kamomosiについて  宿を始めます

kamomosibootsmasaki300kamomosiの活動としてグアテマラのSan Pedro La Lagunaという小さな村で宿をやることになりました。僕はここでkamomosiの活動のモデルケースを作ることにしました。この村は北南米へ向かう旅人の要所の一つとして比較的栄えた村です。この村にはもう一つの現実があります。普段観光客の目に触れることはありませんが貧困という問題があります。全人口の59%が貧困の状態にあるこの国ではそれは珍しいことではありません。留学を機にこの村の人たちと交流を持ち教育、仕事など若者が抱える悩みや問題の何かの手助けができないかと考え、彼らが持つ技術や文化を利用した活動を始めました。
そんなとき、この村で日本人宿をやっている方から宿をやってみないかと声をかけられたのです。僕はそれを承諾しました。僕の活動はとても時間がかかると思っていましたから、どのように進めていけばいいのかと思案していたところだったからです。宿は11月からオープンします。名前はまだ未定ですがkamomosiの名前をつけようと思っています。

今日はとりあえずの報告です。kamomosiについてを少し書いてみました。なかなか文字にするということは難しく、きちんと伝えることができる心配ですが近々、メキシコに戻り準備を整えます。HPやkamomosiの活動について詳しくお知らせします。

 

kamomosiについて
kamomosiってなんの略ですかと聞かれることが度々あります。略も何も「もしかも」のことなのです「たられば」とも言います。「もしあの時こうだったらこうだったかも」とネガティブに捉えられる言葉ですが僕はこの言葉が好きです。それだけの可能性があったことを示しているように思えるのです。迷ったら進む、進んでから考えるということができるようになったのは旅に出てからでしょうか。でも進んでしまった後には悔いが残らないのです。後悔のない選択というのは実はやるかやらないかの簡単な選択なのではないでしょうか。いろいろ考えて逡巡してしまう人は結局何も残りません。言い訳を探すことにエネルギーを使ってしまい、進む力を失っていくのです。失敗にしろ成功にしろやった人間には結果が残ります。人はこの結果を成果と呼びます。これらの成果は僕の人生にとてもプラスの効果を後々与えてくれました。

 

僕は旅に出るとき2つのことを目的としました。
世界を足で見ること
善き社会の一員として何かをすること

 

旅に出る遠因となる背景はありましたが僕自身が信じていたものが実は違うのではないかと感じたからです。インターネットという情報網は今や全世界をつなげてしまいました。そこにはすでに時間や距離の概念はなくなり情報だけで繋がったのです。言葉や人種、宗教にとらわれず僕らは居ながらにして瞬時に世界のありとあらゆる情報を手にすることができるようになったのです。多大な恩恵をもたらしたこの情報網により僕の知識は飛躍的に向上しました。Google先生に聞けば何でもわかってしまうのです。学習を情報の集合体と仮定するならば、もはや学校という場は勉強する者にとって必要なくなってしまったといっても過言ではないでしょう。
しかし、情報は誰かが作り上げたものでもありました。実態のないその報せは誰かの意図が必ず介入しているのです。僕がなんとなくそれに気がつき出したのは湾岸戦争あたりからでした。GPSの精度が突然良くなり始めたのです。それまで誤差が大きく使えないと言われていたのに、開戦と同時に飛躍的な精度を見せるようになりました。ワールドトレードセンターが崩れ去るのをテレビの前で目の当たりにしたとき。僕はそれが実際に起こっていることだと認識するまでかなりの時間を要しました。ビンラディンが殺害され終結したかのように見えたこの戦いは依然として止むどころか益々混迷を深めています。世界は何か違う。僕の知っていたと思っていた世界は実は違うのではないかという思いが小さく僕の心の中に灯りました。僕は自分の目で確かめたくなったのです。

 

