乗り物が作る旅
搭乗前に空港で受ける荷物検査。ビーッと鳴らないかちょっとドキドキしながらゲートを通る時、僕は旅心をくすぐられるのです。やましいことはないけれどつい”私はとってもいい人で正直者なのです”と言い訳したくなるし、期待と不安をが入り混じった気持ちが好きなのです。チェックインは国際線は3時間前、国内線は2時間前と言われます。今回は国内線のため2時間前に着きました。もっと遅くてもよかろうにとも思いますが念のため。やはり僕も日本人なんですね。時間をもてあますことは承知していました。いつもならラウンジでのんびりと過ごしますが今回利用するのはLCCのボラリスです。日本でもおなじみのTGI FRIDAY’Sに目が止まります。ちょっと高かったけどハンバーガーを食べることにしました。ちょっと贅沢な旅人になったような気がしていいのです。時間まで大ぶりのバガーを頬張りながら待つことにしました。
飛行機の座席は24F。僕はいつも決まって通路側を取ります。でも今回は珍しく窓側を選択しました。たまには窓から見える景色を楽しんでみようと思ったからです。カンクンの空港は海に向かって飛び立つことが多いのできっとホテルゾーンが一望できるではないかと思いました。飛び立ってから飛行機は反転して陸内に向かうはずですから右側に座ればきっと見えるだろうと思ったのです。
ところがいざ飛行機に乗ると座席は23までしかありません。えっ!と驚きました。確かに僕のチケットには24Fと書いてあります。客室乗務員に聞くと彼女もあらっという顔をしてちょっと待ってと言われます。他のお客さんが座っていく中、僕は待つしかありません。もう笑ってしまいました。どうにでもなってくれと開き直るしかありません。すべてのお客さんが座った後、僕は23Fの座席に座ることができました。おそらく以前の僕なら心臓がドキドキしてしまうほど焦ってしまったかもしれません。でも今回の旅前、嫌というほどトラブルだらけだったのでこれしきではビクともしないのです。思った通りカンクンの景色を眼下に見下ろす事が出来ました。色々とあったカンクンにしばしのサヨナラです。バイクなら2日バスなら20時間の距離を飛行機なら1時間です。これでコストも一番安いなんてちょっと反則だよなとつぶやいてしまいました。
トゥストラの空港であるはずのバスを探しますがありません。係員も”知らない”とお得意のセリフを言います。”また始まったな”と僕はニンマリ。焦らずタクシーのチケット売り場に行くとやっぱりいました。メキシコ人の女性とイスラエル人の男性。彼らもサンクリに向かうと言います。シェアして行こうと言うと全員納得です。1時間ほどでサンクリに着けそうだと思っているとタクシーが急に減速しました。前を見るとたくさんの車が路肩に止まり大勢の群衆がいます。何人かの男はバンダナをマスクにして道をふさぎ、料金所を占拠しています。彼らに誘導されるがままの僕らの車。ゲートで止められ男が近寄ってきます。僕はまたかよと思いました。ところがタクシー運転手が30ペソを払うとすんなり通してくれました。聞くとオアハカで起こっている教師による暴動と同じだと言います。30ペソはなんのために払ったのかを聞くと彼らのご飯代だと言います。ストで給料が入らないので通る車を片端から捕まえてお金を徴収しているのだと教えてくれました。この暴動思っていたより大きなものでした。サンクリの町に着いてから事の大きさを知る事になります。
サン クリストバル デ ラス カサスにて
この町を訪れる時はいつも雨、最初に訪れた時は冷たい雨に体を震わせながら日本人宿カサカサに着きました。そして今回も雨の歓迎です。タクシーを降りて雨の中をセントロに向かって歩きます。勝手知ったるこの町。まるで地元を歩くかのような気分です。いつもと違うのは方に食い込む荷物の重さ。バイクのありがたさが身にしみます。今回はホテルに泊まってみようとタクシーの中で思いつきました。一緒にのったイスラエル人に泊まる場所について聞かれたのがきっかけです。ホテルの話を聞いているうちに僕も泊まってみようと思ったのです。飛行機に乗ってすっかり旅行気分になったのだから泊まるのもホテル。旅行者としてこの町を見てみようと思ったのです。セントロのすぐ脇にあるアンティークな感じのホテルに入りました。玄関を入ると中庭が広がり落ち着いた中世の趣きがあります。石造りの壁と木枠の窓。部屋に入ると古びた建物特有の匂いがします。天井の梁もチェコで泊まった屋根裏部屋のホテルのように素敵です。一発で気に入りました。
