スペイン語が話したいんだ

最近、スペイン語を話したくて仕方ない、英語もしかり。日常の生活には困っていないし、ことは足りているのだけれど、話していて自分がバカに思えてくるような、道徳も教養もない頭の悪さを露呈するようなスペイン語が嫌なのだ。まるでいつも真っ裸で歩いているような気分になる。
日本人だから、歳だから、性格的になどといった言い訳などまっぴらごめんで、何が何でも話したいと負けず嫌いの性格を丸出しにして勉強をしているのだけれど、いまいち上手くなっていない気がして仕方がない。聞けば「お前のスペイン語は正しい」と言われてもそんな訳があるはずなかろうと疑いの気持ちがムクムクと湧出していけない。

話し方がとろくさく、いちいち必要な単語を探さなければ口から出てこない、話していて間違えるたびに”あっ”とか”また間違えた”とかと四六時中感じているのが嫌で嫌で”お前は馬か鹿なのか”と自身に悪態をついている。

英語を習った時にも感じたこの苛立ちは、心にべっとりと張り付いて今でもはがすことが出来ないもので、こんなものに一生張り付かれていてはたまったものではない。早くひっぺがして捨ててやりたいとかきむしってはいるのだけれど、なかなか突破口が見つからない。

外国で暮らす、特に地元に根付くように暮らすとなると片言で済まないことが多々あって、ただ話せると言うだけでは片付けられない問題が出でくる。言葉はその国に住む人のアイデンティティの一部であって、その国の文化や人々の気持ちのありように深く根ざしていると思っている。言葉がとてもよく話せてもその国のジョークがわからなくてキョトンとしてしまうのはそのため。言い回しやエクスプレッションなどがいい例。単語自体に本来の意味を付加していなかったり、擬似的な有様を他の単語で表すような言い回しはその国を知らなければ話すことが出来ない。
感情や想像、推測を含む言い方にも苦労する。自分が持つ心の動きと使う言葉にズレが出てしまう。勘違いが起きて凹むのだ。痛い目を見るのだ。いらいらしたり、心がざわざわするのだ。

そう、僕は今、とってもスペイン語が話したくなったのに腰が引けて話せない時がある。そんな時、自分の中にある日本人を感じて、自分はこんな者ではないと悔しい思いをしている。

誰しもが通る道ではあるけれど、出来れば避けて通りたい。でも僕も御多分に洩れず泥沼にはまってしまったようだ。それでも僕にはスセリーやレオがいて、午前午後と彼らの情けを受けて一歩でも前に進もうともがいている。

僕は4年前にフィリピンで英語留学をしました。ほぼ話せない状態からのスタートは楽しくもあり、辛くもありました。それでも僕は英語を手に入れ、旅の途中にあっても困ることはなくなっていました。宿を始めて外人のお客さんが来ても簡単な意思の疎通はできる程度には話すことが出来ます。おそらくそれは当たり障りのない会話だからこそ支障を感じていないのだと思っています。でも語学にはその先がありました。日本語でなら出来ることが出来ない、込み入った会話をするには、もう少し勉強する必要があります。英語では到達する事のなかった世界がスペイン語で立ちはだかりました。幸いにもグアテマラで暮らす僕には多くの友人がいて機会にはとても恵まれた環境にいます。僕はその世界に踏み込んでみることにしました。

ここでの暮らしも一定の落ち着きを見せてきて、書くことがなくなってきたので、スペイン語についてちょっと書いていこうと思っています。
学校や家庭教師のこと、どう学ぶのが効率的なのか、先生とのマッチングや日本人にありがちな癖、目標設定やレベルによる学び方などを僕なりの時点で言い放ってみてもいいのかなぁと思っています。

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