日々雑思 日本らしさ

アップルの店員さん:

先日、壊れたiPhoneを日本の息子にアップルストアーの交換を頼んだ。メキシコでの交換を試みたがカンクンには代理店しかなく日本でしか交換できないと言われ困っている時、日本に帰る方が持って行ってくれた。息子は銀座のアップルストアーに行ったが本人でないと交換することができないと言われ困って僕に連絡をしてきた。店員さんと話をする。

「通常、このような交換修理はしていません。本人様がご来店いただかないとだめなんですよね〜」となぜか語尾だけ伸ばしあげるような言い方。
「僕は今、メキシコにいて日本でしか交換できないと言われたので日本に送り返しましたが、交換できないのですか?」
「このような取り扱いをしていないのですけどねー、まぁただこの電話でご本人様確認が取れたということで今回はこの電話でいいです。でも次回からはできませんから〜」
「そうですか、それではよろしくお願いします」

 

このやり取りで僕はとても違和感を感じた。疑問に感じたことは3つ
電話の修理には本人が行かなければならないくらい、重大な問題があるのか
本来ならできないと言いつつ1店員の判断で交換できてしまうようなセキュリティーなのか
今回だけということは次回からは僕の電話が記録されていて交換ができなくなってしまっているのか

 

日本らしいなぁと苦笑いしながら僕は遠い日本の店員さんを思った。なんで店員さんはあんなことを言ったのだろう、iPhoneを壊してしまったのは僕だし、無償で交換しろとも言っていない。修理ができないのであれば交換でも全く問題がないし、データーはバックアップは取ってあった。僕が支払うべき対価はきちんと払うつもりであったのに何が店員さんの琴線に触れてしまったのだろう。もしこちらがルール違反を犯しているなら交換するべきではないのに、口頭だけの小言で交換するくらいなら最初から気持ち良く対応した方が店の印象も随分と良くなるだろうに。電話で本人確認といっても年齢やシリアル番号を確認するわけでもなく名前すら聞かないのにどうして僕が本人だとわかったのだろう。今回だけはしてやるというのはありがたいが次回からどうしてダメなのか、こうした出来事を記録しているのだろうか。きっと責任という得体の知れない化け物に恐れおののいてこう言うしかなかったのだろう。性根の曲がった客ばかりを相手にしているうちに暗黒面に落ちてしまった心根の優しい青年だったのだったかもしれない。そうしたことを最初に言わなければならないほど日本の商売は難しくなってしまったのかもしれない。世界標準から大きくかけ離れた日本の素晴らしい対応は外国人のためであって日本人に対してはめんどくさいのかもしれない。と色々と考えてみたがわからなかったけれど、心のどこかでは理解することができた。

 

僕は店員さんの対応を悪いとは思わない、久々に日本を感じさせてくれた短い間の会話にちょっと心が弾んだ気がした。たとえ2度と交換に応じてもらえなくても僕のiPhoneに対する信頼は揺るぐことはないし、大切な旅の相棒として他に選ぶ機種がないと感じるほど気に入っている。でもそれを使うために誰かの気持ちを嫌な気持ちにさせているかと思うとちょっと気がひけるのだ。僕の不注意から壊してしまったiPhone。修理して使いたい、これまで一緒に旅をしてきた相棒を直してやりたいと考えてしまった僕のせいで店員さんの仕事に対する思いを害してしまったとしたら申し訳ないことをしたと思うばかりだ。

 

 
サトコさんとの再会:
久しぶりにサトコさんにお会いすることができた。真っ黒に日焼けされたサトコさん。相変わらずお元気そうな様子に心が沸いた。サトコさんはダイビングのインストラクターでとても優しいと評判だ。決して無理をさせず生徒を楽しませることに長けておられる。教えを楽しむとはかくもあらんということを教えていただいた僕の先生でもある。日本のお土産にお蕎麦、お餅とわさび味のお菓子をいただいた。長く海外にいる僕にとっては代え難いものばかり、大変恐縮しながらもありがたくいただいた。土産話でブログをきっかけに音信が途絶えていたご親友との再会を果たされたことをお聞きしこちらもグッと来てしまった。そんな彼女、帰国直前は歯痛に悩まされ、予定を繰り上げたことを伺った。そんな時でも笑顔で接しなくてはならなかったお話しを伺い、プロインストラクターとしての姿勢に見習わなくてはとまたしても教えられる。僕よりもずっとお若く、ジェニファーロペス似の美形の彼女。僕が女性であったならきっと”きーっ”となり嫉妬に狂ってしまったであろう。
久しぶりに帰国された日本の印象を聞くと皆が疲れているように感じたと言われる。確かにこちらに届くニュースはどれもネガティブなイメージをまとったものばかり。インスタント麺のコマーシャルに不倫をしたタレントが起用され、おもしろくないと思った人たちからの苦情に放送をやめてしまったメーカーの話。賭博で有名選手のオリンピック出場が絶望。倫理や社会規範はもちろん大切ではあるけれども、大義名分を振りかざし反論のしようない追い詰め方をしすぎるのは肩身が狭くなる。なぜ多様な意見が出ないのかがとても不思議に感じる。人の心はそう簡単に成長しない。間違いがあって初めてそれに気がつく。それこそが成長というものだと思うのだが間違いを恐れるあまり何もしない道を選んでしまった人たちにはわからない感覚なのかもしれない。
ともあれサトコさんにはカンクン滞在中にダイビングをお願いした。きっと今度のダイビングも楽しいものになること請け合いだ。

 

