土日通信  セニョール 5ケツアレスちょうだい

カフェでコーヒーを飲んでいると小学校1年生くらいに見える子供が僕のところにやってきました。彼は靴磨きのセットを持っています。靴を磨かせてくれない?と彼は言います。僕はサンダルなので必要がないよと言いました。彼は3回僕に靴を磨かせてと聞いてきました。サンダルを見せてもそれも磨けるよというのです。僕はハッキリと伝えた方がいいと思いノーと言い切りました。すると彼は靴磨きは諦めて今度はセニョール5ケツアレスちょうだいと言い始めました。僕はノーと言いますが彼はまた3回食い下がってやっと諦めました。

この町には彼のような靴磨きの子供がいます。彼らは近隣の山にある集落から食べるものを得るためにやってきます。裸足、ぼろきれのような服、真っ黒に汚れた顔、頭に張り付く髪の毛は固まってしまっています。彼らは親から育てることを放棄された子供達です。この近隣には貧しい村が点在します。そこには多くの子供達が食うや食わずの生活を強いられています。彼らは観光客が集まる町にやってきて物乞い、スリ、靴磨きなどをしながら日銭で生き延びているのです。

複雑な背景があることは容易に想像がつきます。
出産に関してはこの辺の男は子供の数で男としての強さを誇示する傾向があります。子沢山であるほど男として立派だと自慢できるのです。次に宗教的背景があります。敬虔なクリスチャンが多いので避妊を嫌います。コンドームを使用することは道具を使用した快楽とみなされるためです。キリスト教には本来人口抑制のための厳しい戒律がありますが、現代においては機能を失い、生まれてくる子供を祝福する習慣だけが残ってしまい家族計画が破綻するケースが往々にして見受けられます。

経済的背景として仕事がなく子供を育てるための十分な稼ぎを確保できません。ただでさえ少ない稼ぎに加え子供の数が多くなり食べることができなくなってしまうのです。給料日には銀行に長蛇の列ができています。銀行のATMの現金はすぐに枯渇してしまい。この日はお金をおろすことができないかった外国人が右往左往しています。あれば後先考えず使ってしまう国民性はラテンの典型的な特徴です。路上にはいきなり酔っ払いが増え、市場の賑わいは普段の倍にもなっています。

食事事情として若い世代は食事を作ることができなくなってきています。トウモロコシ粉を練って作るトルティーヤを朝から焼くのは大変な仕事です。中年以上の女がいる家庭では未だに手作りしていますが、その数は少なくなっているようです。そして食事を作らない世代の子供が結婚し子供が出来始めています。彼らは売店で売っている安価なお菓子を子供に与えてしまいます。それらは決して成長に必要な栄養を補ってはくれません。ですから子供達の体はとても小さいのです。最初に書いた靴磨きの子供だって実は結構年がいっているのかもしれません。アメリカや中国から入ってくる人工甘味料や毒性のある添加物にまみれた安いお菓子の影響により食生活が非常に貧しくなっていることを感じます。

僕がカフェで唐揚げを食べ終わり捨てようとしている鳥の骨だけになったクズをこれちょうだいといって照れ臭そうに言う男がいます。初めて見たときは本気かよと声をかけてしまいました。犬や猫と同じものを人間が欲しがることに衝撃を受けました。彼はそれを受け取るとそそくさと何処かへ消えて行きました。

こうした子供達の何人かは山賊となって火山の裏道などに出没しツーリストから金品を強奪しています。また街中でもスリを働いたり、置き引きをするなどしてその日を生き残るための暮らしを強いられています。彼は露店の食堂に顔を出し店の人と仲良くなって少しの慈悲を分け与えてもらっています。屋台の脇に遠慮がちに座り、余った食材をおとなしく待っています。その手は潰瘍が出来、ズボンの裾から覗く足は棒切れのようです。そんな彼らは食事を作ることにとても感心があるようです。作っているところをじっと見てたまに質問などもするのだと言います。

子供の数に比べ先生の数が圧倒的に少ないので教育も十分に行き届いていません。町にはたくさんの子供が働いています。でも彼らは計算もできないのです。たったコーヒーとケーキを2つずつ頼んだだけなのに計算機を使ってもなかなか金額を言えないのです。お釣りもしょっちゅう間違えます。リゾートであるラグーナでもそうなのですから田舎に行けばもっと酷い状況があることは容易に想像ができます。痩せた土地に少ない作物、乱獲のため生態系の崩れかけた湖、一見キレイな湖ですが生活排水、洗濯、入浴をしている状況では環境破壊が進むのもそう遠くない未来に約束されています。

今、こうした貧困と教育といった問題について考える機会を得ています。技能の習得や教育の充実は課題ではありますがいくら技術や知識があってもそれを活用し、市場に送り出すルートを持たないこの地では現場を変えることは難しいでしょう。ものの価値はいくらいいものを作り出しても知られることがなければ存在しないことと変わりがありません。先日日本でもツイッターでの投稿から大ヒットした方眼紙が話題になりましたがそれと同じことです。またものの価値が欧米諸国と大きく異なることも一因です。同じものを売るにしてもここでは1/10の値段で取引されているのです。例えばマクラメという自然石をあしらった編み込みのネックレスなどは欧米諸国では大変な高音で取引されています。それがここでは非常に安く手に入るのです。旅行者の立場からすればこんないいことはありません。その価値を知らないここの人たちは安価で売ってしまうことで自分たちで価値を下げてしまっているのです。こんな田舎にもネット環境が入り込み世界中の情報を垣間見ることができる今、人の欲求(とりわけ若い世代の)は抑えることはもはや無理でしょう。彼らの欲求があればインターネットを利用したマクラメの販売など容易にできるのに、それを許すインフラが存在しないのです。既存のルールに則りながらゆるやかな変化をもたらせる改革はどのようにすればいいのかとしばし考え込んでしまいました。
今週は少しシリアスなお話を書きました。今僕はある機織りの女性が作る民族衣装用の帯を違った形で教育やそれを与える環境に寄与できる術はないかと模索しています。少数民族の人たちが自分たちのアイデンティティーを失わずに経済のサイクルの一部に加われないかと考えています。機会を見てこのブログで販売をしてみるのも一つの手ですが、集まったお金をどう管理すれば明解で信頼たるものになるかを模索中です。知恵を貸していただけたり、手助けをしていただける方がいましたらこのブログにメールをいただければ幸いです。

 

今日は引越し先からの初めてのアップロードです。やはり速度が出ていませんがこれまでよりは幾分マシになったようです。

 

今日は

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