小田原に移り住み、半自給自足の生活の中で得られる充実感は仕事でのそれを上回っていました。地域に暮らす幸せはとても心地の良いものであったのです。ある事件に巻き込まれた僕は善き社会の一員とはどうあるべきことなのかを悩むことになります。それまで信じていた仕事をして税金を払いルールに則って生活をしていく。それは僕にとって至極当然のことでもあったのです。しかしそうしたルールの外側にいながら国の恩恵を受けつつ何一つ生み出すことのない人間がいることに気がつきます。自分の暮らしぶりの悪さを人に転化し義務を果たさない人間に対して価値観の相違に驚きました。
50歳を目前にしたある日、僕は鮮明に自分の老後のイメージが湧き上がりました。それは恐ろしいものでありとても許容できるものではありませんでした。日本という社会であれば当たり前のことがすでに海外を知ってしまった僕にはとても残酷なこととしてしか受け止めることができませんでした。自らのためだけに貯蓄した金を抱え分かち合う相手もなく、言い訳じみた毎日を送ることが善き社会の一員と言えるのかと感じたのです。しかし僕には善き社会の一員として生きるということがなんであるのかわかりませんでした。僕はネットを片端から見ましたが膨大な情報網の中からも答えを見つけ出すことはできませんでした。

 

世界の現実と言ってもピンキリです。1日1.5ドル以下で暮らす人からビルゲイツのような大金持ちまでがこの世界には72億人もいるのです。またこの人たちが稼ぐお金の額は7500兆円ほどだったと記憶しています。人口と全体のGDPはほぼ比例していました。学問的なことはよくわかりませんが数値で測ることが正しいのであればこの世界のどこかにちょうど中間に位置する国があるのではないかと考えました。そこは貧困もなく大金持ちもいない国なのではないかと考えたのです。そこに暮らす人たちはバランス良く暮らせているのではないかと思ったのです。

 

フィリピンに行き、スラム街に住む人々の生活を見ます。それは確かに悲惨な面を持っていました。毎日の食事にも困り、今日寝る場所を探さなくてはならない毎日、教育もなく識字率も50%ほどです。僕はスラムはとても危険で恐ろし場所なのだろうと想像していました。ところがいざ訪ねてみるとそこには子供達の屈託のない笑顔が広がり、それを見守る大人たちの談笑がありました。僕が事前に知り得た情報との乖離に驚きを覚えました。ここで僕は幸せとはなんなのだろうと考えます。僕が暮らしていた日本は世界でも5%に入るような大金持ちの国です。それなのにそこで暮らす僕たちはせっせとまだ見ぬ老後のために貯蓄をするのです。1000万円必要ですとどこかの信託会社が言えばそれを貯めるのです。でも貯まってもそこにはまた別の不安が待ち構えていてまるで人生を死ぬ間際の一時のために過ごすかのような生き方が果たして幸せと言えるのか、やりたいことを我慢して朝早くから夜遅くまで働きづめの毎日、私生活と仕事の境が限りなくないに等しい生活を強いられることへのストレスなどを抱えて生きていくのと、今日のご飯の心配はあるけれどきちんと経験的にそれを乗り切る術を知るスラムで暮らす人々。この二つの国の人々の対比から僕は幸せに暮らすということができている国もあるのかもしれないと思うに至りました。明日の心配も老後の心配もない暮らし方をする国や地域の人々とは一体どんな人たちなのだろうと思いを馳せたのです。

 

