日々雑思 魔法の杖が欲しい 旅の命題

魔法の杖が欲しい

英語やスペイン語の勉強をしていると時に驚くことがある。それは教える側にも教わる側にもあって、きっとこの人は最初からそういう人であったのだろうと思わされる。フィリピン人のカレンは、きっとそうした人なのだと感じた1人。彼女は単語のイメージをいとも簡単に英語で覚えさせてくれた。僕のボキャブラリーが足りないと見るや否や毎日新しい単語を20〜40個、しかも日々使う単語ばかりを僕の脳に刻み込んでくれた。こんな単語は使わないだろうと思っていたものは、今でもよく聞くし僕も使っている。それらは日本語に訳する必要もなく、そのまま覚えているので使う時に考える必要がない。それは1750個にも及んだ。当時、一緒に学んでいた友人に彼女のレッスンのことを聞かれ、彼女は天才肌ですね、なんだかわからないけど覚えられるんですと答えた。友人もまた彼女のレッスンがいたく気に入った。

留学に来た客の1人、キミちゃんもそんな1人。彼女は、本人に言わせると気がついた時には英語が出来た。物心ついた時にはすでに話せていたがそれに気がついたのは彼女が中学生の時に親が気がついたと言う。そんな彼女なのですぐに話せる様になるのであろうと文法に強い学校を紹介して、いい先生について勉強を始めた。ところが全然話せないと言う。先生に聞いても彼女はあんまり勉強していないみたい。だから話せないんじゃないかと困惑している。ところがキミちゃんは学校の帰り道に知り合いになったグレンディと小一時間雑談をして帰って来るようになる。ある日僕とその子が話しているのを聞いていて、キミちゃんは「すごーい全部わかった」と言っている。僕は少し驚いてグレンディに聞くとキミちゃんは話せてる。最初は何にも分からなかったけど今はなんでも話すと言う。ところが先生に聞くと相変わらず同じ答えが返って来た。そうキミちゃんもまた天才肌の1人だった。キミちゃんに聞くと勉強なんかしてたら話せないのだと言う。だからキミちゃんは今でもとっても簡単なことが言えなかったり、間違えたりするのに日常会話は出来ている。

先日、ある先生のレッスンを受けた。彼女の評判は以前から知っていて、レッスンの約束をしていた。たった3時間ほどのレッスンだったのにモヤモヤしていたものが一気に晴れて、全部使える様になった。なぜ今まで悩んでいたのかわからないほど、それはレッスン中に明快になった。しかも教えてもらったその直後から使えるようになった。僕は自分のわからないことが何なのかを明確にしてから勉強するのタイプだけど、これまでなんでわからないのかがさっぱり分からんと五里霧中だったのに、レッスンを受けた後に自分が分からなかったことが分かると言う変な感覚に囚われている。しかもレッスン中に出てきた新しい単語もシッカリと頭に残った。それはカレンに教わった単語同様訳す必要がなくて、しっかりとイメージだけが残った。彼女は少しだけ日本語が出来る。レッスン中に僕が分からないと言うと日本語で説明をしてくれるのだけれど、不思議なことにまったくイメージがわかず益々混乱してしまった。理解はできるのだけれど感じない。そんな感じ。僕は「日本語で言われても何も感じない、全部スペイン語で説明してくれ」と頼む。彼女は「そうね、その方があなたには良さそう」と答え、スペイン語だけでレッスンを進める。その言葉を使う時の心の動き、それを受け取る側の気持ちを僕に伝えながら自分の気持ちを運ぶ道具としてのスペイン語を教えてくれた。それは僕がフィリピンで受けたレッスンとまったくもって同質のもので勉強ではなかった。僕らのレッスンは客から見たらただの雑談やちょっとした相談くらいにしか見えなかったかもしれない。後から彼女の生徒に「彼女のレッスンはどうでした」と聞かれた。僕は「彼女に教わって話せない奴はバカかやる気のないやつだけだよ、彼女に習えば僕なら2ヶ月で話せるようになるよ」と答えた。生徒さんはちょっと驚いて引いていたので僕はまずかったかなと思い「でも、彼女の性能を引き出すには中級以上の力が必要かもしれないけどね」と付け足しておいた。たった3時間ほどレッスンで僕はこれまで苦労していた3つの文法を手に入れることが出来た。まるで僕がわからないところがはじめから彼女には全部わかっていたかのようなレッスンだった。いっさいの無駄がない完璧なレッスンだった。残りはあと3つ。そのうちの1つは前述したキミちゃんから今日の午後、英語で習うことになっている。もちろんキミちゃんはその文法をスペイン語では習っていないし、彼女は既に話していること気づいていない。でも僕はなんのためらいもない。出来るようになる事を確信しているから。