まずはグアテマラに向かうバスを探します。カサカサのタケシさんにツーリストバスの事を聞くと一発で見つかりました。今回はホテルに泊まっていますが彼の宿を素通りする事はできません。そして今回も素敵な再会がありました。アキラさん、ジュリちゃんこの旅で出会った素敵な旅人です。アキラさんは旅行者にとって一番大切なものをなくしてしまいここでペンキ職人をしています。ジュリちゃんはパナハッチェルで作った特注のギターケースを背中に路上パッフフォーマンスに出かけて行きました。今夜はアズちゃんトシくんのライブを見に行く予定です。驚いた事にグアテマラでお世話になっているカバさんが偶然サンクリにいてライブに飛び入り参加をするというのです。アクシデントはこうでなくちゃいけません。
宝石に魅せられて
この町では買おうと思っていたものがあります。マクラメという首飾りを作る素材です。以前から興味はありましたが善し悪しがわからないし、石なんて柄じゃないと思っていたのです。でも露天や店頭に並ぶ石を見ていると時々ドキリとするような妖しい輝きに魅せられることがあるのです。”艶”アデ、ツヤなどと言われるこの感覚的な文字が表す得体の知れない美しさ。ごく稀にこれを身にまとう女性がいます。年齢や美しさに関係なく妙な魅力を醸し出していて人を魅了するのです。ご自分でも気がつかれていない所作やフとした仕草に現れる説明のつかない妖しさは気がついている人のそれを凌駕するのです。妖艶で淫猥な魅力を生命の有無にかかわらず持つこの両者。たまらなく僕の所有欲をくすぐるのです。人は無理でも石であれば面倒なやり取りをせずとも紐でくくってしまえるのです。釣りをする僕にとって同じ結び方をするマクラメはそれほど難しいことではありません。釣りにおいても結び目の善し悪しが釣果を左右するのです。狙った獲物を逃がさないように堅牢に、それでいてしなやかさを失わないように優しく編み込むのです。獲物を独り占めできる征服欲。手の中にあるその輝きと滑らかな肌触り。触れればたちまち手垢にまみれそうなかよわさ。美しく儚いものをこの手で汚す至極のひと時をヘンタイ的に楽しんでやろうと思うのです。何件も店を回り手に入れた石たち。彼女たちはすでに僕が買ってしまったのです。どうやって縛り付けてやろうかと妄想は膨らむばかりです。
ブラブラ歩きも旅の楽しみの一つです。観光客になりきってみることにしました。ちょこっといい目の服を着てカメラを片手に町へ繰りだします。黄色い街灯に照らされる町はキラキラと輝きいつも泊まっている小さくて平穏な村とは対照的に通りには人々が溢れ活気付いています。オープンテラスのあるイタリアンレストランに入ります。まずはハウスワインを頼みメニューに目をやります。ボロネーゼを注文しました。味はマソメノス(まぁまぁ)でもテーブルに置かれたキャンドルに照らし出されるワイングラスの赤、ウエイターが”セニョール料理はいかがですか”と聞いてくる声が旅気分を盛り上げてくれます。いつもはうるさいだけの物売りも自分が外国人であることを教えてくれているようです。食事を終えチップをテーブルに置き後にしました。
帰り道、カフェに寄りチアパス産のコーヒーを飲みます。酸味と苦味のバランスが良く香りがとても良いのが特長です。人々の話し声、路上ライブの音、それと先ほど飲んだワインが程よい疲れを感じさせてくれました。
翌朝、遅く起きた僕はカフェに向かいます。オープンテラスの椅子に腰掛け暖かな朝の日差しを楽しみます。フランス人が経営するこのカフェはパンやケーキが美味しいことで知られています。フランスから輸入しているバターと小麦粉で作られたマドレーヌとクロワッサン。いつも食べるガシガシのまずいやつではありません。よく泡立てられた泡がのったカプチーノ。ザラメをほんの少し泡の上に振りかけて飲めば至福のひと時がやってきます。一旦ホテルに戻りパソコンをパックに入れて再び町へ。あてもなく散歩しながら写真を撮ったり買い食いをしながらブラブラと歩きます。疲れたらカフェで一休み。店ごとに違うコーヒーの味を記憶に残します。パソコンを取り出してブログをちょこっと書いて再び散策。旅行気分を存分に楽しみました。
オアハカのデモに思う 力による主張とはなんなのだろう
隣の州であるオアハカで大規模なデモが起きています。少し前から町が封鎖されて旅人が閉じ込められているとの情報は知っていました。政府が学校の先生たちの処遇に関する法律を変えようとすることに対する不満からストライキが起きているらしいくらいの知識しかありませんでした。ところがライフルによる狙撃が起きたことで当局が鎮圧に動き出し、それに怒った民衆が暴徒化してしまったようです。サンクリにくるタクシーで見た群衆はこのデモに触発された先生たちによるものでした。