もう一つの目的である善き社会の一員としてのあり方も僕は常に考えてきました。どうすれば善き人とあれるのか僕は悩みました。僕は確かに日本という国では異端児扱いで変わり者と思われていることぐらい知っています。でも僕は世捨て人を気取りたい訳でもなく人と仲良くなりたくない訳でもないのです。ただ自分が信じるところを通していきたいのです。と同時に世の中の善き一員でありたいのです。人の役に立つということはどういうことなのか、一員として機能するために何ができるのかを考えてきました。言葉もロクに出来ずに世界へ飛び出した僕にとって一番大切なことは己の直感とイマジネーションしかありませんでした。旅の間に見た見過ごしてしまいそうな小さな出来事の幾つかが心に引っかかり離れなくなりました。それは次第に形をなしイメージ化しはじめました。それは家の前で娘のしらみ取りをする母親の姿であったり、静かに機織をする娘の後ろ姿、フリホーレスの皮を楽しそうに向く母娘、靴を磨く少年、穴の開いた目で空を見る老人。足で見た光景が一つにつながりはじめそうでなかなかまとまらない苛立ちとして蓄積されていったのです。僕は自分の考えていたことが誠に自分勝手であったと悟りました。文字に起こすと悲惨であるにもかかわらず彼らには笑顔があったのです。豊かな文明社会に生きるという意味では不幸せかもしれませんが彼らには確かな幸せの時が流れていました。僕は彼らの幸せを壊さないようにどう関わればいいのかを考え始めることになります。

 

海外援助のあり方は様々です。たしかに効果はあったのです。でも使われなくなった井戸、箱物だけで先生のいない学校、壊れた発電機などを見てどうにも違和感を感じました。何人かの人に話を聞き現場とその旗振りをする政治家との思いの乖離や即効性という麻薬に似た効果を求める気持ちに違和感を感じたのです。途上の国々にある問題の一つ革命、内戦などの歴史はたかだか50年程度です。その間の世代交代は3世代程度でしょう。それなのに人々からは知恵は消え、教育という人間の幸せを司る根幹が崩壊しかかっていました。それを取り戻すには同様の時間が必要であるのに継続性がなく一時の資金で効果を図るやり方に疑問を感じたのです。僕はどちらかというとボランティア的な活動が嫌いです。自分自身に偽善的な部分を感じてしまうのです。もちろん志はいいのです。僕は何人もの素晴らしい若者から話を聞くことができました。
でも僕はそうした善意にもとずく活動よりも人間の本質のちょっと上っ面にあるお金への執着の方がより素直彼らを納得させる力があるのではないかと思いました。人助けはもちろん素晴らしいのですが、もらい癖がつき物乞いのようになってしまった人々をたくさんみてきた僕は彼らにお金を彼ら自身の力で稼がせたいのです。お金には魅力があります。そしてそれは継続性への活力になるのではないかと思うのです。今日の暮らしよりほんのすこしの幸せ。週に1回肉を食べられる、鶏を1羽買うことができる幸せはお金が生み出すのです。でも一気に多額のお金を彼らに与えてしまうと大抵は間違えた方向へを行ってしまう危険もはらんでいるのです。ですから僕は小さなお金を稼ぐことに着目しました。
現時点でも自分自身が興味本位で動いているのかくだらない正義感のようなものがいたずらしているのかわからないのです。でもそんなことはどちらでもいいのです。たとえ興味本位であっても僕の好奇心が本物であるかどうかが大切なのです。僕が信じることを通してみようと思います。それが意味のあることかどうかは後々わかるのですから。後悔はしたくないのです。僕はただそれだけでの人間であって何者でもないのです。

 
kamomosifacebookmasaki500僕は思うのです良い旅人とは誰か、きっとそれは自分の足で見聞きしたことを信じることができる人なんではないか。僕は思うのです善き社会の一員とは自分の見た真実を受け入れ、周りの人と幸せを分かち合うことのできる人ではないか。僕は旅に出るとき両手いっぱいの荷物を抱えて旅に出ました。それが僕の全財産です。人間は両手に荷物を抱えていたらもうそれ以上は持てないと誰かが言っていました。そしてまた、いったん両手の荷物を捨てなければ次の荷物は抱えられないとも。僕は一旦荷物をこの村で降ろします。新たに抱える荷物がどんなものであるか僕はまだわかりません。穴の空いた箱の中に目隠しをされ手を入れなければならないときの不安があります。でも僕は手を入れてみることにしました。僕は結果を知りたいのです。すでに僕は旅に出たのですから善き社会の一員として生きることが何であるかを知るために。
これからもよろしくおねがいいたします。

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