今日、書いた3人はまさに天才肌の人達だと思うのだけれど、僕は彼等がどれほどの努力をしてきたかを知っている。それは人がする様な勉強ではないのかもしれないけど彼等はやったのだ。決して言い訳をせず、サボらず、日々言語に向き合ってコツコツと積み上げたのだ。目に見えない程の小さな積み重ねの結晶の上に彼等の言葉があるからこそ僕の様な凡人の心に言葉を刻む事が出来るのだ。クソのようなプライドや高飛車な気持ちを振りかざす愚か者には手に入れる事が出来ない魔法の杖が僕は欲しい。出来れば英語とスペイン語の2本の杖が欲しい。なぜならそれはテストでは測れず、人と比べる事が出来ない素晴らしい物だから。

旅の命題

ズブリ!「アッイタァ〜」と笑ってしまった。左耳の軟骨を突き抜けたパイプに小さな金属片をクリッとさして引き抜くと耳に銀のワッカが付いていた。特異な性癖を持っている訳でもないし、何かを主張したい訳でも無く、もちろん不良というほどの悪党でもない。単純にやってみたいと思った。

若い頃に流行っていたリーゼント、アメリカングラフティから抜け出してきたかのようなボーリングシャツ、ダブダブの学生服にトラの刺繍、スカジャン、ルーズソックス、腰パン、などなど。あの家の子とは遊んではいけない。あんな格好をして不良に違いない。世間様に顔向けが出来ない。親にもらった大切な身体に傷をつけるなんてと言われてしまうようなことはすべてが憧れを伴って輝いていた。僕にとってそんなものの1つがピアス。特段憧れがあった訳でもないのだけれど、不意に思い立ってやってみることにした。プラプラとする金具を見ても特段何が変わったわけでもなければ、若返りの高揚感もない。「ふーん」それだけだった。不良おじさんでもないが、人様からそう見られてしまうのかしらと帰りにすれ違う人をジッと観察して見たけれども、誰も気にも止めてくれないので少しガッカリしてしまう。もはやピアスごときでどうなるものでもないだ。これから日本に帰る旅人が就職の時によくないと言っていたのを思い出す。さすがに僕の年齢で就職もなにもないのだけれど、果たして今の日本ではどう思われるのであろうかしらと妄想してフフフと笑ってしまった。ほっぺたの上の方から顎にかけて人差し指ですっと線を引いたり、小指の第二関節から折り曲げて先が欠けているように見せたり。服の袖を捲り上げて斜に構えたりするように耳に人差し指でと親指でワッカを作るような仕草があったりするのかしらと妄想は果てしなく広がった。ボワリ〜ンと熱を持つ耳がなんとなく気になり鏡をのぞく。恐る恐る触って見た。「時々クルクルと動かすのだ」と言われた通りにやってみる。ウズウズとした痛みが走った。でもその感覚は嫌いではない。

旅に出る時に決めたこと”迷ったらやる”をやってみただけ、バイク、ロッククライミング、ダイビング、宿。すべてが楽しかった。新しい経験は新鮮で怖さや不安があった。それは僕をワクワクさせたし驚きと喜びを感じさせてくれた。そして今回もおんなじ。嫌なら外せばおしまい。じきに穴は塞がって小さな傷となって思い出の一つとして残るだけなのだ。まだまだやってみたいことは沢山ある。ドレッドヘアー、青刺のようなアウトロー的な物、多言語や文化に浸かる。これまで行ったことがないような高い山に登ったり、何百キロも歩いたり。未知のものを口にしたり、沢山の人と話したり。恋人ができるかもしれないし、どん底で這いつくばることだって僕には楽しいのだ。「迷ったらやる」僕の旅の命題なのかなとちょっと思う。とりあえずこの言葉を心に留めて忘れないようにしよう。

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