりに味わう町の雑踏は普段のサンペドロの暮らしとは違って僕に外国にいる事を感じさせてくれた。なによりもグアテマラが合っているのだ。文句ばかり嫌なことばかりだけれど僕にはこの国が合っている。それがなんであるのか、僕の傷を癒してくれているのを最近ハッキリと感じるのだ。日本では生まれてくる時を間違ったと感じる事が多かったのにここではそんなことは微塵も感じることがない。きっと僕は古いやつなのだ。新しいものを欲しがらないバカなヤツ。鶴田浩二の唄にあるように右を向いても左を向いても真っ暗闇のこの国で前を向いて進むことが出来る。それはまだもう少しだけ生き残る希望なのかもしれない。

話す時には

バスに乗ると白人が挨拶をしてくる。なんの問いかけもなくいきなり英語で話し出す。僕はなんだよと思いながらも英語で答える。最近また英語を使う機会が増えてきた。すっかり下手くそになったと思っているのだけれど、会話は以前よりはマシになった気がする。きっと自分の気の持ちようが変わったのだ。ちょっとした小話程度ならボロを出さずにできる。耳もよく聞こえ、口もちゃんと動く。この外人も僕の言うことはよくわかってくれているようで、どこで覚えたのだと言う。日本人と話すときキョトンとされることがあって、自分の英語を疑うのだ。

隣の若い子がスペイン語で話しかけてくる。スペイン語で答える。スペイン語も出来るのかと言うので英語よりはマシだと思うと答える。フランス人でスペイン語を練習していると言っている。そういえばバスを待っている間に観光協会のアンケートに答えていた。はじめはスペイン語だったが途中でわからなくなって英語に切り替えていた。僕も英語かスペイン語かと聞かれたが、どっちでもいいけど、自分は観光客ではないと言うとガッカリしていた。しばらく彼女のスペイン語に付き合ったがフランス語や英語訛りのスペイン語はどうにもいけない。鼻につく。先ほどの白人が話したそうにしていたがイヤホンをつけて話しかけるんじゃねぇオーラを全開にしてやった。そんな時でもグアテマラ人は容赦なく話しかけてくる。ひとしきり話しておしまい。バスの運転手は僕を覚えていて、帰りはいつだと言うので帰りはシャトルは使わぬ、カミオネータで帰ると言うとなぜだと言うのでいつもお前らのバスは遅れるからだと言うとあーと苦笑いをしてブツブツ言っていた。

日本人と話す時はついつい余計なことを言ってしまう。普段言えないことも日本語でなら話せるから。それが嫌で仕方がない。日本語は自分の気持ちと言うことを一致させる事も出来るし、わざと乖離させることも出来て自由自在なのだけど、時に相手が自分とは違うことを忘れてしまい。慌てて口をつぐむことも多い。努めて丁寧な物言いを心がけて波風を立てずに済むようにしなくてはいけない。他言語ではストレートに聞けることも日本語では注意しなければ人格まで否定されかねない。長いこと日本を離れているので自分は中途半端なのだとよくよく言い聞かせている。

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です