 
ミドリさんの頑張り:
チアパスのコーヒーを渡すためミドリさんと再開した。彼女もまた素晴らしい女性の一人。ビキニというボディービル競技の一つで活躍され去年もカンクンの大会で準優勝されるほどの美しい肉体の持ち主でもあられる。仕事に就かれたようで大変に多忙な日々を送っておられた。お話を伺うと何やら大変そう。日本人相手のお仕事だけに少し勝手が違うようだ。持ち前の明るさと頑張りで精力的に取り組んでおられたが少し生え際に白いものがちらほらしているのに気がつく。メキシコにありながらジャパンクオリティを提供するお仕事何かと大変なのだろう。
BBQにお誘いしたがお仕事で疲れて動けないとの連絡を頂いてからお会いしていない。お元気であられればいいのだけれど。
自身の生活のすべてを仕事に傾けざるを得ない日本の労働環境、滅私奉公とは私利私欲を捨て社会のために尽くすこと。立派な志を指すものではあるけれど尽くすのは社会の為であって、会社の私利私欲の為に使い捨てられてしまうようでは新聞の死亡欄には載ることができても伝記にはならないだろう。誰もが望まないのにここにも付和雷同の影が見え隠れしているように見えた。一度メキシコ人の爪のアカでも煎じて日本のカフェでばらまいたらもう少しいい加減(とても良い状態)になるのではないかしらと思った。

 

 
いい加減をさがしてます:
メキシコの有名日本料亭で板前をされている方にお話を伺う機会を得た。ケミカルの調味料を嫌い自然の食材からとった出汁を使って調理されているのだが、味が薄いと言われると嘆いておられた。 UMAMIは最近でこそ世界に知られるようになってきたが甘味、辛味、塩味、苦味、酸味などに次ぐ味覚で椎茸やカツオから引き出されるコクのような味わいで日本人には馴染みのものである。ただし、それを外人に合わせるとなると話は少し難しくなる。寿司好きという外国人でさえ醤油の海にご飯を泳がせシャビシャビになったしょっぱい塊を召し上がる海外の国々。当然強い味が好まれるのである。そこへ潮汁などのすまし汁や鶏がらだけで丁寧にアクをとった透き通ったがらスープを出しても残念ながら彼らにはお分かりいただけない。最近でこそお金持ちは薄味というカテゴリーに健康志向を見出しておられるようだが、果たして味の方まで理解されているかはわからない。そもそも味覚を覚える為には練習が必要だと思っている。例えばビール。初めてビールを飲んだ時には苦くてシュワシュワするまずい思い出しかないのに、毎日飲んでいるうちにそのうまさの虜になってしまう。またワサビもしかり。あんなに鼻にツンと来て涙が出るほど辛いのになぜか美味しく感じるようになり、時に甘味を感じることさえある不思議な食べ物。こうした類の食べ物は大人にならなければわからないものであり、何回も経験を重ねて初めて機能する味覚だと思っている。UMAMI(旨味)にも同じことが当てはまり同じ日本人であっても、小さい頃からカツオを削った出汁を食べた経験のない若い人たちには僕が作った料理は薄いのである。僕は食事を作る時、味見を彼らにお願いすることにしている。決まって濃すぎると感じた味を彼らは美味しいと言ってくれるのだ。食材の味の向こうに隠れた旨味を探す楽しみなどそこにはかけらもなく、ダイレクトに舌に伝わる味覚だけがすべてとなってしまったのは悲しい。それも生活スタイルの変化によるものだから彼らの所為ではないし、共働きで懸命に家族の為に働く両親に昔のようなやり方を押しつけるのも酷な話でもある。
僕のつまらないこだわりは、食材の乏しい海外では旨味調味料も使うけれど素材の味も残しておきたい。安い食材では工夫してもたかが知れている。それでも海外を長い期間旅されている元気な日本人達に懐かしい味を楽しんでもらいたいと思っている。味の良し悪しや味覚云々ではなく、ご飯を通して感じる日本であったり、ホッと息をつける瞬間のような気持ちを感じてもらいたい。でもその加減が難しい、きっとどこかにバランスがあるはずなのだけど、それが見つからない。いい加減をさがしています。

 

日々雑思
このところ日本に関わることで思うことがたくさんありました。日本の当たり前に対応できなくなってしまったのは百も承知。何せこちらときたら何から何までいい加減なのです。でも最近はそれもいいかなぁと感じています。店員は明るくレジでの挨拶や小話は僕の楽しみです。接客中に携帯をいじっても誰も何も文句は言わないし、警官が交通整理そっちのけでランチを食べているのも微笑まし く感じます。どんなに客が並んでいても歌を歌ってマイペースな店員。注文したものと違ったものが出てくるレストラン。お釣りを間違えても気にするそぶりも見せないレジ係。いい加減な道案内しかしないツーリストポリス。日本であったら怒られちゃうこともこちらでは誰も気にしないところに最初は驚きました。でも最近は彼らって楽しそうだなぁと感じることがあるのです。素直に笑い、日々を楽しんでいるのが伝わってくるのです。日本に帰られた旅人たちも日本で仕事につき忙殺されていますと連絡が入ります。日本の質は何を取っても世界一だと信じて疑うことのない僕ですが、もう少し力を抜いてもいいのではないか、それでもきっと世界一の座はどの国も脅かすことができないほど素晴らしいものだと思うのです。責任なんか誰もとらなくたって1年もすれば皆が忘れてしまうことばかりです。最初からできない量の仕事をすれば無理が生じるのです。多様な意見を受け入れられない社会は息苦しいのです。物事の本質は両極端にあると思っていますが、歩くのは中道である方が意外と物事を多面的に見れるのです。絶対同一的自己矛盾を抱える僕。でもこうして自分の意見を言える場を持てることは幸せなことなのです。

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