スペイン語留学13週目  先生の質とはなんなのか、大切なことに気がついた

肌寒い朝です。昨夜、大雨が降りました。すっかり空気が冷え切ってここが標高1500mに位置する村だという事がわかります。ジムに行っているせいかレッスンが終わって帰ると眠くて仕方ありません。ちょっとのつもりが寝てしまいます。しばらく体力が戻るまではこんな感じかもしれません。あまり予習もできなかったので少し早めにホテルを出てカフェに向かいました。レッスンが始まっても肌寒さはそのままマリアも僕も寒くて困ってしまいました。ホセは太っているので快適そう。元気いっぱいです。
マリアとのレッスンでは暗記ができなかったの心配でしたが、マリアが果物、野菜の一覧をくれたのでそれを使って勉強をします。明日は市場で待ち合わせをして実物を見ながら復習することになりました。今日はしばらく滞っていた僕の話を続けます。メキシコに入りあったことを話すとマリアは驚いたり興味津々です。砂漠のこと綺麗な浜辺でのキャンプ、フェリーでのこと、カードを無くして困ったこと、メキシコ中央部のこと、カンクンのこと。マリアはここからあまり出たことがなく、もちろん外国も行ったことがないと言います。しきりに質問してきます。間違いを直してくれながらもっと聞きたいようでした。途中から面白おかしく話してあげたいと思い出しましたが僕にはスペイン語でそれを話してあげることはできないばかりか、日本語であっても難しいと気がつきます。人に楽しんで聞いてもらえる話し方を僕はできていません。報告書であればいくらでも書けるのです。でも報告書には感情がありません。事実だけを書く。そこには想像や願望、自分の気持ちを入れることはできないのです。長年そんな感じで仕事をしてきたせいか僕は自分の気持ちを切り離す癖が染み付いています。彼らの話し方を見ているとまるでそこにいるかのように感情豊かに話すのです。話の良し悪しではなく気持ちの問題。彼らは話をとても楽しむことができるのです。僕はそんな彼らが羨ましくて仕方ありません。マリアのレッスンはほぼ会話で終わりました。僕がそれを望んでいるのですからそれはそれでいいのです。レッスンとしてはとてもいいものだと思います。でもまさかテクニカルな面ではなく会話とはこうするものなのよと言われた気持ちなるとは、ちょっと凹んでしまいました。
先生の質について考える
いい先生の素質をあげればきりがありませんが、それについて考えるいい機会に恵まれました。マリアはあまりボキャブラリーを持っていないようです。どうしてそれを感じたかというと、僕が使っている発音の教科書に書かれている幾つかの単語がわからなかったのでマリアに聞いた時です。「この単語はなに?」と質問します。”querido”という単語です。マリアは”querer”のことよと言います。動詞の活用だというのです。僕は納得しました。幾つかそんなことを聞いて最後に”dique”という単語を聞きました。僕はこの単語が英語のdykeに当たることは知っていました。意味はレズのこという単語(他にも堤防やダムのブロックにも使われます)だということしか知らなかったのです。子供の本なのになんでこんな言葉が使われているのだろうと思ったのでマリアにこの意味ってレズビアンのことだろと聞くと彼女はニンマリ笑います。そして「子供はコレを読んでも意味なんか考えていないのよ、音の練習の教科書だもの音だけ聞いてそれでおしまいなの。一部の子供を除いてはね。ヒデキはまるで一部の子供見たいね、質問質問ばかりだもの」と言って笑われてしまいました。僕はそれはそれで褒め言葉だと軽く受け止めて流しました。
ホセのレッスンが始まり単語の意味を発音に続いて言っていきます。すると彼女から教わった単語のところになるとホセは「それもあるけどこの単語は違う意味を持っているこれは鳥の名前だ、これは草の名前だと次々に説明してくれるのです。そしてdique、僕はレズのことでしょと聞くとホセもまたニンマリ笑います。でも「ヒデキ、これは違う意味があるんだ」と言って堤防、ブロックなど本来の意味を説明してくれたのです。

