神の去った地でお待ち申し上げております

普段湖から吹く風が今日は巻いている。午後になり山からの風になる。この風はいつも面倒を運んでくるからいやらしい。

おおばあちゃんが端切れを持ってやって来た。それはトルティーヤを包む布でどこでも売っているありきたりの物なのに「私が織った。安くする。辺りでは40ケツアレスだけれどお前は友達だから特別に25ケツアレスで売ってやる」と言う。僕は「今はお客さんは皆、学校へ行ってしまい居ないよ」と断る。すると今度は「ガビやススムはいつも買ってくれた。私はお金がない。だから買ってくれ」と迫る。またかよと思いながらもう1枚だけ買ってあげることにした。近所との距離感を掴みきれてないので、どう接していったものかと思案中なのだ。彼女に25ケツアレスを払って端切れを受け取る。すると今度は「私は金がない。ガビやススムは貸してくれた。いつも貸してくれた。私は金曜日には返していた。だからお前も貸してくれ」と迫ってくる。僕は嘘だと思いながら少し考えて100ケツアレス貸してあげる。絶対に返ってこないだろう。
近所のおばさん連中は何かと言うと金をくれ、助けてくれと僕のところへやってくる。おおばあちゃんの娘しかり。彼女にも100ケツアル貸してあげたが返ってくる気配はない。彼女たちは金を受け取ると「神のご加護を」と決まって言うが、彼女たちの神は僕の神ではないのでご加護もへったくれもない。彼らの神の息は僕には疎ましいだけだ。僕はお前らの神はこの地を去った。もうここには神はいないのだ。乞食根性がついてしまったお前さんたちの面倒は見ないのだと思いながら「ありがとう、あなたにも」と言う。
神の名の下に、物乞いをするのがここの文化、嫉妬、羨みに心を捻じ曲げられ、目先の端金で愛犬を売り飛ばす。ボッタクリやウソをつき、ツーリストから金を巻き上げるボート屋。
近所にある教会に通い、歌い惚けている彼ら。歌えば救われるのであれば、僕はとっくに歌ってる。お前さん達の捻れた心や口から吐いたウソは歌ったくらいでは赦されないのだ。お前さんたちが教会に寄進した金で今頃牧師はほくそ笑んでいるのだよ。

 

もし神がいるとすれば彼は既にこの地を去ったのだ。この地に救いはないのだ。祈りは金を産まないし、 隣人はお前さん達を救うためにいるのではない。お前さん達の隣人が朝早くから夜遅くまで働いているのを見てるであろうに、アレがないコレが欲しいといってくる様は地獄の亡者か。
僕には天国は似合わない。地獄で鬼子を相手に金を生み出し、神とは違うやり方で静かに穏やかな生活を送るのだ。僕がここが好きな理由の一つはそんなところもあるのかもしれない。僕は既にツーリストではないので光を観る必要がない。そして僕はもっともっと深く暗い井戸の底を見に行きたいのだ。底に溜まるねっとりとした泥に足を取られて得体のしれない異文化に身を任せたいのだ。
暗い井戸の底で皆様のお越しをお待ちしております。

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