格差を距離の中に見る

今回僕は飛行機を使いました。前回のバイクを伴ってグアテマラ入国ができなかったからです。久しぶりの飛行機の旅はとても新鮮なものでした。楽で速くて何よりキレイです。空港のセキュリティ、清潔感はこれまでの生活からするとまさに一変してしまい。ここが同じ国だということを忘れてしまいそうです。
シャトルバスから首都へ向かうにつれて整えられていくインフラを見ながら僕はまったく矛盾したことを同時に考えていることに気がつきました。それは5時間ほどの移動中ずっと続いていたのです。田舎と都会の格差は埋めようもないほど大きなものでした。でも僕はそれが当たり前だと感じつつも、国の形態をなしているはずのグアテマラにあるあからさまな差別も感じていて両者が同じ国の国民なのかと感じてしまったのです。

早朝、住み慣れたサンペドロからシャトルバスに乗ってグアテマラシティへと向かうバスに乗る。シャトルバスは高いのであまり利用することはないのだけれど、今回それを選んだ理由はグアテマラシティの治安。チキンバスが到着する終点でかなりの旅行者が襲われていると聞いたから。JICAの人が安全のために編み出した技は手前のバス停で降り、そこからタクシーを利用するやり方。大通りに面したガードマンのいるスーパーの前で降りるやり方を聞いてなるほどと感心する。こうした国で人様のために働く日本人の苦労と工夫には頭の下がる思い。でもそれだと結局タクシーを使うため、シャトルバスを利用した時と大きく値段が変わらないため、今回はシャトルを利用して直接空港に向かうことにした。安全と経費を天秤にかけることはこうした国を旅する人には欠かせないことなのだと思う。

アメリカンハイウエイをひたすら走りる。車窓の景色がどんどんと変わって行く。大きなスーパーや日本にもあるファストフード店が現れる。走っている車が綺麗な日本製や韓国製の車に変わりだす。日系企業の看板や店舗が目に飛び込んできて、ここが同じグアテマラなのかと僕は少し驚いていた。スペイン統治の面影を残すグアテマラシティーから40キロほど離れた町で僕はシャトルバスを乗り換える。次のバスまで1時間。ツアー会社のデスクに荷物を預け町中をぶらりと歩く。

古い石積みの壁の上から塗り固めペンキでカラフルに染められた壁が並ぶ町並み。スペイン統治の面影が強く残る町で可愛らしい。石畳の道はガタゴトはしているけれどきちんと並べられ古都の趣を醸し出している。塀の角には馬車の車輪がぶつかった時に破損しないように石で固められてヨーロッパの文化が色濃く残っているのがわかる。
人々の顔つきは白人の血が強く残った顔立ち。少し鼻にかかった感じの都会的な話し方。カフェ店員マヤの面影はあるものの西欧人の血が混じっている。コーヒーを頼みWiFiがあるか聞く。つなげて見るととても速い。こんなに速度が出ているWiFiにつなげたのは久しぶりだったので都会の便利さを感じてしまった。町には24時間のコンビニがあり。パン屋のショウケースには美味しそうなパンが並ぶ。イチジクのジャムが入ったパイとチーズクロワッサンを買って朝食にする。コーヒーはグアテマラらしいガツンとした味わいながら洗練されたものだった。

外を行く人々に違和感を感じるのは彼らの服装。グイピルはほとんど見かけず洋服ばかりだから。マヤの人らしき夫婦が屋台車を引きずって行く。洋服を着ない者たちの暮らしはここでは辛いのかもしれない。重い足取りの夫婦の横をクラクションを鳴らして綺麗な車が走り抜けていった。運転していたのは色の白いグアテマラ人。教会の前に座りお土産を売る女性がいる。こちらが教会の写真を撮ろうとすると隠れてしまった。見世物のように感じさせてしまったのかと気の毒になった。この町で民族衣装をきている人たちに影が見え隠れしているのは都会の生活に飲み込まれかけているマヤの人の暮らしを映し出す鏡のようであった。

僕はこの町は散歩したら気持ちよさそうだと感じた。その理由は西洋人の多さと洒落た街並み。見慣れた外国の風景がそこにあったから。洒落たカフェで飲むコーヒーは旅情を盛り立てるだろうし、カラフルな街並みも写真を撮りたくなる風景だ。でも思うにまかせて撮った写真は案の定どれもこれも見る価値もないような平凡な構図になっていた。

