スペイン語留学8週目 間違いが怖い、話題が少ない

38日目 性格的な問題です

動詞の活用がうまくできないと書きました。原因はそのパターンの多さです。活用一覧を作ってそれを使い始めました。少しはマシになったと思うのです。でもあまりにも間違えるのでなんだかホセに悪くなってしまって、ちょっと間違えるのが怖くなっています。ますます口が重くなり朗読でも動詞の前になるとつっかえてしまい目も当てられません。あまりにも失敗が多すぎるため恐怖心が先行してしまいました。成功体験があれば自信も取り戻せるのです。練習しかありません。

より話を明確にするスペイン語では時制、場所、人、動作を文章に組み込みます。ところが僕の悪い癖がまた出ています。僕の話はシンプルすぎてホセはいつも”それで?なに?”となっています。ぼくの話はわからないと言うのです。なぜか例えば”僕が休憩している時、彼らと話しました」という文章です。僕は話をしたという事実だけしか言いません。それは日常でも一緒です。でもホセはなにを話したのか言わなければわからないというのです。それは内容のことではなく例えば”スペイン語で話しました”や”今度の週末について話しました”というように話の内容に言及しなければアクションがないからだと説明してくれます。でも僕は話すという動詞を使ったのだからアクションについて語っているじゃないというとそれでは相手がわからないと言うのです。

僕はあまり話を盛るのが得意ではありません。事実だけを淡々と語る癖は仕事でついた悪癖です。聞く方も同様で”今日東京に行きました”と話しを聞けばなにで行ったか?どこに行ったのか?なにをしに行ったのか?なにをしたのか?ということは聞かなくてもいいのです。それを話すのは相手の気持ち次第のこと、もしかすると言いたくないことがあるかもしれません。だから僕は相手を詮索するようなことを聞かないようにしているのです。旅の間もどこから来たのか、なにをしていたのかなどはまったく聞くことがありません。聞かれれば答えますが、僕から話すこともないのです。とっつきにくく話しがすぐに終わってしまう僕、これは欧米人と話していても同じ、ヒデキは話さないと言われますが、僕には話す内容がないんだよと内心いつも思っているのです。でも彼らの会話の技術はとても羨ましくていつもどんなことを話しているか、話題の見つけ方、相手に対するレスポンスを聞いているのです。でもそれに集中しすぎてますますだんまりになり。泥沼にはまります。

そんな悪癖がレッスンでも邪魔をしています。最初の頃はセンテンスも短く話す内容も簡素なので問題がないのです。でもここまでくるとそうはいきません。答えの文章を考えるのに一苦労、動詞の活用で二苦労、ホセの追求に三苦労と三重苦になって襲いかかるのです。技術的な問題は受け入れましょう。でも性格的な問題はレッスンには関係ないのになぁとついついボヤいて逃げ出したくなるのです。だって「本を読みました」だけで情報は十分なのに「緑の本」「スペイン語の本」「ずっしりと重い」などと形容詞を付けられないじゃないですか。ここでも形容詞地獄にはまります。そういえばナオさんが「私は本が好きなんです」と言ったとき僕は「読書家なんですね」と言ったきり会話が途絶えたことがありました。どんな本を読むのかと聞いたのは3回目に聞いた時でした。あの時ちゃんとはじめに興味を持っていたらもっと話しが盛り上がったのにと今になって気がつくのです。長年かけて染み付いた悪癖、そうそう抜ける物ではありません。

今日の一言
レッスンの時に旅行ガイド本の話しになりました。ホセはこれに情報が出ているから面白い場所に行けるんだと言います。もしこれを読めなかったら知ることができなかっただろう、本には興味深いことがたくさん書いてあるんだと言います。同感です。でも僕はガイドブックを読みません。そこへ行く前に情報を知ってしまったら感動が薄れてしまうからです。ナイアガラの滝の時でもそうでした「あれ?ちっちゃくない?」「テレビではど迫力だったのに」他の場所でもそう「あーここ、ここ、ここ写真と同じだ」想像が現実を超え、自分が知っている知識の確認作業となってしまうのです。だから僕は自分の興味が薄れないようにしているのですが、それを説明するとはできません。単純に僕に情報は必要ないんだと言うことしかできず、???という顔をされてしまいました。
ホテルに日本人の若い子が来ました。彼は料理をシェアしたい、作り方を教えてもらいたいと言っています。快く了解しました。ところがいざ料理を始めるとまるで料理本に書かれているような説明を求められてタジタジになってしまいました。僕は根菜は水から茹でて沸騰させないようにしてアクを取りますが、どうしてそうするのだ?蓋をしたほうが早いではないかとたたみかけてきます。確かにそうだけどグツグツしてしまうとスープが濁ってしまうからこうしているんだと答えても彼にはピンとこないようです。僕は君の口に入る食べ物だから丁寧に作るのは僕のやり方なんだと言ってもそれが作り方に関係があるのか?というような顔をしています。一手間をかけると美味しくなるといいますが、それがなぜ必要なのか、本当に変わるのかと効率を求められてしまうと僕にはわからないけどこうしているだけだよと当たり障りのない答えを返すことしかできません。米を研ぐ時も最初の水はさっと研いで素早く捨てるんだと言うとザルでささっとでやっていますと言っています。どのくらい研ぐのかと聞くのでとぎ汁が澄んでくるまでだよと見せてあげるとこのとぎ汁はなんですか?と質問が飛んできます。ヌカだよというとそれがあるとダメなのですかとさらにたたみかけてきます。僕はアラスカでは水は貴重だったから研がずに炊いたよダメではないけど美味しくなると思うから丁寧にやっているんだと答えました。僕はお米は研いだほうが美味しいと思うのですが実際に味がどのように変わるのかを説明することはできません。技術的なことを知りたければネットで調べられると思うのだけれど、そこを突っ込むのかと思わず言いたくなるような問答が続きました。

食材もいくらだったのか、トマトは高いでしょう?キャベツは安いけどと食材の値段が気になるようです。僕は1食10ケツアレスから20ケツアレスくらいでやっているよと答えます。それは1回分の食事代ですかと聞かれて彼が何が言いたいのか理解できませんでした。カレーが作りたいという彼、僕はカレールーを見せてできるよと言いました。すると彼は近くの日本人宿で食べたカレーはスパイスから作っていたと言います。作り方がわからないけどアレが食べたいというのです。僕はそれなら旦那さんに作り方を教わるほうがいいんじゃない?と聞くとでももうあそこには泊まっていないから聞けないと言います。僕はだって知っている人なんだから作り方を教えてください。手伝いますからといえばいいじゃん。大丈夫だよ全然というと、そうですかねーと言ってとっても困った顔になってしまいました。

旅人は心に傷を負っているから旅に出るのでしょうか?傷を負った旅人はそのことに気がついているのでしょうか?旅でそれは癒されるのでしょうか?果たして自分はどうなんだろう?きっとおかしいと思われているのだろうなぁ。

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