サンクリのセントロに張り出された写真を見て、事態の大きさに驚きました。そこには機関銃やライフルを持った警官が民衆と対峙している様子、散らばる薬莢、車を燃やし道路上に石を並べて対抗する暴徒、けが人、屍体、野戦病院さながらに働く医師たちの写真でした。
海外ニュースでよくある報道写真ですが、それがすぐ近くしかも数ヶ月前に泊まった町で起きていることがにわかに信じられません。オアハカは旅行者に人気の町です。近隣に点在する少数民族の村巡り、手工芸品、お祭りなど多くの旅人を魅了しています。そんな町の人々、しかも教育者によるデモが発端で死者まで出る騒ぎに発展してしまうとは驚きです。聞くところによると日本でよく槍玉に上がる教師の組合のようなものがあり、昔からこうしたデモを扇動する動きがあったようです。
子供には暴力はいけないよと教えつつこうした行為に及んでしまうのは僕を含めた大人です。そんな事を言っている当事者がこれではいけません。いったいどこで僕ら大人は道を外してしまったのでしょう。もしかしたら踏み外したと思い込んでいるだけなのかもしれません。暴力からは何も生まれないと言いますが僕は何かが生まれているような気がしてならないのです。痛みや流される血からは憎しみや悪意が広がり次々に人々に感染していきます。でも一方では痛みや血を伴う出産という行為からは深い愛情が生まれ幸福な気持ちが人にも伝わります。暴力の有無が違いを生むのでしょうか。暴力をあからしま(にわかに、急なさま)に振るう力と解釈すれば横暴に他人に振るわれる力であっても愛を確かめ合う力としてのセックスという行為でも同じであるように思えるのです。”必要悪”という言葉があるように力による主張は人間が持っている否定できないものなのかもしれません。キリスト教に贖罪規定があるように昔、性行為は悪しきものと捉えられていました。人口抑制の目的があったとしてもこうした概念を生んだ背景には人が持つ逆らいがたい力を恐れたのではないかと思うのです。そして戦争という行為は最終手段としての政治的交渉術です。EUからイギリスが離脱することへ各国の動揺が広がったのは戦争を回避するための仕組みから離脱するイギリスへの不安を刺激されたからではないかと思うのです。どちらもにわかに振るわれるある種の力だと考えるとその違いはないのではないかとさえ思うのです。
難しいことを書いてしまいましたが、そんな事を考えてしまったのは一連の写真を見ていてちょっと驚いたからです。だって当局側にも群衆側の中にも笑っている人がいたんです。そんなことがあるのかと目を疑いました。人々はもしかしたら事を楽しんでいるのではないか、互いの主張はただの理由付けに過ぎないのではないか。とすれば今回の暴動に対する疑問が解けるような気がしたのです。そもそも彼らは誰に対して自分らの正当性を主張しているのでしょう。一般の人の車を無理やり止め同じメキシコ人であるタクシーの運転手から金を取り、車や店を燃やし、銃を撃ち、催涙弾をぶっ放す。そんな両者を支持するのはこれに乗じて利を得ようとする強盗のような悪人しかいないのです。僕は先日の喧嘩が未だに自己完結していません。実際の行為と理論がこんなにかけ離れたものである事だけはわかりました。理由なんてないのかも人間なんて自分で思っているほど賢くないのかもしれません。
ともあれ今後この辺りを旅されようと思っている方々。治安の悪化にご注意ください。得てしてこうした地域では普段はあり得ないトラブルが多発します。オアハカは普段はとても平和な町ですが人々が正気を取り戻すまでは基本的なルールを守らないとつまらぬトラブルにまきこまれせっかくの旅を台無しにしてしまう事がありますから。これ以上騒動が広がらない事を祈ります。
今日の一言
いつもとは違う旅を楽しんでいます。買い物や食事、ちょっと贅沢をしました。ホテルの部屋で買ってきたスペイン語版の「老人と海」をベットの上でたどたどしく朗読したり、むっくり起き上がっておもむろにこの記事を書いています。それはこれまでのトラブルを断ち切りたいという願いと初心に戻って旅を新鮮な気持ちで感じたいという思いがあるからです。ドミと違って自分の時間と空間をたっぷりと使える今回の贅沢は僕にとって必要だった事なのかもしれません。