2人から違う説明を受けた僕は、以前ある生徒が言っていた「先生によっていう事が違う、あの先生はよくない」という意見を思い出しました。普通で考えればホセはよくてマリアはダメということになりそうですが、それはちょっと違うのだとということに気がつきました。diqueを僕はdykeだと知りながら他の意味を知らなかったのです。この単語は友人との会話から覚えた単語で辞書を引くことをしませんでした。アメリカにいる時友人からゲイやレズビアンについて話を聞いていたのです。彼はあまりLGBTに理解がなく、スラングっぽい言葉で彼らを批判していました。この時刷り込まれた単語だったのです。英単語には本来の意味で使われることのない単語が多くあり、友人から「ヒデキ、その単語を使うと勘違いされるぞ」と聞くことが多くありました。まさかそれがスペイン語で出てしまうとは想像もしていませんでした。僕にとっては他言語である英語、その意味をすべて覚えることはできません。当然先生だってすべてのスペイン語を知っているかと言えばそれはかなり難しいのです。ここは田舎町、もともとツトゥヒルという言語が使われている場所です。ここの人々もまたスペイン語は勉強するべき言語なのです。ここで褒めるべきはホセ。ツトゥヒル語を使いながらスペイン語、英語を使いこなす彼の努力に感嘆しました。彼はとてもいい先生だということは誰しもが認めることです。ではマリアが果たして悪い先生なのでしょうか。僕はそうは思わないのです。彼女の話し方は魅力的で人を楽しませることができます。当然同じ話題であってもホセとは使う単語も違えば、話題へのアプローチも違うのです。会話として両人から話を聞けばマリアの方が安心感があるのです。聞き流せるスペイン語というか、ホセの話が学校の授業だとすると彼女の話は友達同士の会話、しかも文法的には正しい会話なんです。学校を去った後、僕が必要とするのはマリアのような話し方、極端に言えば人にものを教えるような物言いではなく同じ目線で人と話すことが大切なのです。ホセの話も冗談を混ぜたりして楽しいのですが、マリアの話し方に僕は魅力を感じるのです。文化的にもこの地を理解していない僕にとって会話の仕方も含めて習うことは大切なことです。多少不足があったにせよそれは僕にとって何の問題にもならないのです。僕は二人のレッスンが終わってから彼らを選んで正解だったと確信しました。
モヤモヤが晴れてきた?
ホセとのレッスンは先日書いた文例の理解度をさらに高めるように頑張ります。各文例を見るとそこにはHacerという動詞があります。僕はこの活用を未だに覚えきれていません。もう一度ホセに頼んで活用をおさらいします。各文に書いてある変換後のhacerと比べてなるほど納得しました。理解はしているつもりでもそれを感覚的に使えないでいる僕。自動的にどの時勢で質問されているのか、リアリティーなのかコンディションについて聞かれているのかの説明を受け、学校の外で人々が使っている言葉の意味にいちいち合点がいきました。動詞の活用から始めるスペイン語の勉強、知識として必要なことなのですが、僕は今やっと、なんでこんなに変換が必要で人々がなんでそれができるのかがわかりました。山のように覚えなければならないと思っていた動詞の活用は実はそんなに多くはなかったのです。不規則活用をする動詞は多くはありません。たとえ不規則ではあっても一定のルールがあってそれにならって活用すればほとんどの動詞はある一定の規則を持っているのです。レッスン後の帰り道、僕はちょっと希望がでてきたなぁと感じました。と同時にスペイン語の習い方がもう少し違っていたらこんなに時間もかからなかっただろうにとも感じたのです。ともあれまだまだやらなければならないことは山積みですが突破口を見つけることができました。
今日の一言

他言語が飛躍的に伸び出す時には前触れがあります。僕の場合は近所の人と話すようになることです。フィリピンにいた時は気が付きませんでした。なんとなく夕方に出かけてはちょっと話すようになってから僕の英語は伸びたのです。当時はレッスンのおかげだと思っていましたが今になって考えるとそれは近所の人たちのおかげでもあったのです。彼らは普通に話しかけてきます。自然な英語と触れ合うことで僕の会話力は知らないうちに伸びていたのです。サンペドロに来てそれをとても感じます。村の人がとても親しく話しかけてきてくれます。今では村のどこを歩いても誰かしらと立ち話をしなくては目的地に着けなくなってしまいました。それはたわいのない会話ですが僕のスペイン語を飛躍的に伸ばしてくれている気がするのです。言語を学ぶという行為から人と話すという当たり前のことになりだした僕のスペイン語。ますます僕は言語を習うことが好きになりました。

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です