バスを乗り継ぎ、各ホテルを周り空港へ向かう客をかき集めてゆく。窓の外をぼんやり眺める。学生は外国人のように肌を露出した服装で白い肌に生えた産毛が陽の光にキラキラ輝く。電柱の配線はキレイに揃えられ、たるまない。町から少し離れた場所にはゴミの集積場があり、盛土をされ整地されたそこは夢の島のようであった。道路は良く整えられ所々に役人が立ち何かの募金を募っていて、とまる車の運転先から小銭が気前よく放り込まれている。バスはさらに市内へと進む。大型スーパーのところは、なるほどここなら強盗も出るまいと思えるほど洗練された場所であった。整った町並みを見ているうちに、これまでイメージのあったグアテマラが崩れていくのを感じた。

都市部に近づくにつれて綺麗になるのは理解できるのです。経済活動が盛んであることが一目で見て取れます。学生の身なり、建物のサッシ、車、店、インフラすべてが整っているのです。貧困が60%近くを占める国において残りの40%を見ていることがわかりました。そこにある格差を僕は当たり前だと捉えているのです。税金のほとんどが都市部で支払われていることが一目瞭然です。そして支払っている国民のために税が使われていることも明らかです。ゴミの集積場、各種のインフラを始めあらゆるものが近代国家の様相を呈しているのです。募金にしたって富裕層が暮らしているのですから当たり前のように集まるでしょう。でもそれはおそらく彼らのための生活に使われ貧困にある人々のためではないのです。60%を置き去りにすることが当たり前のことのように人々の目は自分たちだけに向けられていることがわかりました。

一方で僕の暮らすサンペドロ。村に続く唯一の道は舗装すらされず、穴の空いた滑りやすい砂利道しかありません。何年も前に作られたこの道はなんの補修もされず、人々がだましだまし使っているのです。村内の石畳は歪みそこらの石を敷き詰めただけの粗末な作り、スペイン人も素通りしてしまったかのようなアドベで作られた昔ながらの町並み。インフラは不完全、下水もなく上水は配給制です。ゴミは山間に捨てられ異臭を伴った細い煙が立ち上っています。子供をつれた母親がその中で力が抜けたように何かをあさっていました。
それでも大多数を占めるマヤの人は誇りを持って民族衣装を着ています。平和で強盗に怯えることなく暮らすことができるのです。すれ違う人は挨拶を交わし、人間らしい生活を送っています。
ただ一つここにはお金を稼ぐ手段が圧倒的に少ないのです。観光客が落とすわずかなお金を頼りに暮らしています。学校が古くなり建て直そうにも国は半額しか出さないと言っています。あとは村の人に負担させるということです。教育を受ける権利すら感受できないことに苛立ちを感じるのです。

シティーに入って僕が会話したのは空港職員とマクドナルドの店員だけ。話すスピードが速すぎて僕は聞き取ることができませんでした。マクドナルドではポテトとコーラのことを聞かれているだけなのに聞き取ることができなかったのです。きっと僕のスペイン語はとんでもない田舎のずーずー弁にしか彼らには聞こえなかったでしょう。「君のスペイン語は僕には速すぎるよ」とボラリス航空の受付の女性にいうとクスリと笑っていました。都市部には仕事があります。人並みに暮らす賃金を稼ぐことができるのです。税金を支払うことができる彼らはその恩恵を受ける権利を得るための義務を果たすことができるからです。一方地方の村にには仕事がありません。働いても人並みに暮らす賃金を稼ぐことができません。税金の優遇措置はありますが恩恵を受ける権利も無くなってしまうのです。まさしく八方塞がりの状態から抜け出すことができないこうした地域の人々に目が向けられることは今後もないのだということは理解できました。

それは仕方のないことであると割り切っている自分、これでは希望もないと感じる自分が同時に混在しているのです。こうした気持ちをどう整理すればいいのかわかりません。この気持ちをどう表現すればいいのかすらわからないのです。国のあり方、国民としてのあり方を両方が問われていると感じました。

メキシコのカンクンにいます。ロサス7のオヤジに宿のことを教わっています。それは僕にとって楽しい経験の一つです。

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