日々雑思 停電 独立記念日 他

昔、先輩にマッサージを頼まれ散々な目にあったけれども、人の身体がわかるようになった。不思議なことにわかるのは右手だけで左手ではとんとわからない。タイでマッサージを受け、その効果に驚き、仲良くなったマッサージの女にずいぶんと教えてもらった。これまで何人かに頼まれ施したことがあって、してやると喜ばれてきたので悪くもないのだろう。50肩に悩む友人の母親がくるようになって2週間程経った。当初は目から涙が溢れるほど痛がっていたが此の所ずいぶんと良くなってきた。夜も寝れると言う。家事も出来るようになってきた。揉まれている間もリラックスしていてよい。

「金を払いたいがどうだ」
「ワシは座頭金ではない。目も暗くない。琵琶も弾かなければ、按摩でもないので金はいらん」
「でも、お前はずいぶんと働いている。手も痛かろう」
「お前は友達の母親なので特別だ、お前らは何故なんで金で済まそうとするのだ。人がたまにほどこす親切は素直に受ければよい。そもそも病院に行けないからここに来ているのであろう」
「これまで二つの病院へ行った。どちらでも写真を撮ったが良くならない。先生は色々言うがなにもよくならなかった。でもお前は写真も撮らなければ、なにも余計なことを話さない。妻も最初は痛がっていたが最近は少しの痛みだけだと言う。夜もよく寝ている。礼がしたい」
「礼なら毎回お前ら2人が言っている、十分だ。今日は終わった帰れ」

二日後、茶碗2つとコーヒー1袋が入った小さな袋を持って現れる。その小さな袋もやると言う。ありがたくいただく。共に安物。可愛らしいがすぐに割れてしまう茶碗。メルカドの安コーヒー。けれど気持ちがそこにはあった。旦那の方は漁師で朝だけ漁に出ている。毎日ではない。その他の日は山に行っていると言う。薪集めか畑でても働いているのかもしれない。稼ぎも多くはないのだろう。午後はキリスト教の本の研究をしているという。妻がマッサージを受けている間ずっと本を読んでいる。時に質問をしてくる。時にスペイン語を教えてくれる。妻が呻くと痛いかと聞いている。仲のいい夫婦なのだ。

妻の肩はまだ痼があり、いくばくかの時間がかかるかもしれない。それでもずいぶんと良くなってきているので、ストレッチとリハビリの方法を教える。次からは三日おきに来るがよい、痛みは当分残るが大丈夫だ。良くなるので心配するなと伝えた。

先日、彼らの家の近くで知らない女から声をかけられる。「お前がマッサージをしている日本人か」「そうだ」「彼女はずいぶんと喜んでいる。お前の仕事か」「仕事ではない」「では、何故できるのだ医者か」「医者でもないが、ここの医者よりはマシだ」「いくらだ」「金はとらん」「わたしにもしてくれるのか」「お前にはしてやらん」「何故だ」「お前は友達ではないからだ」「いくらならしてくれるのだ」「1時間200ケツならしてやる」「ススッ」「そうだ、アディオスアミーガ」
善い行いも悪い行いも自分で決めるのか肝心。人がどう思うかなどどうでもいいのだ。こちらがどんな人間かは勝手に決めれば良い。自分は自分なのだ。いちいち人の想像に左右されているのはめんどくさいしガラでもない。

停電
夜になり雷が鳴り出す。夕食をとっていると停電となった。いったんは復旧したがまた直ぐに消えた。これは明日の朝まではダメだなと思った。ろうそくを廊下に置くと宿の形にぼんやりとした明かりが立った。停電は久しぶり。僕は停電が嫌いではない。村がしんと静まり返り普段聴こえてこない人の話し声が遠くに聞こえる。子供達のはしゃぐ声、ろうそくを灯し各家から漏れる静かな灯火。山極が暗闇の中に浮かび上がり、路は野良犬たちの天下となる。あちらこちらで吠える声が上がり、悲鳴も上がる。
雨が上がり、ぽちゃぽちゃと水がたれる音がする。家の裏で生まれたばかりの子猫の声は消えていた。夕方、カフェと散歩に出かけた時、どこに居るのかと探したが声は聞こえるけれども見つけることはできなかった。先程の激しい雷雨に打たれ凍えてしまったのであろうか。対岸の村には電気がついているのでこのあたりだけが停電なのかもしれない。やる事がなくなり早々に寝る。

独立記念日
独立記念日となる。あまりいつもと変わらない。いつも湖端で練習している学生たちが晴着で楽団となり道を行く。太鼓をたたく者、ラッパを吹く者、ジャカジャカとなる大根おろし器のような楽器を鳴らす者、踊る者が皆そろって練り歩く。村人は足を止め、道を開ける。村を巡って広場に集合した他の楽団も一様にやり遂げたような顔をして並んだ。女中のスセリーも参加した。汽車のハリボテの中担当。途中でハリボテの汽車が壊れ恥ずかしかったと言っていた。壊れたハリボテを道端に捨てたので先生からえらいこと叱られ、ひらいに行かされた。重くて嫌だったと少し拗ねていた。

中米の独立記念日はどの国も一緒の日だという。スペインから揃って独立したのだ。植民地のままでいれば今頃スペインとしてやっていけたろうにと思ってしまうのだけれど、きっと自分で出来ると思い込んで言い張る子供のように駄々をこねたのだ。挙句貧乏な国となってしまい、アメリカに不法就労などをしに行くことをよしとするようになってしまった。どうせ独立するのであれば一つにまとまってもよかったのではないかしらと思うのだけれど、自分だけが儲けたいと思った輩が6〜7人いたのだろう。勝手気儘に国を立ち上げてしまった。烏合の衆となり益々まとまりがなくなってしまった。

さぞ、色々なイベントでもあるのかと思っていたが、昼過ぎにはすべて終わってしまい、午後はいつもと変わらない休日となった。

夕方からサンマルコスのレストランへ手伝いに行く。80本ばかり寿司を巻いてくれと頼まれた。よほど人手が足りなくなると声がかかる。客を連れて行けば夕食の支度をせずに済むのだけれど、客が行かなかったり、宿で食事がしたいと言えば戻って作る。今回は戻らなくてはいけない。寿司は2人で巻いたので2時間程で終わる。最後に全部入りの特別巻きをこしらえて1本頬張る。東を向いて笑って食べるようなことはしない。ボート乗り場へと急ぐ途中、女の子が赤ん坊に乳を吸われて痛ーいと叫んでいる。遊び半分で自分の乳を吸わせたら思いの外力強くて驚いてしまったのだろう。隣で見ていた弟はケラケラと笑い転げている。グアテマラの子供は親の手伝いをよくするという。そういえば小さな子供が文句一つ言わずに手伝っているのを見かけることが多い。子供がやりたいと言った時にやらせてやる。失敗しても叱らない。次もやらせるのだという。
桟橋に子供が2人、客の呼び込みをやっている。大きな方が着ているTシャツに東京と漢字で書いてある。「パナか?」「サンペドロだ」「どこから来た」「東京だ、日本だ、お前のシャツに書いてある場所から来たのだ」「お前はこの字が書けるのか」「簡単だ」「スペイン語をどこで習った」「ここだチャ」チャというのはこの辺りの方言のようなもので他にもチ、ニシなどと語尾につけると地元感が強くなる。それを聞いて何者かを直ぐに理解したようだ。ボート代は地元価格になった。通常、客と乗るときは観光客価格を払うのだけれど一人で乗るときは地元価格しか払わない。
急ぎ宿に戻り夕食を準備する。

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