小さな旅を

せっかくの海外旅行なので少し贅沢な宿に泊まり、ちょっとした自分へのご褒美とする。ホテルには異なる匂いがあっていい。少し古臭い、旧家の納戸に似た感じのところもあれば、清潔なシーツから立ち上る匂いのところもあって楽しみの一つ。匂いは旅の重要な記憶の一つで、いつかその匂いを嗅いだだけで遠い記憶が鮮明に蘇ってくる。

市場の匂い。道売りの生地の匂い。屋台の匂い。道ゆく人の発する匂い。夜の人気のない道の匂いは僕の記憶に鮮明に刻まれていく。朝のカフェで向かいの人が飲んでいるオレンジジュースの香りと陽だまりに置かれた朝食の風景がこの町の記憶として残った。

友人に会いにいく。一人は新しく宿を始めた友人で、夫婦で1月前からやっている。新しい宿はまだ未完成な部分が多くあってこれから彼らの宿の匂いが染み付いていくのであろう。もう一人は古くから宿をやっている友人で、こちらはすでに確固とした匂いがあって、力強い。僕とはまったくタイプが異なる人柄でけれど、僕は好きだ。

翌朝、市場に行きスパイスを大量に買う
chile mulato
chile chipotle
chile pasilla
gusanillo
chile ancho
tomillo
oregano
clavo
comino
aniz
carne de soya

大量に買い付け、いちいち匂いや質をチェックして「これはどう使うのだ」「辛いのか」「なんの料理に使うのだ」「これを試してみたい、あれはなんだ、英語ではなんと言うか知っているか」「あれを持っているか、これはあれとは違うのか」あまりにも質問ぜめにするものだから店主がレストランのシェフだと勘違いして、どこの店だと聞いてくる。グアテマラに住んでいることを伝えると、レストランをやっているのかと言うので、宿で食事を出していると答える。
よく料理人かと聞かれるが、果たして僕は料理人なのだろうか。料理人とは一体どんな人のことを言うのだろう。僕はそれを語っていいものかどうか未だに疑心暗鬼でいる。

国境に近い街に移動する。ローカルバスを使うと、これまで通い慣れた道もちょっと違って見える。安く、フレキシブルに移動できると旅の幅が広がっていい。町外れのバス停で降りる。安宿を聞いてそこへ飛び込む。最近はすっかりこうした宿とのやり取りは慣れたもので、部屋、シャワー、ワイファイをチェックして2晩泊まると伝える。
いつもと違い、客としてこうしたことを聞いていると随分と違った
気持ちになる。予備のタオルと毛布を頼み、町のことを聞く。明日の買い物の下見にアメリカで有名なマーケットに行く。時間がたっぷりあるのでじっくりと眺めていたら3時間も経っていて驚く。欲しいものはたくさんあるけれど、少しずつ。

翌朝、ホテルで時間を潰していると従業員が声をかけてくれる。この辺りはカフェとかあるのかと聞くとセントロへ行けと言う。数ブロック歩きセントロへ。賑やかすぎなくていい。セントロに面した数件のカフェをよくよく吟味してちょっと高級そうなカフェに決める。ビシッと黒のチョッキに太めの身を包みんだギャルソン風なのが気に入ったから。ここのコーヒーは残念ながらあまり美味しいとは言えなかったし、立ち振る舞いはラテン丸出しだけれどヨーロッパのカフェにいるような気分になる。

映画館に行く。スターウォーズを観る。3Dのメガネをかけ、飛び出すスクリーンに感激する。久しぶりに見た映画は文化的な気持ちにしてくれた。外国で映画を観るなんてちょっとしゃれた気持ちにもなる。なおさら気分がよろし。

再びセントロへ戻り、違うカフェに入る。なぜスペイン語を話せるのかと聞かれる。グアテマラで習った。今はそこに住んでいる。だから話せるのだと答える。英語はできるのかという。少し話せるが、今はだいぶ忘れてしまって、スペイン語の方がいいと言うと。ちょっと驚いて英語も習ったのかと聞くのでそうだと答える。こんなおっさんが話すことに驚いているのか、度々話しかけてきてチョットうるさい。
靴磨きの男の子がやってきて僕のサンダルを見て諦めた。次々とやってくる物乞い。饐えた臭いはいつか嗅いだものだった。ポケットか小銭を出す。以前とは違い嫌悪感に似た気持ちは不思議と湧かなかった。僕は老女の手に包み込むように小銭を入れた。

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