土日通信 かももし始動してみようかな

ある家族

先日、学校のアクティビティーの一環でサンペドロに住む貧困家族の元を訪ねました。母親と男の子5人の母子家庭でした。家は教会が用意してくれたブロック積みで家の中にはテーブルが一つあるだけ、子供達は土間に直に座っています。部屋の中にはマキが積んであり生活しているという感じはまったくありません。台所は外にある窯と山から引いた水をタンクに貯めて使っています。山の急斜面に建てられたこの家、地震が来ると崩れてしまうので夜間は危険だと教会のシスターが自宅に泊めてくれているそうです。
母親は二つの仕事を持っています。一つは洗濯屋さん。一般の家庭から直径1mくらいのカゴに山盛りの洗濯物を受け取り湖で洗濯します。料金は200円から300円ほど水に濡れた洗濯物を湖から山の上に運び上げるのは男でも大変な仕事です。もう一つはトルティーヤ作りと販売。午後から窯に火を入れて彼女は水で戻したトウモロコシからトルティーヤを作ります。一つずつ丁寧に窯の上で焼き上げています。焼きあがったそれをカゴに入れて街に売りに行きます。トルティーヤは4枚で14円です。帰宅は7時くらい。あまったトルティーヤを子供の夕食にするそうです。子供は3歳から15歳(多分)一番上の男の子は学校が好きで本が好きだと言います。でも家には本はありません。次男は勉強嫌いの多分5年生くらい、彼はすでに仕事をしていてお母さんにお金を渡しているそうです。食べ盛りの男の子、お母さんは懸命に仕事をしますが日に稼げるお金はほんのわずか、食費に消えてしまいます。ほんの少し明日へ回すお金があれば貧困から抜け出せそうなのにそれが出来ないのが現実です。
はた織りが好きだから

ホセは僕の先生です。彼の奥さんは控えめでとても感じの良い人です。僕が行くといつもはた織りを見せてくれます。彼女が作る民族衣装のファハスという帯はとても可愛らしのです。彼女独自のデザインがあり、1本1本手作業で作り上げらます。ひと月に4本作るのがやっとですが価格は5000円ほど。10年以上使ってもヘタレない丈夫さと色落ちしない品質の良さを考えればとても安いのです。この街では安いご飯であれば150円ほどで食べられますが、普通の食事をしようと思えば500円ほどはかかりるでしょう。毎日6時間、根を詰めて作る対価としてはあまりに足りないのです。でも彼女ははた織りが好きだと言います。ホセが英語を教えるからスペイン語学校で働きなよと言っても彼女はウンと言わないそうです。ホセは彼女からはた織りを取り上げることはできないよ。と笑っていました。経済の成長に伴う物価の高騰と労働に対する対価がマッチングしていない職業は他にもありますコーヒー農場での仕事は過酷です。ほんのわずかなお金と3食の食事のために働く人が少し離れた農村地域には多いと聞きます。輸出、土産物として売られるこれらの生産物がフェアトレードされれば明日への希望が見えてくるような気がするのです。
手作りのサッカーグランド

この街には立派なサッカーグランドがあります。でも僕が土曜日に行くのは街の外れにある山の斜面を切り崩しただけのフットサルができるくらいの小さなサッカー場です。山肌を削り取っただけのグランド。壁のようなむき出しの土には掘った跡が残ったままです。土埃が舞い上がるそのグランドで40人ほどの子供達がボールを追いかけています。コーチのマドレスが話を聞かせてくれました。彼らが着ているジャージと靴、ボールは全部もらったものなんだ。彼らの両親は買うお金がないんだよ。サンダルでプレーしている子も見えるだろ。でも大切なのはここで身体を動かすことなんだ。彼らは午前中は学校、帰宅してご飯も食べずに仕事に行くんだ、観光客相手の仕事をして親を助けているんだよ。それが終わって帰ってから勉強をして寝るんだ。彼らが口にできるのは数枚のトルティーヤと豆さ。でもこうして土曜日の午前中だけは彼らはここで思いっきり遊んで友達とサッカーができるのさ。それは彼らのストレス発散にもなるし、翌週への意欲にもなっているのさ。
このグランドには水道がありません。水筒がないので子供達に水をあげることもできません。彼らの何にかはビニール袋に入れた水を持ってきていますが、それがない子供は帰るまで我慢するしかありません。でもブカブカと緩んだボールを蹴る彼ら全員の目はとてもキラキラとしていました。子供の労働を禁じてもそれはなんの解決にもなりません。実際に親から捨てられた子供たちは乞食や山賊になるしか生きる道がなくなってしまうのです。観光客を相手にする子供は英語を話すことができました。僕とコミュニケーションをとるために必要な英語は教育を受けた中学生よりも上手いでしょう。先進国の物差しで計る教育や労働の概念はここでは通用しません。もちろんそれらも重要ですが、彼らに必要な教育とは生き残るための手段と知恵をつけることではないかと思うのです。
3つの経験は少し悲しさを感じる出来事でしたが。そこに悲壮感はありませんでした。それぞれが自分の置かれた環境を受け入れ、精一杯生きているのが伝わってきました。ほんの少しの変化があれば彼らは自立できることを知っていますが、それをあえて口に出すことをしないのは謙虚さからなのか諦めに似た感情があるのかはわかりません。僕は彼らとの出会いから色々と考えさせられています。でもあれこれと考えても何も答えは見つからないのです。一人の男の子から本が読みたいと言われました。本を集めてみようと思います。まだ1冊ですが手に入れることができました。友人や知り合いに頼んで必要がなくなった本を集めて小さな文庫を作ろうと思います。できるかできないかはわかりません。でもこの小さな町にいつでも本が見られる場所ができたらいいなぁと考えています。かももしを始動です。ここに滞在できるのはあと一月、一旦国外に出てまた戻ってくるつもりですが先のことは考えないようにしています。あまり気張らずに小さな結果を残せればそれでいいのかなと思っています。
スペイン語でpoco a poco少しずつです。さて始めるとしましょう。

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